早いもので、青春のカリスマ、デカダン(退廃)文学の作家太宰治の、今年は生誕100年である。
先頃、太宰治がまだ作家になる前の、16歳の時に書いた直筆の原稿28枚が、東京都内で見つかった。
この頃からの、文学的素養をうかがわせる資料として、注目される。
JR三鷹駅の南口に、通称太宰横丁がある。
生前の彼が、よく飲み歩いたといわれる小路だ。
その一筋裏通りが本町通りで、その通りのはずれに太宰治文学サロンはある。
太宰の通った、伊勢元酒店があったところだ。
本当に小さな、サロンといっても、ミニサロンというか、ミニ資料室といった方がいいかも知れない。
今年の3月に、三鷹市がオープンさせたもので、ふらりと立ち寄ってみるといい。
そのすぐ近くを、あの玉川上水が流れている。
この辺り、いまはよく整備されている。
風の散歩道と呼ばれる側道を歩いても、当時の面影はなく、変わらぬものは水の流れだけである。
・・・恥の多い生涯を送って来ました。
自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。・・・(太宰治 「人間失格」)
太宰治は、昭和5年11月、知り合ったばかりの17歳の女性と、鎌倉腰越の小動(こゆるぎ)岬で服毒自殺をはかり、女性を死なせてしまい、自分だけが助かった。
昭和12年3月には、同棲した小山初代という女性と、群馬県谷川温泉で、二人でカルモチンを飲んで自殺をこころみたが未遂に終わった。
こうして、彼は生前幾度も自殺を繰り返したが、失敗、未遂に終わった。
しかし、最期をともにした、山崎富栄との情死は決定的なものだった。
山崎富栄はこう記している。
「・・・私の大好きな、よわい、やさしい、さがしい神さま。
女の中にある生命を、わたしに教えて下さったのは、あなたです」
1947年11月の日記だ。
富栄に、太宰はこんなことも言っている。
「死ぬ気で恋愛してみないか」
これに対して、彼女は女としての覚悟をこう語ったのだ。
「もう、何時死んでも幸せだと信じます。何故って、太宰さんを愛することが出来たんですもの。
私はいま、女として幸せです」
太宰は、親しかった友人に、
「あの女(富栄)は、一人でなら二年くらい暮らせる貯金があったんだ。
そいつを、俺がみんな飲んじゃったんだ」と打ち明けていた。
彼は、他人からは物惜しみする人間と思われることを、相当苦にしていたといわれる。
富栄という女性は、太宰の家庭を壊してまでも、一緒になろうとは考えてもいなかったし、それはあきらめていた。
未亡人とはいえ、自分とて夫の籍にある身だった。
不倫は、許されることではなかった。
まだ「姦通罪」が有った時である。廃止になったのは、半年後のことだった。
いまでこそ、不倫は文化だなどと、あの下手くそな演技が売り物の俳優ははばからず言っているが、当時はまだそんなことが通る時代ではなかった。
「姦通罪」なる言葉は、大岡昇平の「武蔵野夫人」でも登場し、昭和の文学をひもとくとき、実に嘆かわしい響きを持つものだ。
太宰治と山崎富栄が、互いの身体を紐で結んで、抱き合ったまま玉川上水に入水したのは、1948年(昭和23年)6月13日の深夜のことであった。
太宰38歳、富栄28歳だった。
その玉川上水にそって、そんなことを知らない世代の子供たちが駆け足で通り過ぎていった。
亡き山崎富栄は、太宰という男の屈折した闇の犠牲になり、死人に口なしのまま、彼女の遺族は無念と忍耐を強いられたのだった・・・。
当時、「太宰氏情死、相手は戦争未亡人」という見出しで、新聞は報道した。
空閨の女との情死という、興味を読者に持たせるような記事の書き方であった。
生前の富栄を直接知る、鎌倉佐助の主婦梶原悌子さんの著書「玉川上水情死行」(作品社)は、太宰と死をともにした女性の実像に迫るもので、まことに興味深い。
太宰治は、作家として作品を次々と発表し始めた頃、芥川賞にひどくこだわった。
喉から手の出るほど、欲しかったらしい。
川端康成に、「私に芥川賞を下さい」と、めんめんと綴った長文の嘆願書(手紙)を送った話は有名だ。
太宰が手紙の名手とは、よく聞く話だ。
数年前、神奈川県立近代文学館で、その直筆を目にしたときはとにかく驚いたものだ。
そこまで、芥川賞にこだわっていたとは・・・。
川端康成は、
「作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾みあった」と評している。(文芸通信 昭和10年11月号)
この年の第一回芥川賞は、石川達三の「蒼氓」に決まり、太宰治は次席となった。
太宰治は、禅林寺に眠っている。
禅林寺は、禅林寺通りのはずれにある。
太宰の墓地の斜め前には、森林太郎(鴎外)の墓地もある。
6月19日の桜桃忌はすでに過ぎていて、境内は閑散としていた。
沢山の献花に囲まれた、その太宰の墓前で合掌していた若い女性は、すれ違いざま、目に愁いを浮かべ、低い声ではにかむように私に言った。
「こんにちわ・・・」
「こんにちわ」と、思わず私も言葉を返した。
女性は、そのまま立ち去っていったが、私が振り返ると、彼女も何故か立ち止まってこちらを振り返っていた。
二人が同時に、後ろを振り向いたことになる。
そのとき、女性がこちらを向いたまま、私に向かって軽く頭を下げた。
自分も、そうした。
この間合いは、一体何なのだろう。
一瞬そう思ったが、よく解らなかった。
解らないながら気がつくと、境内の向こうに、もうその女性の姿は見えなかった。
まだ明けぬ、梅雨の晴れ間の昼下がり、禅林寺の境内はしんと静まり返っていた・・・。
― 追 記 ―
太宰治の作品で、新しく映画化されているものもある。
「斜陽」(秋原正俊監督 佐藤江梨子 温水洋一出演)は、現在ミニシアターで公開中だし、「ヴィヨンの妻」(根岸吉太郎監督 松たか子 浅野忠信出演)は10月公開予定だ。