徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

ーあな恐ろしき、「かわいがり」ー

2007-09-30 19:30:01 | 寸評

ようやく秋色が濃くなってきて、北の国からは、紅葉を通り越して、早くも雪の便りが届く頃となった。
・・・この日本の四季の移ろいだけが、美しい。
しかし、毎日毎日、目を覆いたくなるようなよくない事ばかり、次から次へと起きている。

 「おい、たんとかわいがってやれ」
 「へい、たんとかわいがってやりやした」
 「そうか。誰にも喋るんじゃねえぞ」
 「へい、わかりやした」
 「喋ったら、お前たちも、かわいがってやる」
 「ひ、ひぇ~!」
 「いいな、分かったな」
 「へい、親方」
 「よし!」
・・・どうも、こんな風な会話が、親方と弟子の間で交わされたらしい。
名門相撲部屋での話しである。
 「かわいがる」とは、言わずもがな、「リンチ」である。
この言葉、とんでもない使われ方をしている。流行語にまでなりそうだ。

一人の若者が、まだこれからというときに、希望を夢見ていた未来を絶たれた・・・。
新しい世界で、その第一歩を踏み出したばかりであった。
朝青龍の一件といい、今回のリンチ事件といい、日本の相撲界はどうなっているのだろう。
それも、今回、どうやら壮絶なリンチが行われたらしい。本当に驚愕の事件である。
親方、そこまでやりますか。

伝えられる報道によれば、「かわいがり」と称して、弟子たちを殴る、打つ、蹴るなどということは、どうも当たり前のように、恒常的に行われているというのだ。勿論、全部の相撲部屋がそうだとは思わない。一部で行われているのだろうと思いたい。あってはならないことだ。
元力士は、はっきり証言している。
 「稽古は、ときには、相手を殺すつもりでやります。そんなこと、当たり前です」
稽古は勿論のこと、言葉使い、動作、日常生活などの細かいところまで、とにかく気にいらないと、師匠(親方)や兄弟子から「暴行」を受けることがあるのだという。
竹竿、棒切れから始まって、ビール瓶、中華鍋、金属バットとエスカレートするらしい。
あまりの痛さに「痛い!」と言うことも許されないのだそうだ。言えば、さらに「リンチ」はエスカレートする。
とにかく、徹底的に、とことん「かわいがられる」のである。
親方は、部屋では絶対権力者なのだろう。

中華鍋の場合は、鍋がへこむほど、しかも相手の頭を殴打するという。
いやぁ、たまったものではない。まったく、怖ろしいことだ。
 「かわいがり」にも、本来は、本人の耐えられる限界まで、ただし、頭部、胸部、腹部、股間などを打ってはいけないという不文律があるのだそうだ。
それでも、顎の骨やあばら骨の折れるなどは日常茶飯事だという。

人は誰でも、「可愛がられたい」と思う。そして、人は「可愛がってあげる」のではないか・・・。
日本の伝統国技たる相撲の世界で、信頼すべき親方(?)と愛弟子(?)との間で、やくざのような、理不尽な「リンチ」(虐待)が、まかり通っているとは・・・!
美しい師弟愛(?)なんて、いまどき幻なのか。

日本相撲協会とか、相撲部屋とか、「親方」って、一体何なのだろうか。
品格も品性もない、そんな親方が、このところマスコミを賑わせているようだ。
話をするときに、ろくに人の顔を見ようとしない。
そして、話と言えば、後ですぐに分かる嘘ばかりだ。一体、どうなっているのだろう。
文部科学省は、知っているのだろうか。この役所は、実体をどう見ているのだろうか。

大相撲秋場所で、横綱として初優勝した白鵬が、帰国していたモンゴルから日本に戻り、このいわゆる「かわいがり」の一件について触れ、初めて口を開いた。
白鵬は、自らも三段目、幕下時代に先輩力士からいわゆる「かわいがり」を受けた経験を明かし、横綱としての立場から意見したもので、
 「あの時は、本当にきつかった。最後は心臓がついていかなかった。いま、“かわいがり”をしたら、み
  んな逃げちゃう。よくないことだよ」と、当時を振り返っていたそうだ・・・。

十七歳の、夢と希望に燃えていた若者が、たとえどのような事情があったにせよ、誰の付き添いもなく、家族のもとに無言の帰宅をした。
まるで、宅配便のように届けられた我が子を迎えて、父と母の想いはいかばかりだったろう・・・。
嗚呼・・・!
それを思うと、言葉もない。目頭が熱くなって来た。
ただただ、無念の思いで、深い悲しみだけが広がってくる・・・。合掌。

いまのところ、この事件は、重大な刑事事件の疑いがもたれている。
詳細は、捜査の成り行きを見ないと軽々とは論じられない。
「国技」が、「国技」でなくなるかも知れない・・・!?
当分、相撲など見る気がしなくなった。不快感がこみあげてきて、嘔吐をもよおしそうだ。