人は、それを愛ゆえの過ちだというだろうか。
人は、それを愛ゆえの宿命だというだろうか。
ドラマティックな作品が、登場した。
ギジェルモ・アリアガ監督による、長編初作品のアメリカ映画である。
愛ゆえにおかした過ちというなら、人はその深い闇から、どのようにして再生していくのか。
シャーリーズ・セロン、キム・ベイシンガーという、二大アカデミー女優の共演が見ものだ。
なるほど、これはまた、壮大な愛と宿命の物語か。
愛とは、一体何だろうか。
愛だからこそ、深い傷を抱える女性が、苦しみつつも、再び愛によって希望を見出す姿を、この作品は時と場所を越えて描き出している。
構想15年、過去と現在が間断なく交錯し、いくつものエピソードが、やがてひとつの物語に絡み合っていく、このプロットの上手さにはしびれる・・・。
いったんばらばらにした物語の断片が、モザイクのように組み合わさっていく手法だ。
はじめて観るとき、断片と断片との間にどんな繋がりがあるのかは、ドラマの中盤にくるまでわからない。
そして、映画の進行につれて、その関係が次第に明らかになる。
ああ、やっぱりそうだったのかと、このエンターテインメントの興奮に目が覚めるといった按配だ。
オレゴン州ポートランドの、海辺の高級レストランで働くシルヴィア(シャーリーズ・セロン)は、美しく有能で、周りの誰からも信頼されていた。
しかし、ひとたび職場を離れると、行きずりの男と安易に関係を結び、まるであたかも自らを罰するかのように、自傷行為に走るのだった。
そんなシルヴィアの前に、娘と名乗る少女マリア(テッサ・イア)が現われた。
マリアは、シルヴィアがかつてマリアーナ(ジェニファー・ローレンス)と呼ばれていた頃に産んで、2日後に別れた娘だった。
娘との、突然の再会に動揺し、思わず逃げ出すシルヴィアであった。
その脳裏には、ニューメキシコでの若き日のあの過ちが甦る・・・。
かつて、まだ十代だったマリアーナは、心の傷から不倫に走った美しい母ジーナ(キム・ベイシンガー)と、優しい父ロバート(ブレット・カレン)、そして3人の弟妹と、メキシコ国境に近い町に住んでいた。
表向き、家族は仲むつまじく、幸福そうであった。
ある日、買い物に出たまま、帰宅が遅れるようになったジーナに不審を抱いたマリアーナは、こっそり跡をつけ、母の不倫を目撃してしまうのだ。
ジーナの情事の相手は、別の町に住むメキシコ人ニック(ヨアキム・デ・アルメイダ)だった。
それぞれの家庭を持つ二人は、中間地点の荒野のトレーラーハウスを忍び逢いの場所に選び、そこで貪るように愛を交わしていた。
ジーナは、ときに家族のことを思い、ニックと別れようと決心しても、いざとなると情事から身をひくことができない。
そんな二人の情事を、唐突に終わらせたのは、トレーラーハウスの炎上事故であった。
ジーナとミックは、抱き合ったまま炎に包まれ、帰らぬ人となってしまった・・・。
マリアーナが助かってほしいと念じても、二人は助かるはずがなかったのだ。
それは、未必の故意だったのか。
この事故は、マリアーナの心に深い傷跡を残し、ニックの息子サンティアゴ(J・D・パルド)も混乱し、戸惑いを隠せない。
彼の父は、炎の中で何を思ったか。
その答えを探ろうとするかのように、マリアーナに近づくサンティアゴ・・・。
互いに、それぞれの母と父の姿を相手に重ね合わせる内に、二人は本当に愛し合うようになった。
それは、決して周囲に受け入れられぬ、禁断の恋であった。
マリアーナは、すでに妊娠していた。
二人はメキシコへ駆け落ちし、数ヵ月後にマリアーナはマリアを産んだのだ・・・。
あれから12年、マリアーナの名とともに、置き去りにしたまま、自ら封印した過去と向き合うべき時が訪れたのだった。
トレーラー炎上にまつわる、残酷な真実が明かされていく。
母ジーナの過ちと、それ以上に重い自分自身の罪・・・。
二重の十字架を背負ったシルヴィアに、自らの再生はあるのだろうか。
映画の邦訳タイトル部分の「欲望」は、どうか。
この場合の「欲望」は、あまり適切ではないように思える。
・・・そして、よりによって、母の不倫相手の息子と愛し合うことになるとは・・・。
娘は母を恨み、同時に愛していることが、実に皮肉なドラマだ。
海辺の町の寂しい風景と、渇ききった灼熱の大地が象徴的だ。
それにしても、愛すべき母の不倫を憎むあまり、トレーラーハウスの中に閉じ込めた、母ジーナと相手の男(自らが愛したサンティアゴの父)を、何故生かすことをせず、凄惨な炎の地獄で、最悪の結果を招くことになってしまったのか。
・・・シルヴィアは、このときから十字架を背負っていたのだ。
このドラマの、巧妙なストーリーテリングに素直に脱帽だ。
現実離れしているが、よく練られたシナリオだし、二つの時間と国境を越えて二つの国をめぐるプロットともども、撮影もなかなかのものがあって、見応えがある。
二人の女の、母から娘へ、三世代に渡る愛と宿命の相関図だ。
そうなのだ、愛と宿命の・・・。
人は、愛に傷つきながら、なおその愛に潜む危うさからは、逃れられないものなのだろうか。
このアメリカ映画、ギジェルモ・アリアガ監督の「あの日、欲望の大地で」は、十分に楽しめる作品だ。
上映館に若い女性が多かったのは、少し意外な印象だった。
シャーリー・セロンは、重い過去を背負い、感情を押し殺して生きるヒロイン・シルヴィアを、また製作総指揮として母親役のキム・ベイシンガーは、愛を渇望し、性の衝動に身を委ねる女の葛藤を、繊細かつたおやかに演じる。
もうひとりのヒロインは、若き日のシルヴィアを演じる新人ジェニファー・ローレンスで、母を慕いながらも嫌悪する少女の心理を自然体で表現し、ヴェネチア映画祭の新人賞(マルチェロ・マストロヤンニ賞)に輝いた。
登場人物の心象風景を、美しい旋律で照らし出した音楽もいい。
エンドロールとともに流れるメロディが、ドラマを観終えて、なお胸に響く・・・。
テレビでも映画でも、文学作品でも、安っぽいドラマは星の数ほどありますが、本当に優れた作品となると、さあどうですかねえ。
人間の本質を抉り出すというの作業は、ややもすると、通俗的でやりきれない作品を生み出しますものね。はい。
不思議です。
人々の織り成す思いの物語なんでしょう。