これは事実か、真実か、現実か。
映画化は難しいとされていた、梁石日(ヤン・ソギル)原作の阪本順治監督作品である。
久々に、日本映画に秀作が生まれたという感じがする。
硬質の社会派ドラマだ。
誰もが目を背けたくなる現実を、ひるむことなく、真正面から凝視した衝撃のドラマである。
何の罪もない子供たちがいる。
その子供たちに、幸福な未来は約束されていなかったのか。
純粋無垢な子供たちが、欲望まみれの大人たちのエゴに蹂躙され、虫けらのように扱われる。
売春宿に監禁された彼らは、ペドファイル(幼児性愛者)と呼ばれる、先進国の外国人客の玩具にされて、虫けらのように扱われるのだ。
子供たちが、心身ともに耐え難い傷を負い、病気にかかればゴミ同然に捨てられる。
人の命は金では買えないなどという言葉は、この闇の世界では、何の説得力も持たない。
阪本監督は、近作に、壮大な海洋アクション「亡国のイージス」(05)、女性の転機を見据えた人間ドラマ「魂萌え」(07)など、一作ごとに新たな試みに挑戦し、意欲的な映画作りを実践している。
最近では、クライムアクション「カメレオン」(08)も公開されたばかりだ。
阪本監督の今回の作品は、かけがえのない子供たちの生命のきらめきをすくい取るとともに、性的虐待を冒すペドファイルの醜さやマフィアの暴力を、オブラートにくるむことなく、直視し、映像化した。
もし、これらの‘描写’に拒絶反応を示す観客が出ようとも、この映画のテーマに肉薄するには、向き合わざるを得ない現実だからである。
そのことが、子供たちの生命の尊さと向き合う、衝撃のドラマとなった。
新聞記者の南部浩行(江口洋介)は、日本人の子供が、タイで臓器移植手術を受けるという情報を得た。
闇社会の事情に通じるタイ人に金を握らせて、南部は臓器密売の元仲介者と接触した。
その元仲介者から聞き出したことは、提供者の子供が、生きたままで、臓器をえぐりとられるという衝撃の事実であった。
彼は、取材を決意した。
その頃、東京の大学で社会福祉を学んだ音羽恵子(宮崎あおい)は、バンコクの社会福祉センター<バーウンアイラック>にいた。
アジアの子供たちのために、何かをしたいという思いで、彼女はこのセンターにやって来たのだった。
女性所長、ナパポーン(プライマー・ラッチャタ)のスラム街視察に同行した音羽は、そこでバンコクの貧民層の現実を目の当たりにする。
ナパポーンの気がかりは、読み書きを教えていた、アランヤーという少女が、最近センターに姿を見せなくなったことだ。
ナパポーンと音羽は、取材のためセンターを訪れた南部と出会った。
そして、彼から、子供の臓器移植手術の情報を聞かされ、慄然とするのだった。
少女アランヤーは、実はチェンライの街の一角にある売春宿に売り飛ばされていた。
マフィアが仕切るこの売春宿には、大勢の子供たちが、劣悪な監禁部屋に閉じ込められ、欧米や日本から来た幼児性愛者の相手を強いられていた。
客の要求を拒んだ子供は、容赦ない暴力で痛めつけられ、病気で弱りきった子供は病院に連れて行かれることなく、物のように捨てられてしまうのだ。
ある日、売春宿から、トラックに乗せられた黒いゴミ袋には、エイズを発症したヤイルーンという少女が包まれていた。
ヤイルーンの故郷は、国境の向こうの美しい山間部の村であった。
捨てられたヤイルーンと入れ替わるようにして、彼女の妹センラーがマフィアの男に連れられて、バンコクの売春宿にやって来た。
今日から、センラーも外国人客を相手に身を売ることになるのだ・・・。
金のために、子供の命までもが容赦なく奪われる実態・・・。
理想を胸に、バンコクのNGOの団体に加入した音羽恵子は、子供たちがさらされているあまりにも悲惨な現実をまざまざと見せつけられ、心は痛むばかりだ。
音羽は、商社マンの男梶川(佐藤浩市)を訪ねる。
彼こそは、タイで手術を受けようとしている子供の父親なのだ。
彼女は叫ぶ。
「あなたは、人の命をお金で買うんですか!」
音羽は、今まさに命の危機にさらされている子供を助けたかった。
一方、新聞記者の南部は、一人を救っても新たな犠牲者が出るのだから、それを食い止める方法を見つけるべきだと主張してゆずらなかった。
子供を救いたいという目的は同じでも、二人の間には決定的な亀裂が生じていた。
どこの国にも、臓器移植によってしか助からない子供がいる。
国内で手術を受けることはもちろん、アメリカなどに渡ってドナーがあらわれるのを待つ猶予はないのだ。
だから、東南アジアで移植を受ける。
東南アジアでは、貧しい子供が買われ、生きているのに殺され、ドナーにされる。
一人の子供を助けるために、ほかの子供を殺すのは明らかに間違っている。
貧しい子供を犠牲にすることでしか、金持ちの子供は生き残れないのか。
そうでなければ、金持ちの子供はだまって死を待つのみだ。
その子供の親に向かって、「あなたは、自分の子供の命をあきらめるべきだ」と告げる勇気があるだろうか・・・?
映画「闇の子供たち」は、「夜を賭けて」「血と骨」などでも知られる梁石日(ヤン・ソギル)が、実際にタイのアンダーグラウンドで行われている、幼児売買春、人身売買の現実をすさまじいまでの筆致でえぐり出した問題作である。
当然、読み手がページをめくることさえ躊躇するほどの、衝撃のテーマ、内容だけに、映画化は不可能と思われていた企画が、タイでの大がかりな現地ロケによって実現したのだった。
阪本監督は、持ち前の骨太の作風に磨きをかけながら、多彩なジャンルの作品を世に送り出してきた。
その彼が、“子供の悲劇”を扱う映画が陥りがちな、甘いセンチメンタリズムには目もくれず、硬質で上質な、サスペンスみなぎる映像世界を創り上げている。
彼は、みずから脚本を執筆し、ドラマの驚くべき‘落としどころ’では、ニュース番組やドキュメンタリーとは異なる、映画作家ならではのアプローチと嗅覚を武器に、この世の理不尽な闇へ果敢に切り込んでいった。
だから、安易に同情を誘うような子供の表情を撮ることもしなかったし、善悪で割り切れる犯罪ものにしたくないと考えた、監督の意見は傾聴に値する。
この映画は、その意味では成功している。
そうは言いながら、最後のシーンで、センラーとヤイルーンが川で水遊びをするシーンは、当初の脚本にはなかった場面で、急遽思いついたという。
ここは、全編を通して、ただひとつ心癒される救いのシーンかも知れない。
ドラマの幕切れはいささかあっけないのだが、阪本監督の映画「闇の子供たち」は、お金を払って観ても損はない。
日本映画の、重厚な力作と言ってもよいのではないだろうか。
阪本監督は、人間の内に潜む心の闇を描いて、これまでの彼の作品を超える一作を世に問うた。
・・・作品の提起する問題の、たとえようのない重さと深さを改めて考えさせられる。
出演はほかに、妻夫木聡、鈴木砂羽、豊原功補らで、ドラマはリアルに、かつ洗練されたつくりで十分楽しめる。
ただ、この映画は子供には見せられない。(PG-12)
映画の余韻が覚めやらぬなかで、エンドロールに流れる主題歌「現代東京奇譚」にも注目だ。
この作品の問題意識に賛同して、阪本監督にぞっこん惚れ込んだ、桑田佳祐によるオリジナルナンバーだ。
この曲(作曲・作詞・歌唱)も、なかなかいいではないか。
聴いていて、胸が熱くなった。
最新の画像[もっと見る]
- 川端康成 美しい日本~鎌倉文学館35周年特別展~ 4年前
- 映画「男と女 人生最良の日々」―愛と哀しみの果てに― 5年前
- 文学散歩「中 島 敦 展」―魅せられた旅人の短い生涯― 5年前
- 映画「帰れない二人」―改革開放の中で時は移り現代中国の変革とともに逞しく生きる女性を見つめて― 5年前
- 映画「火口のふたり」―男と女の性愛の日々は死とエロスに迫る終末の予感を漂わせて― 5年前
- 映画「新聞記者」―民主主義を踏みにじる官邸の横暴と忖度に走る官僚たちを報道メディアはどう見つめたか― 5年前
- 映画「よ こ が お」―社会から理不尽に追い詰められた人間の心の深層に分け入ると― 5年前
- 映画「ア ラ ジ ン」―痛快無比!ディズニーワールド実写娯楽映画の真骨頂だ― 5年前
- 文学散歩「江藤淳企画展」―初夏の神奈川近代文学館にてー 5年前
- 映画「マイ・ブックショップ」―文学の香り漂う中で女はあくなき権力への勇気ある抵抗を込めて― 6年前
「何の価値もない」作品とは思いません。
梁石日の一連の作品(小説)にも、関心をよせています。
それにしても、日本もこのまま格差が広がっていけば、対岸の火事ではなくなっていってしまいそうです。その徴候は着実に拡大しています・・・。