この映画の設定は、古典的なメロドラマに近い。
どうやら、敢えてそのように作ったのだそうだ。
ミラノを舞台に、華麗なる一族の栄華と綻びを背景に、許されぬ恋を描いている。
ルカ・グァダニーノ監督のイタリア映画である。
旧ソ連から、ミラノの伝統ある一族のもとに嫁いだ女性が、そこで初めて閉ざしていた心と体を開いた。
そのひとときは、窒息しそうな上流社会から抜け出し、本当の自分に戻る時間だったのだと言いたいようだ。。
いわば、よこしまな恋を描きながら、それをよくもまあ再生の物語というか。
クリスマスが近い雪の日、イタリアのミラノ・・・。
繊維業で財産を築いたレッキ一家は、エンマ(ティルダ・スウィントン)が、朝から義父エドアルド・シニア(ガブリエーレ・フェルゼッティ)の、誕生日ディナーの準備に追われていた。
テーブルの着順から厨房のことまで、一切を取り仕切るエンマはもともとロシア人で、夫タンクレディ(ピッポ・デルボーノ)に見初められて、異国に嫁いだのだった。
彼女には、長男エドことエドアルド・ジュニア(フラヴィオ・パレンティ)、次男ジャンルカ(マッティーア・ザッカーロ)と一人娘のエリザペッタ(ピッポ・ロルヴァルケル)がいたが、みんな立派に成人していた。
その夜、日中のボートレースでエドに勝ったシェフのアントニオ(エドアルド・ガブリエリーニ)が訪れ、エドは彼を母エンマに紹介する。
それが、エンマとアントニオの初めての出会いであった。
数か月後、ロンドンに留学中のエリザベッタがエドに宛てた手紙を、エンマが偶然見つける。
そこには、愛する女性への密かな想いが綴られていた。
エドは、アントニオとサンレモ郊外にリストランテを開く計画を立てていたし、子供たちはそれぞれ自分の道を見つけようとしており、エンマの母親としての役目は終わろうとしていた。
夏休みで帰国したエリザベッタは、女性の恋人のいることをエンマに打ち明け、南仏ニースで開く個展を見に来てほしいという。
ニースへは、サンレモ経由が一般的だ。
アントニオに会いたい一心のエンマは、娘の個展を口実にサンレモへ行き、偶然のようにして彼と再会する。
エンマは、リストランテ予定地の山荘を訪れ、ふりそそぐ太陽の下で、アントニオと情熱的なキスを交わすのだった。
・・・そして、料理の打ち合わせと称して、エンマはアントニオと山荘での秘めやかな逢引を重ねるようになり、身も心も解放されていくのだった。
一方で、タンクレディは会社の売却話を進め、ひとり蚊帳の外におかれたエドは苦境に陥り、母親を求めていたが、恋するエンマにはもはやアントニオしか見えていなかった・・・。
ある晩餐会の料理に、母しか知らないはずの料理がアントニオによって供された瞬間に、エドの疑惑は確信に変わった。
母と友人の裏切りに、激しい衝撃を受けて席を立つエドを追いかけ、説明しようとするが、エドは聞く耳を持たなかった。
言い争ううちに、悲劇が起きる。
エンマは試練にさらされ、ついに大きな決断を迫られることになる・・・。
ルカ・グァダニーノ監督のイタリア映画「ミラノ、愛に生きる」では、妻として母としての役割を完璧に果たしてきたエンマだが、思わぬ出会いが彼女を目覚めさせる。
男と女の出会いとは、往々にしてそういうものではないか。
女性が目覚めるというなら、それも聞こえはいいかも知れないが、本来の自分を押し込めて、家族のために生きる女性が、息子の友人と恋に落ちてしまうなんていうのは、よくある下世話ではないか。
何のことはない、要するに不倫である。
こういう設定はありふれていて、何の新味もない。
そんなドラマを作るのに、11年も費やしたというからには、もう少しましな作品かと期待もしたのだったが・・・。
はっきり言って、物語も、しっかりした説得に欠ける。
大事なことだが、上流階級の生活の閉塞感が描かれていないし、かといって、世の中の母親としての自覚があると言い切れるのだろうか。
そんなに、深刻な状況びょうしゃもないし、裏を返せば、女とはこんなものか、ずいぶんと手前勝手な女だなあということになる。
義父エドワルドは、エンマの変化に何も気づいていなかったのだろうか。
それと、ドラマの最後の展開がこれまた案外で、それこそ紙芝居的だ。
あっけないと言えばあっけないし、安易きわまる着想だ。
狂おしくも切ない女性の性(さが)を、ときに儚く、ときに毅然と、見事な演技を見せるスウィントンの、決してオーソドックスな美人ではないけれど、知性きらめく鮮烈な個性は実に魅力的だし、このドラマのわずかな救いも、そこにある。
ヒロインを演じるティルダ・スウィントンは、アカデミー賞に輝くイギリスの実力派女優で、公私ともに円熟した二児の母である。
彼女は自らこの作品をプロデュースし、流暢なイタリア語を操り、ときには一糸まとわぬ体当たり演技を披露している。
1960年生まれだから、決して若いとは言えないが、その肢体から、官能の神々しさみたいなものがにじみ出ていて、この作品にかける意気込みは立派だ。
華麗なる一族の荘厳な屋敷、雪に覆われたドゥオモ大聖堂、鳥がさえずるサンレモの森、これらの撮影場所は美しくスタイリッシユで、観る者をあきさせない。
豊かなカメラワークや音楽と色彩が、感性にしみる部分もある。
しかし、女性が料理を口に含んだだけで、官能が目覚めるとでも言いたいような誇張シーンだけは、どうもぴんとこないのだが・・・。
[JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点)
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まあでも,この様な映画が今一ピンと来ないのは,よく解ります。
でも,その割には高得点のような気もしますが。
実をいいますと、私もちょっと甘めだったかなあと・・・。
何故かわかりませんが・・・。(苦笑)