徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「蜜のあわれ」―金魚の妖精と老作家の織りなす幻想奇譚―

2016-05-09 09:00:00 | 映画


 徳田秋聲、泉鏡花とくれば、室生犀星を含めて、近代文学を代表する金沢の御三家だ。
 詩人で小説家の室生犀星の晩年の同名作品を、石井岳龍監督が映画化した。

 金魚から人間の姿に変貌した美少女と、老作家の禁断の恋を描いている。
 作品は、原作者自身を投影しているといわれる。
 変幻自在の金魚の姿を持つ少女・赤子との、無邪気でエロティックな触れ合いを描いた文芸ドラマが、奇妙奇天烈な幻想世界を作り出し、不思議な味わいをかもし出している。
 耽美な妄想だとわかりながら、遊び心いっぱいの艶笑喜劇ともとれる。









1950年代末頃だろうか。
町の風景には懐かしい昭和の香りがある。
場末の映画館には、総天然色シネマスコープのポスターが貼られている。

和服姿の老作家(大杉漣)は、池のある庭を見下ろす書斎で文机に向かって原稿を書いている。
そんな彼を「おじさま」と呼び、自分を「あたい」という赤子(二階堂ふみ)との触れ合いあいが、老作家の心の安らぎであった。
赤子は池の金魚の化身で、無邪気に老作家をからかい、艶っぽさを漂わせている。
赤子は赤い服をひらひらとさせ、愛くるしい姿態で作家に甘え、作家もゲームにでも興じるように彼女に応える。

ある日、作家の講演する会場で、赤子は、ゆり子(真木よう子)という不思議な女性と知り合う。
いつも白い和服のゆり子は、かつて作家と何やら因縁があったが、実はこの世の人ではなかった。
一方、作家は町で新しい愛人と密会、それを知った赤子は嫉妬して作家に子供を産みたいと訴える。
奇妙な三角関係が生じる。
さらに、老作家と親交の深かった芥川龍之介(高良健吾)、赤子の秘密を知る金魚売り(永瀬正敏)らも登場し、赤子は老作家を喜ばせるために、天真爛漫な踊りを披露したりする。
そして老作家、赤子、そしてゆり子の三人の行方を密かに見守る中、一筋縄ではいかないある事件が起きて・・・。

原作は、室生犀星晩年の70歳の時に発表された作品で、ここに登場する赤子(金魚)について、作者は「娼婦でもある、心理学者でもある金魚」と言っている。
二階堂ふみ犀星のファンだそうで、この小説を読み込んでいて憧れの役だったそうだ。
もともと谷崎潤一郎泉鏡花好きな文学少女で、17歳の時にある編集者から「蜜のあわれ」(小説の題は「蜜のあはれ」)の存在を知った。
映画の方は、まあいかにも彼女のはまり役という感じだが、金魚が主人公という映画も珍しい。

新感覚のラブロマンス「ジャニダールの花」など、多様な作品を生み出している石井監督は、ロケの舞台に犀星の故郷である石川県を選んだ。
風情のある木造家屋や緑に囲まれた、古きよき文学的な日本の景色が魅力的だ。
小説の方は、全文が会話体(!)で構成された稀有な作品で、言葉遊びでもしているかのような感覚にとらわれる。
「おじさま、あたいを恋人にして頂戴。短い人生なんだから、愉しいことでいっぱいにするべきよ」
「僕もとうとう、金魚と寝ることになったか」
・・・時として主役二人のヒステリックなやりとり、赤子の抑揚のないセリフ回し、とぼけた効果音、やたらと多い長回しの映像は気になる。
小悪魔的な二階堂ふみのコケットリーは少々コミカル過剰のきらいもあるが、ファニーで可笑しくもあり、自分自身がこの役柄を楽しんでいるみたいだ。

この種の作品は、おバカに徹して、ことさらに深読みすることはあるまいと、そんな感じでどうか。
下種に言えば老いらくの恋というか、室生犀星役の大杉漣もベテランの安定した演技で、老いた作家の滑稽と哀しみを上手く表現している。
高良健吾芥川龍之介にそっくりだった。
老作家の最後の生と性への欲求を描き出しながら、じめじめとした湿り気もなく、ゆったりとした時間がドラマの中を流れていく。
障子、廊下、格子戸、庭、和室・・・、映像にレトロな昭和の風情が郷愁を誘う。
石井岳龍監督「蜜のあわれ」は、ファンタジックな珍しいタッチの作品だ。
冒頭で遊び心一杯の艶笑劇といったが、他方笑いの中にも何やら老残、死の気配も漂い、作品鑑賞も心地よい気分とはいかない部分も否定できない。
室生犀星は、「蜜のあわれ」を発表した3年後の昭和37年死去した。
肺がんだった。
       [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回はオランダ映画「孤独のススメ」を取り上げます。