徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

「100年目に出会う 夏目漱石」展―人間の心の孤独と危うさを描き続けた文豪の生涯―

2016-04-08 17:00:00 | 日々彷徨


   智に働けば角が立つ。
   情に棹させば流される。
   意地を通せば窮屈だ。
   兎角に人の世は住みにくい。(夏目漱石「草枕」)

 春の文学散歩は、神奈川県立近代文学館である。
 文学館わきの満開の桜が、風にはらはらと舞っている。
 漱石生誕150年、没後100年とは、月日のたつのは早いものである。
 時代、世代を超えて読み継がれる、文豪夏目漱石の魅力に迫る、見どころいっぱいの特別企画展だ。













本展は三部構成で、第一部「作家以前」では作家になるまでの生涯を概観し、第二部「100年目の夏目漱石」ではその作品世界をテーマをもとに紹介し、第三部「漱石という人」では人間漱石の姿を、彼を取り囲む家族や門下生との交流を通して浮き彫りにしている。
漱石は執筆の合間に、書画への関心も高く、それらを含めて作品原稿、遺品、初版本、手紙などの関係資料約550点の所蔵コレクションを軸に、貴重な資料を一堂に集めて、夏目漱石の世界を展観している。
同年の正岡子規に俳句の指導を受け、互いの才能を認め合い、終生親交を結んだ話はよく知られている。

1915年朝日新聞に連載された小説「道草」の、自筆原稿18枚が神奈川県内の個人が所蔵していることがわかり、今回の公開にも間に合った。
漱石の小説の原稿がまとまって見つかることはまれで、原稿のあちこちに見られる書き込みや削除のあとから、文豪の創作の過程をうかがい知ることができる。

それと漱石短編「文鳥」の原稿も、1908年大阪朝日新聞に連載されたものだが、78年の宮城県沖地震で津波をかぶって救出されたのを機に再発見された。
明治から昭和にかけて、この地に暮らしていた地元の豪商のもとにあったものが、書籍、原稿、書簡など約2万点の中から見つかり、現代に甦ったのだ。
夏目漱石研究者にとっては、垂涎の書であろう。

1911年(明治44年)2月21日付の、文部省専門学務局長福原鐐二郎に宛てた博士号辞退の書簡が目を引いた。
これ、毛筆による格調の高いものと思いきや、実は「漱石山房」と印字された漱石個有の190字の原稿用紙2枚にペンで綴られている。
「私はただ夏目何がしとして暮らしたい」と、丁寧に博士号を辞退する旨の文章が綴られている。
常日頃、つむじ曲がり(!?)とも言われている、漱石らしい気質が表われていて興味深い。
このことについては、1911年(明治44年)2月24日付の東京朝日新聞に詳しい記事が「漱石氏の博士号辞退」として掲載されている。

関連イベントとしては、4月16日(土)作家水村美苗、4月29日(金・祝)漱石の孫夏目房之介の講演が予定されている。
会期中毎週金曜日にはギャラリートーク(無料)もあり、文芸映画を観る会では市川崑監督作品「こころ」(1958年)の上映もある。
そして5月15日(日)には、作家で文学館長の辻原登と女優真野響子「夢十夜」より、朗読と対談も・・・。
特別展「100年目に会う 夏目漱石」展は、5月22日(日)まで開催されている。
それにしても、夏目漱石は49年の生涯(1867年~1916年)で、「吾輩は猫である」「坊ちゃん」「それから」「こころ」「明暗」など、わずか10年余りの創作活動で幾多の名作を書き上げたわけだ。
漱石は、語り尽くせぬ魅力をたたえた、文豪の名にふさわしい大きな作家だ。
     
次回はフランス映画「ディーパンの闘い」を取り上げます。