徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「収容病棟」―正常と狂気の狭間で社会から隔絶された日常を生きる人たち―

2014-09-05 13:00:00 | 映画


 現代の中国では、精神病患者が1億人を超えたといわれる。
 「無言歌」2010年)「三姉妹~雲南の子~」(2012年)などの秀作を生んだワン・ビン監督が、中国雲南省にある閉鎖病棟に収容された患者を、3カ月にわたって記録したドキュメンタリーである。

 ワン・ビン監督は患者に寄り添うように、自分でカメラを操作しながら、被写体と約2メートルの距離を寡黙に保ち続ける。
 全編と後編合わせて4時間近く、驚くほど多彩な人間模様が映し出される。
 暗い鉄格子で仕切られた空間に入り込み、生々しい日常生活の繰り返しを、丹念に追っていく。
 厳しく重いトーンだが、それでも観ているものには、強烈な力で胸に迫ってくる作品だ。







患者たたちの年齢も収容年数もまちまちで、病状も多彩だ。

中庭を囲む回廊に、部屋が並んでいる。
三階らしいが、回廊に張り巡らされた鉄格子で下の方は見えない。
患者の服装も様々で、収容年数20年を超える者もいる。
名前は記されているが、病名は記されていない。

回廊を走るのを日課とし、兄が迎えに来るといって叫ぶ青年がいる。
食べ物に異常な執着を持つ、中年男がいる。
しきりに注射をねだる十代の少年がいる。
スリッパで壁をたたき続ける、氏名不詳の男がいる。
夜中にドアを蹴飛ばして罰を受け、手錠をかけられてしまう男性も・・・。
精神病以外にも、一人っ子政策に違反した者もいる。
本当に病気かと思われるものもいる。

この病院は収容人数200人以上、男女は分かれているが、他に区別はない。

暴力性の有無に関係なく、一緒に収容され、常軌を逸した振る舞いをしたものも含まれる。
病院での一日は規則正しく、食事、投薬、注射と、カメラは患者たちの日常を追いかけていく。

ただ、この映画「収容病棟」の重心は、彼ら患者のそれぞれの事情ではなく、鉄格子で社会から隔離された世界に生きる人間の方に置かれていることだ。
作品を観始めて次第に見えてくるものは、彼らの誰もが、この過酷で孤独などうしようもない環境を、ひたすら生き抜く術(すべ)を求めていることだ。
それも、みなそれぞれのやり方で・・・。

彼らは、誰かと精神的にあるいは直接に触れあい、温もりや愛を感じるべく‘努力’しているということだ。
ときに弱いが、ときに強く、カメラはどこまでも静かに患者たちに寄り添い、人間の本当の心が剥き出しにされる瞬間を逃さずに捕まえる。
患者たちは、ほとんど撮影されていることを忘れており、それはワン・ビン監督と被写体の距離が、スクリーンと客席の境を乗り越えているのに似ている。

映像は、切なく美しい。
人間たちが、愛おしく感じられる。
ワン・ビン監督は、「無言歌」では人間の尊厳を見事なまでに描いて見せてくれた。
香港・日本・フランス合作ワン・ビン監督のこの作品「収容病棟」でも、人間の尊厳をきっと信じていて、その温かい目線で、‘同病相憐れむ’患者たちを、そして自分たちが生きているこの世界を、見つめ続ける。
その先には、どこか優しい光が浮かび上がる。

大体、人間が異常か正常(健常)かを、どこで線引きすることができるだろうか。
正常と狂気の境界がいかに曖昧か。
自由とは何か。
生きるとは何か。
いつか自分たちも、どんなきっかけで正常でなくなるのか、全く分からなくなることだってありうる。
この作品には、多くの問いかけがある。
中国の精神病院の人間模様を、生々しく伝えるドキュメンタリーだ。
撮影素材は何と300時間にも及んだそうだ。
前後編で4時間の上映は少し長い気もするが、作品はありふれた人間讃歌ではない。
声高な告発もない。
しかし、ずっしりと重く胸にこたえてくるものがあることだけは確かだ。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点

 
 * * * 朗  報 * * *
すでに報じられているように、カナダで開催されていたモントリオール世界映画祭で、成島出監督作品「ふしぎな岬の物語」(吉永小百合主演)が、最高賞のグランプリに次ぐ審査員特別大賞受賞した。
また、本欄でも取り上げ、個人的には★五つを打った呉美保監督作品「そこのみにて光輝く」(綾野剛、池脇千鶴主演)が、最優秀監督賞に輝いた。
日本映画のダブル受賞だ。
うれしい話である。
「ふしぎな岬の物語」は、千葉県鋸南町の明鐘岬にある小さな喫茶店を舞台にした、実際の話を吉永小百合がプロデュースしたもので、10月11日公開される。
日本映画の温もりが、感じられるかもしれない。