徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「東ベルリンから来た女」―政治の過酷さをサスペンスフルに―

2013-03-03 21:00:00 | 映画


歴史の闇に隠された、真実がある。
想像もつかない事実の壮絶さに、人は愕然とする。
たとえ悲劇であろうとも、その悲劇に臆することなく、運命に生きる人たちがいる。

東西ドイツが統一されてから、今年で23年になる。
移りゆく時の流れは、これまで明らかにされなかった事実を、決して風化させることはない。
国家を信じること、人を信じることもままならなかった時代・・・。
クリスティアン・ペッツォルト監督は、ひとりの女医の日常を掬い取ることで、監視体制下の東ドイツに生きる人間の、重い心理的な抑圧をサスペンス映画のような緊迫感で描いた。








      
1980年夏のことだった。

旧東ドイツのバルト海沿岸の田舎町・・・。
その町の病院に、ひとりの美しい女医バルバラ(ニーナ・ホス)がやって来た。
彼女は、それまで東ベルリンの大病院に勤務していたが、西側への移住申請をはねつけられ、この地に左遷されてきたのだった。
バルバラは笑顔ひとつこぼすことなく、毅然と背筋を伸ばし、ただひたすら前を見据える眼差しは、一種近づき難い威厳を保っている。

誰もが、スパイかと疑念を投げかけられても仕方のない時代、新しく上司となった、アンドレ(ロナルド・ツェアフェルト)から寄せられるさりげない優しささえも、シュタージ(秘密警察)の監視つきだった。
西ベルリンに暮らす、恋人ヨルク(マルク・ヴァシュケ)との秘密の逢瀬や、自由を奪われた毎日にも、バルバラの神経は擦り減っていく。
そんなバルバラの心の支えとなるのは、患者への無償の献身と医者としてのプライドだった。
それと同時に、アンドレの意志としての姿に、尊敬の念を超えた感情を抱き始める。
しかし、ヨルクの秘密裡の手引きによる、西側への“脱出”の日は刻々と近づいていた・・・。

政治的な圧力に縛りつけられた、ヒロインの魂を、豊饒で自然あふれる田舎町の、ひと夏のきらめく陽光の中で清冽に解き放つ、寡黙で抑制のきいた演出が素晴しい。
バルバラの心は揺れる。
同僚の医師や、収容施設から逃げてきた少女との触れ合いで、「監視国家」の日常生活を、どこまでも静かな眼差しで、しかし緊迫感を持って描いた。
ベルリン国際映画祭で、銀熊賞(監督賞)に輝いた作品だ。
ペッツォルト監督自身、旧西ドイツの生まれだが、両親は1950年代に旧東ドイツから逃亡してきたそうだ。

多くの東ドイツ市民は、合法的に西ドイツに移住することができた。
その体制に不必要、あるいは危険とみなされた人々に、西への移住を認めていたからだ。
そうはいっても、朝鮮半島のように、東西ドイツが戦火を交えることはなかったので、旧東ドイツが、一概に暗い灰色の社会として類型的に言われることには、ペッツォルト監督も首をかしげる。
当時確かに、東は監獄のような国家だったが、同時に夢の中の世界であったような記憶もあると、のちに語っている。

当時の東ドイツは、現代のドイツや日本とは違う社会だ。
だが、この作品に描かれる不信や不安といった感情は、作品自体のテーマとして理解しうるものだ。
クリスティアン・ペッツォルト監督ドイツ映画「東ベルリンから来た女」では、説明的な描写はほとんどないし、インパクトのメッセージもない。(そのことがメッセージなのだ。)
台詞も少なく、無駄なカットもなく、非情な画面がドラマをサスペンスフルに演出する。
日本では初登場の監督だが、他の作品も観てみたい気がする。
自由と使命に揺れる、ひとりの女性の愛を描いて、知性と感性に満ちた繊細な作品だ。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点