徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「アントキノイノチ」―失われてゆく命と残された者の生―

2011-11-27 22:51:00 | 映画


     さだまさし原作の小説をもとに、瀬々敬久監督が映画化した。
     いまの時代、人間関係が希薄になっている。
     そんな現代の社会で生まれた「遺品整理業」という仕事を通して、もがき苦しみながら成長する若者の姿が描かれる。
     しかも、心に闇を抱える人間同士が、心を通わせる物語だ。

     「遺品整理業」は、様々な理由で身内の遺品整理のできない、遺族のためのサービス代行業だ。
     現在も、各地で広がりつつある。
     これは、ひとつの社会現象でもある。







       
高校時代にいじめに苦しんで、親友を‘殺してしまった’ことがきっかけとなって、永島杏平(岡田将生)は、固く心を閉ざしていた。
彼は父親の紹介で、遺品整理業「クーパーズ」で働くことになる。
そこで、先輩社員の佐相(原田泰造)や久保田ゆき(榮倉奈々)と、遺品整理の仕事に携わることになった。
ゆきから、仕事の手順を教えられている最中に、杏平は彼女の手首にリストカットの跡を見てしまった。

ある日、ゆきは仕事中に男性に手を触れられ、悲鳴を上げて激しく震えた。
心配した杏平に、ゆきはためらいながらも、少しずつ、自分の過去に起きた出来事を告げた。
彼女は、高校時代にレイプされて妊娠して流産したことや、リストカットを繰り返し、自らの人生を終わらせようとして、自分を責め続けていたのだった。

一方、杏平は生まれつき軽い吃音があって、同じ山岳部の松井(松坂桃季)たちから、陰でからかわれたり、陰湿ないじめに悩まされていた。
同級生たちは、表面では仲が良いふりをしながらも、どこかいらいらし、見えない悪意の中で毎日を過ごしていた。
そんな中、やはり松井による陰湿ないじめと、周囲の無関心に耐えられなくなった同級生の山木(染谷将太)が、校舎から飛び降り自殺するという事件が起こったのだった・・・。
死の直前、杏平に向かって、「君は、見方だと思っていたんだけどなぁ」という言葉を残して・・・。

杏平は自分のことはともかく、ゆきの話を聞き、自分も何かを伝えたかったが、言葉が見つからなかった。
そして、ゆきは杏平の前から、突然姿を消してしまったのだ。
・・・ゆきがいなくなってから、2カ月がたった。
杏平は、遺品整理の仕事を続けていくうちに、イノチについて、いま生きているということについて、どうしてもゆきに会って伝えたい言葉を見つけた。
杏平の心の中で、何かが変わろうとしていた。
そして杏平は、ゆきのもとへと向ったのだが・・・。

いじめに苦しんだ杏平と、忌まわしい過去が忘れられないゆきは、遺品整理の仕事を通じて、それぞれの「失われた命」に対する服喪の思いを深めつつ、傷ついた心を少しずつ修復していくのだった。
・・・若者たちの心の闇に、焦点を当てているものの、ドラマは現在と過去が目まぐるしく転換し、観ている方も戸惑う。
回想シーンで、学校内の暴力事件を、大勢の生徒たちが遠巻きにして見ているだけで、誰もそれを止めさせようとしないなど、正直首をかしげたくなる。
それから、少しずつ心を心を開いていこうとしている、ゆきの心理状況もいまひとつ解りにくい。
人と人とのつながりが大事な要素なのだが、瀬々監督は、かなり丁寧に描いてはいるようでいて、そのあたり十分に描き切れていないのだ。

このドラマには、校内暴力やいじめ、介護福祉や高齢者の問題、孤独死や人間同士の絆の希薄さなど、様々な問題が内包され、提起されている。
そのどれをひとつとっても、大きなテーマとなるのに、全部が一緒くたになっているものだから、まとまった整理された脚本構成とは言い難い。
若者たちのこともかなり描かれているが、「遺品整理」という仕事の中で、この映画「アントキノイノチ」が人間の生と死を見つめていくのであれば、もっと焦点が絞られてよい。
かなり、内容を膨らませ過ぎて、欲張ってしまった感は否めない。
それと、この作品のタイトルは、この物語にふさわしいかどうかも疑問だ。

「おくりびと」という映画があったが、よく似ている。
納棺師のかわりに、遺品整理を持ってきて、自分を捨てた父親の死化粧をするのと、最愛の人の遺品整理は、なるほどよく似ている。
この映画のラストは、原作を書き換えていて、榮倉奈々の命が、彼女が事故から救った女の子に受け継がれるという語りを加えた理由もわからないし、無理なこじつけみたいにも感じられる。

超高齢化社会を、いままさに迎えつつある時代だけれど・・・、無縁というのは何も高齢者だけの問題ではない。
隣人の顔も知らず、人知れずひとりで死を迎えてしまうことになる。
若い魂のやりきれなさや、無関心が原因で心を病んでしまう若者たちに、まず生きる希望と勇気を持ってほしいと、強く呼びかける作品だ。

ドラマの中で、終盤近く、ゆきは介護施設で働いているところを杏平に見つけられるのだが、この時の、彼女の無表情な心理も理解しにくいのだ。
いずれにしても、介護職員として働くというのは大変なことだ。
自分が世話をしていた、おじいさんやおばあさんが、目の前で亡くなるのである。
そうしたことが、年に何人も続くとなれば、その悲しみに耐えられない、ヘルパーさんもいるといわれる。
驚くなかれ、30年先には、90万人が死に場所を探す時代になるそうだ。
人は、どこに終の棲家を求めたらいいのだろうか。
家族、病院、老人ホームに見捨てられたら、行くところはないのだしと・・・、この映画の遺品整理の作業を見ながら、思った。
ひとは、死ぬときはひとりなのだ。
死は、ひとりで迎えるしかない・・・。

それはそうだ。
どんなひとにも、自分の遺体を自分で始末することはできない。
死の現場には、そのひとの生きてきた過去が凝縮されて詰まっている。
死の現場が、再生の現場となるのかもしれない。
では、どんな死に方がよいのだろうか。
そのためには、どんな生き方をすればよいのだろうか。
この作品は、そんなことを考えさせる映画だが・・・。