こういうキルギスの映画など、滅多にお目にかかれない。
天山山脈のふもとの、聖なる湖のほとりの小さな村のお話だ。
アクタン・アリム・クバト監督、主演の、名もなき電気工の夢を綴った、ほのぼのとした作品だ。
1991年ソ連が崩壊して誕生したキルギス共和国は、独立宣言から20年たった今も、政治や経済状況は不安定だ。
そこで、厳しい生活を余儀なくされている人々の、詩情豊かな、小さな物語である。
原題「THE LIGHT THIEF」は、邦訳では「明り泥棒」だが、はて・・・?
ドラマの冒頭、どう見ても、決して立派とは言えない風車を、男が手入れしている。
その風車で、電気を起こそうというのだろうか・・・。
聖なるイシク・クル湖のほとり、キルギスの小さな村に住む電気工を、人々は‘明り屋さん’(アクタン・アルム・クバト)と呼んでいた。
明り屋さんは、アンテナの調節や電気の修理など、どんな些細な用事でも気軽に引き受けて、自転車で乗り付ける。
時には、裕福でない家に、本当は違法なのだが、無料で電気を使えるように細工をしたりもする。
村人からは、彼らの暮らしを第一に考える、愛される男だった。
明り屋さんの夢といえば、風車を作って、村中の電力を賄うことと、自分に息子が授かることだった。
そんな中、ラジオからは政治の混乱のニュースが流れ、田舎の村にも、ある変化が起きようとしていた・・・。
高齢者の多い豊かな村には、容赦なく、開発の波が押し寄せてきていた。
村の土地を買占め、議員に立候補し、不当な金儲けをたくらむ者たちが、村にやってくるのだ。
中央アジア一帯の、草原の輝きがいい。
明り屋さんは、子供のような、純粋な心で村人に接している。
そこに、小さな救いがある。
時代に迎合しようとせず、お金に媚びるでもなく、少年のような心を失わずに生きようとする彼の目には、故郷を愛し守ろうとする優しさがある。
頭に野の花を挿した、少女が行き過ぎる。
スカーフを巻いた女たちが、河の水を汲んでいる。
日に焼けた、老人たちの優しい笑顔が並んでいる。
それらが、どこか美しい絵画のように見える。
しかし、一見この穏やかな映画から見えてくるものは、キルギスという国のおかれている、厳しい現実だ。
農村部など高齢者の多い地帯では、食料はあっても、電気代などの光熱費を払えない人々が多い。
貧困と過疎と出稼ぎと、それに税関や警察までが浸透していると思われる、汚職問題をかかえている。
そうした悲観論を見つめながら、明るい未来への希望を静かに訴えているようだ。
強い風が吹き、明り屋さんの風車が力強く回り出すと、電球に明かりが灯る。
明確なメッセージはなくても、何とも言えないラストシーンが印象的だ。
映画「明りを灯す人」(キルギス=フランス=ドイツ=オランダ合作)は、心に安らぎをもたらす小品だ。
いま日本でも、原発に頼らない自然エネルギーが見直されようとしている。
風の強い日に備えて、沢山の風車を作り、村の電力を賄おうとする、この非凡な夢はどう映るだろうか。
明り屋さんを演じる、アクタン・アリム・クバト監督の飄々とした演技も味わいがあっていいが、キルギスの実情を切り取る社会的視点も鋭い。