徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

記録映画「妻の貌(かお)」―64年目の夏―

2009-08-12 07:00:00 | 映画
よく撮られた、ドキュメンタリー作品だ。
広島在住の、今年82歳になる映像作家、川本昭人はアマチュアでありながら、半世紀にわたって、カメラを回し続けてきた。
長男誕生を機に手にした、8ミリフィルムカメラが、きっかけであった。
川本氏はそのカメラで、原爆症と宣告され、死と向き合って生きてきた、妻の日常を丹念に映し取ってきた。
それは、どこにでもあるような、静かに流れる日々の暮らしだった。
しかし、そこには決して癒しえぬ、ヒロシマのあの暗い影がさしていた・・・。

川本氏は、ひとりの夫として、父として、家族に寄り添いながら、妻や介護の必要な老母、そして一家の歩みを、日常の記録として撮り続けた。
カメラを離すことができない川本氏は、手をかすこともできず、妻に優しく語りかけながら、カメラを回し続けた。
そノフィルムは、もはや彼の「個人」という枠を越えた、ひとつの「歴史」の証言ともなり、未来への希望をすくい取る映像作品となった。

個人の記憶が、この作品のなかでひとつの歴史に変わる。
川本昭人監督が、最初に手にした8ミリフィルムのカメラが、普段の家族の日常を撮るものだったが、いつしかヒロシマという、大きな歴史を少しずつ映し出すようになっていった。
核廃絶の世論が大きく高まる中で、彼の言うように、家族を撮ることが、家族への愛情の表現となった。
そして、そこには人間とは何であるかを問いかける、川本氏のメッセージがこめられている。

・・・お母さんが、心の支えだった。
原爆症を抱えながら、年老いた義母の介護をする妻の姿・・・。
被爆による甲状腺癌と診断された、川本監督の妻キヨ子さんは、自らの病と闘いながらも、寝たきりの義母の世話をし、二人の子供まで育て上げた。
愚痴ひとつこぼさない。
でも、孫たちとの心の通ったふれあいがあった。
日々の家事を淡々とこなしつつ、その姿は凛として観客の目に焼きつく。

どこにでも見られる、ありのままの家族の姿だ。
原爆への怒りや憤りは、確かに底流にはあるけれど、この作品は単純な反戦映画のたぐいではない。
黙々とアイロンをかける。縫い物をする。食器を洗う。
そうした、平凡な所作のひとつひとつに、どこかしら品格のようなものさえ漂っている。

現爆詩集「慟哭」の朗読が、テレビから流れている。
原爆で亡くなった、弟を思い出す妻の顔には、あの悲惨な戦争を二度と繰り返すまいという想いと、平和への希望がにじんでいる。
このホームムービーは、心までぬれるような、静かな感動を呼ぶ。
川本昭人監督ドキュメンタリー映画「妻の貌(かお)」は、おそらく優れた記録映画として、日本の映画史に残るのではないだろうか。
神奈川映像コンクールのグランプリ作品だ。

川本監督は、昭和19年の学徒動員令で、軍需工場に勤務、そのときの過労で結核を患い、戦後の8年間寝たきりの悲惨を体験した。
戦争が青春を奪ったとの怨念は、いまも深い。
しかし、彼にとって8ミリ映画は、「心の煮凝り」なのだそうだ。
今後も、命ある限り撮り続けると語っている。

・・・もう、いつのことだったか、過ぎ去った暑い夏の日のことだった。
ヒロシマを訪ね、あの原爆ドームの前に立って青空を見上げたときの、悲しく遠い記憶が、いままた私の胸によみがえってくるのだった。
そして、降りしきる蝉時雨の中で、今年も間もなく、あの忘れることの出来ない8月15日がやってくる。
64年目の夏である・・・。