徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「ニセ札」―拝金主義をあざ笑う ―

2009-04-17 07:00:00 | 映画

昭和26年、日本史上最大のニセ札偽造事件が、実際に起こった。
お笑い芸人の木村祐一監督は、この事件を題材にして、はじめて長編映画に挑戦した。
村ぐるみで計画されたこの事件は、ニセ札に託された‘痛快’な夢は、お金がすべてという、現代社会への風刺でもあるのだが・・・。
作品全体が上辷りで、淡い期待も裏切られて、肩から力が抜けてしまった。

まあ、それはともかくとして、・・・昭和25年1月、戦後初の新千円札が発行された。
コロッケが一個5円の時代だ。
「チ-5号事件」
と呼ばれるこの事件は、山梨県下の小さな小学校の元校長や元軍人など、村の名士が集まって、“ひと村挙げて”計画されたものだった。
村人総勢21人が逮捕されるという、史上最大のニセ札偽造事件であった。

昭和20年代というと、軍国主義から民主主義へ、国民の価値観が一変した時代のことだ。
紙漉き産業の盛んな、山間の小さな村があった。
小学校教頭として、人々から慕われている佐田かげ子(倍賞美津子)は、かつての教え子から、新千円札のニセ札作りを持ちかけられる。

かげ子や、村の名士で元軍人の戸浦(段田安則)、神漉き職人の橋本(村上淳)らがグルとなって、かくして村ぐるみの一大ニセ札作りが始まった・・・。

お金に翻弄される人たちのドラマだ。
ニセ札に託されたこ希望が、彼らの心の中に広がっていく。
親子愛あり、冷酷な仲間割れありで、一見痛快(?)に見えるドラマ展開は、どうもいささか馬鹿げているようで、これが現代社会への痛烈なメッセージか。
お金は神か、紙切れか。

ドラマの中で使われるセリフがいい。
 「俺たちはニセ物を作るんやない。本物を作るんや」
そうかと思うと、女教頭のかげ子は、‘正義感’からニセ札作りに加担していく。
試作品は、一見すると本物そっくりだ。
かげ子が、試しに使ったニセ札は見破られず、成功する。
こうして、ニセ札は皆に配られることになった。
‘配当’を喜ぶ村のひとりひとりの顔を見て、かげ子は感慨にふける・・・。

もちろん、順調にいくかに見えた作戦は頓挫する。
「ニセ千円札現る!」という見出しが、新聞紙面をにぎわした朝、一味はあっけなく逮捕される。
・・・第一回公判の日、被告席には、満ち足りた表情のかげ子の姿があった。

吉本興業の木村祐一監督映画「ニセ札は、ちょっぴり風刺の味をきかせた、コメディタッチの作品だ。
ニセ札作りの一味のひとり、元陸軍大佐の戸浦は、戦争中、日本軍が中国でニセ札を作っていたことを引き合いに出して、こうも言っている。
 「ニセ札で誰が死にます?誰が損します?」
もっとも、いまだって北朝鮮などは、政府がニセ札(ドル)を作っていると言われるが・・・。
だから、こんなセリフも飛び出してくるのだ。
 「お国がニセ札作って、僕らが作ったらあかんという法はないでしょう」

新千円札が発行された翌年の昭和26年3月、最初のニセ千円札が東京で発見されたわけだが・・・。
当時、贋札作りに要した費用は300万円で、実際に偽造紙幣を使用したのは、僅かに23万円分だったそうだ。
ニセ札作りは、昔から割りに合わないと言われているように・・・。

どうも、お笑い芸人の映画製作への志向は、かなり強いものがあるらしい。
それはそれで結構なことだ。
しかし、演出にあたってはもっともっと工夫が欲しい。
物語が平板でのっぺりしていて、広がりがない。
話にふくらみが乏しく、薄っぺらで、小学校の学芸会でも(?)見ているみたいだ。
題材が題材だけに、破綻や脱線、葛藤があっていいはずだし、どうも弾(はじ)けていない。
わざとらしい、とってつけたような笑いも妙に気になる。
‘奇’をてらって笑いをさそうより、ニセ札作りにかける、一味の一種不思議なエネルギーを、もっと活発に燃焼させたらどうだったのか。
破天荒は、破天荒なりに・・・。

底辺にいる人たちが、国家や権力に抗う話なのだから、面白くなくてはいけない。
映画の表現とは、そういうものではないだろうか。
それが、さっぱり伝わってこない。
独りよがりで、遊び遊びドラマが展開していくようなこのどうしようもない軽さは、浮薄で単調で何とも中途半端な感じがする。
喜劇ドラマとしても、成功しているとは思えない。
これでは、退屈しのぎにもならない(?!)・・・か。