徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

「我一粒の麦とならん」ー生命を賭ける男ー

2007-08-14 06:00:00 | 寸評

 先日の参議院選挙で、民主党比例区の最後に滑り込んだ人がいる。
 末期がん患者山本孝史氏(58)である。
 その山本孝史、ゆき夫妻の最近の手記を読んだ。

 山本氏は、44歳の時初めて国会へ立候補し、これまで福祉政策を中心に活動してきた。
 その彼が、去年5月みずから国会で、周囲が驚く中で、胸腺がんの末期であることを告白した。
 そして、国会では「がん対策基本法」「自殺対策防止法」など法案の成立にも寄与した。
  「天から与えられた出番を大切にして、6年は無理かもしれないが、命あるかぎり仕事をしたい」
 今回の選挙に出て、彼はそう言って、弱い人たちへの優しさを自らに課した。
 立候補には、異論もあっただろう。

 ・・・医師の非情な宣告は、「余命半年」ということであった。
 いま、余命あと半年の生命に、いのちを見つめる「いのちの政策」として、それを、やれるところまで精
 一杯やる。この生命ある限り・・・。
 抗がん剤治療で生み出された、少ない時間をいかに使うか。彼に出来ることは・・・?
 それが、彼に残された人生の一頁だった。

 山本氏は、交通遺児育英会の仕事をはじめ、年金問題にも積極的に取り組んだ。
 昭和48年、「ユックリズム運動」で、自転車で日本を一周したのは、彼の青春時代のひとつの世直
 し運動でもあった。
 そして、それはお金のかからない選挙へのきっかっけともなっていった。

  「我一粒の麦とならん」
 これが、彼の座右の銘である。
  「一日一生、一日一善、一日一仕事」
 この言葉で、一日が始まる。
 いのちをかけて、いのちを守る。
 これまでも、ずっと日本の医療制度の見直しを推し進めて来た、彼の信念に変わりはない。

 ・・・山本氏は、自身の母を61歳で乳がんで亡くしている。
 彼は、がんイコールリタイアではなく、がんイコール挑戦だと言う。
 政治家が、自分の病気を告白するなど、「政治生命の危機」と言われることを、彼はあえて公表した。
 いい加減な政治家(いや政治屋というか)の多い中で、自らの生命を賭けて闘う彼の姿がある。
 いま山本氏の周辺には、ボランティアの人たちが、大きな支援の輪を広げつつあるという。

  「あなたの余命は、半年です」
 そう宣告されたら、人は、何を思い、何をするだろう。
 簡単に一口で言うが、生命を賭けるということが、どんなに重いことか。
 
 本人の健康を気遣う多くの人々は、彼に療養生活をすすめた。
 しかし、彼の選択した道は、病院のベッドでもなく、家族と穏やかに過ごす日々でもなく、自分に課せら
 れた、政治家としての使命を全うする道であった。
  「誰もが人間らしく生き、普通に暮らせる社会を!」
 生命を賭けた男の闘いが始まった。
 山本氏は、週一回抗がん剤の投与を続けながら、休むことなく政治活動を行っている。

 多くの人たちが、凄まじいまでの彼の活動と生き様を、見守っている。
 そして、毅然としてその宿命を受け入れ、共に生きようと頑張っているゆき夫人(56)との二人三脚で、
 山本孝史夫妻は、限りあるいまの人生を、必死の思いで生き続けていくことだろう。
 ときには、手放すことの無い、あの可憐な野の花を思わせる、金子みすずの詩集を愛読しながら・・・。

 偉大な政治家の一人が、後世に残した素晴らしい言葉がここにある。
  「社会に対して、何を望むかではなく、自分が、社会に何を奉仕できるかを考えるべきである」
                            ( アメリカ合衆国第三十五代大統領 J・F・ケネディ )