goo blog サービス終了のお知らせ 

徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「マチルダ 禁断の恋」―滅びゆく帝政ロシアを舞台にくり広げられる宮廷悲恋絵巻―

2019-01-27 12:15:00 | 映画


 この作品は、ロシア公開時に、ロシア正教会の信徒や過激派が上映中止運動や放火事件を起こすなどがあったが、本国だけで210万人が見た話題作といわれる。

 古典的な純愛物語に過ぎないが、宮殿やバレエのシーンの豪華さは、ロシア映画の持つ底力を久しぶりに感じさせるものだ。
 気鋭のロシアの監督、アレクセイ・ウチーチェリが、ロシア帝国最後の皇帝ニコライ2世と、マリインスキー・バレエ団の伝説のプリマと謳われたマチルダ・クシェシンスカヤの、許されざる恋の実話を大胆かつ華麗に描き上げた。




1890年代のサントペテルブルグ・・・。
ロシアの王位継承者であるニコライ2世(ラース・アイディンガー)は、世界的に有名なバレリーナのマチルダ(ミハリナ・オルシャンスカ)を一目見た瞬間恋に落ちる。
二人は惹かれあうが、ニコライにはアリックス(ルイーゼ・ヴォルフラム)という婚約者がいた。
ニコライは、皇帝の座と真実の恋のはざまで揺れ動く。
燃え上がる彼らの恋は、ロシア国内で賛否両論を巻き起こし、国を揺るがすほどの一大ロマンスとなる。
父の死、王位継承、政略結婚、外国勢力の隆盛と、滅びゆくロシア帝国とともに、二人の情熱的な恋は引き裂かれようとしていた・・・。

当時、ニコライ2世といえば、国内では「聖人」として神格化されていた人物だ。
この作品をめぐって、皇帝の名誉を傷つけるとして賛否両論が飛び交うのはもちろん、ウチーチェリ監督を尊敬していたプーチン大統領が参戦したり、キリスト教過激派も登場し、俳優たちも安全上の理由でプレミア上映会を欠席するという事態にまで発展したのだった。
実話にもとずく物語だけに、ロシア全土を巻き込んだセンセーショナルな話題作となった。

エカテリーナ宮殿ももちろんだが、世界三大バレエ団であるマリインスキー・バレエ団の壮麗な舞台が再現され、圧倒的なスケールと豪華絢爛たる映像美は見逃せない。
総体的な軽やかな仕上がりで、恋愛映画としては小品(?)としてのまとまりもよく、片意地張らずに楽しめ作品となった。
ただし、皇帝ニコライの味付けが薄い。
あまり葛藤が感じられないのはどうしてか。
平民であるマチルダと皇族のアリックスの関係など魅力的に描かれているが、マチルダを選ぶということは帝位を譲ることになる。
この恋の試練は、ニコライの、帝位を継ぐのか放棄するのかという選択になる。
不倫の結果は、大体破滅に向かうというのがロシア文学では多いようだが、ニコライの悲劇はさてどうであったろうか。
この愛と官能の欲求を描いたロシア映画「マチルダ 禁断の恋」は、ヒロインの人生を自分で掴み取ろうという野心を一杯に感じさせて、結構面白く見せる。
        [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
この作品、関東一円での上映を終えており、現在近県から全国各地へと、上映館は順次静かに広がりつつあるようだ。

次回は日本映画「雪の華」をとりあげます。


映画「マダムのおかしな晩餐会」―刺激であれ毒気であれ人生はごちそう映画で楽しみたい―

2019-01-14 12:45:00 | 映画


 明けましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願い申し上げます。
 寒い日はまだまだ続きそうです。
 風邪などひかないように気をつけたいものです。

 映画の方は、フランスアマンダ・ステール監督が、上流階級の男性とメイドの純愛を描いたロマンティック・コメディだ。
 隠し味いっぱいの晩餐会とはどんなものだろうか。
 客の紳士が、とある一人の女性にひとめ惚れしたことから起こる、セレブ界のちょっとした騒動だ。
 作品に描かれる、セレブと庶民の苦い笑いが見ものである。
 総じて、観て損のない辛口の社会批判でもある。



裕福なアメリカ人夫婦のアン(トニ・コレット)とボブ(ハーヴェイ・カイテル)が、パリに越してきた。

セレブな友人たちを招いて、豪華なディナーを開こうとするが、出席者が不吉な“13人”になってしまうことから、大慌てでスペイン人メイドのマリアロッシ・デ・パルマをレディに仕立て上げ、晩餐会の席に座らせる。
そこでマリアは緊張のあまり、お下品なジョークを連発、これが逆に大うけして、イギリス紳士デビッド(マイケル・スマイリー)から求愛される。
思わぬ恋に舞いあがるマリアだが、晩餐会ではフランス人富豪から堂々と不倫の申し込みをされ、彼女は時ならぬときめきを覚える。
ヨーロッパの社交界から移民たちのメイド界までも巻き込んだ、この大いなるから騒ぎの行方はどうなることやら・・・。

身分違いだとして、デビッドから身を引くように迫られるアンナ、そんな彼女にこれが自分の生き方と突っぱねるあたり、爽快な感触も・・・。
恋というなら、いまとは身分の差などで一瞬で無意味ともなるが・・・。
はじめは気後れしながらも、下品なジョークの連発とデビッドの好奇心をそそったりするマリアは、気取った会話の客たちやイケメン俳優やハッピーエンドへの愛着を披露する。
デビッドとマリアのことを聞かれた息子まで大嘘をつく。
ボブは、所有しているカラヴァジョの絵を美術館オーナーに売ろうとしていて、仲介者のデビッドがへそを曲げはしないかと心配だ。
その時の口説き文句が決まってる。
「結婚生活には不倫が必要だ」

メイドの分際で恋に落ちたマリアと、彼女に夢中のデビッドへの嫉妬に狂うアン、使用人が主人を怒らせたらどうなるのだ。
上流階級は庶民の侵入を許そうとしないだろう。
この上流と庶民の間の隔たりは大きい。昔だって今だって変らない。
アマンダ・ステール監督は、一般庶民とセレブの間の見えない「階級(格差)」という鎖が、いかに人間の心を縛っているか暴いていく。
英語、フランス語、スペイン語の乱れ飛ぶフランス映画「マダムのおかしな晩餐会」は、スキャンダラスなゴシップをのぞかせながら、刺激と毒気がたっぷりと仕込まれたロマンティック・コメディの佳作である。
ハリウッドとヨーロッパの個性派の競演も面白い。
新進気鋭の女流監督アマンダ・ステールは、1978年生まれ、作家、脚本家としても活躍しており、今後が大いに期待される。
ハイブランドのドレスやジュエリー、絵画をはじめ、通好みのパリの名所の数々が登場して楽しくもある。
         [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回はロシア映画「マチルダ  禁断の恋」を取り上げます。


映画「メアリーの総て」―波乱万丈の青春をたどる早熟な少女の闘いの記録―

2018-12-24 17:00:00 | 映画


 寂び寂びとした冬が、地上をを覆い始めた。
今年も、いよいよ終わりが近づいている。

 この映画は、18歳でSF小説の祖「フランケンシュタイン」を生み出した、メアリー・ゴドウィンの知られざる人物像に迫った作品だ。
 波乱の中に、生への情熱をたぎらせて・・・。

 生活苦、娘の死、詩人の妻の自殺など、辛酸をなめたメアリーは、出版社などに作品を必死になって売り込んだ。
 だがこの作品では、メアリーは悲惨なヒロインではなく、多感な少女が情熱的な恋をして大人になり、女性が抑圧される社会の中で、自分の声を獲得していく普遍的な物語として描かれている。
 サウジアラビア初の女性映画監督で、「女は自転車に乗って」2012年)ハイファ・アル=マンスールの幻想的な映像美が、哀切な余韻を残している。



産業革命によって新しい時代を迎えた19世紀のイギリス・・・。
高名な思想家の父を持つメアリー(エル・ファニング)は、作家になることを夢見ていた。
義理の母が差配する家は安住の場所ではなく、実母の眠る墓所で小説の構想を練るのが唯一の慰めであった。

灰色の日々は、才気あふれる詩人パーシー(ダグラス・ブース)との出会いで一変する。
彼には妻子があったが、父の反対を押し切って二人は駆け落ちをする。世間の目は冷たく、夫には別の女性たちの影がちらつき、授かった我が子も病で失ってしまう・・・。

若いメアリーの心は傷つき、絶望の渕に立たされる。
そんな彼女の魂に、ハイファ・アル=マンスール監督ぴたりと寄り添っている。
そういえば、「少女は自転車に乗って」では、因習に抵抗するサウジアラビアの少女を描いていた。
主人公メアリーが自分の手で人生を切り拓く闘いは、抑圧を受けて犠牲になるのではなく、むしろそれを打破しようとする。
これは、彼女が受けて立つ少女の受難劇である。

主演のエル・ファニングはメアリーの情熱を官能的に体現していて、白い顔をバラ色に紅潮させ、見事な(?)はまり役だ。
イギリスの風土、天候なども、映像にロマンの輝きをもたらし、余韻も残る。
英文学史上、若くセンセーショナルな、哀しく美しい人生が、19世紀イギリスの絢爛とした美術と衣装に彩られ、ここでまたそれらを映像の美しさが紡いてゆく。
そういえば、今年は「フランケンシュタイン」誕生200周年とか・・・。なるほどねえ。

サウジアラビアでは、1980年代以降に禁止されていた映画上映が今年再開されたのだそうだ。
サウジ国内で全編が撮影された「少女は自転車に乗って」は、撮影が困難だったので、マンスール監督が車内に隠れながらスタッフに指示を出したという。
イギリス・ルクセンブルグ・アメリカ合作映画、ハイファ・アル=マンスール監督「メアリーの総て」は、女性作家が社会的に認知される大きな一助となるかもしれない。

余談になるが、サウジの社会経済改革の一環として、映画解禁や女性の社会進出を主導したムハンマド皇太子は、政府批判の記者殺害事件への関与が疑われている。
このことについてはマンスール監督は言及を避けている。
とにかく、イスラム教を厳格に解釈し、女性の権利そのものが制約されかねない、サウジアラビア女性監督作品が日本公開されたことに注目したい。
このことはサウジの人々にとって、かなり敏感な問題なのだ。
この作品はシネマジャック&ベティ(TEL 045-243-9800)ほかで来年1月11日(金)まで上映中。
      [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
追伸
当欄も今年はこれでお別れします。
拙いページにお立ち寄りいただきまして、ありがとうございました。
今年もやがて暮れてゆきます。
そして、来年はどんな年になるのでしょうか。
どうぞ、よい年をお迎えください。
新しい年を迎えて、又お目にかかります。

なお次回はフランス映画「マダムのおかしな晩餐会」を取り上げます。


映画「おかえり、ブルゴーニュへ」―めぐりゆく人生の四季を経て甘酸っぱい記憶と渋い思い出が蘇って―

2018-12-10 09:35:00 | 映画


 冬将軍がやってきた。
 冷たい、木枯しの吹き荒ぶ日々が多くなり、今年も残り少なくなってきた。
 今日も、枯葉が風に舞っている。

 フランス、ブルゴーニュ地方のワイナリーが舞台である。
 これまで、ごくありふれた人々とその日常を活き活きと軽妙に映しだしてきた、人気監督セドリック・クラピッシュが、ここではキャリア12作目にして、初めてフランスの田舎を舞台に自然撮影に挑み、美しい ぶどう畑を映しだし、人生の熟度を味あわせる魅力あるドラマを描き上げた。

 この作品は、「スパニッシュ・アパートメント」(1901年)、「ロシアン・ドートルズ」(1905年)「ニューヨークの巴里夫(パリジャン)」(1913年)からなる青春三部作の完結以来、セドリック・クラピッシュ監督にとって4年ぶりの長編最新作となるわけだ。
 極上のワインの香り豊かな・・・。
 まあ、芳醇な余韻に浸れる物語である。




フランス・ブルゴーニュにあるドメーヌの長男ジャン
(ピオ・マルティ)は、10年前世界を旅するため故郷を飛び出し、家族のもとを去った。
その間、家族とは音信不通だったが、父親が末期の状態であることを知り、10年ぶりに故郷ブルゴーニュに帰ってくる。
ドメーヌとは、この地方でワイン生産者を表す用語で、自らぶどう畑を所有し(畑の賃借も)栽培、製造、瓶詰を一貫して行う生産者のことだ。

家業を受け継ぐ妹のジュリエット(アナ・ジラルド)と、別のドメーヌの婿養子となった弟のジェレミー(フランソワ・シビル)との久々の再会もそこそこに、父親が亡くなってしまう。
残されたぶどう畑や自宅の相続などをめぐって、様々な課題が出てくる中、父親が亡くなってから初めてのぶどうの収穫期を迎えることになった。
三人は、自分たちのワインを作り出そうと協力し合うが、一方でそれぞれが互いに打ち明けられない悩みや問題を抱えているのだった・・・。

三兄妹が十年ぶりに再会し、季節とともに愛しい日々が時の移ろいを綴ってゆく。
ブルゴーニュのワイナリーを継ぐために再会した、三兄妹の物語だ。
長男は離婚問題を抱え、長女は醸造家としての働き方に悩み、末っ子は義父の問題に揺れている。
いろいろなことはあるが、季節とともに移ろいながら、ワインのように熟成を重ねる、そんな彼らの姿が描かれる。
ほのぼのとした、くすぐったそうな幼い頃の思い出とか、喧騒を離れた家族の絆の温かさが作品を包んでいる。

彼らそれぞれが、対峙すべき問題を抱えつつ、自らの選択で人生を歩み出そうとするとき、人は本当の大人になれるというものだ。
ワイン製造の繊細な選択の方法とか、殺菌剤の差、深刻な社会問題への目配りも込めて、味わい深い作品に迫ろうとしている。
全編豊かな情感の中に浸って、ドラマを眺めることになる。

セドリック・クラピッシュ監督は、四季折々で表情を変えるぶどう畑にカメラを据えて、三兄妹の一年を見届けるのだ。
三人兄妹の話だから、やっぱり相続争いの問題が起きるのかと思ったらそうでもない。
三人の兄妹それぞれが抱える複雑な事情を背景に、ドラマはそれなりに深みのある展開を見せ、物語には取り立てて大それた問題は存在しない。
今も昔も変わらない平凡な人間臭い物語を、大きな事件が起きるわけでもなく、あくまでも普遍的なドラマを説得力豊かにクラピッシュ監督は描いて見せている。
まあ過大な期待をかけすぎると、作品がつまらなくなってしまうことだろう。
このフランス映画「おかえり、ブルゴーニュへ」は、ぶどう酒の味に例えれば、酸味をピリッと効かせながらもまろやかで飲みやすく、優しく酔った後味の良さといったところだろうか。
         [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
この映画は来年1月11日(金)までシネマジャック&ベティ(TEL 045-243-9800)他で上映中。
上映館によっては来週もあり。
次回はイギリス他合作映画「メアリーの総て」を取り上げます。


映画「寝ても覚めても」―生の深奥を揺さぶられても愛には逆らえない愛もある―

2018-11-05 12:00:00 | 映画


 枯葉が舗道にはらはらと舞い落ちている。
 秋深く、冬の訪れも近い。
 季節の移り変わりは早いもので、7日はもう立冬である。

 映画は「寝ても覚めても」だ。
 芥川賞作家・柴崎友香の恋愛小説を、前作「ハッピーアワー」(2015年)濱口竜介監督が映画化した。
 設定は古典的でも、現実的な生活は結構丹念に描かれている。
 同じ顔をした男性の間で揺れ動く、女性の物語だ。

 原作にはなかった東日本大震災もドラマに盛り込まれ、ヒロインの人生を変える出来事として描かれている。
 今日は昨日と同じように今日であり、今日と同じような明日もまた訪れる。
 そうかと思えば、昨日と今日と全く違う日も起こりうる。
 愛は許せるか。許せないか。
 非現実的なこの愛の場合はどうだ。
 不思議な感情の揺れを大胆に描き、適度の緊張感もあるが、男女の切ない恋に変わりはない。



ドラマは最初から、脈絡のない仰天のオープニングから始まるのでちょっと戸惑うが・・・。

大阪で暮らす朝子(唐田えりか)は、ある日、美術館で出会った青年・麦(ばく・東出昌大)に一目惚れし恋仲になる。
麦にはどこかとらえどころのないところがあり、やがて朝子は何も言わず失踪してしまう。
傷心の癒えないまま、東京の喫茶店で職を得た朝子の前に、麦と瓜二つの亮平(東出昌大二役)が現われる。
亮平は誠実な好青年で、朝子に真直ぐな好意を寄せてくる。
朝子は気持ちの整理がつかなかったが、亮平の人柄にひかれ一緒に暮らすようになる。
一方、麦はタレントとして人気を博し始めていた。
そんな折り、朝子が7年ぶりに彼と再会する時が訪れたのだった・・・。

原作のポイントは、麦と亮平が全くの別人で、よく似ていると思い込んでいるのは朝子だけらしく、映画は東出昌大が一人二役で演じていて分身のドラマという趣きを帯びている。
朝子は、その時々の自分の気持ちに素直に忠実に動いている。
ドラマは、少し悲しく、少し可笑しい不思議な展開だ。
世間から見れば、魔性の女のように見られなくもないが、そのような非難は当たらない。
朝子役の唐田えりかには透明感を感じる。
両者の間で揺れる朝子の立場は、不可解な部分も見せ、良い意味でややスリリングだ。
主演の唐田えりかはこれが映画初主演だそうで、そのせいか表情に乏しく、それでいて予断を許さぬ行動を突発的に見せたりして、これは上手い描き方だ。
青年の麦にも朝子にも正体のとらえ難い部分があって、瓜二つの青年の登場というのは面白い取り合わせだ。

現実的には、あまり見たことのないようなラブストーリーだ。
甘く、ほろ苦く、しかし哀しく、切ない。
人は、何故、人を愛するのだろうか。
何故その人でなければならないのだろうか。
濱口竜介監督作品「寝ても覚めても」は、傷つけ、傷つきながら愛も恋も捨てられない人間の‘性(さが)’や優しく人間の感情を包み込むその底に、静かなる激しさを秘めた大人の恋の物語である。
あたり前の日常生活の描写といい、突然訪れる荒唐無稽な展開がスクリーンで交錯するあたりは、濱口監督の演出、意図どおりなのではないか。
物語が落ち着くところに落ち着くまで、そこに至るまでのヒロインの心の軌跡を追いつつ解読する楽しみは、またこの心理サスペンス風の映画の面白いところだろう。
濃密な空気の漂う作品である。
        [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
横浜シネマジャック&ベティ(TEL 045-243-9800)にて11月16日(金)まで上映中。


映画「散 り 椿」―ただ愛のため武士として生きた男たちの哀しき戦い―

2018-10-08 13:00:00 | 映画


 ここにきて、山々の紅葉は麓から街々へと少し急ぎ足で降りてきた。
 まだ、ところによっては夏の名残の暑さはあるが、季節は確実に秋を深めている。

 映画は、日本武士道の映画「散り椿」だ。
 散り椿は正式には五色八重散り椿といって、一本の木で様々な色の花を咲かせるのだそうだ。
 その散り椿をモチーフに、葉室麟の同名小説を、名カメラマンとして知られる木村大作監督が映画化した。
 この作品は、今年のモントリオール世界映画祭で、審査員特別グランプリ受賞した。

 静か動かと問えば、怖ろしいほど静的な美しい時代劇である。
 オールロケで撮影した自然や風景の美しさを、木村監督らしい演出でとことん楽しませてくれる。
 人間関係がやや複雑な部分もあるが、葉室麟「蜩の記」監督した小泉尭史がこの作品の脚色を担当し、ドラマの中、迫真の殺陣は本当に相手が切れる間合いで刀を振っているので、その空気感はひしひしと伝わってくる。




享保15年・・・。
かって藩の不正を訴え出たが認められず、故郷の扇野藩を出た瓜生新兵衛(岡田准一)は、連れ添い続けた妻の篠(麻生久美子)が病に倒れた折り、彼女から「采女様を助けていただきたいのです・・・」と最期の願いを託される。
采女(西島秀俊)というのは、平山道場四天王の一人で、新兵衛にとってよき友であったが、二人には新兵衛の離郷に関わる大きな因縁があったのだ。

篠の願いと藩の不正事件の真相を突き止めようと、故郷に戻った新兵衛だったが、篠の妹坂下里美(黒木華)と弟藤吾(池松荘亮)は彼の真意に戸惑いながらも、凛とした彼の生き様にいつしか惹かれていくのだった。
散り椿の咲きほこる春・・・、ある確証を得た新兵衛は采女と対峙することになる。
そこで、過去の不正事件の真相と、切なくも愛に溢れた妻の本当の想いを知ることになるのだった。
しかしその裏では、新兵衛の背後に大きな力が迫っていた・・・。

篠は主人公瓜生新兵衛の妻であり、その新兵衛の良き友であった榊原采女は、かって篠が好意を寄せていた男だった。
篠と采女の文(手紙)のやりとりが哀しくも愛にあふれており、彼女の文から篠が新兵衛を思う気持ちが、散り椿の情景とともに表われてくるところが印象的だ。
ただ、思いあうことの素晴らしさは描かれていても、篠の苦悩はいかほどのものであったか、もう一歩踏み込んだ描写が欲しい気がする。
最愛の妻篠が死を目前にし、かって思いを寄せた男を助けるように頼んだことに苦悩するが、この時の出世頭ともいうべき采女をも受け入れがたく、新兵衛と采女の剣を交わす場面はこの作品の激しいクライマックスだ。

篠と采女がかって恋仲だったことを承知で、嫉妬心を押し殺して采女に甘えてみせるシーンといい、これは極めて良好なラブストーリーだ。
二人の男の胸の中にひとりの女の愛が宿るなど、どうにもやるせない。
新兵衛の妻篠があまりに美化されていないかと、そんな感じもするのだが、はかなげなたたずまいもさることながら、もっとその奥に漂う女の深淵を見つめたい気もする。
木村大作監督映画「散 り 椿」は、男女の清廉なたたずまいが心地よく、ロマンと人情にあふれた一作だ。
新兵衛、采女の殺陣はさすがの迫力で必見だ。
作品は重厚で丁寧にできていて、やはり木村監督とあって画面の美しさは比類がない。
         [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
全国各地のシネコンなどで上映中。


映画「きみの鳥はうたえる」―過ぎ去りし青春の日の戸惑いは、きらめき、たゆたい、哀愁とともに―

2018-09-17 12:15:00 | 映画


 あれほど暑かった夏がゆき、待ちかねた秋がいま深まりを見せつつある。
 あいつぐ災害で国土が荒れているのは何とも痛ましいが、確実に、美しい季節の訪れである。
 
 佐藤泰志原作の同名小説を、男女三人の恋物語として、三宅唱監督が映画化した。
 今を生きる青春映画である。
 一瞬一瞬が、北海道函館の夏を舞台に愛おしむように綴られる。

 「海炭市叙景」(2010年)、「そこのみにて光輝く」(2014年)、「オーバー・フェンス」(2016年)に続く、佐藤泰志の小説の映画化は4作目だ。
  この作品もそうだが、季節が移ろう際のきらめきとともに、若者たちのかけがえのない青春に、いつもどこか不思議な哀愁が漂っている。
 これは佐藤泰志の作品の特長ではないか。
 地方都市で生活する若者の、一見無為で怠惰に見える日常が、三宅唱監督によってひと味違ったみずみずしさを持って描かれている。
 物語は暗くなく、むしろ爽やかな心地よさに好感が持てる。

函館郊外の書店で働く「僕」(柄本佑)は、失業中の静雄(染谷将太)と小さなアパートで共同生活を送っていた。
ある日、「僕」は同じ書店で働く佐知子(石橋静河)と、ふとしたきっかけで関係をもった。
彼女は店長の島田(萩原聖人)とも抜き差しならない関係にあるようだが、その日から毎晩のようにアパートへ遊びに来るようになった。
こうして、「僕」、佐知子、静雄の気ままな生活が始まった。
佐知子と恋人同士のように振る舞いながら、お互いを束縛せず、静雄と二人で出かけることを「僕」は勧めるのだった。

そんなひと夏が終わろうとしている頃、静雄はみんなでキャンプに行くことを提案する。
しかし、「僕」はその誘いを断り、キャンプには静雄と佐知子の二人で行くことになる。
次第に気持ちが近づく静雄と佐知子であった。
「僕」は函館の暑さにじっと耐えていたが、3人の幸福な日々もそろそろ終わりの気配を見せていた・・・。

終わりなき時間には、やがて破綻が訪れるものだ。
若い3人の夜遊びがドラマの基調をなし、自由気ままな彼らの生活も楽しそうだし、生々しい。
三人三様の繊細な感情や複雑な思いが、リアリティのある演技で描かれ、なかなかうまい演出だ。
三人の若者が酒を飲み、踊り、遊ぶ。
その繋ぎ合わせに過ぎないのだが、彼らの中には、こうした映画にありがちな、鬱屈した青春や確執が横たわっているわけではない。

日常生活を送る彼らの心情は生き生きと描かれ、三人の男女の描かれ方も魅力的だ。
男女の心情を、日常のありようを切り取ったように描き出しているなど、新鋭とはいえ三宅監督は三人の若手俳優の好演に支えられて、多彩な一面をのぞかせている。
重々しい格好をつけた台詞はなく、どれも自然体で、アドリブのようにも見え、若者の心情を反映した軽妙でいて深みのある映像世界を作り出している。
1984年生まれの三宅唱監督による「きみの鳥はうたえる」は、夏の匂いを風が運んで来る青春ドラマなのだ。
まあどうということもないのだが、爽やかな珠玉のような作品だ。
ただし、原作をかなり翻案しているので、映画は文学作品とは少し異なったものになっていることを付け加えておく。
       [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回は日本映画「散り椿」を取り上げます。


映画「2重螺旋の恋人」―虚実入り交じる映像の中で現実と空想の境界が見えなくなっていく心理サスペンス―

2018-08-19 16:35:00 | 映画


 立秋を過ぎて、朝夕はふとした風の冷たさにこのまま残暑も終わってくれればと思うが、そうもいかないようで・・・。
 降るような蝉しぐれ変わらず、いつまでか。
 本格的な秋は、まだまだ先のようだ。

 さて映画は、フランソワ・オゾンだ。
 フランソワ・オゾンといえば、世界三大映画祭の常連であり、フランスを代表する映画作家だ。
 前作「婚約者の友人」(2016年)では、第一次大戦による男女の愛憎を題材としたが、今回は一人の女性を主人公に、彼女の精神的な不安と葛藤を中心に、ミステリー仕立ての恋愛ドラマを作り上げた。
 やはり鬼才オゾン監督だけのことはあって、4年の構想期間を経て放たれるこの最新作の心理サスペンスには、極上に近い味わいの深さが感じられる。


舞台はパリ・・・。
原因不明の腹痛に悩まされるクロエ(マリーヌ・ヴァクト)は、精神分析医のポール(ジェレミー・レニエ)のもとを訪れる。
穏やかなカウンセリングで、痛みから解放されたクロエは、ポールと恋に落ち、二人は同居を始める。
そんなある日、クロエは街でポールとそっくりの男性を見かける。
その男はルイ(ジェレミー・レニエ2役)と名乗り、ポールの双子の兄で同じ精神分析医だったのだ。

クロエは何かに惹かれるように彼の診察を受けるが、ルイは横柄で傲慢な性格であり、ポールは土のように温かくて優しい性格で、二人は正反対の双子であった。
ポールは、どうしてルイの存在を隠していたのか。
真実を突き止めるために、ルイの診察室に通い始めたクロエは、ポールとは全く違う性格の挑発的なルイにぐいぐい引きつけられていくのだった・・・。

この作品は、人の二面性を視覚化するのに、細やかな工夫を凝らしている。
それは、ヒロインの心の中を覗き見ているようなものだ。
ポールとルイという双子に振り回される、心の内面を視覚化するために画面が二つに分割されたり、小道具として鏡が登場したりする。
舞台となる建物や美術は、螺旋構造と左右対称を意識しているのもわかる。

ヒロインのクロエを演じるマリーヌ・ヴァクトがいいが、彼女は優しいポールを愛していて、性的に満たされていないから荒々しいルイを求める。
誰もがそうした二面性を持っていると、この映画は言いたいようだ。
人間の分身というより、ほぼ似た顔を持つ双子という存在に、その曖昧さの点に、オゾン監督はこだわりを持ったようだ。
作品に登場する猫も、ミステリアスな動物として不思議な効果をもたらしているし、ひねりにひねった(!?)衝撃のラストはちょっとホラーじみて不気味なラストだ。
心に秘められた相反する感情を、容姿が同じでも、中身は正反対の性格の双子の男性という設定も、性格の二重性を視覚的に取り入れて面白く見せている。

フランソワ・オゾン監督フランス映画「2重螺旋の恋人」は、虚実の交錯する映像の中で、人間の二面性に翻弄され、現実と空想の境界が分からなくなっていき、観客を迷わせる要素を内包している。
オゾン監督の仕組んだ嘘と現実の迷宮で、背徳と官能の扉が開かれる時、映画はサスペンスを帯びるのだ。
ヒロインのマリーヌ・ヴァクトは、去る2013年オゾン監督「17歳」に主役に抜擢されて、世界のメディアから絶賛を浴び、間もなく結婚生活でもパートナーに恵まれ、いまでは男児の母親となっている。
この女優の見どころも十分で、飽きさせない楽しめる作品だ。
        [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
横浜シネマジャック&ベティ(TEL 045-243-9800)ほかにて8月31日(金)まで上映中。


映画「ファントム・スレッド」―心の闇に優雅な狂気が対峙するとき男と女の想いは―

2018-08-06 14:30:00 | 映画


 猛暑の日々が続いている。
 この暑さはまだまだ続きそうだ。
 明日は、暦の上では早くも立秋だけれど・・・。

 今回取り上げた映画の方は、高級ファッションの世界で生きる男をめぐる物語だ。
 2018年、アカデミー賞衣装デザイン受賞作で、高級衣装の下に秘めた男女の心理と性愛に焦点を当てた、ポール・トーマス・アンダーソン監督が、ここでも独創的な才能をいかんなく発揮する。
 彼の監督作「ゼア・ウィル・ビ・ブラッド」 (2007年)で、二度目のアカデミー賞主演男優賞受賞したイギリス俳優ダニエル・デイ=ルイスと再度組んで生まれた作品だ。

 男と女には見えない“糸”がある。
 その“糸”の部分にメスを入れた、ちょっとした異色作だ。
 恋愛における気持ちの触れ方、美しさともろさを恋の駆け引きの中にオートクチュールの世界を背景に、滑稽なまでに可笑しく、しかし正調に描いた作品で面白く見られる。
 優雅で危険をはらんだ大人のラブストーリーである。


レイノルズ・ウッドコック(ダニエル・デイ・ルイス)は、女流階級の女たちのためにドレスをてがけるデザイナーだ。
彼は隙のない端正な装いで、その工房はいつも整然としている。
お針子たちはきびきびとよく動き、なかなかの切れ者で姉のシリル(レスリー・マンヴィル)に支えられて、レイノルズは完璧な状態で生活している。
恋の相手によっては、色あせたらさっと手切れ金のように高級ドレスを与えて、女を切り捨てるのだ。

ある日、海辺の町の別荘へ出かけたレイノルズは、レストランで働くアルマ(ヴィッキー・クリープス)を見初める。
若い女は素朴だが生気に満ちていて、彼の創作意欲をいやがうえにもかきたてる。
完璧主義者のレイノルズにとって、アルマは新たなミューズとなる。
彼は、衝動的に彼女と結婚するが、すぐに後悔する・・・。

アルマは平凡な娘で、日々の生活で刺激を受けて成長していく。
彼女は絶えず穏やかな温かさでウッドコックを包んでいて、作品にも深い奥行きを与えている。
レイノルズの美貌が、アルマの平凡さを引き立たせる。
レイノルズは、母親以来の女の愛を知らない。
そのことに気づく鋭さが、アルマにはあるのだった。
アルマが恋に落ちていく様と、愛想のないウッドコックがアルマの体型のみに関心をめぐらせる、日々の少しというより大きくちぐはぐな振り子の揺れのように、二人の恋愛における気持ちの揺れが奇妙で面白い。

ポール・トーマス=アンダーソン監督アメリカ映画「ファントム・スレッド」は、華やかなオートクチュール(高級仕立服)の裏側で、甘美で狂おしい愛の心理戦を描いた佳作である。
愛想のないウッドコックが前半をリードするが、後半からはアルマが主導権を握り、ほころびひとつない端正な衣装や美術と相まって、男と女のパワーゲームを描き出している。
親子ほど年の違うダニエル・デイ=ルイスと、ヴィッキー・クリープスの取り合わせも面白く、妙味たっぷりの作品ではある。
この作品が、惜しむらくは残念なことに名優ダニエル・デイ=ルイスの引退作となるそうだ。
このひと、これから、まだまだやれる役者だと思うのに・・・。
        [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
この映画はシネマート新宿(TEL 03-5369-2831)で8月24日(金)まで上映中。
次回はフランス映画「2重螺旋の恋人」を取り上げます。


映画「グッバイ・ゴダール!」―映画、恋、五月革命と、19歳の少女が駆け抜けた青春の日々―

2018-07-23 09:00:00 | 映画


 この映画のミシェル・アザナヴィシウス監督は、パロディ喜劇などを得意とするフランス映画の才人ととして知られる。
 今回、「勝手にしやがれ」(1960年)の評判で、ヌーヴェル・ヴァーグを代表する監督のひとりとして、世界的に有名になったジャン=リュック・ゴダールと、彼の二度目の妻アンヌ・ヴィアゼムスキーの関係を題材にして、結構洒落た映画が出来上がった。

 作品は、アンヌ・ヴィアゼアムスキーの自伝的小説をもとに、コメディタッチのドラマとして、そこそこ見応え十分で楽しい。
 革命に傾倒し、商業映画に背を向けた時期のゴダールを、偏屈で嫉妬深い、ちょっぴり哀れな男として描いているところが面白い。
 偉大なゴダールを描いているだけに、映画では彼が大分こけにされている。
 ドラマには、多彩な趣向が詰め込まれている。
 何より、堅苦しい映画でないのがよい。


1968年、パリ・・・。
大学哲学科の19歳の学生アンヌ(ステイシー・マーティン)は、ゴダール(ルイ・ガレル)の新作「中国女」(1967年)の主演女優に抜擢されて、二人はすぐに恋に落ち、彼女は20歳で結婚し、刺激的な毎日を送っていた。
アンヌはゴダールの二人目の妻となるが、1968年の五月革命が二人の運命を変えていく。
ゴダールは、映画よりも学生や労働者とデモや討論会に明け暮れ、カンヌ国際映画祭をも批判して、結局は映画祭中止にまで追い込んでしまった。

いつもゴダールと行動を共にしていたアンヌは、少しずつ大人になっていく過程で、自立した女に変わっていくのだった。
しかし、ゴダールの行動が次第に先鋭化し、二人の間にはいつしか亀裂が生じて・・・。

天才監督ともいわれたジャン=リュック・ゴダールアンヌ・ヴィアゼムスキーの恋は、情感豊かに綴られる切ないラブストーリーである。
アンヌの可愛らしさの虜になるのは、ゴダールだ。
映画完成の2017年にアンヌは亡くなったが、この作品を気に入っていたそうだ。

五月革命に向けてパリ中が熱を帯びている中で、傲慢で偏屈な(?)ゴダールは、嫉妬深く、この映画の方はパロディやらオマージュじみた映像も満載で、時代風俗も生き生きと取り入れられている。
20歳のアンヌと、夫としてのゴダールと過ごした日々が描かれ、ともに映画を作ったり、文化や芸術を語り合い、五月革命に参加する。
この青春ドラマ、なかなかいいではないか。
映画も音楽も、ファッションもインテリアも、60年とはいえこのフレンチカルチャーはいまもって色褪せた感じはしない。

1968年前後といえば、世界中で学生たちが反乱を起こした時期で、フランスの五月革命ではあらゆる社会的な制度や常識が覆されようとしていた。
ゴダールは政治活動に熱中し、商業的な映画製作を否定した時期だった。
カンヌ映画祭に行きたがるアンヌとゴダールは対立し、彼は盟友のフランソワ・トリュフォーらとカンヌ映画祭まで粉砕してしまう。
そんな中で、アンヌとの仲も徐々に暗雲をはらんでいくことになるのだ。

ヌーヴェル・ヴァーグの旗手も映画界では神格化されていたが、日常生活においては、エゴイズムと嫉妬に満ちたただの人間だったというお話だ。
主演のルイ・ガレルがゴダールによく似てるし、ステイシー・マーティンのシリアスな演技もよく、懐かしき良き時代をしのばせてくれる。
ミシェル・アザナヴィシウス監督フランス映画「グッバイ・ゴダール!」は、熱き日を生きたユーモラスな社会風刺劇として興味の尽きない作品だ。
なお、ジャン=リュック・ゴダールは1930年生まれ、2018年には87歳で最新作「イメージの本」をカンヌに出品し、スぺシャル・パルムドールを受賞するなど、ますますその意気は衰えを知らぬようである。
余談だが、ゴダールには本編のミューズともいえるアンヌ・ヴィアゼムスキーのほかにも、映画のミューズとしてはアンナ・カリーナ、ジーン・セバーグ、ブリジッド・バルドー、シャンタル・ゴヤ、ジュリエット・ベルトといった、名だたる女優たちがいたことを付記させていただく。
        [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
横浜シネマジャック&ベティ(TEL045-243-9800)ほかにて8月10日(金)まで上映中。
次回はアメリカ映画「ファントム・スレッド」を取り上げます。