神坂神社の祭神に書いてありますけど、山代之大筒木真若王(やましろのおおつつきまわかのみこ)と言う人物は、
朝廷別王の可能性が高いと思います。
神功皇后の曽祖父になります。
その神功皇后の夫が仲哀天皇です。おいらこの時代のことはほとんど知りませんので、
あまり多くのことを書きませんけど、いろいろ調べていて驚いたことがあります。
おいらがよく参考にさせて頂いている、「水石亭主さん」のブログで、
古墳から見た大和の古代 その22に書かれていることです。
内容は、「「日本書紀」の編纂者は、建前としては仲哀天皇の子を応神天皇とせざるを得ないが、事実はそうでないとほのめかしている」というところ。
こんな感じ
これが事実だとすると、この時点で、崇神天皇の血筋は絶たれて、彦坐王の血筋に代わったことになります。
この血筋は、現在まで続いているそうです。
でも、今まで彦坐王とそのファミリーのことは隠されるような扱いを受けています。
日本書紀を編集した時代においては、朝廷はそのような事実を知らなかったということでしょうか。
しかし、日本書紀を編集した人物はそのことを知っていたということになります。
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