![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/01/7e657521558e0300f6466e13c9ae23f6.jpg)
所在地 愛知県春日井市内津町上町24
鳥居を過ぎて、少し行くと、すべらずの松があります
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/a6/a1a0037639e6654f14c5418233aee567.jpg)
松とさるすべりの共生木だそうで、受験や人生ですべることのないように願いを込めてあるそうです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/c7/355caaf4cafeb38a4f12c45dbb07888e.jpg)
少し、訪れるのが遅かったか・・・へへ;
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/35/aea4c94d56c91a4b1bf9066f8d7c1705.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/a4/122695c7f6476d2fc836273d6f85b2dc.jpg)
社殿や、庭園もすばらしいですけど、今回は最初のころの信仰の場所である、奥の院に行こうと
やってきました。
本殿の裏に回ると
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/b1/c4f02b3e91fb5ca8be951f366a3acf7f.jpg)
何でしょう?○○奥の宮七丁?○のところは「従提」?わかりません
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/48/16edde282d974902139138de20b4389a.jpg)
岩があちこちにあり、注連縄が張ってあります
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/1a/8bc4b6163049f62b5488f21f87422a3b.jpg)
古代の祈祷した場所でしょうか?
奥の院は、ここより700mほど奥のようです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/a6/12b4d4887555e71029dae975286d7e3c.jpg)
やってきました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/5e/117a3c63238d502d24c6653eef80ba00.jpg)
登って行きましょうか
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/75/688336ec1fe7b2811673a434ef5dc625.jpg)
階段を登ります
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/d7/7ce7d904a4e2d0bd48d449772414de30.jpg)
岩の割れ目にあるようです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/93/d3005f146ae80876c0a895b128cfda9a.jpg)
下を見ると・・・なんでこのような場所にあるのか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/1d/a1368375657158fbf8ac0e4d50bbcb40.jpg)
階段を降りて、さらに奥に行くと
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/bc/a49bd2d4a396abcc907ffcf0249ffd80.jpg)
こちらにも祠があります
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/34/f62afb5c504021bdd8c5b1204f4634ba.jpg)
不思議な空間です
さて、この内々神社の主祭神は、 建稲種命、日本武尊、宮簀媛 とあります
ウィキペディアより引用します
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創建年代については不詳であるが、延喜式に記載された式内社である。
東国の平定を終えた日本武尊が内津峠に差し掛かった時、
早馬で駆けてきた従者の久米八腹(くめのやはら)から副将軍である建稲種命が駿河の海で水死した
との報告を受けた。
それを聞いた日本武尊は「ああ現哉々々(うつつかな)」と嘆き、
その霊を祀ったのが内々神社の始まりという。
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宮簀媛は、日本武尊の后です。
そして、建稲種命は、宮簀媛の兄です。
日本武尊の東征の際、副将軍で、帰路水軍を率いていたが、海に落ち水死
宮簀媛(ミヤズヒメ)が、お祀りしてあるのは、
氷上姉御神社
現在の氷上姉御神社の場所より南西の方向に数百メートル離れたところに、
以前の神社と住まいがあったようです
おそらく、日本武尊はそこに向かっていたのではないでしょうか。
それと、すでにこの時代に馬がいたのですね。
内々神社の場所は、東山道からは外れています
どのようなルートか調べたら、江戸時代に下街道(したかいどう)と呼ばれていた道のようです
大井(恵那市)から中山道をそれて、釜戸(瑞浪市)‐高山(土岐市)‐池田(多治見市)‐
勝川(春日井市)を経て名古屋へ至る街道です。国道19号がそれに沿っています
こちらが詳しいので参考にさせてもらいました
以前、鬼板といって、古代の製鉄に使う材料(と思いますけど)がある、春日井市大泉寺町の御嶽神社に、行った事があるのですけど、その前の道が下街道ですね。
でも、今画像を見るとあれって本当に鬼板なんだろうか?さざれ石かも?・・・
当時の道としては非常に重要だったと思います