元旦の午後からは、方々津神社に行きました。
祭神は、川上摩須郎女(かわかみますのいらつめ)サタヒコの母親です。
5世紀頃の古墳上(円墳直径40m高さ4.5m)にあります。
この古墳が出来る前は、サタヒコの母親が眠っていたのではないでしょうか。
サタヒコ達の生まれ育ったと推測される場所の五社神社から
春分の日の日の入りのライン上に古墳があります。
川上摩須郎女の棺はここから、奈良の「中山大塚古墳」に移されたと推測します。
こちらも参考にしてください
こちらもどうぞ
このレイラインから考えると、サタヒコが猿投神社に移動してからなので、彼の晩年になります
そうすると、姉のヒバスヒメはすでに亡くなっているので、ストーリーがやや不自然になります。
もしかすると、ヒバスヒメの亡くなった時期が違うかもしれません。
もう少し後の可能性があります。この事は宿題にしておきましょう。
話が少しそれました。
以前、川上摩須郎女の名前がどこにも見当たらない。これはいくらなんでもおかしいということから
以下のように書いています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
スサノヲを「彦坐王」とすると、ヤマタノオロチは、「久我耳三笠」となり、
天叢雲剣が出てきたということは、製鉄が再開されたと置き換えられます。
櫛名田比売(くしなだひめ)が、スサノヲ(彦坐王)の妻になったということは、
櫛名田比売=河上麻須郎女(カワカミノマスノイラツメ)つまり、サタヒコの母親になります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そこで思い当たるには、飯野高宮神山神社の南を流れる川の名前です。
櫛田川ですね。
一般には、倭姫が櫛を落としたことからそう呼ばれているとされていますけど、
本来は、「櫛名田」からついた名前では?もしかすると、「櫛名田川」が最初かも?
河上麻須郎女は、サタヒコの母ですけど、アジサハヒメの父親の兄弟です。
飯野高宮神山神社の祭神は、猿田彦命、天鈿女命つまり、サタヒコとアジサワヒメです。
いかがでしょう?
祭神は、川上摩須郎女(かわかみますのいらつめ)サタヒコの母親です。
5世紀頃の古墳上(円墳直径40m高さ4.5m)にあります。
この古墳が出来る前は、サタヒコの母親が眠っていたのではないでしょうか。
サタヒコ達の生まれ育ったと推測される場所の五社神社から
春分の日の日の入りのライン上に古墳があります。
川上摩須郎女の棺はここから、奈良の「中山大塚古墳」に移されたと推測します。
こちらも参考にしてください
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このレイラインから考えると、サタヒコが猿投神社に移動してからなので、彼の晩年になります
そうすると、姉のヒバスヒメはすでに亡くなっているので、ストーリーがやや不自然になります。
もしかすると、ヒバスヒメの亡くなった時期が違うかもしれません。
もう少し後の可能性があります。この事は宿題にしておきましょう。
話が少しそれました。
以前、川上摩須郎女の名前がどこにも見当たらない。これはいくらなんでもおかしいということから
以下のように書いています。
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スサノヲを「彦坐王」とすると、ヤマタノオロチは、「久我耳三笠」となり、
天叢雲剣が出てきたということは、製鉄が再開されたと置き換えられます。
櫛名田比売(くしなだひめ)が、スサノヲ(彦坐王)の妻になったということは、
櫛名田比売=河上麻須郎女(カワカミノマスノイラツメ)つまり、サタヒコの母親になります。
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そこで思い当たるには、飯野高宮神山神社の南を流れる川の名前です。
櫛田川ですね。
一般には、倭姫が櫛を落としたことからそう呼ばれているとされていますけど、
本来は、「櫛名田」からついた名前では?もしかすると、「櫛名田川」が最初かも?
河上麻須郎女は、サタヒコの母ですけど、アジサハヒメの父親の兄弟です。
飯野高宮神山神社の祭神は、猿田彦命、天鈿女命つまり、サタヒコとアジサワヒメです。
いかがでしょう?