たまにはぼそっと

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倭姫命伊勢に行く その 11  倭姫の母

2021-10-25 08:03:39 | レイライン
倭姫の母親は、「日葉酢媛命(ひばすひめ)」といいます。

サタヒコの姉です。配偶者は、垂仁天皇。

子は、五十瓊敷入彦命、景行天皇、大中姫命、、倭姫命、稚城瓊入彦命 

日葉酢媛命の葬儀の時から、殉死をやめ、生きた人間の代わりに埴輪を埋納するようになったと言われています。

生ま育ったれた場所は、たぶんここ。

方県津神社の古墳が、春分の日の日没のラインにあります。

古墳の被葬者は、河上摩須郎女命 (サタヒコ、ヒバスヒメの母親)と思います。

倭姫のおばあちゃんですね。

でも、調べるとこの古墳は、5世紀頃のものと言われます。ならば違いますね・・・

でも、主祭神が「河上摩須郎女命」です。

あるブログによると、河上摩須郎女命の古墳は奈良にある「中山大塚古墳」ではないかと書かれていました。

そのブログを探したのですけど、見つからない・・・

つたない記憶をたどると、その近くに「大和神社」と言う所があってそこには「ちゃんちゃん祭り」

と言うお祭りがあり、大和神社から中山大塚古墳の御旅所までを往復するとのこと。

それが、ヒバスヒメが母親のお墓に行って、お参りをして、帰ってくるという行為を表しているのではないかと言うことを書いておられたように記憶しています。


岐阜の「方県津神社」は、古墳が出来るまでの仮の場所。

後に岐阜から奈良の「中山大塚古墳」へ、被葬者が移動した。

サタヒコも彦坐王もそうでしたから。

現在の、方県津神社古墳は、後に他の被葬者が入った可能性が高いです。

方県津神社の祭神が、「河上摩須郎女命」なのでそう解釈するのが適当かと思います。

奈良へは、ヒバスヒメが呼び寄せたのでしょうか?



ヒバスヒメは、306年ごろに亡くなっています。(44歳ぐらい)「佐紀陵山古墳」墳丘長207メートルの前方後円墳。

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