たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

朝廷別王の名前

2021-01-03 07:38:45 | Weblog
まず、「朝廷別王」(みかどわけのみこと)と言う呼び方は、本人は、知らないかもしれない。

古事記に出てきますけど、その時に初めてついた名前かもしれない。定かではありませんが・・・

さたひこ (佐田彦)以前書きましたけど、「さ」と言う字は神聖なものと言うような意味だそうです。
    さくら、さなえ、など。父親の彦座王が名付けたか、さほひこにあやかったと思われます。
     
      わりと早い時期の名前

さるたひこ  「さたひこ」が変化して「さるたひこ」になったようです。
       小滝川ヒスイ峡
     に行った時すでにさるたひこととよばれていたかもしれません。

       神坂神社の冬至の日没の線上には、名古屋の「熱田神宮」があります。
       ひょっとすると、「あつた」も「さた」から変化した呼び方かもしれない。
       さた → さった →あった → あつた  いかがでしょう?
       ならば、神坂神社のレイラインを測量した時には、
       さたひこ もそこにいたと考えられます。
       ということは、山代之大筒木真若王=さたひこ とも考えられます。


すくなひこな 大国主に対して小さいという意味でつけたとされます。

おおた(大田)大国主が亡くなった後に着けたのでしょうか?

まだ他にも名前が出てきそうですね。

さて、いつものように妄想です

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

古事記、日本書紀では彼の存在をうやむやにしようとする意図を感じます。彦座王も同様。

「さほひこ」などは、死んだことになってます。しかも反乱を起こしたことになっている。

 逆でしょう?


しかも、彼の移動の順番も逆でしょう? 大垣→伊勢→砥鹿神社→(ここまでは隠されている)

それから、諏訪→越(小滝川ヒスイ峡)→出雲と、この順番納得できませんかね?

出雲に行く途中、眞名井神社(籠神社奥宮)にも滞在したかもしれません。さたひこだけかもしれませんけど。
(さたひこの母親の出身地の関係)




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