たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

竹野神社

2022-09-22 05:03:27 | 猿田彦





竹野神社の本殿祭神は、天照皇大神 

本殿脇の摂社・斎宮神社の祭神は、日子坐王命、開化天皇皇子で丹波竹野別の祖・建豊波豆羅和氣命、
そして竹野媛命

この、丹波竹野別の祖・建豊波豆羅和氣命と言う人が分からない。

実在ならば、彦坐王の兄弟になります。







海面上昇の画像です

今回3mの上昇ですけど、4mでも良かったかな。

作製している時点で、一の鳥居が水没するのでおかしいと思っていました。

社伝では、丹波大県主由碁理の娘で、開化天皇の妃であった竹野媛が年老いて後、

天照大神を祀ったのが当社の起源とのこと。

これって、おかしいよね。竹野媛は、彦坐王の母親です。

いくら年老いたとしても、その時代には、まだ天照大神は存在していないです。

と言うことは、この神社の創建は、もっと遅いということになります。

ですから、一の鳥居も、参道もこの地図では、水没することになります。

じゃあ、なぜここに天照大神が祀られているのでしょうか?

もしかすると、ここがサホヒコの滞在した場所かもしれない。

ならば、天照大神ではなく、大国主ではないかとなります。

でも、出雲神話は後に出来た作り話と言うことになれば、大国主と言う名前は出てこないのかもしれません。

この事については、もう少し調べないと何とも言えませんね。

これくらいにしておきましょう。

サタヒコは何処に居たのかと考えると、母親の兄弟の住んでいる付近と思います。

父親の彦坐王が住んでいた船岡神社かもしれない。

それとも、母親の兄弟の、倭得玉彦命=天目一箇神の居る藤社神社かもしれない。

のちに、倭得玉彦命の娘のアジサハヒメ(アメノウズメ)を、妻とします。

比沼麻奈為神社はその時に出来たと思います。

ですけど、サタヒコはこのころ、つまりサホヒコと一緒に丹後半島にいる時には、丹後には落ち着いていなかったと思うのです。

つまり、越と丹後半島を行き来していたのではないだろうか?

翡翠と鉄の交易をしていたのではないだろうか?

そのころに出来たのが、白山比咩神社ではないでしょうか?


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする