東本宮と西本宮は創祀の年代が違うようです。
東本宮は、崇神7年となっています。
西本宮は、天智天皇7年(668年)とされています。
でも、レイラインの意味する時代とは合わないような気がします。
もう一度レイラインを調べましょうか。
まず、居久良河宮からの冬至の日の入りのラインです。
東本宮、西本宮ともに少しずれがあります。
見やすいように、google地図にラインを書いてみます。
真ん中の下の矢印ですが、山王鳥居にピタリです。
今まで調べてきた中でも、鳥居にラインが合うことは時々あります。
何か意味があるのかもしれません。
誤差が無いということは、サタヒコに仕えていた測量集団の仕事でしょう。
左上の矢印は、西本宮です。ここからの夏至の日の出を見てみましょうか。
南宮御旅神社にぴたりです。
これをどう解釈しましょうか? 悩みますねぇ・・・
おそらく、同じ人たちの仕事でしょう。時代もそんなに違わないのではないでしょうか?
とりあえず、今までの事からわかることは、東本宮の創祀が、崇神7年と言うことはあり得ないということ。サタヒコの没後でしょう。
西本宮創祀は、天智天皇7年(668年)ということも、遅すぎるのじゃないだろうか?
それ以前に、西本宮の場所に何かがあったと考えて良いのではないだろうか。
とりあえずは、そのように推測しておきます。
日吉大社はまだ訪問したことがありません。いつか行ってみたいですね。
東本宮は、崇神7年となっています。
西本宮は、天智天皇7年(668年)とされています。
でも、レイラインの意味する時代とは合わないような気がします。
もう一度レイラインを調べましょうか。
まず、居久良河宮からの冬至の日の入りのラインです。
東本宮、西本宮ともに少しずれがあります。
見やすいように、google地図にラインを書いてみます。
真ん中の下の矢印ですが、山王鳥居にピタリです。
今まで調べてきた中でも、鳥居にラインが合うことは時々あります。
何か意味があるのかもしれません。
誤差が無いということは、サタヒコに仕えていた測量集団の仕事でしょう。
左上の矢印は、西本宮です。ここからの夏至の日の出を見てみましょうか。
南宮御旅神社にぴたりです。
これをどう解釈しましょうか? 悩みますねぇ・・・
おそらく、同じ人たちの仕事でしょう。時代もそんなに違わないのではないでしょうか?
とりあえず、今までの事からわかることは、東本宮の創祀が、崇神7年と言うことはあり得ないということ。サタヒコの没後でしょう。
西本宮創祀は、天智天皇7年(668年)ということも、遅すぎるのじゃないだろうか?
それ以前に、西本宮の場所に何かがあったと考えて良いのではないだろうか。
とりあえずは、そのように推測しておきます。
日吉大社はまだ訪問したことがありません。いつか行ってみたいですね。