たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

倭姫命(やまとひめのみこと)その6,菟田の筱幡(うだのささはた)

2018-03-20 08:27:26 | 神社


日本書紀では、倭姫命の伊勢に至る足跡は以下です

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離天照大神於豐耜入姬命、託于倭姬命。爰倭姬命、求鎭坐大神之處而詣菟田筱幡筱、此云佐佐、更還之入近江國、東廻美濃、到伊勢國。

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天照大神を、豊耜入姫命から離し、倭姫命に託(つ)けました。

倭姫命は大神を鎮座する場所を求めて、菟田の筱幡に至りました。筱は佐佐(ササ)と読む。

更に還りて近江国に入りて、東、美濃を廻りて、伊勢国に到る  




と言うことです

さて、ここの菟田の筱幡という場所は、どういう意味があるのか?

場所は、現在の「篠畑神社」のある付近のことを言うようです


篠畑神社(ささはたじんじゃ)

御祭神 天照皇大神
境内社 市杵島姫命 篠畑姫神





なぜ、この場所なのでしょうか?

近くに、大和水銀鉱山(やまとすいぎんこうざん)が、奈良県宇陀郡菟田野町にあります。

見田大沢古墳群のすこし西のあたりです



両方の場所の距離は直線で、約 8.6km。

鉱山を治める人は、吉野首かもしれません。


倭姫命とこの場所をつなぐ特別な理由は見つけることができません。



ですけど、倭姫命よりも数十年以前に、彦坐王はこの場所、もしくは、この付近を通って

(その時代には篠畑神社は存在していないと思います)水銀にかかわる吉野首と接触があったのでは

ないでしょうか。そして、その後、吉野首の技術者を同伴させたかもしれませんね。



一つ気になることは、「菟田の筱幡に至りました。筱は佐佐(ササ)と読む」と、

「ササ」を強調していることです。

このことについては、のちほど。。。
コメント
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