自転車のことと自転車以外のことと

 自転車のことが書きたいからブログをはじめたのか、それともブログをやってみたいからその題材として自転車を選んだのか?僕の場合はどちらかというと後者で、ブログをやってみたいから自転車を選んだ。完全な身辺雑記的なものにすることも考えたのだけれども、それでは見てもらうとっかかりがあまりになさ過ぎるし、内容があまりに個人的なものになりすぎるような気がしたし、それより何よりそれだけでは続けられない気もした。だからそれならばということで、身辺雑記的なことだけでなくついでに少し離れていた趣味の自転車とあらためて深く関われたらと思ってこういうブログをはじめることにした。

 そんな感じでブログをはじめたので、当初は自転車のことに触れながらも個人的な感情を結構露出するようなエントリーが少なくなかったような気がする。あらためて以前のエントリーを読み返したわけではないけれども、そういったエントリーのいくつかを僕は今思い出すことができる。自転車とまったく関係ないところでのそのときの自分の苛立ちや怒りや困惑などが少なくとも自分にとっては生々しく感じられるようなエントリーのいくつかを僕は思い出すことができる。

 そういったネガティブな気持ちが見え隠れするエントリーが果たして良いものなのかどうかは僕はわからない。ただ僕としてはそれもありだと思っていた。自分にとっては生々しい内容でも、他人からみればそれは伝わるか伝わらないかわからない程度のものだと思うし、何よりも所詮は見知らぬ他人のことなのだ。だからもしかしたら少し嫌な気持ちにさせてしまうこともあるかもしれないけれども、ほとんどの場合はすぅーっと流すことができるものだろうから。でもそういったことを書くことによって、僕のいくばくかの落ち着かない感情が整理され、また読んだ方は見知らぬ僕にたいして良くも悪くも親近感を持つかもしれない。そちらのほうが意味的には大きいのではないかって僕はずっと思っていた。実際、僕が楽しみにしていて、親近感を覚えながら読んでいたブログってそういう感じのものが多かったりもしたので。

 ただ最近は嬉しいことに関しても、そうでないことに関しても、自分の生々しい感情が発露するエントリーが少しずつしづらくなってしまったような気がする。はじめてしばらくは本当にささやかだったアクセス数が今ではそれなりの数になってきているというのもその理由のひとつだし、ブログを通して知り合った方々とリアルなお付き合いをするようになったこともその理由のひとつなのだと思う。こういった言い方が妥当なのかどうかわからないけれども、“見知らぬ他人”にたいしては気安く言えたことが、知り合いにはなかなか言いづらかったりするから。

 だけれども僕としてはそのために自分のそのときの感情があまりに抑えられたエントリーが増えてしまうのはやはりつまらないよなぁと思っている。他の方がどう感じるかはわからないけれども、僕は良くも悪くも“その人”が伝わってくるブログのほうが面白く感じるから。少し話がずれるかもしれないけれども、僕がなるべく毎日エントリーをしようと思っていたのも、実はそんなことを考えていたからだったりする。毎日エントリーをすることになれば、どうしてもそのときどきの感情が出ざる得ないし、出なければ出ないでそれは“触れられない”という形によって結局のところ露わにならざる得ないわけだから。

 『湘南発、六畳一間の自転車生活』というこのブログのタイトルは、リアルに六畳一間に住んでいるからということももちろんあるのだけれども(微笑)、実は内容的にもとてもとてもささやかな個人的なことを綴ったものなんですよ、といった気持ちでつけた。えっと、他の方に伝わるかどうかは別にして、このタイトルを考えたのはそんな気持ちからだった。そんな初心を忘れずにやっていこうとふと思うことが多かったりする今日この頃だったりする。そんなわけで、微妙なエントリーがあったとしても、かる~く読み流してくださいね(^^;
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