ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

すべてのものになりました。

2014-01-31 22:28:25 | 今日の聖句
旧約聖書「歴代誌下」読み終わりました。
明日から「エズラ記」です。
今日の聖句は新約聖書、いま読んでいる「コリント信徒への手紙一」からです。

「コリント信徒への手紙一」9章19節~23節

わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。
できるだけ多くの人を得るためです。
ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。 ユダヤ人を得るためです。
律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。
律法に支配されている人を得るためです。
また、私は神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、
律法を持たない人に対しては律法を持たない人のようになりました。 律法を持たない人を得るためです。
弱い人に対しては、弱い人のようになりました。 弱い人を得るためです。
すべての人に対してすべてのものになりました。 何とかして何人かでも救うためです。
福音のためなら、わたしはどんなことでもします。
それは、私が福音に共にあずかる者となるためです。



パウロ・・・・・凄い人です。 圧倒されます。
私は「神様の御用のために用いてください」といつも祈っていますが、少しでも負担になるとアレコレ言い訳をして
逃れようとする時があります。
人前で話すのが苦手(あがり症なのです・・・・)なので、そういう奉仕はなるべく(いつも)避けてしまいます。
ダメですね~ 



公園を歩いているとコンコンと木を啄く音 <アオゲラ>を見つけました。


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ユダの王ヨシヤ

2014-01-30 20:03:32 | 聖書
「歴代誌下」34章、35章にはヨシヤ王のことが記されています。

8歳で即位した彼は成年になると「宗教改革」を行い、列王記の記者からは「主の目にかなう正しいことを行い、
父祖ダビデの道をそのまま歩み、右にも左にもそれなかった」と非常に評価されました。

修復中の神殿から「律法の書」が発見されると、それに基づいてユダの国から偶像礼拝を一掃しました。
この書は、現在の申命記の中心部分だと考えられています。
礼拝所をエルサレムに集中するべきだと書かれていることに基づいて、ヨシヤはエルサレム以外の地方の聖所を閉鎖させました。

ヨシヤはユダ王国内での改革にとどまらず、かつてのダビデ王国の支配を回復すると言う思いに駆り立てられ、
当時アッシリア帝国の一つの州となっていた北イスラエルのベテルやサマリアにまで踏み入ってそこの偶像を取り除きました。
最期は、瀕死のアッシリアを助けようとしてパレスチナを通過していたエジプト軍を迎え撃とうとして、逆にファラオ・ネコに
撃ち破られ命を落としました。


この時代の預言者エレミヤはヨシヤの死を悼んで哀歌を作りました。
「男女すべての歌い手がその哀歌によってヨシヤを語り伝えるようになり、今日に至っている。それがイスラエルの定めとなり、
歌は「哀歌」に記されている。」(歴代誌下35:25)とあります。




川の水を飲みに来た<雀>です。
幼鳥はともかく、雀って意外と強面で恐い顔をしています。 (^-^)


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「幼な子のようになれ」

2014-01-29 22:22:16 | 「先週の講壇より」
  1月19日(日)礼拝説教の一部が「先週の講壇より」として週報に載りました。
  テキストは「列王記下」5章8節~14節 と 「マタイによる福音書」18章1節~5節 
  タイトルは「幼な子のようになれ」でした。

   

   説教の一部、そのエッセンスを読むだけでもナルホド、と思いますが、
   是非、上田先生の説教の全文をお読みください。
   美竹教会のホームページをクリックして「9.説教」を開いてお読みください。



   
   栴檀(せんだん)の実を丸呑みする<ヒヨドリ>です。
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ユダの王ヒゼキヤ

2014-01-28 19:40:56 | 聖書
「歴代誌下」29章から32章まではユダの王ヒゼキヤの記事です。

29章1節~2節
ヒゼキヤは二十五歳で王となり、二十九年間エルサレムで王位にあった。
その母は名をアビヤといい、ゼカルヤの娘であった。
彼は、父祖ダビデが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行った。



ヒゼキヤは治世の第1年の第1月に神殿修復を開始し、国内の偶像を破壊して宗教改革を断行した。
彼の時代は物質的に繁栄した時代だったが、政治的には困難な時代だった。

この時期、アッシリア帝国内では到る所で反乱が頻発し、バビロニアもメロダク・バルアダンのもとで独立を遂げた。
アッシリア王サルゴンの後継者センナケリブは東方の支配を固めねばならなかった。
このような状況の中で、ヒゼキヤ王はアッシリアへの朝貢を中止し、隷属関係を破棄することができたし、父王アハズが
エルサレムに導入することを強いられたアッシリアの偶像も排除することができた。
このため、彼は列王記の記者によって「イスラエルの神、主に依り頼んだ王、その後ユダの全ての王の中で彼のような王は無く、
また彼の前にもなかった」(列王記下18:5)と高く評価された。

しかしアッシリアは混乱が収まるとシリア・パレスチナの鎮圧を開始し、ユダの国にも侵入し、エルサレムを包囲した。
エルサレムは絶体絶命の危機に陥ったが、かろうじて危機を免れた。

これについては聖書に二つの伝承が保存されている。
ヒゼキヤが神殿と宮殿の倉庫の莫大な裁縫をアッシリアに収めて滅びを免れた、というものと
主の使いがアッシリア軍を滅ぼしてセンナケリブは退却したというもの。
後者は、アッシリア軍に疫病などの何らかの災害が起こったか、本国に政治的異変が起こって急遽退却せざるをえなかった、
という事が考えられる。

いずれにせよエルサレムが滅びを免れたことは事実で、エルサレムは不滅であるという迷信的信仰が広がったようである。

これ以後ユダは、再びアッシリアの属国となり、ヒゼキヤの後継者マナセとアモンは、ヒゼキヤが排除したアッシリアの偶像を
再びエルサレムに導入しなければならなかった。
  
↑ 解説は、樋口進著「よくわかる旧約聖書の歴史」よりの抜書です。



公園の<エナガ>です。 
そろそろ番になって巣を作り始めますが、今の時期は群れで行動しています。


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讃美歌502番「いともかしこし」

2014-01-27 23:14:58 | 讃美歌
昨日の礼拝で歌いました。

讃美歌502番 「いともかしこし」

1)いともかしこし イェスの恵み
  罪に死にたる 身をも活(い)かす
  主より賜(たまわ)る 天(あめ)の糧(かて)に
  飢えし心も 飽き足らいぬ
 
 繰り返し
  世にある限り 君の栄えと
  慈(いつく)しみとを 語り伝えん

2)救いの恵み 告ぐる我は
  楽しみあふれ 歌とぞなる
  滅びを出(い)でし この喜び
  普(あまね)く人に 得させまほし
 
 繰り返し

3)くすしき恵み 普く満ち
  あるに甲斐なき 我をも召し
  天つ世継ぎと なし給えば
  誰か洩(も)るべき 主の救いに
 繰り返し


↓ ネットにあった解説です。

福音唱歌中の傑作である。
歌詞は英国のカサリン・ハンキー(1834-1911)が彼女自身の詩“The Old, Old Story”から作詞したのもである。
実業家の娘として生れたカサリンは、宗教事業に深い関心を持ち特に外国伝道に力そそいだ。

米国でウイリアム・フィッシャーにより作曲されたこの曲が1874年に“Bliss, Gospel Song” に採用されてから
全米で愛唱されるようになり今日米国の代表的讃美歌の一つとなり、わが国でも明治時代から親しまれてきた。

ココをクリックすると讃美歌502番が聴けます。
歌っている女性の歌い方、元気が良くてとても素敵です、気に入りました。
私も礼拝ではこんな風に元気よく讃美歌を歌っているつもりですが、ギョッとするような美声(?)なので
近くの席の兄弟姉妹はなんと思っているでしょうね~ (^^;)



<シロハラ> 冬鳥として都市公園ではお馴染みの普通種ですが、
今シーズンはシロハラでも出会えると嬉しい・・・・・


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「御心に適った悲しみ」

2014-01-26 20:22:06 | 説教
今日の礼拝説教 テキストは「列王記下」20章1節~7節 と 「コリントの信徒への手紙二」7章10節
タイトルは「御心に適った悲しみ」でした。

物語は、死の病にかかり預言者イザヤを通して「あなたは死ぬことになっているから家族に遺言をしなさい」
という主の御言葉を告げられたユダの王ヒゼキヤの話です。

ヒゼキヤは顔を壁に向けて涙を流して「わたしがまことを尽くし、ひたむきな心を持って御前を歩み御目にかなう
善いことを行ってきたことを思い起こしてください。」と主に祈りました。
「わたしはあなたの祈りを聞き、涙を見た。 わたしはあなたをいやし、あなたは三日目に主の神殿に上れるだろう。
あなたの寿命を十五年延ばし、アッシリアの王の手からあなたとこの都を救い出す。
わたしはわたし自身のために、わが僕ダビデのために、この都を守り抜く」と主の言葉がすぐにイザヤに臨みました。
イザヤの言葉に従って干しいちじくを患部にあてるとヒゼキヤ王は回復しました。


ヒゼキヤはユダの王の中でも特別高く見られた王でした。
この物語を単なる奇跡物語ととることなく、ヒゼキヤの流した涙は悔い改めの涙であったことに注目したいと思います。

20章1節の「そのころ」とは、イスラエルがアッシリアから激しい攻撃を受けている時でした。
アッシリアは難攻不落と言われるエルサレムを取り囲んでいました。
それを目にしてヒゼキアは神に頼り切ることができずにシリアに貢物を運んだり、エジプトに援軍を頼んだりします。
アッシリア軍を前にしたヒゼキヤは神に祈りますが、その祈りは神に頼り切ることができないヒゼキヤの祈りでした。
ヒゼキヤの言葉、バビロンの使者への対応は弱い人間の限界でもありました。


しかし、死の病に侵された一人の弱い人間ヒゼキヤは泣きながらの祈りを通して、神の御心に沿うものに変えられ
永遠の救いにいれられました。
今日のテキストのポイントです。

神仏に頼ることは己の力を強めないものと日本の侍は思っていましたが、しかし、自分の力で何とかすることで
我々は思い上がってしまいます。
自分の力を過信し周囲への感謝も心に思うことがなくなります。

人間に悲しみはつきもので、そのことに泣くこともありますが、ヒゼキヤのように神に祈ること、それは神を信じることです。
一日一日を与えられているのは神の賜物で、人間(自分)の力だと思うのは間違いです。
自分が強いか弱いかは問題ではありません。 大切なのは神を主としているかどうかです。

哀しみも神の御心に沿ったものと考え祈り続けると、いつか神への感謝となります。
神はわたしたちを愛し、どんな祈りにも耳を傾けてくださいます。
限りなく憐み深く、十字架によって私たちの罪を贖ってくださった主イエスの御名によって祈る、その祈りを
神は心を込めて聞いてくださいます。

「ヒゼキヤは祈り、変えられた」のです。             (以上、文責はゆうゆうにあります。)



公園の<シジュウカラ> 
今シーズンははこんな普通種の野鳥も数少く、ちょっと不・気・味です。


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詩編116

2014-01-25 15:09:16 | 今日の聖句
詩編116篇

わたしは主を愛する。 
主は嘆き祈る声を聞き わたしに耳を傾けてくださる。
生涯、わたしは主を呼ぼう。

死の綱がわたしにからみつき 陰府の脅威にさらされ 苦しみと嘆きを前にして 主の御名をわたしは呼ぶ。
「どうか主よ、わたしの魂をお救いください。」

主は憐み深く、正義を行われる。
わたしたちの神は情け深い。
哀れな人を守ってくださる主は 弱り果てたわたしを救ってくださる。
わたしの魂よ、再び安らうがよい 主はお前に報いてくださる。

あなたはわたしの魂を死から わたしの目を涙から わたしの足を突き落そうとする者から 助け出してくださった。
命あるものの地にある限り わたしは主の御前に歩み続けよう。
わたしは信じる 「激しい苦しみに襲われている」と言うときも 不安がつのり、人は必ず欺く、と思うときも。

主はわたしに報いてくださった。
わたしはどのように答えようか。
救いの杯を上げて主の御名を呼び 満願の献げ物を主にささげよう 主の民すべての見守る前で。

主の慈しみに生きる人の死は主の目に価高い。
どうか主よ、わたしの縄目を解いてください。
わたしはあなたの僕。
わたしはあなたの僕、母もあなたに仕える者。
あなたに感謝のいけにえをささげよう。
主の御名を呼び 主に満願の献げ物をささげよう 主の民すべての見守る前で 主の家の庭で、エルサレムのただ中で。
ハレルヤ。



一応、大体 (^^;) 毎晩聖書を読むようにしています。
旧約聖書を約三章、新約聖書を一章、そしてお祈りの参考(?)に詩編を一章です。
今、旧約は「歴代誌下」、新約は「コリントの信徒への手紙一」を読んでいます。
新約聖書は毎日の生き方の規範というか、反省材料というか、を私に提供してくれます。
詩編は真剣な神への祈り、訴え、賛美、なのでしょうけれど、私には中々ピンとこない詩も多く、困ります。
一番、面白い(というと叱られるでしょうか)興味尽きないのは旧約の歴史、神とイスラエルの民との関わりです。

今日は詩編からの聖句を載せます。
「嘆き祈る私の声を聞き、わたしに耳を傾けてくださる主を、生涯呼ぼう」と私は願って、決めているからです。




冬らしい背景のなかの<翡翠(♂)>です。
背中はブルー、胸は真っ赤な柿の色、ピカピカの個体でした。


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明日の礼拝は午前10時半からです。 教会の扉を押して、どうぞ、ぜひお訪ねください。
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ユダの王ヨタム

2014-01-23 14:38:57 | 聖書
「歴代誌下」27章1節~6節 ユダの王ヨタム

ヨタムは二十五歳で王となり、十六年間ンエルサレムで王位にあった。
その母は名をエルシャといい、ツァドクの娘であった。
彼は、父ウジヤが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行った。
ただ主の神殿に入ることだけはしなかった。 民は依然として堕落していた。
彼は主の神殿の上の門を立て、オフェルの城壁に多くの工事を施し、ユダの山地に町を築き、森の中に城塞や塔を築いた。
かれはアンモン人の王と戦ってこれを征服した。
その年アンモン人は銀百キカル、小麦一万コル、大麦一万コルを献上してきた。
アンモン人は二年目も三男目もそうした。
ヨタムは主なる神の御前をたゆまず歩き続けたので、勢力を増すことができた。



10章でイスラエル王家が北イスラエルと南ユダに分裂したことが書かれていましたが、
その後、11章以降、レハブアムからずっとユダの王に関する記述が続きます。
主の目にかなう正しい行いをした王や、主の目に悪とみなされる行為しかしない王など様々な王がいます。
↑のヨタム王は主の目にかなう正しいことを行ったようです。

南ユダは、国土も勢力も北イスラエルよりは小さかったのですが、ダビデ王朝と主とエルサレムを受け継ぎ、
比較的安定した歴史を歩んだそうです。
それは、北イスラエルは、さらにその北のシリアと国境を接していたことでシリア(アラム人)との闘いが絶えず、
またメソポタミアの大国の侵略も受けやすかったが、ユダは南の側からはそれほど敵の攻撃が少なかったことにもより、
そのため北イスラエルが滅ぼされてなお135年生き延びたそうです。



公園の水場に居ついた<ルリビタキ(♂)>
暫く会いに行ってませんが、元気でしょうか。


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「必要を満たす神」

2014-01-22 20:59:13 | 「先週の講壇より」
1月12日(日)の礼拝説教の一部が「先週の講壇より」として週報に載りました。
説教のテキストは 「列王記下」4章1節~7節 「マタイによる福音書」6章25節~27節
タイトルは「必要を満たす神」でした。

  

  説教の全文は美竹教会ホームページの「9.説教集」に載っています。
  是非そちらをお読みください。



  
  <オナガ>
  ピラカンサの実を咥えて飛び立ったところが偶々撮れました。 (^-^)
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讃美歌339番 「君なるイエスよ」

2014-01-21 21:48:59 | 讃美歌
1月19日の礼拝で歌いました。

1) 君なるイエスよ、けがれし我を
   洗いきよめて めぐみを賜え
   わが日わが時 わがもの皆は
   今よりとわに 君のものなり

2) わが手は君の み業をならい
   われの歩みは み跡をふみて
   いそしみ進み 主の御力に
   常にたよりて 強からしめよ

3) われの舌をば すくにの主の
   恵みをうたう 器となして
   わがくちびるに よき音ずれを
   溢るるばかり 満たしめたまえ

4) 黄金しろがね 知恵も力も
   献げまつれば みな取り用い
   我のこころを 宝座(みくら)となして
   み旨のままに 治めたまえや

作詞者 Frances Ridley Havergal (1836-1879) は英国の宗教的詩人であり、讃美歌の作詞者でした。
彼女の作詞した讃美歌のなかでは この“Take my life and let it be” と “Thy life for me” の二つが
最もよく知られています。
彼女は讃美歌のメロディも書き、子供たちのためにも働きました。

彼女は英国国教会の家に生まれました。
父親は聖職者であり、作家、作曲家、讃美歌の作詞者でもありました。
彼女の弟はイングランド国教会の牧師であり、またオルガニストでした。
トロントには彼女の名にちなんだ私立女学校Havergal Collegeがあります。

彼女について、英語の記事はたくさんあります。
一つだけリンクを張っておきます、英語が得意な方はどうぞお読みください。

作曲者 Louis Joseph Ferdinand Herold については、Wikipediaの記事をお読みください。

ここをクリックすると讃美歌339番を聴くことができます。

今日の讃美歌の記事はなかなかまとまらず、大分時間がかかりました。
その割には、糊と鋏(コピー&ペースト)だけのブログ記事になってしまいました、残念。



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