ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「善悪の知識の木」の実を食べなかったら・・・

2018-10-24 22:46:56 | 今日の聖句
今日の聖句は「創世記」2章、3章からです。

02:07主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。
02:08主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。 02:09主なる神は、見るからに好ましく、
食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。

02:15主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。
02:16主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。
02:17ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」

03:01主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、
などと神は言われたのか。」 03:02女は蛇に答えた。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。
03:03でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様は
おっしゃいました。」 03:04蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。 03:05それを食べると、目が開け、神のように善悪を
知るものとなることを神はご存じなのだ。」 03:06女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように
唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。
03:07二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。

03:08その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、
03:09主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」 03:10彼は答えた。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、
恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」 03:11神は言われた。「お前が裸であることを誰が告げたのか。
取って食べるなと命じた木から食べたのか。」 03:12アダムは答えた。「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、
木から取って与えたので、食べました。」 03:13主なる神は女に向かって言われた。「何ということをしたのか。」女は答えた。
「蛇がだましたので、食べてしまいました。」 03:14主なる神は、蛇に向かって言われた。「このようなことをしたお前はあらゆる
家畜、あらゆる野の獣の中で呪われるものとなった。お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。
03:15お前と女、お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕きお前は彼のかかとを砕く。」

03:16神は女に向かって言われた。「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め
彼はお前を支配する。」 03:17神はアダムに向かって言われた。「お前は女の声に従い取って食べるなと命じた木から食べた。
お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。
03:18お前に対して土は茨とあざみを生えいでさせる。野の草を食べようとするお前に。
03:19お前は顔に汗を流してパンを得る土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」

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もしアダムとイヴが「善悪の知識の木」からその実を食べなかったら、神様は人間をどのようになさったでしょうか、
時々考えます。
創世記1章28節で神はご自分にかたどって創造された男と女を祝福して「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。
海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」と言われました。
地上での最強の力を神は人間に約束されました。

神の言葉を守り、禁じられた実を食べなかったら、神と人間の間の平安は保たれ、神を知る生き物人間として(貪欲、
貪りからは遠い)愛と平和に満ちた地球を作っていたのではないでしょうか。
「神を知って生きる」人間としてこの地球を美しく守っていたのではないでしょうか。
神を知る知恵を持って、歴史、文化、芸術を作り出し、時が来れば穏やかな死を与えられ、いま、人間が抱えている差別、貧困、
争い、虐待、老病死など、わたし達を取り巻くあらゆる苦しみから、神に守られて隔てられて過ごしていたのではないでしょうか。

神学、聖書の知識無く、ただただ日曜日は礼拝に出て、日々は聖書を読み、願い事ばかりの稚拙な祈りをしている、
素人信者ゆうゆうの夢想です。 (^-^) <(_ _)>
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「神を知る」

2018-10-13 21:16:30 | 今日の聖句
今日の聖句は「箴言」1章7節です。
1:7 主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ(箴言)

ネットで “Got Questions” というサイトに「神を知る」カギは何か、という質問と
それに対する答えがありました。大変参考になりました。

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質問: 神を本当に知る鍵は何ですか?

答え:今日、私たちは、知識を増やし、より多くを所有し、またより偉大な者になりたいという
自分の熱望を満足させるさまざまな方法の宣伝や約束に攻撃されていると言えます。
しかし、この世から来る空っぽな約束は、神を知ることで得られる満足のようには、絶対に
満足させてくれません。 イエスは言われました。
「永遠のいのちとは、彼らが唯一まことの神であるあなたと、あなたの遣わされた
イエス.キリストを知ることです。」(ヨハネ17:3)

第一に、人は罪深いので、自分自身で神を本当に知ることは不可能だということをどうしても
理解しなければなりません。聖書は、私たちは罪深いこと。(ローマ3章)
神と親しく交わるために要求されている水準に達するには程遠いことを教えています。
罪の結果は死であるとも教えています。(ローマ6:23)
イエスの十字架での犠牲の約束を受け入れて、罪の赦しを受け取らない限り、私たちは必ず
永遠に滅びるのです。
神を本当に知るためには、私たちはまず、キリストを私たちの人生に受け入れなくてはなりません。
「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子とされる特権を
お与えになった。」(ヨハネ1:12)
神を知ることに関して、この真理を理解することほど重要なことは他にありません。
イエスはイエスだけが天国へ行く道であり、神を個人的に知る方法だとはっきり言われました。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり
父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14:6).

以上の約束を受け入れること以外に神を知る旅路を始めるための条件はありません。
イエスはご自分を犠牲として提供することで、私たちにいのちを吹き込むために来られました。
そうして、私たちの罪が神を知るのを妨げないようになるのです。
一度この真理を受け入れれば、個人的に神を知る旅路を始めることができます。
この旅路において鍵となる要素は、聖書が神のことばであり、神ご自身、神の約束、神の意志の
啓示だということを理解することです。

聖書は本質的には、私たちを創造し、私たちに親しく神を知って欲しいと願っておられる
愛の神から、私たちに宛てられたラブレターなのです。私たちの創造主について学ぶためには
神のことばに自分を没頭することが一番良いやり方です。
この過程を人生の旅路に一生繰り返して続けることが重要なのです。
そして、神を本当に知るには、聖書で読んだことに従う覚悟がなければなりません。
私たちは、神がご自分を世に啓示し続けるという計画の一部として良い行いに励むために
造られたのですから。(エペソ2:10)
私たちには神を知るのに必要な信仰の道をこの世で眼に見える形で示す責任があります。
私たちは地の塩、世の光です。(マタイ5:13-14)この世に神の風味をつけ、暗闇の中で輝く
光 となるために、私たちは造られたのです。
私たちは、ただ神のことばを読んで理解するだけでなく、それを従順に生活に適用して忠実で
なくてはなりません。(へブル書12章)
イエスご自身も心を尽くし、精神を尽くして神を愛し、隣人を自分のように愛すことを最も
重要なこととされました。(マタイ22章)この命令に従うことは、聖書に啓示された真理を
よく読み、適用していくことに勤めなければ、不可能です。

本当に神を知るための鍵はいくつかあります。もちろん、もっと多くのことが伴いますが、
祈り、黙想、交わり、礼拝などです。
それらのことは、イエス.キリストを受け入れることから、私たちが自分で神を本当に知ることは
できないことを認めて、イエス.キリストを受け入れてから、始まります。
そうすれば、人生が神で満ち足りることができ、神を親しく知ることができるようになるのです。
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私の場合、神を知ることの第一歩は自分が神による被造物だ、ということを受け入れた時だったと思います。
神はすべてを統べたもう、ということを受け入れること。私は神様が作られた者、神は私の存在を知っていて
くださり、そのままで受け入れてくださる、そのことが私の救いで、何よりの心の平安でした。
「神を知る」ということがどういうことなのか、本当には私にはよくわかりません。
また、神様のみ心がどこにあるのか、何なのか、も私には本当には分かりません。
信仰の轍(わだち)から外れないように、聖書を読み、祈る生活のなかで、心の平安を保っています。
私にとって聖書はそのための最も大切な道標です。


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美竹教会で夕礼拝が始まります。(お知らせ)

2018-10-03 18:20:24 | 美竹教会
・ホームページに載っていますが、美竹教会では10月7日(日)から夕礼拝が始まります。 
 毎週日曜日、午後5時半から、場所は、1階の集会室です。

 厳しい週日のお仕事で日曜日の午前中は厳しい!という方や、仕事のシフトで午前中は
 無理という方、夜間の仕事の前に教会で静かなひと時を過ごしたい、という方などなど・・・・・ 
 ぜひ夕礼拝にお出かけください。
 10月7日の夕礼拝では聖餐式もいたします。

・美竹教会の協力牧師、浅原一泰先生の礼拝説教がホームページに載っています。
 「人生は思い通りになるか」という説教題で9月23日に説き明かされたものです。
 皆さま、どうぞお読みください。

・美竹教会は今年4月から、左近深恵子主任牧師に左近豊牧師、浅原一泰牧師が加わり、
 牧師三人体制なのですが、主日礼拝の説教も三人の先生が交代でみ言葉の説き明かしを
 してくださるという贅沢さ! (ア、これはゆうゆうの感想です(^-^))

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池の淵の藪に隠れるようにいました。
<翡翠(カワセミ)>です。
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