ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

栄華の終わり

2015-02-27 11:29:21 | 今日の聖句
旧約聖書は「列王記」を読み始めました。 いよいよソロモン王の登場です。

今日の聖句は 「列王記 上」 11章1節~13節 です。
ソロモン王は、ファラオの娘のほかにもモアブ人、アンモン人、エドム人、ヘト人など多くの
外国の女を愛した。 これらの諸国の民については、主がかつてイスラエルの人々に、
「あなたたちは彼らの中に入って行ってはならない。 彼らをあなたたちの中に入れてはならない。 
彼らは必ずあなたたちの心を迷わせ、彼らの神々に向かわせる」と仰せになったが、ソロモンは
彼女たちを愛してそのとりことなった。
彼には妻たち、すなわち七百人の王妃と三百人の側室がいた。 この妻たちが彼の心を迷わせた。
ソロモンが老境に入ったとき、彼女たちは王の心を迷わせ、他の神々に向かわせた。 こうして
彼の心は父ダビデの心とは異なり、自分の神、主と一つではなかった。

ソロモンは、シドン人の女神アシュトレト、アンモン人の憎むべき神ミルコムに従った。
ソロモンは主の目に悪とされることを行い、父ダビデのようには主に従い通さなかった。
そのころ、ソロモンは、モアブ人の憎むべき神ケモシュのために、エルサレムの東の山に聖なる
高台を築いた。 アンモン人の憎むべき神モレクのためにもそうした。 また、外国生まれの
妻たちすべてのためにも同様に行ったので、彼女らは、自分たちの神々に香をたき、いけにえをささげた。

ソロモンの心は迷い、イスラエルの神、主から離れたので、主は彼に対してお怒りになった。
主は二度も彼に現れ、他の神々に従ってはならないと戒められたが、ソロモンは主の戒めを守らなかった。
そこで、主は仰せになった。「あなたがこのようにふるまい、わたしがあなたに授けた契約と掟を
守らなかったゆえに、わたしはあなたから王国を裂いて取り上げ、あなたの家臣に渡す。 あなたが
生きている間は父ダビデのゆえにそうしないでおくが、あなたの息子の時代にはその手から王国を裂いて
取り上げる。 ただし、王国全部を裂いて取り上げることはしない。 わが僕ダビデのゆえに、私が選んだ
都エルサレムのゆえに、あなたの息子に一つの部族を与える。


サウルが油注がれ最初の王となり、ダビデが確立したイスラエル王国は、早くも滅びの宣告を
受けてしまいました。
諸国民と交わり、その女性を愛してとりことなり、彼女たちの関心を得るために彼女たちの
神々を祀り、高台を建てた“愚かな”ソロモン王。
「ソロモンの栄華」はソロモンで終わりです。


<ウグイス>の続きです。
日向に出てきました。 露出補正が間に合わず・・・・(T__T)
ここは個人のお宅の庭です。 
自宅に<ウグイス>が来るとはナント羨ましい~

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「キリスト教文化講演会」のお知らせ

2015-02-24 21:09:39 | その他
W・ブッゲルマンという聖書の旧約学の先生が書かれた「旧約聖書神学用語辞典」
という本の翻訳本が3月20日に出版されるそうです。 
美竹教会の牧師、左近豊先生が監訳者です。

↓ 下のご案内のように、左近先生がこの本の魅力やブッゲルマンの旧約学の魅力、
そして教会と旧約学の関係などについて講演なさるそうです。
興味のある方、ぜひぜひお出かけくださいませ!

  

左近先生、どんなお話をなさるのでしょうか。 
行ってみたいなぁ~と思うのですが、専門的な難しい話なのでしょうかね~。


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  今日も動き回る<ウグイス>の写真です。
  せっかくマンサクの花絡みなのに、ピントばっちりなのに
  尻尾が欠けました。  (T__T)
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讃美歌312番 「慈しみ深き」

2015-02-23 21:36:53 | 讃美歌
先週の礼拝で歌いました。

       "What a friend we have Jesus" written by Joseph M. Scriven
       「What a Friend」 by Charles Crozat Converse

 1) いつくしみ深き 友なるイェスは
    罪科(つみとが)憂いを 取り去り給う
    心の嘆きを 包まず述べて
    などかは下ろさぬ 負える重荷を

 2) いつくしみ深き 友なるイェスは
    我らの弱きを 知りて憐れむ
    悩み悲しみに 沈めるときも
    祈りに応えて 慰め給わん

 3) いつくしみ深き 友なるイェスは
    変わらぬ愛もて 導き給う
    世の友我らを 捨て去るときも
    祈りに応えて 労(いたわ)り給わん


世界的に愛唱される慰めの歌である。
原作者 Joseph M. Scriven(1819‐86)アイルランドで生まれダブリンのトリニテイ・カレッジを卒業後、カナダに渡り
オンタリオ付近の学校に教鞭をとった。 一生を不幸な人や貧しい人への奉仕に献げた。
この歌は彼が特別な悲しみに遭った時、母を慰めるために作ったもので、他人に見せる気はなかったと彼自身語っている。

讃美歌を数多く作り、或は編集した Ira David Sankey(1840-1908)によれば、その悲しみとは作者の許婚者が
結婚式の夕に溺死したことであったという。
一方、あるサイトには、海を隔てたアイルランド゛に住む母を慰めるために作詞したものとだけ記されている。

作曲者の Charles C. Converse(1832-1918 米国人)はドイツのライプチッヒで作曲法を専攻し、帰国後
弁護士を開業の傍ら幅広く作曲活動を行った。
“What a friend we have in Jesus”「いつくしみ深き 友なるイエスよ」のために作曲されたこの曲は、
その美しい民謡的な旋律により米国のみならず、全世界にまで広がって行った。
これは本来のゴスペル・ソングではなく、今日、米国各派の代表的賛美歌集も
“What a Friend”“Erie”(Converseが開業していた町の名前)“Converse”等の曲名でこの曲を収録している。
(以上、ネット解説からの引用です。)

ここをクリックすると讃美歌312番を聴くことができます。


日陰、日向と動き回る<ウグイス>
露出補正も追いつかず、手強い野鳥さんです。

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「委ねる祈り」

2015-02-22 21:15:17 | 説教 主の祈り
今日、2月22日の主日礼拝の説教 
テキストは「イザヤ書」55章8節~11節 「マルコによる福音書」14章32節~36節
タイトルは「委ねる祈り」でした。








公園に居ついたジョビオ君<ジョウビタキ(♂)>
すっかり慣れたのか手乗り状態まで近づけました。 (^-^)


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先週の水曜日(2月18日)から4月5日のイースターまで、受難節(レント)に入りました。
左近先生がアメリカで過ごされた町では受難節の始まる「灰の水曜日(Ash Wednesday)」の
昼過ぎには町の多くの人がおでこに黒い印を付けていたそうです。
受難節の主のみ苦しみを覚えるという意味で、灰の水曜日には近くの教会の昼の礼拝に出席して、
前年の「棕櫚の主日」に燃やした棕櫚の灰をおでこに付けてもらうのだそうです。
(今日の子供説教で話されたお話です。)
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讃美歌313番「この世のつとめ」

2015-02-19 17:09:47 | 讃美歌
先週の主日礼拝(2月15日)に歌いました。
讃美歌313番「この世のつとめ いとせわしく」 作詞:由木 康 作曲:津川 主一

 1)この世のつとめ いとせわしく
   人の声のみ しげきときに
   内なる宮に のがれてゆきて
   われは聞くなり 主のみ声を


 2)昔主イエスの 山に野べに
   人をば避けて 聞きたまいし
   いともとうとき み神の声
   今なおひびく わが心に


 3)主よさわがしき 世のちまたに
   われを忘れて いそしむまも
   ちさきみ声を 聞きわけうる
   しずけき心 あたえたまえ

原作者由木康氏(1896―)の作品は日本キリスト教団讃美歌委員会編纂の讃美歌集で
日本人による作詞としては一番多い。 又、数多くの歌詞も翻訳されている。
氏は、関西学院文学部をおえて、聖書と神学を学び、日本キリスト教団東中野教会牧師となった。
青山学院神学部その他で聖歌学を講ずる一方讃美歌の編纂に携わった。
この歌は、1930年、東京三井銀行本店に知人を訪ねた時、その人の出勤が遅くて1時間半も待たされ、
その間に大都会の騒音から厚い壁で遮断された応接室で祈りの心が満たされ、そこに備え付けてあった
レターペーパーにしたためたものである。

作曲者の津川主一(1896-1971)は東京麻布美普教会牧師を辞めた後、合唱運動に後半生をささげた。
自由学園、恵泉女学園、青山学院神学部、東京YMCAなどの講師をつとめていた。
東京オラトリオ、横浜オラトリオ、仙台オラトリオ、東京シンフォニック・コーラス、東京バッハ・ヘンデル協会
などを創設して、指揮者を務めた。
日本合唱連盟、関東合唱連盟常任理事、各合唱コンクールの審査員などされた。
音楽に関する著書や翻訳は多数に上る。        (以上、ネットからの引用です。)

讃美歌313番はここをクリックすると聴かれます。
ママと小さな子供たちの集会で歌われています。 (^-^)


公園の<ルリビタキ(♀)>です。


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ダビデの帰還 (「聖書事典」)

2015-02-17 21:54:10 | 聖書
  祭司ツァドクとアビアタル
  アマサ・・・ヨアブに替えてダビデの司令官となる
  バフリム出身のベニヤミン人、ゲラの子シムイ
  サウル家の従者であったツィバ
  ツェルヤの子アビシャイ
  サウルの孫、メフィボシェト(ツィバと地所を分け合う)
  ギレアド人バルジライ 
  その僕のキムハム(バルジライがダビデに紹介)
  ヨアブと弟のアビシャイ (ツェルヤの子)
  ベニヤミン人ビクリの息子シェバ (ならず者でダビデに反逆を企てた)

上に記した名前は「アブサロムの反乱」で都を逃れていたダビデ王が、反乱が収まりエルサレムへ戻る途中、
ヨルダン川を渡る王の前に、この時とばかり登場したたくさんの人々の名前です。(サム下19:10-20:1)
これらの人々はこれまで、「サムエル記 下」に登場したはずなのですが、どんな人だったのか、記憶が曖昧な上に、
ダビデ王との関係だけでなく相互の人間関係もはっきり理解できず、ウーム、本当に、どんな人だったっけ? 
そんな時に私が頼るのは「聖書事典」です。

アマサ  事典の解説より
「アブサロムの乱」の時に、アブサロムによって軍の長にされた。 ダビデの甥で最初はダビデの部下だった。 
「アブサロムの反乱」ではダビデに反逆したが、アブサロムの死後ダビデに赦されてその軍の長とされた。 
しかし従兄のヨアブに妬まれて、彼に剣でした腹を刺されて殺された。

へぇ~そうなの?
ダビデの甥で、ヨアブ(彼がダビデの軍の司令官だったような?)は従兄で、彼に妬まれて殺されたのか~、
初めて知ったような・・・・・でも解説、分かりやすい。

ツィバ  事典の解説より
サウル王の従者でたぶん自由人となっていて、多くの家族と奴隷を持っていた。
サウルの死後、孫のメフィボシェトに従い、その土地も管理するようダビデから命じられていた。 
「アブサロムの反乱」でダビデが逃れた時、食料を持ってダビデに従った。 
メフィボシェトを欺き、ダビデを迎えたので、ダビデはメフィボシエトの領土を没収しツィバに与えた。 
ダビデはエルサレム帰還の時にその真実を知り領土をツィバとメフィボシエトに分割するように命じた。

そうなんだ~、ツィバはメフィボシェトを欺いたのか~

キムハム  事典の解説より
ギレアド人バルジライの子。「アブサロムの反乱」の時に老父に代わってダビデの僕となった。(サム下19:37-40)

え~? サム下19:37-40を読んでも「僕」としか書いてないけど、キムハムはバルジライの子供なのか~

・・・・・・・・という感じで、頼りになります「聖書事典」
こんな風に一人一人の名前を事典で読んでいると面白くて時間を忘れてしまいます。


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『マンガ 聖書の時代の人々と暮らし』という本を買いました。
分かりやすくて面白くて楽しい本でした。
あまり面白いので教会のN氏にお貸ししたのですが、もう少し手元に置いて、ジックリ眺めたり
読んだりすればよかった。 いつ返って来るかなぁ・・・・・・ (^^;)
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「聖書の学び」Ⅲ 福音書について

2015-02-16 14:32:43 | 「聖書を学ぶ会」
  15日は「マタイによる福音書」についてお話を聞きました。

  四つの福音書は独自の切り口でイエスの行いと言葉を記していて少しずつ異なっている。
  マタイによる福音書は旧約にこだわった記述が多い。
  旧約聖書の成就者としてのイエスを描いている。
  例えば、イエス誕生の場面、ヘロデが幼子を殺させる場面、ヨハネとマリアの
  エジプトへの逃避行の場面等などで、旧約聖書に言及している。

  アブラハムは民族の祖先で、ダビデ王はユダヤ民族の中興の祖とも言える。
  ユダヤ民族にとって王とは地上における神の代理者であった。
  ダビデの星・・・イスラエルの国旗

  イエスの系図に登場する5人の女性についての話。
  系図は決して清く正しいだけではなく、その中には人間の弱い部分も含まれている。



  2月15日は“タマル”の話まで、でした。
  続きは再来週の主日(3月1日)の「学びの会」で話されます。 楽しみ!です。 


  集会室で礼拝前の「学びの会」
  とても楽しそうでしょ? エッ、そう見えない? (@@)
  こういう室内での写真は(も)難しくて苦手です。 (^^;)
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「到来する御国」

2015-02-15 22:18:02 | 説教 主の祈り
今日、2月15日の礼拝説教 です。
テキストは「イザヤ書」63章15節~19節 と「マルコによる福音書」1章14節~15節
タイトルは「到来する御国」でした。





  
  公園の<ウグイス>です。
  春も近づき、ウグイスも笹薮から表に出てくるようになりました。

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  どうぞ教会の扉を押して礼拝に集い、左近豊牧師の説教をライブでお聴きください!
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アブサロムの反逆

2015-02-11 21:54:18 | 今日の聖句
今日の聖句は 「サムエル記 下」 15章1節~6節 です。

その後、アブサロムは戦車と馬、ならびに五十人の護衛兵を自分のために整えた。
アブサロムは朝早く起き、城門への道の傍らに立った。
争いがあり、王に裁定を求めに来るものをだれかれなく呼び止めて、その出身地を尋ね、
「僕はイスラエル諸部族の一つに属しています」と答えると、アブサロムはその人に向かって
こう言うことにしていた。 「いいか。お前の訴えは正しいし、弁護できる。だがあの王の
下では聞いてくれるものはいない。」アブサロムは、こうも言った。 「わたしがこの地の
裁き人であれば、争い事や申し立てのある者を皆、正当に裁いてやれるのに。」 
また、彼に近づいて礼をする者があれば、手を差し伸べて彼を抱き、口づけした。
アブサロムは、王の裁定を求めてやって来るイスラエル人すべてにこのようにふるまい、
イスラエルの人々の心を盗み取った。


ウリヤの妻、バト・シェバを手に入れるためにダビデ王はウリヤを危険な戦いの最前線に
行かせるよう画策しウリヤを戦死させます。
預言者ナタンはダビデを非難する主の言葉を伝え、ダビデは神に懺悔します。
バト・シェバとダビデの間に生まれた最初の子は死にますが、その後、二人の間に
ソロモンが生まれました。
ダビデの子アムノンは、同じくダビデの子アブサロムの妹タマルを見初め、強引に
関係を持ちますが、何故か、その後、急速に愛が冷めてタマルを追い出します。
アブサロムは二年後にアムノンを殺し復讐を果たし、ダビデの元から逃れました。
軍の司令官ヨアブが執り成してアブサロムはダビデの元に戻り、何とか目通りが
かなうのですが、その後、↑上の聖句のようなことをして、どうやら15章では、
アブサロムはダビデに謀反を企てるようです・・・・・・

・・・・・と言うように、人間臭いドラマが次々と語られる「サムエル記 下」で、
この辺はさらさらと読んでゆけます。



公園の<エナガ>です。
日向や日陰、おかまいなく動き回る小鳥、露出補正が間に合いません。

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英語で「主の祈り」

2015-02-10 21:14:35 | その他
一昨日の説教で英語の「主の祈り」のことが話されました。
英語の主の祈り、私も唱えてみたいなぁ、と思いました。
調べてみると「主の祈り」のヴァリエーションは驚くほど多いことを知りました。

とりあえず、Authorized Version/King James Version, 1611 の「主の祈り」を
今夜から唱えてみることにいたします。 いつの間にか覚えてしまった、となることを願って。

 Our Father which art in heaven,
 Hallowed be thy name.
 Thy kingdom come,
 Thy will be done in earth,
 as it is in heaven.
 Give us this day our daily bread.
 And forgive us our debts,
 as we forgive our debtors.
 And lead us not into temptation,
 but deliver us from evil:
 For thine is the kingdom,
 and the power,  and the glory, for ever.
 Amen.

礼拝で左近先生が下のように語られたとき、私は目の覚めるような思いがしました。



祈りによって内なる自分が変えられる。祈りながら私たちはイエス・キリストに出会う。
私は今まで、何を考えて、誰を見つめて祈っていたのでしょう。
昨日から「主の祈り」を祈る時も、自分の言葉で祈る時も、それはとても充実した時間となりました。
今までも一生懸命祈っていたと思うのですが、何だったのでしょうね・・・・



公園で可愛い<ヤマガラ>を見ました。


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