ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「羊と山羊」

2017-03-25 20:44:23 | 説教
3月19日(日)受難節第3主日礼拝の説教
テキストは「マタイによる福音祖25章31節~40節
タイトルは「羊と山羊」でした。




 I長老によるこの日の子ども説教はトルストイの「靴屋のマルチン」のお話でした。
 子どもは勿論、私たち大人も感動のうちにお聞きしました。
 私の敬愛する合唱団の先生が「心が汚れて来たな~と思う時この話を読んで
 大量の涙を流すと自分が少しマシな人間になれた気がする」と言っていらしたのを
 思い出しました。そこで神様の愛に気づいてくださると更に良いのですが・・・・
 「靴屋のマルチン」の元のタイトルは「愛あるところに神あり」です。

 明日は日曜日、美竹教会の礼拝は午前10時半からです
 教会は初めてという方も是非お出かけください、お待ちしていま~す。

 美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。

 
 菜の花盛り、春ですね~
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2017年イースター礼拝

2017-03-20 22:18:08 | 美竹教会
  今年のイースターは4月16日(日)です。
  イースター礼拝のご案内ハガキができました。
  
  教会は初めて、という方も是非!お出かけください。
  東京は渋谷の美竹教会でお待ちしています。
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「再臨の信仰」

2017-03-18 20:52:07 | 説教
3月12日の主日礼拝の説教
テキストは「テサロニケの信徒への手紙一」4章15節~18節
タイトルは「再臨の信仰」でした。





今週はイースター礼拝のお知らせチラシやハガキ作りで忙しく、ブログ記事のアップが
おろそかになりました。またまたお説教原稿のみになりました。(言い訳です、スミマセン。)

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。


今シーズン初見初撮りの<ルリビタキ雄> そろそろ北に帰ります。
今週は一度しか公園に行けませんでしたが、この子に会えてラッキーでした。
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「福音の船出」

2017-03-11 16:41:55 | 説教
3月5日の主日礼拝の説教
テキストは「使徒言行録」16章6節~15節 タイトルは「福音の船出」でした。



説教で話されているY姉は、数年前教会に通い始めた私を親切に教え導いてくださった方です。
Y姉の病気回復、心の平安を毎日神様に祈らせていただいています。
すべての人が向き合わねばならない老病死。
神様にすべてをお委ねしているのですが、人間って本当に悲しいものだと実感します。

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。


少し前に撮りました、公園の白梅。
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ハイデルベルク信仰問答1

2017-03-09 13:01:28 | その他
ハイデルベルク信仰問答

問1 生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。
 
答 わたしがわたし自身のものではなく、
  身も魂も、生きるにも死ぬにも、
  わたしの真実な救い主
  イエス・キリストのものであることです。
  この方は御自分の尊い血をもって、
  わたしのすべての罪を完全に償い、
  悪魔のあらゆる力からわたしを解き放ってくださいました。
  また、天にいますわたしの父の御旨でなければ、
  髪の毛一本も頭から落ちることができないほどに、
  わたしを守ってくださいます。
  実に万事がわたしの益となるように働くのです。
  そうしてまた、御自身の聖霊によってわたしに永遠の命を保証し、
  今から後この方のために生きることを心から喜ぶように、
  またそれにふさわしいように整えてもくださるのです。


昨年5月に連れ合いを喪ってから、二、三か月は次々とこなさねばならない出来事も多く
気が張って元気にしていました。 三か月、四か月と経つうちに、一人で暮らす寂寥感、
孤独感、絶望感、喪失感に打ちのめされるようになりました。 
私を必要としている人は誰もいない、今、この時の私を知っている人は誰もいない、
底なし沼のような虚無感に襲われ、身の置き所がないパニック状態になりました。 
生きていることは苦痛でした。
その時の私のただ一つの救いは「私は私の命の主人ではない、私の命のご主人様は神様だ」
という信仰でした。 その時の私にとって、神様が私を生かしていてくださる、福音は
そのことだけでした。 その思いにすがるように日々を過ごし、少しずつ少しずつですが
激しい落ち込みから這い上がれるのではないかと希望が持てるような気持になってきています。
このような苦しみを知って(この齢になって)はじめて人間の孤独、寂寥、心の弱さを
心底実感できました。 苦しみのうちにある人の心に寄り添い、心から共感することが
できる気がしました。 これは神様から与えられた恵みでした。

先日、左近先生から「ハイデルベルク信仰問答」の問1を教えていただきました。
知らなかったということは恥ずかしいことでしたが、嬉しかったです。
まだ今は、主日礼拝に出ることしかできません。
今回のような経験を経てしまうと以前のように、ある意味、能天気でお気楽な自分に
戻ることはできないと思いますが、教会生活を続け神様に連なって祈り、最期の時まで
信仰の生涯を全うさせて頂きたいと願っています。 信仰があって本当に救われました。
今日は私の呟きでした。

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<アオジ> そろそろ山に戻る頃です。
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