ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「立ち上がり、歩きなさい」

2017-08-30 16:38:49 | 説教
8月27日の主日礼拝は「夏の伝道礼拝」ということで、説教は名古屋北教会の山田麻衣子牧師がなさいました。
麻衣子先生は教会学校時代から神学校、大学院ご卒業まで美竹教会で過ごされました。
神学校の前に音楽大学を卒業なさったヴァイオリニストでもあります。

説教のテキストは「使徒言行録」3章1節~10節
タイトルは「立ち上がり、歩きなさい」でした。

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自分のことにしか目が向かず周囲が見えず、自分の心を見つめるだけの私たちの日々、喜びが隣にある時、
私たちの苦しみは増します。
今日のテキストに描かれているのは闇から抜け出すことを諦めた男の姿です。
日常を維持することのみ考え、期待は小さく、望むことなどはできないと思っていた、神の恵みとは無関係と
思っていた、闇の中で自分の本当の望みが何であるか見失っていた男の話です。

礼拝に集う私たちも、礼拝でほんの少しばかり日常を忘れ、ほんの少しばかり信仰を強められ、ほんの少しばかり
平安が与えられる、ほんの少しばかり体調がよくなることを望みます。 
一見奥ゆかしい姿勢ですが、完全に癒されることを求めていない、私たちもまた神に期待することを諦めています。
私たちの日常は厳しいが、自分はその中で上手に生きていると思っています。
苦しみを取り繕っています。 そっとしておいてほしい、どうせ変わらないのだからと、自分の闇を深いところに
隠し持つようになっています。
そんな私たちを“じっと見る”ひとがいる・・・“あなたは今、何を求めているのか、私はあなたを知りたい、
出会いたいと思っている。あなたが本当に求めているものは何なのか”・・・・

私たちは自分はこの足の萎えた男ほどひどくはないと思っていますが、事実は私たちも根源を苦しめている痛みを
解決できていません。この男との比較ではないのです。
命の破れから解き放たれることを願っているが、目先のものではない根本的解決は得られていません。

6節の聖句は私たちにもむけて告げられているのです。
「キリストの名によって立ち上がりなさい」
キリストの名とはどれほどのものなのでしょう。キリストの名によって与えられる恵みに私たちは無頓着すぎます。
「あなたは生きなさい」という神からの愛のメッセージ。
私たちの心の破れに痛みに十字架が打ち立てられた
「あなたは立って生きなさい」神が立ち向かって働いてくださる。
十字架によって人間の悲惨さに対抗されたが、私たちには本当にそうだろうか、と疑う気持ちがあります。

回復の難しい状態にある私の母や先日亡くなった美竹教会の長老の方を考えるとき、人間の無力さを痛感します。
しかし、その時こそ「キリストの名によって立ち上がり歩きなさい」という神の意志を聞くことが許されているのです。
キリストの名によってという神の声を聞くことができる、命の終わりのその先にキリストの名による「命」がある、
この「命」という言葉は「復活」と同じ言葉が使われていますが、希望が見えなくなった時、復活の朝のように
私たちは立ち上がることが許されているのです。
信じて立ち上がった男が癒されたのは足だけではなく、奪われることのない命へと繋がれました。
悲しみが増えるその中での神の救いは完全です。
この男の話は私たち一人ひとり、すべてのものの話でもあるのです。

今日は説教のプリントはなかったので、久しぶりにメモをとりましたが、散漫なまとめになりました。 <(_ _)>
(文責はゆうゆうにあります。)
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苦しみから悩みからの解放、解決を神様に願う時、私は「御心ならば」とつけて祈ってしまうが、よいのだろうか? 
心底「御心ならば」と思っているのか、神様の御心は測りがたく人間の思いをはるか高く超えているので、
考えるのを諦めて、放棄して神様に委ねるなどと言っているのではないか? 
完全に癒されることを願って神により頼めば「悲しみの中にあっても神の救いは完全」なのだと信じたい、
いや、私は信じている、はず。


=麻衣子先生の子ども説教の要約=
私たちの名前のすぐ隣にイエス・キリストの名が刻まれている
私たちの名とともにイエス様はいつもいてくださる
苦しい時、悲しい時、虚しい時、そのことを思い出すように
どんなに大変な時も、主が傍にいてくださることに励まされ生きてゆくように

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
フェイスブックやツィッターもご覧ください。


今年も公園でオオタカが雛を孵したようです。
水場で水浴びをする<オオタカの幼鳥>です。

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「死の陰の谷」

2017-08-25 21:08:22 | 説教 使徒信条
8月20日の主日礼拝説教
テキストは「ペトロの手紙一」3章18節~19節 タイトルは「死の陰の谷」でした。






説教の中で左近牧師が話された平井長老のご子息の作品が
美竹教会のホームページの表紙に使われています。
このブログの記事「美竹教会HPリニューアル」でご紹介しました。
今、神様の御許で奥様とご子息の和穂さんと平安のうちに
過ごされていると信じています。
平井さん、しばらくお別れですね、神様の御許でまた会えますように。


暑さの所為か、公園の花々の元気もイマイチ。
<カノコユリ>が一つだけ咲いていました。
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迂闊な私の反省

2017-08-23 18:02:10 | 祈り
16年間病気と付き合い闘った夫の趣味は野鳥を撮ることで、亡くなる三か月前まで公園で
鳥撮りを楽しむことができました。
公園には同じように鳥撮りを楽しむ方が何人もいて、その皆さんとの情報交換やカメラや
自分の撮った野鳥写真の自慢話も楽しみでした。
今、私は独りで時々公園に出かけますが、心優しい鳥撮りカメラマンは夫がいた時と
同じように私に話しかけ、野鳥の情報などを教えてくれます。

今日も公園で翡翠を見ていると、お仲間だった鳥撮りさんから「俺、大腸がんで
手術した・・・・」と話しかけられました。
彼も私もいつ病気になっても不思議ではないことで、とても他人事とは思えません。
私は医学の進歩を話して、癌でも大丈夫、頑張れ!と励ましました。

家に戻って気が付いたのですが、なぜ私は彼に「神様にお祈りさせていただきますね」と
言うのを忘れたのでしょう!迂闊でした。
その一言は彼にとって大きな慰めになったはずです。自分の迂闊さが残念です。
次、公園で出会ったら「心安らかに過ごせますように私の神様にお祈りしています」と
必ず告げます。
今、彼のためにお祈りしています。


今年の八月はまるで梅雨時のように雨ばかりです。
公園で、かわいい「アマガエル」を撮りました。
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「キリストの苦しみ」

2017-08-18 16:29:32 | 説教 使徒信条
左近牧師は毎週、礼拝説教のプリントを作って、欲しい人は誰でもいただけるように
準備してくださっています。
私も感謝しながら毎週、説教プリントを家に持ち帰っているのですが、私が読むだけで
終わり、ではあまりに申し訳ないと思っていました。
開店休業中のブログですが、せめて、説教プリントだけでもアップして、
皆様に読んでいただきたいと思い、今回から載せることにいたしました。
左近牧師の説教だけのブログになってしまうかもしれません。 <(_ _)>
そのうち聖句なども載せられたら、と願っています。
それにしても、先週の日曜日の説教プリントのアップが今日、金曜日です。
やることが遅くてダメになりました、はぁ~・・・・・







公園にワンサカ! 「アレチカラスウリ」の花です。
夕暮れ時から開き始めます。この写真の撮影は夜です。
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