ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

讃美歌21 18番「心を高く上げよ!」

2018-07-18 14:24:19 | 讃美歌
先週の主日礼拝に歌いました。
美竹教会では、最近、時々「讃美歌21」の讃美歌を歌います。
初めて歌う讃美歌、大歓迎!です。

「“Lift up your hearts” we lift them, Lord, to Thee」
  by Henry M. Butler, 1833-1918
「SURSUM CORDA」 by Alfred M. Smith

 1 「こころを高くあげよ!」
   主のみ声にしたがい。
   ただ主のみを見あげて、
   こころを高くあげよう。
 2  霧のようなうれいも、
   やみのような恐れも、
   みなうしろに投げすて、
   こころを高くあげよう。
 3 主から受けたすべてを、
   ふたたび主にささげて、
   きよきみ名をほめつつ、
   こころを高くあげよう。
 4 おわりの日がきたなら、
   さばきの座を見あげて、
   わがちからのかぎりに、
   こころを高くあげよう。

英語原歌詞「Lift up your hearts!」をうまく日本語に訳し、主からの呼びかけの言葉となっている。
作詞者のヘンリー・M・バトラーはイギリス聖公会の司祭。作曲者は、アメリカ聖公会の司祭。
小節線にあまりこだわらずに、言葉を大切にしながら流れるように歌いましょう。
歌詞は、曲名にもなっているスルスム・コルダ(心を高く挙げなさい、ラテン語)は哀歌3:41「天にいます
神に向かって両手を上げ心も挙げて言おう」に基づいている。
カトリック教会では、昔から使われてきた言葉でミサや聖餐式のはじめに言われてきた言葉です。(ネットからの引用)

ここをクリックすると「讃美歌21 18番」を聴くことができます。
歌っている promusica さんのホームページをお訊ねすると実にたくさんの合唱がアップされていました。
合唱のすべてのパートをお一人で、何重唱も・・・・・
その音域の広さ、美しい声、何回も録音して重唱にしている技術と根気、感動しました。
皆さま、ここをクリックして promusica さんの美しい合唱をお楽しみください。

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
FacebookやTwitterもご覧ください。

<ヤブヤンマ>

「ヤンマのぶら下がり」を御存知ですか。
気温35度を超える日中、公園のヤンマたちは暑さを避けて樹々の梢の
てっぺんから下りてきて地面に近い低い梢にぶら下がります。
夕方、日が傾いて夕風が吹き始めると公園の池の上を飛び始めます。
「黄昏飛翔」と私は呼んでいます。
酷暑続きの毎日ですが、公園にはカメラを胸に下げてヤンマのぶら下がりを
探す虫撮りさんがきっといることでしょう。
残念ながら私はもう無理ですね~。  
トンボ撮りさん、熱中症に気を付けてよい写真を撮ってくださいね。
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ためらう、偉大なリーダー、モーセ

2018-07-06 11:50:54 | 聖書
旧約聖書は「出エジプト記」を読み始めました。
モーセは神から「虐げられているイスラエルの民をエジプトから救い出す」使命を果たすようにいい渡されるのですが、
アーダ、コーダと言って何とか神様の命令を逃れようとします。
以下は聖書からの抜き書きです。
ブログを読んでくださっているクリスチャンでない方、どうぞモーセのアーダ、コーダを一度お読みくださいませ。


モーセの召命 3章1節~20節

エジプトで人を殺してしまったモーセはミディアンの地に逃れ、しゅうとでありミディアンの祭司であるエトロの羊の群れを飼っていた。
あるとき、その群れを荒れ野の奥へ追って行き、神の山ホレブに来た。
そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。
この不思議な光景を見届けようと道をそれたモーセに神は柴の間から声をかけられた。
「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」 
モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆った。

主は言われた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、
その痛みを知った。わたしはエジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地、
カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む所へ彼らを導き上る。 今、行きなさい。
わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」

モーセは神に言った。「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから
導き出さねばならないのですか。」
そして神に訊ねた「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに
遣わされたのです』と言えば、彼らは『その名は一体何か』と問うにちがいありません。 彼らに何と答えるべきでしょうか。」
「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」
神は、更に続けてモーセに命じられた。「イスラエルの人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、
ヤコブの神である主がわたしをあなたたちのもとに遣わされた。
これこそ、とこしえにわたしの名
これこそ、世々にわたしの呼び名。

行って、イスラエルの長老たちを集め、言うがよい。『あなたたちの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である主がわたしに
現れて、こう言われた。わたしはあなたたちを顧み、あなたたちがエジプトで受けてきた仕打ちをつぶさに見た。
あなたたちを苦しみのエジプトから、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む乳と蜜の流れる土地へ
導き上ろうと決心した』と。 彼らはあなたの言葉に従うであろう。
あなたはイスラエルの長老たちを伴い、エジプト王のもとに行って彼に言いなさい。『ヘブライ人の神、主がわたしたちに出現されました。
どうか、今、三日の道のりを荒れ野に行かせて、わたしたちの神、主に犠牲をささげさせてください。』
わたしは、強い手を用いなければ、エジプト王が行かせないことを知っている。
わたしは自ら手を下しあらゆる驚くべき業をエジプトの中で行い、これを打つ。 その後初めて、王はあなたたちを去らせるであろう。」

使命に伴うしるし 4章1節~16節

モーセは逆らって、「それでも彼らは、『主がお前などに現れるはずがない』と言って、信用せず、わたしの言うことを聞かないでしょう」
と言うと、主はモーセの持っている杖を蛇に替えたり、彼の手を一時的に重い皮膚病に罹らせるというしるしを見せ、「たとえ、彼らが
あなたを信用せず、最初のしるしが告げることを聞かないとしても、後のしるしが告げることは信じる。 しかし、この二つのしるしの
どちらも信ぜず、またあなたの言うことも聞かないならば、ナイル川の水をくんできて乾いた地面にまくがよい。
川からくんできた水は地面で血に変わるであろう。」

それでもなお、モーセは主に言った。「ああ、主よ。わたしはもともと弁が立つ方ではありません。あなたが僕にお言葉をかけてくださった
今でもやはりそうです。全くわたしは口が重く、舌の重い者なのです。」
主は彼に言われた。「一体、誰が人間に口を与えたのか。一体、誰が口を利けないようにし、耳を聞こえないようにし、目を見えるようにし、
また見えなくするのか。主なるわたしではないか。このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう。」

モーセは、なおも言った。「ああ主よ。どうぞ、だれかほかの人を見つけてお遣わしください。」
主はついに、モーセに向かって怒りを発して言われた。「あなたにはレビ人アロンという兄弟がいるではないか。わたしは彼が雄弁なことを
知っている。彼によく話し、語るべき言葉を彼の口に託すがよい。わたしはあなたの口と共にあり、また彼の口と共にあって、あなたたちの
なすべきことを教えよう。彼はあなたに代わって民に語る。彼はあなたの口となり、あなたは彼に対して神の代わりとなる。
あなたはこの杖を手に取って、しるしを行うがよい。」

こうして最終的にモーセは(多分、しぶしぶ)神様の召命を受け入れることになりました。
モーセとアロンはエジプト王、ファラオとの交渉に入りますが、ファラオがこれまたアーダ、コーダと言ってイスラエル人を解放しようとしません。
モーセ(神)は次々とファラオとエジプトに災難(しるし)を与えるのですが、ファラオはなかなかギブアップせず、神の前にひざまずこうとしません。
その話も面白くて凄いのでそのうちブログに載せます。
結局、モーセは壮年男子だけで六十万人、女性、老人、子どもを合わせると多分、百万以上の人間、プラス家畜を引き連れてエジプトを脱出します。
その後も神に導かれて乳と蜜の流れるカナンの地に入るまでの40年間、イスラエルの民のリーダーとして砂漠を旅します。
そしてナント! モーセはカナンの地に入ることを許されずに最期を迎えます。
モーセは「出エジプト記」に続く「レビ記」「民数記」「申命記」で(延々と)様々な掟、神との契約などを整えます。
そしてモアブのピスガの山頂で、イスラエルの民がこれから渡ってゆくカナンのすべての町を見渡し、このモアブで死にます。(涙)
聖書、何度読んでも飽きることがありません。


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六月の夕暮れ、午後6時の公園。
右の光は沈む太陽です、「燃える柴」ではありません。 (^-^)
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