3月24日(日)の礼拝説教のプリントをいただきました。
テキストは「ルカによる福音書」 タイトルは「十字架につけよ」でした。
何事もなければ穏やかな日常を過ごし、隣人へのそこそこの愛情も持つ普通の人が臨界点を超えた時、
群衆、大衆としてブルドーザーのように周囲をなぎ倒し大きな力で一点に突き進む。恐ろしいことです。
私が十代、二十代の頃は世間にまだ戦後の名残があり、戦争責任や散華の思想を語ったりする熱気が
ありました。その頃の私は心の底から「戦中に大人でなくてよかった!」と思っていました。
食べ物が無いとか、空襲が恐ろしいということもありますが、何よりも自分が戦争という正気を
失わせるような異常事態にいなかったことが嬉しかった。もし、戦争という異常事態にあったら、
自分は敵である国を憎んだかも知れない、お国のためという名目に反する隣人を糾弾するかも知れない、
自分を見失い大きな力の中で拳を振り上げているかも知れない。
戦争でない状態の中で生きて行けること、加害者でなくいられる状態が本当に感謝でした。
説教をお聞きしてそんなことを思い出しました。
私はいつでも加害者になり得る・・・・
今も誰かの、何かの犠牲の上に生きている・・・・・
色々考えると人間でいるのは結構たいへん (;_;)
イエス様が十字架にかかられ、黄泉に下り、死に打ち勝って復活なさったのは神様のみ心でした。
信仰を与えられ、救いに招かれていること、心から感謝です。
美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
フェイスブックやツイッターもご覧ください。
<木瓜(ボケ)> 好きな花です。
テキストは「ルカによる福音書」 タイトルは「十字架につけよ」でした。
何事もなければ穏やかな日常を過ごし、隣人へのそこそこの愛情も持つ普通の人が臨界点を超えた時、
群衆、大衆としてブルドーザーのように周囲をなぎ倒し大きな力で一点に突き進む。恐ろしいことです。
私が十代、二十代の頃は世間にまだ戦後の名残があり、戦争責任や散華の思想を語ったりする熱気が
ありました。その頃の私は心の底から「戦中に大人でなくてよかった!」と思っていました。
食べ物が無いとか、空襲が恐ろしいということもありますが、何よりも自分が戦争という正気を
失わせるような異常事態にいなかったことが嬉しかった。もし、戦争という異常事態にあったら、
自分は敵である国を憎んだかも知れない、お国のためという名目に反する隣人を糾弾するかも知れない、
自分を見失い大きな力の中で拳を振り上げているかも知れない。
戦争でない状態の中で生きて行けること、加害者でなくいられる状態が本当に感謝でした。
説教をお聞きしてそんなことを思い出しました。
私はいつでも加害者になり得る・・・・
今も誰かの、何かの犠牲の上に生きている・・・・・
色々考えると人間でいるのは結構たいへん (;_;)
イエス様が十字架にかかられ、黄泉に下り、死に打ち勝って復活なさったのは神様のみ心でした。
信仰を与えられ、救いに招かれていること、心から感謝です。
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