ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「人口調査」

2013-08-30 12:15:03 | 今日の聖句
「民数記」を読み始めました。 「民数記」は第1章の「人口調査」から始まります。
イスラエルの人々がエジプトを出た翌年の第二の月の一日、神は臨在の幕屋でモーセに
「兵役に就くことの出来る二十歳以上の男子」の戸籍登録を命じました。
イスラエル十二の部族は、臨在に幕屋の周りに距離を置いて、それぞれの家系の印を描いた
旗を掲げて宿営するように命じられます。

東側の正面に宿営する者はユダの宿営の旗の下に部隊ごとに位置をとる
ユダ族     指導者 アミナダブの子ナフション 74,600人
イサカル族   指導者 ツァルの子ネタンエル   54,400人
ゼブルン族   指導者 ヘロンの子エリアブ    57,400人

南に宿営する者はルベンの宿営の旗の下に部隊ごとに位置をとる
ルベン族    指導者 シェデウルの子エリツル  46,500人
シメオン族   指導者 ツリシャダイの子シェルミエル 59,300人
ガド族     指導者 デウエルの子エルヤサフ  45,650人

西に宿営する者はエフライムの宿営の旗の下に部隊ごとに位置をとる
エフライム族  指導者 アミフドの子エリシャマ  40,500人
マナセ族    指導者 ベダツルの子ガムリエル  32,200人
ベニヤミン族  指導者 ギドオニの子アビダン   35,400人

北に宿営する者はダンの宿営の旗の下に部隊ごとに位置をとる
ダン族     指導者 アミシャダイの子アヒエゼル  62,700人
アシェル族   指導者 オクランの子パグイエル  41,500人
ナフタリ族   指導者 エナンの子アヒラ     53,400人

今日の聖句は 2章32節~34節です。
以上が家系に従って登録されたイスラエルの人々であり、部隊ごとに登録された宿営に
属する者の総数は六十万三千五百五十人である。
しかしレビ人は、主がモーセに命じられたように、イスラエルの人々と共に(は)登録されなかった。
イスラエルの人々は、すべて主がモーセに命じられたとおりに行い、それぞれの旗の下に宿営し、
またそれぞれの氏族ごとに、家系に従って行進した。




ハア~、凄かったでしょうね~
成人男子だけで六十万人以上、加えて女子、子ども、老人、多分百万人を超える
民族の大移動です、なんというスケール!
これだけの人数が神に守られて(無敵で)行進するのですから、周囲の国や部族が
脅威を感じて当然ですね。
イスラエルの民が飢えないよう、神はウズラやマナを降らせたのですが、
一体どれだけの量だったのでしょう。 (@_@;)



可愛い<カマキリ> (^-^)


美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
教会員は私も含めて高齢者が圧倒的に多い美竹教会です。
一年先、二年先を考えると不安になることがあります。
神さま、私たちが活き活きと伝道に励み、あなたの救いに与る方を一人でも多く
教会にお招きできるよう、働かせてください、アーメン。
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「・・・・わたしの契約を思い起こす」

2013-08-29 21:30:01 | 今日の聖句
今日の聖句は「レビ記」26章全体から抜き書きです。
「偶像を拝んではならない」という中見出しで、民の裏切りを諌めています。

3節~
あなたたちがわたしの掟に従って歩み、私の戒めを忠実に守るならば時期に応じて雨を与える。
それによって大地は作物をみのらせ、野の木は実をみのらせる。
穀物の収穫にはぶどうの収穫が続き、ぶどうの収穫には種まきが続いて、あなたたちは
食物に飽き足り、国のうちで平穏に暮らすことができる。
わたしはあなたたちを顧み、あなたたちに子を生ませ、その数をまし、あなたたちとわたしの契約を立てる。

14節~
しかし、わたしの言葉を聞かず、わたしの掟を捨て、わたしの法を捨て、何一つわたしの戒めに従わず、
わたしの契約を破るならば、わたしは必ずあなたたちにこうする。
あなたたちの上に恐怖を臨ませ、肺病、失明や衰弱をもたらす熱病にかからせる。
あなたたちは種をまいてもむなしい。 敵がそれを食べ尽くす。
あなたたちは敵に打ち破られ、あなたたちを憎む者に踏みにじられ逃げ去らねばならない。

18節~
このような目に遭ってもまだ、わたしの言葉を聞かないならばあなたたちの罪に七倍の罰を加えて懲らしめる。
天を鉄のようにし、地を赤銅のようにする。
それゆえ、あなたたちの努力はむなしく、地に作物は実らず、地上の木に実はならない。

21節~
それでも、まだわたしに反抗し、わたしの言葉を聞こうとしないならば、あなたたちの罪に七倍の災いを加える。
わたしの放った野獣があなたたちの子供を奪い取り、家畜を滅ぼし、あなたたちの数をへらす。 
街道は荒れ果てる。

23節~
それでも、まだわたしの懲らしめが分からず、反抗するならば、わたしもまた、あなたたちに立ち向かい、
あなたたちの罪に七倍の災いを下す。
戦争を引き起こし、あなたたちの間に疫病をはやらせ、あなたたちはついに敵の手に渡される。
十人の女たちがパンを焼くにもわずか一つのかまどで足りるほどで、あなたたちは食べても満腹することはない。

27節~
それでも、まだわたしの言葉を聞かず、反抗するならば、わたしは激しい怒りをもって立ち向かい、あなたたちの罪に
七倍の懲らしめを加える。
あなたたちは自分の息子や娘の肉を食べるようになる。
わたしはあなたたちの聖なる高台を破壊し、香炉台を打ち壊し、倒れた偶像の上にあなたたちの死体を捨てる。
わたしは国を荒らし、そこを占領した敵は、それを見て驚く。
あなたたちを異国に追い散らし、抜身の剣をもって後を追う。
あなたたちの内で生き残った者の心を敵の国々で怯えさせる。
彼らは風に舞う木の葉の音にも怯え、剣に追われる者のように逃げ、追う者もないのに倒れる。

40節~
しかし、もし自分と自分の先祖の罪、すなわち、わたしを欺いて、反抗した罪を告白するならば、もし、かたくなな心が
打ち砕かれ、罪の罰を心から受け入れるならば、そのとき、わたしはヤコブとのわたしの契約、イサクとのわたしの契約、
更にはアブラハムとのわたしの契約を思い起こす。



旧約聖書のイスラエルの民はここに書かれているように、何度も何度も神との契約に背き、他国、他部族の偶像を崇拝し、
神の怒りに触れ、最後にはバビロンの捕囚の憂き目にあったのでしょうね。
救いがたい民、と思うのは簡単ですが、振り返って今の地球上をみると、人間は夫々自分勝手なものに追い立てられ
(つまり偶像としている、ということですよね)神様の御顔を仰いでいません。
神様を知らない人々は仕方ありません。 しかし、神を知りながら、なお掟に背いている私たちの罪は「七倍返し」を
されても足りないほどでしょう。 恐ろしいことです。
世界全体のことなど、どうしたらよいのかは勿論、どんなふうに考えたらよいのかもわかりません。 
「罪深い私たちをお許しください、天になされるあなたの御心をこの地にもなさせたまえ」と祈るのみです。

私たちが悔い改めれば、神さまは「わたしの契約を思い起こす」と言ってくださっています。



夏もそろそろ終わりです。
<ショウジョウトンボ>の姿も見えなくなりました。


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神さまはどんな風に新しい方を教会に招いてくださるのでしょう。
新しい方を迎えるために、私はどれくらい真剣に神様に祈っているでしょう。反省するばかりです。
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「主の祝祭日」

2013-08-28 20:33:44 | 今日の聖句
「レビ記」23章は「主の祝祭日」として、イスラエルの民が世々限りなく守らねばならない聖なる日について、
神からモーセに伝えられ、モーセがイスラエルの人々の知らせたことの記述があります。
サラ~ッと読むと何も頭に残りませんのでメモをとってみました。

*******************************************************************
六日の間仕事をする。 
七日目はもっとも厳かな安息日であり聖なる集会の日である。(安息日) いかなる仕事もしてはならない。

第一の月の十四日の夕暮れは主の過越しである。

同じ月の十五日は主の除酵祭 七日の間、酵母を入れないパンを食べる。
その初日には聖なる集会を開く。 いかなる仕事もしてはならない。
七日の間、燃やして主にささげる献げ物を続け、七日目に聖なる集会を開く。
いかなる仕事もしてはならない

主が与える土地に入って穀物を収穫したら、初穂を祭司の下に携える。
祭司は安息日の翌日にそれを主に受け入れられるように御前に差し出す。
この日には、傷の無い一切の雄羊を焼き尽くす献げ物としてささげる。
それと共に穀物の献げ物、十分の二エファの上等の小麦粉にオリーブ油を混ぜたものを燃やして主にささげる宥めの香りとし、
さらに四分の一ヒンのぶどう酒をささげる。
この献げ物を神にささげるその日までは、パン、炒り麦。ひき割り麦を食べてはならない。

この安息日の翌日、すなわち、初穂を携えて奉納物とする日から数え始め、満七週間を経た翌日まで、五十日を数えたら、
主に新穀の献げ物をささげる。
各自の家から、十分の二エファの上等の小麦粉に酵母を入れて焼いたパン二個を携えて奉納物とする。
このパンのほかに、傷の無い一歳の雄の子羊を七匹、若い雄牛一等、雄羊二匹をささげる。
これは主に献げる焼き尽くす献げ物である。

また雄山羊一匹を贖罪の献げ物として、一歳の雄の子羊二匹を和解の献げ物として献げる。
祭司はこれらを初物のパンと共に奉納物として主の御前に差し出す。
二匹の雄の子羊は祭司のものとなる。

この日に集会を開く。これは聖なる集会である。 いかなる仕事もしてはならない。

第七の月の一日は安息の日として守り、角笛を吹き鳴らして、聖なる集会の日とする。
いかなる仕事もしてはならない。燃やして主に献げる献げ物を携える。

第七の月の十日は贖罪日。 聖なる集会を開く。
苦行をし、燃やして主にささげる献げ物を携える。 いかなる仕事もしてはならない。
主の御前に罪の贖いの儀式を行う日である。
この日に苦行をしない者は、民の中から断たれる。 この日はもっとも厳かな安息日であり、苦行をせねばならない。

この月の九日の夕暮れから翌日の夕暮れまでを安息日として安息しなさい。

第七の月の十五日から七日間の仮庵祭が始まる。
初日に聖なる集会を開きなさい。 いかなる仕事もしてはならない。
七日の間、燃やして主にささげる物をささげ続ける。
八日目には聖なる集会を開き、燃やして主にささげる物をささげる。

第七の月の十五日、農作物を収穫するときは、七日の間主の祭りを祝いなさい。
初日、八日目に安息の日を守りなさい。
初日には立派な木の実、なつめやしの葉、茂った木の枝、川柳の枝を取って来て主のみ前に七日の間、喜び祝う。
七日の間、仮庵に住まねばならない。
***********************************************************************


今日の聖句は「レビ記」23章43節~44節 です。
これは、わたしがイスラエルの人々をエジプトの国から導き出したとき、彼らを仮庵の住まわせたことを、
あなたたちの代々の人々が知るためである。
わたしはあなたたちの神、主である。 モーセは、以上の主の祝日のことをイスラエルの人々に告げた。




蝉(セミ) 種類は????? すみません。


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「永遠の命を得る」

2013-08-27 22:12:07 | 「先週の講壇より」
8月18日の礼拝説教の一部が「先週の講壇より」として週報に載りましたので転載いたします。
テキストは「ヨハネによる福音書」 3章16節~21節 タイトルは「永遠の命を得る」でした。



  説教の全文は美竹教会のホームページの「9 説教」でご覧になれます。
  ぜひお読みください。


  
  今日の写真はキバナコスモスに止まった<キアゲハ>です。
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讃美歌292番

2013-08-26 21:27:46 | 讃美歌
讃美歌292番 「はてしも知れぬ(Jesus, Saviour, pilot me)」

1) 果てしも知れぬ 浮世の海の
   浅瀬 荒波 巌(いわお)の中を
   主よ、水先の しるべし給え

2) 母の嬰児(みどりご) 眠らすごとく
   御声(みこえ)静かに 嵐を収め
   主よ、水先の しるべし給え

3) さし行く浜辺 間近くなりて
   磯打つ波の 逆巻くときも
   主よ、水先の しるべし給え

作詞者エドワード•ホッパー(Edward Hoper)は、1818年2月17日にニューヨーク市で生まれた。
彼の父親は商人で、彼の母は迫害されたフランスのプロテスタント、ユグノーの子孫だった。
1870年、“海と陸の教会”として知られているニューヨーク港の教会の牧師となったときに、彼の
聖職者としての最も実りある段階が始まった。
ここで、彼は自分の残りの人生を、多くの船乗りのために有効に使った。

Edward Hopper は、船乗りへの奉仕をしている時に海の男たちの精神的な支えのために
この讃美歌を書いた。 彼は残りの作品と同様に、この讃美歌も匿名で書いた。 
その後しばらくは、彼が船乗りたちの牧師であると同時に、船乗りたちが親しんでいる讃美歌の
作詞者だとは誰も知らなかった。
"Jesus, Saviour, Pilot Me" は現在までに出版されたほとんどすべての福音伝道のための
讃美歌集に含まれている。
この讃美歌は長い年月にわたって、真剣に彼らの人生における神の意志を知ろうとする若者にとって
特に意味ある讃美歌となっている。

ジョン•エドガー•グールド (John Edgar Gould 1821-1875)は、賛美歌の作曲家であり出版者であった。
メイン州のバンゴーで生まれ、アルジェリア旅行中に亡くなった。
グールドは、ニューヨークとフィラデルフィア(彼が住んでいた場所)にミュージックストアを経営していた。
作曲家ウィリアム•フィッシャーとの共同制作で讃美歌集を出版した。
彼は、エドワード•ホッパー作詞の人気の "Jesusu, Saviour, Pilot me“ を作曲したことでよく知られている。
                                    ・・・・・・・・ネットから転載です。

ここをクリックすると讃美歌292番「はてしも知れぬ(jesus, Saviour pilot me)」が聴けます。




夏の花、百日紅(サルスベリ)です。


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教会でフト心配に思うことがあります。
初めて教会にいらした方は教会の雰囲気になじめるでしょうか。御言葉の説き明かし(説教)は心にスッと浸み入るでしょうか。
でも、神さまは常に礼拝堂の中心にいてくださいます、私が心配することは何もありませんね。 (^-^)
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「呪いを祝福に変える神」

2013-08-25 23:03:55 | 説教
今日の礼拝説教 テキストは「民数記」22章22節~31節 タイトルは「呪いを祝福に変える神」でした。

ところが、彼が出発すると、神の怒りが燃え上がった。 主の御使いは彼を妨げる者となって、道に立ちふさがった。
バラムはろばに乗り、二人の若者を従えていた。 主の御使いが抜身の剣を手にして道に立ちふさがっているのを見たろばは、
道をそれて畑に踏み込んだ。 バラムはろばを打って、道に戻そうとした。 主の御使いは、ぶどう畑の間の狭い道に立っていた。
道の両側には石垣があった。 ろばは主の御使いを見て、石垣に体を押し付け、バラムの足も石垣に押し付けたので、
バラムはまた、ろばを打った。 主の御使いは更に進んできて、右にも左にもそれる余地のない狭い場所に立ちふさがった。 
ろばは主の御使いを見て、バラムを載せたままうずくまってしまった。 バラムは怒りを燃え上がらせ、ろばを杖で打った。
主がそのとき、ろばの口を開かれたので、ろばはバラムに言った。「わたしがあなたに何をしたというのですか。三度も私を打つとは。」
バラムはろばに言った。「お前が勝手なことをするからだ。 もし、私の手に剣があったら、即座に殺していただろう。」
ろばはバラムに言った。「わたしはあなたのろばですし、あなたは今日までずっと私に乗って来られたではありませんか。
今まであなたに、このようなことをしたことがあるでしょうか。」 彼は言った。「いや、なかった。」
主はこのとき、バラムの目を開かれた。 
彼は、主の御使いが抜身の剣を手にして、道に立ちふさがっているのを見た。 彼は身をかがめてひれ伏した。



バラムは異邦人でしたが、神ヤハウェを信じる人で、ヤハウェに祈ることも許されている預言者(占い師)でした。
彼は神に従おうとする気持ちと自分の欲望に従う二面性を持った人物、今の私たちに似たところのある人でした。

エジプトを出てカナンに向かうイスラエルの民は神に守られた強力な大集団で、道筋にある国々や部族にとっては非常な脅威であり、
恐ろしい存在でありました。
モアブのバラムも何とかイスラエルの民の脅威から逃れたくて、占い師、魔術師のバラクに大いなる報酬を約束して、イスラエルの
民を呪ってもらおうとしました。
バラむはモアブのバラクのもとに行くべきかどうかを神に祈りお伺いをたてました。
神は「わたしがあなたに告げることだけを行うなら彼らと共に行くがよい」とモアブのバラク王のもとに赴くことを赦されました。

神の許しを得たバラムは大手を振ってバラクのもとに行けるし、この世的な報酬も手に入ることだし、さぞ嬉しかったことでしょう。
この時点でバラムは神を忘れ、信仰は何処かに吹っ飛び、この世の富に目が移っていました。 
神の許しを受けてバラク王の招きに応じイスラエルを呪うために出かけたバラムは、神を上手くだましたつもりで、
さぞ自分を利口者だと高ぶっていたことでしょう。

神はその事に激しく怒られました。バラムこそ神に呪われるべき人間でした。
しかし、バラムは間一髪で救われたのです。
神をたてることも上手くやった。
神を愛していないのに自分は敬虔な信者だと信じる、神に従うふりをして本心ではしたがっていなかったバラムを
神が憐れまれたからです。
(私たちの日常もこのように罪深いものがあるのではないでしょうか。)

神の御使いがバラムの道を阻み、ロバが立ちどまり口をきくことによってバラムは初めて自分の愚かさと罪を自覚しました。
「主はこのとき、バラムの目を開かれた。」と聖書には書かれています。

私達も礼拝において心の目を開かれ、私達は神に背負われていることを知らされます。
イエスはこの時のろばのように、私達を背負い続けて下さっているのです。

                              ・・・・・・・・・・・・・以上、文責は”ゆうゆう”にあります。



夏の夕焼け空


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清いものと汚れたもの

2013-08-24 14:58:13 | 今日の聖句
「レビ記」11章には「清いものと汚れたものに関する規定」が記されています。

地上のあらゆる動物のうちで食べてよい生き物は、ひづめが分かれ、完全に割れており、しかも反芻するもの。
ラクダ、岩狸、野兎は、反芻するがひづめが分かれていないので食べてはいけない。
猪はひづめが分かれ完全に割れているが反芻しないので食べてはいけない。

水中の魚類 ひれ、うろこのあるものは、海のものでも川のものでもすべて食べてよい。
ひれやうろこのないものは、海のものでも川のものでも、その肉を食べてはならない。

鳥類のうち、次のものは汚らわしいものとして扱い、食べてはならない。
禿鷲、ひげ鷲、黒禿鷲、鳶、隼の類、カラスの類、ワシミミズク、コミミズク、トラフズク、鷹の類、
森フクロウ、魚ミミズク、オオコノハズク、コキンメフクロウ、コノハズク、ミサゴ、コウノトリ、アオサギの類、
ヤツガシラ鳥、こうもり。

昆虫 羽があり、四本の足で動き群れを成す昆虫はすべてけがらわしく食べてはならない。
ただし、地面を跳躍するのに適した後ろ肢をもつものは食べてよい。
すなわち、イナゴの類、羽ながいなごの類、大いなごの類、小いなごの類は食べてよい。

地上を這う爬虫類 すべて汚らわしいものである。
腹で這う者、四本ないし更に多くの足で歩くものなど、地上を這う爬虫類はすべて食べてはならない。
もぐらねずみ、とびねずみ、とげ尾とかげの類、やもり、大とかげ、くすりとかげ、カメレオン、
以上は爬虫類の中で汚れたものであり、その死骸に触れる者はすべて夕方まで汚れる。

12章には「出産についての規定」13章には「皮膚病と黴」について記されています。

皮膚病に関しては、どのような皮膚病が汚れていて、どのようになったら清いか、どれくらいの経過観察が
必要であるかなどが事細かに、3ページに亘って延々と記述されています。
当時、皮膚病はポピュラーで厄介な病気だったのでしょうかね。 皮膚病に関する診断はすべて祭司の任務だったようです。


今日の聖句は「レビ記」13章47節~ ・・・・・・・
衣服にかびが生じた場合、羊毛や亜麻の衣服でも、亜麻や羊毛の織り糸でも、あるいは皮やどのような革製品でも、
青カビか赤カビが、衣服か、皮か、織り糸か、どのような革製品かに生じたならば、それはカビの繁殖によるもの
であるから、祭祀に見せなければならない。
祭祀はそれを調べてから、一週間隔離する。七日目に再び調べた結果、カビがその衣服や織り糸や、あるいは皮や
皮が用いられているすべての製品に広がっているならば、それは悪性のカビであって、汚れている。・・・・・・


この後もカビの広がり具合など、祭司が調べる事柄が細かく記されています。 祭司は大忙し、ですね。 (^-^)



今日の写真は汚れた鳥とされていた<ワシミミズク>です。
ペットとして飼っている方が時々公園に散歩に連れてきます。
羽を広げると1m以上、綺麗でおとなしい可愛い鳥です。 (^-^)


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明日は主日礼拝、午前10時半から始まります。教会の扉を開けてお訪ねください。
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讃美歌259番

2013-08-23 20:55:27 | 讃美歌
讃美歌259番 (先週の礼拝で歌いました。)

1) 天(あめ)なる主イエスの こよなき愛は、
   かよわき心の 隠れ家なれや。
   責めと恥との 十字架を偲び、
   わが罪咎(つみとが)をば あがない給う。

2) 恵みに背ける 我をもすてず、
   主イエスは血汐の 功(いさお)によりて、
   この身の汚れ ことごと潔(きよ)め、
   つきせぬ生命(いのち)と 安きをたまう。

3) あおぐも畏(かしこ)き、 わが主の前に
   燃立つばかりの 愛もてつかえ、
   うきも悩みも み旨にゆだね、
   天なるつかいと 共にぞ歌わん。

4) 十字架の恵みに 喜びあふれ、
   涙にむせびて み許にはべり、
   世に勝ちませる 主イエスを称え、
   輝くみさかえ 仰がせたまえ

この曲の旋律は古くからオランダに伝わっている民謡の旋律で、典型的なオランダ民謡の気分をあらわしている。
1710-1716年ころオランダで出版された 「古今のオランダの農民歌謡とカントリーダンス曲集, vol. 2」に
収録され(歌詞は付いていなかった)1897年にオランダの作曲家ユリウス・レントヘン(Julius Röntgen  1855-1932)が
ピアノ曲に編曲をした。
これが讃美歌の曲として現在の和声を以って始めて現れたのは、1906年の”The English Hymnal”の中であった。
爾来この曲は,色々の歌詞が付けられて英国で普及した。

作詞は、宗教改革前の改革者といわれるGirolamo Savonarola(1452-1498 イタリア)である。
彼は修道院に身を置いたが、当時の社会と教会との堕落を黙示することができず、為政者と民衆との罪悪を公然と責め、
ついに教皇の忌諱にふれて焚殺の刑に処せられた。
                        
            ・・・・・・・・・・・・・いつものように解説↑はネットから転載させていただきました。

作詞者のジロラモ・サヴォナローラという人は堕落した社会、教会を身を挺して糾弾したのですね。
信仰のために命を懸けるという勇気に感動します、そして自分の生温い信仰を反省いたします。
考えてみると、現在の人間社会はそれぞれが勝手気ままに己の偶像(富、名誉、権力から各人の小さなこだわりまで)を崇拝し、
それに縛られ支配されているとも見えます。 
私も様々な思いや欲望に振り回される日々で、神さまの怒りが下りませんように「お許しください」と祈る毎日です。

少し控えめな音ですが、讃美歌259番の歌声がYouTubeに載っていました、どうぞお聴きください。




公園の<カラスウリの花>
夕方から夜にかけてレースのように花が広がります。


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教会で、礼拝でご一緒に大きな声で讃美歌を歌いましょう、気分いいですよ~ (^-^)
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献げ物

2013-08-22 14:16:05 | 今日の聖句
レビ記1章~5章までの「献げ物」の記事、ダラダラと読んでいるとまったく頭に入りません。
簡単にメモしてみました。やっぱり頭には残りませんデスネ。
主なる神、ヤハウェへの献げ物のささげ方も面倒な決まり(契約)がありました。
仏教や神道などなど、他の宗教もきっと祭祀に関する決まりは細かくあるのでしょうね。

今日の聖句は「レビ記」7章37節~38節
以上は焼き尽くす献げ物、穀物の献げ物、贖罪の献げ物、賠償の献げ物、任職の献げ物についての
指示であって、主がシナイ山においてモーセに命じられたものである。
主はこの日、シナイの荒れ野において、イスラエルの人々に以上の献げ物を主にささげよと
命じられたのである。


6章~7章は「各種の献げ物の施行細則」でした。


焼き尽くす献げ物  牛(無傷の雄) 羊または山羊(無傷の雄) 鳥(山鳩または家鳩)
   血を臨在の幕屋の入り口の祭壇の四つの側面に注ぎかける
   牛または山羊は皮をはぎ、体を分割して頭、脂肪、内臓、四肢のすべてを燃やして煙にする


穀物の献げ物  上等の小麦粉(オリーブ油を注ぎ 乳香を載せる)
        ・かまどで焼いて献げる場合:酵母を使わない:オリーブ油を混ぜて焼いた上等の
         小麦粉の輪型のパンかオリーブ油会を塗った酵母を入れない薄焼きパン
        ・鉄板で焼いて献げる場合:酵母を使わず、上等の小麦粉にオリーブ油を混ぜ、
         いくつかの塊に分け、その上にオリーブ油を注ぐ
        ・平鍋で蒸した場合:上等の小麦粉にオリーブ油を混ぜて作る
   祭司はこの穀物の一部をとりわけ、しるしとして祭壇で燃やして煙にする
   残りはアロンとその子らのもの


和解の献げ物  牛であれば雄であれ雌であれ無傷の牛 内臓の脂肪        
                羊、山羊 雄であれ雌であれ無傷のもの 内臓の脂肪
   脂肪はすべて主のもので、脂肪と血は決して食べてはならない


贖罪の献げ物
   ・油注がれた祭司が罪を犯したとき 無傷の若い雄牛)
    油注がれた祭司は臨在の幕屋に入り、指を牛の血に浸して、聖なる垂れ幕の前で主の御前に七度振りまく。
    次に血を臨在の幕屋の中にある香をたく祭壇の四隅の角(つの)に塗る。 
    残りの血は全部、臨在の幕屋の入り口にある焼き尽くす献げ物の祭壇の基に流す。
   ・イスラエルの共同体全体が過ちを犯した場合 若い雄牛
    油注がれた祭司は牛の血を指に浸して垂れ幕の前で主の御前に七度ふりまく。
    次に血を臨在の幕屋の中にある香をたく祭壇の四隅の角(つの)に塗る。 
    残りの血は全部、臨在の幕屋の入り口にある焼き尽くす献げ物の祭壇の基に流す。
   ・共同体の代表者が罪を犯した場合 無傷の雄山羊
    祭司は献げ物とする雄山羊の血を指に付けて、焼き尽くす献げ物の祭壇の四隅の角に塗り、
    残りの血はその祭壇の基に流す。
   ・一般の人の誰かが誤って罪を犯した場合 無傷の雌山羊
    祭司は献げ物とする雄山羊の血を指に付けて、焼き尽くす献げ物の祭壇の四隅の角に塗り、
    残りの血はその祭壇の基に流す。


    罪を見たのにそれを告げずにいる者 汚れたものに気づかずにふれた人 軽はずみな誓い
    を立てたとき  雌羊または雌山羊 (貧しくて羊や山羊に手が届かない場合は二羽の
    山鳩または二羽の家鳩を 一羽を贖罪の献げ物、もう一羽を焼き尽くす献げ物として献げる)
    貧しくて二羽の山鳩にも二羽の家鳩にも手が届かない場合は小麦粉十分の一エファを贖
    罪のささげものとする。


賠償の献げ物
   ・主にささげるべき奉納物を誤ってささげず主を欺いた場合
    聖所で定められた支払額に相当する無傷の雄羊をささげ、さらに五分の一の割り増
    し分を加える。
   ・禁じられている主の戒めを一つでも破った場合
    相当額の無傷の雄羊の群れから賠償の献げ物をする
   ・預かりもの、共同出資品、紛失物、盗品の着用または横領
    すべてを完全に賠償し、されにそれらの五分の一を追加する


任職の献げ物
    アロンが油注がれて職に任ぜられる日、アロンとその子らが主に献げる献げ物
    上等の小麦粉十分の一エファを日ごとの献げものとし、半分を朝、残り半分を夕方献げる





公園の<オオタカ雛> もう巣離れしたことでしょう。


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人身犠牲

2013-08-20 15:41:17 | 今日の聖句
「レビ記」はまず、第1章「焼き尽くす献げ物」から第7章までの、献げ物に関する記述で始まっています。

「聖書事典」はレビ記の構成を 1章~7章は(犠牲に関する法) 8章~10章(祭司の制度) 
11章~16章(汚れとその処置) 17章~26章(神聖法集)とまとめています。

第1章の「焼き尽くす献げ物」というのは古代のもっとも一般的な犠牲だったそうで、犠牲の動物が祭壇の
神聖な火によって焼き尽くされ、犠牲の全部が天に上り、礼拝者の魂が神に向かって上りゆくことを象徴するものでした。
早期には人身犠牲によって行われたものでしたが、後代には動物犠牲に置き換えられた、そうです。


人身犠牲についての記述を読みました。今日の聖句として載せます。

「創世記」22章2節
神は命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。
わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」


「士師記」11章31節
わたしがアンモン人との闘いから無事に帰るとき、私の家の戸口から私を迎えに出てくるものを主のものと致します。
わたしはその者を、焼き尽くす献げ物と致します。


「エレミヤ記」19章5節
彼らはバアルのために聖なる高台を築き、息子たちを火で焼き、焼き尽くす献げ物としてバアルにささげた。




昨年の8月に撮った公園の<アオゲラ>です。
今年は暑くて暑くて、ほとんど公園に行けません。 (T__T)



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生きていることに意味を見いだせず、空しく寂しい自分の人生を思い、後ろ向きな暗い思いに囚われるのはナント簡単なことでしょう。
神さまが私のような者でも召していてくださるという信仰が無かったら、私はどんな毎日を送っていたことでしょう。
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