ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

修養会、感謝でした。

2022-12-05 18:10:06 | 美竹教会
須田先生が礼拝でなされた説教は、神様の恵みが心に染み渡るようなお話でした。
神様は一人ひとりを見ていてくださり、誰のことも見捨てることはなさらない。
信仰を与えられていること、神様が選んでくださったことをあらためて感謝いたしました。
分かりやすくて希望に溢れ、福音が礼拝堂に満ち溢れているようでした。

午後の修養会。
私は会計のお手伝いをしてからの参加でしたので、須田先生の講演は後半しか伺えず、
残念でした。

参加者が三つの班に分かれての分団。
教会員の方々と近々とお話できることがこんなにも心温まることだとは!
コロナの前は当たり前の光景だったのですよね。
平凡に過ぎゆく日常がどんなに有り難いものか実感して胸が熱くなりました。

須田先生が三分団を回って質問への回答?などを話してくださいました。
私の分団の方が四つ質問をされました。
使徒信条から「生けるものと死ねるものを審きたまわん」と「公同の教会」について
もう一つは何か・・・・(忘れました <(_ _)>)
それと主の祈りから「我らが罪を許す如く、我らの罪をも赦し給え」について
須田先生からの解説をお聞きしてスッキリ (多分) いたしました。

左近豊牧師が終わりの祈りと、須田先生への心からの感謝を述べて会は終わりました。
修養会、感激いたしました。 


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   秋は過ぎ、いよいよ冬の到来ですね。
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教会の修養会

2022-11-27 16:10:33 | 美竹教会

今日からアドベントに入り、礼拝堂講壇の蝋燭一本目が灯されました。

お知らせです。 来週、教会修養会が開催されます。

遥か昔、二十代初めに教会を離れる前、何回か教会修養会に参加した記憶があります。

何十年もの長い放蕩息子状態から立ち帰って美竹教会に戻ってからは、初めての修養会です。

「分団の時間」何をするのかな~ ちょっとドキドキ・・・・

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     公園の<イイギリ> 赤と緑、なんとなくクリスマス (^^)

 

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お話の会「カウンセラーに聞く」

2022-11-09 18:16:12 | 美竹教会

お知らせです。

お話しなさる 小嶋リベカさんは日曜日の礼拝の時、いつも私の後ろの席です。(^^)

 

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聖書探訪 イザヤ書から・・・

2022-01-22 13:44:50 | 美竹教会
今年初めての「聖書探訪」に参加しました。
感染力の強いオミクロン株の広がりの中で、今年も Zoom ネットミーティングです。
は左近深恵子先生が用意してくださったレジュメです。 ()内は新しい聖書の訳だそうです。


  2022年1月20日 聖書探訪 預言書を食べ、味わう 
  第10回 イザヤ43:1~7  讃美歌♫ 191番
  43:1~7章 ヤハウェのイスラエルに対する決定的な愛
  42:18~25に反して「しかし今や・・」と始め、新しい時の到来を告げる。

1~4節
  1節 (しかし)ヤコブよ、あなたを創造された主は
     イスラエルよ、あなたを造られた主は(あなたを形づくられた方 主は)
     今、こう言われる。
     恐れるな、わたしはあなたを贖う(私があなたを贖った)。
     あなたはわたしのもの。
     わたしはあなたの名を呼ぶ(呼んだ)。
  2節 (あなたが)水の中を通る(渡る)ときも、わたしはあなたと共にいる。
     大河の中を通っても(川の中でも)、
     あなたは押し流されない(川はあなたを押し流さない)。
     火の中を歩いても、(あなたは)焼かれず
     炎はあなたに燃えつかない(炎もあなたに燃え移らない)。
  3節  わたしは主、あなたの神
     イスラエルの聖なる神(者)、あなたの救い主。
     わたしはエジプトをあなたの身代金とし
     クシュとセバをあなたの代償(代わり)とする。
  4節  わたしの目にあなたは値高く、貴く(あなたは私の目に貴く、重んじられる。)
      わたしはあなたを愛し(愛するゆえに)
      あなたの身代わりとして人を与え(人をあなたの代わりに)
      国々をあなたの魂の代わりとする(諸国の民をあなたの命の代わりに与える。

1節
恐れるな
語り手はイスラエルの創造主(造り手)であり、世界の創造主(造り手)である。
「恐れるな」の根拠は、主がイスラエルを「贖う」から。
贖う
元は家族の強いメンバーが弱いメンバーを保証するための介入。
大きな危険や危機の時代において重要な力。
わたしはあなたの名を呼ぶ(呼んだ)第二の保証。
おそらく、養子縁組の定式。イスラエルは今や神に属し、大切にされている。

2節
創造主との関係は、どんな危険な状況下でも助けとなる。火と水が総じて自然の危険を代表することは、
詩編66:12と同じ。
洪水の水の脅威は出エジプトの水を連想させる。
全体から見れば捕囚地から故国への道を意味していることは明らか。
→洗礼

3節
1節bの「あなたはわたしのもの」に加え、「わたしは主、あなたの神」(3節a)は「わたしはあなたと共にいる」(5節a)
という言葉と共に根拠づける。恒常的な関係を表している。「わたしは主、あなたの神」は、
十戒の第一戒の導入部と同じ(出エジプト20:2)。

3節b~4節
「イスラエルの聖なる神(者)」が、共同体のメンバーの解放と帰還を確保するために、代償を用いる。
このイメージは囚人の交換、あるいは奴隷の交換を示唆。なぜなら散らされたユダヤ人は「私の目に値高く、
貴く」、「私はあなたを愛し」ているから。
※「クシュ」はエチオピア、「セバ」はその南の地域
〇マルコ10:45「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人の身代金として自分の命を
捧げるために来たのである。」
ご自分の民をここまで大切にされ、愛される。

「わたしの目に値高く、貴く」、「わたしはあなたを愛し」ているという根拠が、神の世に対する介入の只中に
置かれている。これを創造主が語る。
「神の民がこのような慈しみから来る救いの約束を聞き、それを受け入れるならば、その救いが遂行されることは、
もはや決して不思議な出来事ではありえない。そのときイスラエルは、本当に大河の流れを通り抜け、火の中を
歩くことができるのだし、彼らを帰還に導く政治の激動の中で、そのような神が働いていることを、本当に
見ることができるのである。」(ヴェスターマン)

5~7節 
  5節 恐れるな、わたしはあなたと共にいる。
     わたしは東からあなたの子孫を連れ帰り(連れて来させ)
     西からあなたを集める。
  6節  北に向かっては、行かせよ、と(「差し出せ」と言う)南に向かっては、引き止めるな、と言う。      
     私の息子たちを遠くから
     娘たちを地の果てから連れ帰れ、と言う(連れて来させよ)。
  7節  彼らは(それは)皆、わたしの名によって呼ばれる者。
     わたしの栄光のために創造し
     形づくり、完成した者(私が造り上げた者)。

「恐れるな」の繰り返し(5節)。
散った人たちを集めるイメージ→聖餐(ルカ13:29参照)。
ここでは、創造主の働きと歴史の主の働きが一つのものとして見られている。
神は四つの方角にイスラエルを引き渡し、連れ戻すよう命令する。これらの方角は、散らされたイスラエルの
帰還を妨げる政治的権力を意味している(ヴェスターマン)。
締めくくりの7節は、「わたしの栄光のために」と、救いのわざの目標を指し示している。
最終目標は、イスラエルを高くすることではなく、神の栄光にある。

〇自分の人生の土台、教会の土台
 本当に残る、確かな素材で人生を、自分が連なる教会を、建て上げる。
 Ⅰコリ3:10~17 
   十字架につけられたキリストをパウロは土台として据えた。本当に残る家を建てることができるのは、
   キリストの贖いの恵みというしっかりとした土台があるから。

深恵子先生の解説のあと、参加者からの感想などが話されました。
「あなたはわたしのもの」「わたしはあなたの名を呼ぶ」「あなたと共にいる」という神様の御言葉に
神様からの強い愛が読み取れてイザヤ書のこの箇所が大好き。
「東から・・西から・・南に向かって・・の箇所など独りで読んでもわからないが、小国イスラエルの
周囲のエジプトやクシュ、セバ(も?)の大国を思う、とお聞きして具体的イメージが湧いた
「7節では、イスラエルのためだけでなく世界全体への救いの業を広めよ、という神様のみ言葉が分かった。
「当時のイスラエルのように日本のキリスト教は小さい群れではあるけれど、神様の贖い、救いの御業を
述べてゆきたいが、難しい・・・等など。  小さい集まり、でも満たされた一時でした。


会のプログラムは
初めの祈り(深恵子先生)・賛美歌・聖書朗読・黙想(15分位)・説き明かし・
感想など話し合い・お祈り(一人1,2分)・主の祈り でした。


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齢の所為か、やることがおそくなってなかなか公園に行けません。
モズオくん(百舌・雄)にもしばらく会ってないな~
冬鳥たちも来ていることでしょうね。
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「聖書探訪」と「聖書に親しむ集い」

2021-12-12 21:36:55 | 美竹教会
美竹教会では、左近深恵子牧師によってタイトルのような集いが持たれています。
集いはZoomというアプリを使ってオンラインで行われています。
月の第一、第三の木曜日が「聖書に親しむ集い」で第二週の木曜日が「聖書探訪」です。

「聖書に親しむ集い」の聖書箇所は事前にメールで知らされますが「聖書探訪」は
(ワクワク感を出すため、かな?)事前にはどの箇所を探訪するのか知らされません。
「聖書探訪」参加二回目の私は楽しみでワクワクしました。(^^)

私達の理解を深めるために深恵子牧師からレジュメが参加者と希望者に送られます。
今日は12月の「聖書探訪」のレジュメを載せますね。
( )内は新しい聖書の訳だそうです。

1時間半の集いの中に15分の黙想があるのが私には新鮮でした。 賛美歌も歌います。
最後に一人ひとりが順番に祈る時間があるのですが、これは少々苦手です。 (-_-;)  


   2021年12月9日 聖書探訪 預言書を食べ、味わう 第9回 
   イザヤ42:1~9  讃美歌♫ 94番
  
   1~4節
    イザヤ書40~55章にある4つの「主のしもべの歌」の一つ。

   1節
   見よ、わたしの僕、わたしが支える者を(私が支える僕)。
   わたしが選び、喜び迎える者を(私の心が喜びとする、私が選んだ者を)。
   彼の上にわたしの霊は置かれ(私は彼に私の霊を授け)
   彼は国々の裁きを導き出す(彼は諸国民に公正をもたらす)。
   しもべ 伝統的な称号だが、捕囚の絶望の只中ではそれは“自然”なことではない。
     イスラエルに主との関係、務めを果たす役割を思い起こさせる。
   「見よ、これが・・・である」は、王の任命を想起させる。
     マルコ1:11 イザヤ42:1が詩編2:7と組み合わされている。
   わたしが選び選びの理由は神のもとにだけある。

   2節
   彼は叫ばず、呼ばわらず(声を上げず)、声を巷に響かせない(巷にその声を響かせない)。
   世の王と異なる方で神の裁きをもたらし、打ち立てる。

   3節
   傷ついた葦を折ることなく(折らず)
   暗くなってゆく灯心を消すことなく(くすぶる灯心の火を消さず)
   裁きを導き出して、確かなものとする(忠実に公正をもたらす)
   裁きをもたらすことは、預言者の慰めの言葉が、政治的状況において、あるいは信仰的において、
   廃れつつあるイスラエルに命をもたらすとの解釈。
   あるいはトーラーに対する主のしもべの態度が説明されているとの解釈。
   葦 まっすぐに立つ。物差し、尺度、法則、原理、基準。
   灯心 聖書では神のみことば、すなわち神の律法(詩編119:105)
   〇マタイ5:17

   4節
   暗くなることも、傷つき果てることもない(彼は衰えず、押しつぶされず)
   この地に裁きを置くときまでは(ついには、地に公正を確立する)。
   島々は彼の教えを待ち望む。
   島々諸国民。あるいは地中海沿岸地方に散らされたユダヤの民
   裁き(公正):ミシュパート。口語訳は「道」、他に「定め」「正しい法」「公正」「判決」など。
         原義は「判決」または「裁定」。これらの節において3回登場(1、3、4節)。
         神の統治を再び秩序立てること。「しもべ」が中心になって担う。

   〇マタイ12:16~21 イザヤ42:1~4を引用。 

   5~9節
   5節
   主である神はこう言われる。
   神は天を創造して(天を創造し)、これを広げ(これを延べ)
   地とそこに生ずるものを繰り広げ(地とそこから生ずるものを広げ)
   その上に住む人々に息を与え
   そこを歩く者に霊を与えられる。(その中を歩む者に霊を授けられる方)
   神の創造者としての力と知恵がほめたたえられている。
   息を与え人間の創造に関しては、生命(の息)を与えると言う一つの行為に限定。

   6節
   主であるわたしは、恵み(義)をもってあなたを呼び
   あなたの手を取った。
   民の契約、諸国の光として
   あなたを形作り、あなたを立てた。
   (あなたの手を取り、あなたを守り、あなたを民の契約とし、諸国民の光とした。)
   恵みをもって「恵み」は「正しさ、正義」。倫理的な意味よりも神と人との関わりの概念
   6節で語りかけられている「しもべ」はイスラエル。
   わたしはあなたを・・・にする神がイスラエルを世全体の救いの契約、諸国民の光とする

   7節
   見ることのできない目を開き(目の見えない人の目を開き)
   捕らわれ人をその枷(牢獄)から
   闇に住む人をその牢獄(獄屋)から救い出す(連れ出す)ために(である)。
   主語について 主である、あるいはしもべであるとの解釈。揺れ動く。
   見ることのできない目は、生まれながらに備わった苦難、囚われ人は人為的な苦難?
   古代世界において、経済的な貧しさによる投獄が主であった。

   8節
   わたしは主、これがわたしの名。
   わたしは栄光をほかの神に渡さず
   わたしの栄誉を偶像に与えることはしない。
   (私の栄光を他の者に、私の誉れを偶像に与えることはない)
   このような救いのわざにおいて、神はご自身が真の神であることを明らかにされる。
   その救いのわざにおいて承認される→神が他の誰にも栄光と栄誉とを渡さない

   9節
   見よ、初めのことは成就した、(先にあったことは実現した。)
   新しいことをわたしは告げよう(そこで、私は新しいことを告げよう)。
   それが芽生えてくる前に(起こる前に)
   わたしはあなたたちにそれを聞かせよう。

   5~9節
   しもべは主によって呼ばれ、取られ、形作られ、抗しがたいほどに力づけられている。
   しもべは主との決定的な関係を他者にもたらすために生きる。
   しもべは世に神の秩序をもたらす(創世記12:3)。
   しもべによって実行されるべきは創造主の意志。しもべが契約を交わすことができるのは、
   主が契約を望んでおられるから。光をもたらすことができるのは、主が闇に立ち向かわれるから。
   負債が帳消しにされ、貧しい者が解放されるのは、主が脆弱なものを心にかけ、働きかけてくださるから。

独り言:夫が亡くなって五年目の冬、初めてすき焼きを作って食べました。
    大好きなすき焼きはとても美味でした。
    そして独りのすき焼きはやはり寂しいものでした。


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今年も青いこの子は公園に来てくれるでしょうか。<ルリビタキ♂>
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「待て、しかして希望せよ」

2020-12-21 13:40:30 | 美竹教会
昨日発行された美竹教会の「信音」から左近深恵子牧師の「クリスマスメッセージ」です。
   
   


昨日のクリスマス礼拝では一人の若者が受洗されました。何よりも嬉しく感謝なことでした。
これからの長い人生、様々な出来事があると思いますが神様に導かれ、神様から離れず信仰の
道を歩まれますようにとお祈りしました。(心のなかで(^^))
例年のようなクリスマス祝会はありませんでしたが、ハンドベルの賛美歌演奏と、受洗された方・
今年転入会された方の紹介などのミニ祝会(?)がありました。
転入会されたお一人が「毎週の礼拝での聖書の御言葉の説き明かしは私にとって欠くことの
できないものです」と話されました。 一人で聖書を読んでもよくわからず、礼拝の説教で
神様の御心を説き明かされて何とか次の一週間を信者として歩める、という頼りない私、
「説教が欠かせない」という思いは同じだな~と思いました、少しホッとして・・・(^^)

深恵子先生のメッセージから小学生の頃読んだ「巌窟王」(アンドレ・デュマ著)という物語を
思い出しました。主人公の最後の言葉が印象的で、大人になっても年老いた今でも時々言葉が
聞こえます。  「待て、しかして希望せよ!」という言葉です。

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クリスマス礼拝に向けて

2020-12-13 18:55:29 | 美竹教会
コロナ新型ウィルス感染拡大は今の所、沈静化・収束化の兆しが見えません。
そんな中でもクリスマス委員の皆様は工夫を凝らしてクリスマス礼拝を迎える
準備をしてくださっています。
玄関にはツリーが飾られました。 
いつもは礼拝堂の中と受付とで三本なのですが・・・(T_T)

     


飛沫感染予防のためコロナ以降、礼拝での賛美歌は二曲、しかも一節だけを
歌っていますが、アドベント第1週からは礼拝前にハンドベルの演奏が加わりました。
ハンドベルの優しい音色の中でクランツのロウソクに火が灯されます。

  


クリスマス礼拝はいつもより大勢の方が礼拝に来られることを予想して、
お隣との間隔を空けられるようにベンチにはメモが置かれました。

  
この時代物のベンチは教会をリフォームした時に敢えて残した!という話を
聞いた気がします。 アンティーク? (^^)


ハンドベルの数も増えて、準備は整ったようです。
クリスマスにはどんな演奏が聴かれるでしょう、楽しみです!


  

感染に十分注意して、御子イエス様の御降誕を心から感謝しお祝いしたいです!

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礼拝の動画配信が再開されました。

2020-07-26 20:25:46 | 美竹教会
美竹教会では、7月12日以降中止していたインターネットでの礼拝動画配信を
今日から再開いたしました。
このところ感染がさらに拡大していることを考慮して長老会で決定したそうですが、
礼拝に集えない方々が増えているのかもしれませんね。
朝10時半からの礼拝を録画し、午後にはホームページから配信するそうです。
子どもメッセージの動画もこれまでと同様に配信されます。
礼拝説教の原稿も毎週、ホームページに掲載されます。
どうぞ、ホームページから礼拝にご参加ください。

また、今日は美竹教会の広報誌(?) 「信音」7月号が発行されました。
左近豊牧師の「巻頭メッセージ」を掲載させていただきます。 どうぞお読みください。



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フェイスブックやツイッターも御覧ください。

  いや~コロナ、疲れました。
  家にいる時間が長く、コロナのことが頭から離れないので、新聞も丁寧に読むようになり、
  これまであまり見なかったTVのニュース番組も一日一回はしっかり見るようになりました。
  日本の、世界の、社会の、情報があふれるほど押し寄せて圧倒されます。
  パンデミックという厳しい状況の中でもアメリカと中国は呑気に!反目し、シリアでは戦闘が
  続き、ワクチンの開発にしても各国の思惑がからんで世界中の庶民に公平に平等に
  行き渡るなんて夢物語のようです。
  「せめて平等と公平を実現するくらいの賢さと知恵を人間にお与えください。」と私は
  毎日神様にお祈りしています。 
  私達は今、感染と経済のバランスを見ながら、医療崩壊を起こさない範囲で経済を動か
  さなくては、という綱渡り的状況を耐え忍ばなくてはならないのです・・・・よね?
  ただでさえ真っ赤っ赤の日本の経済はこの先どうなるのでしょう。
  自給率39%の日本の食糧事情は維持可能なのでしょうか。  はぁ~~ 疲れます。

  それにしても7月も終わりだというのに梅雨前線はいつまでいつまで日本列島
  にへばりついているのでしょう! 😠💢 
  あちこちに八つ当たり気味です。 (^_^;) 

  今日は気分転換に夏の文字を書いてみました。 
  スコーン!と気分のよい夏空の写真も御覧ください。


     

  
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教会で礼拝、再開

2020-06-03 18:03:18 | 美竹教会
今日、美竹教会からメールでお知らせが来ました。
6月7日(日)から礼拝堂に集まって礼拝を行えることになりました。
マスクは勿論のこと、お隣と距離を空けるなど三密を避けて、感染防止に十分注意を払いながらの再開です。
ガランとした礼拝堂で礼拝をなさっている先生方を想像しながら、家でネット配信の参加は
とても寂しいものでした。 
コロナ禍の前は礼拝堂での礼拝が当然と思っていましたが、今はちょっと泣きそうに嬉しいです。

美竹教会のホームページです、クリックしてどうぞお訪ねください。

**********************************************************************

後期高齢者更年期障害?のようだった私の体調はお陰様でそれなりに回復して参りました、感謝です。
鍼灸院に7ヶ月通って一応日常生活は取り戻せた股関節の怪我は、後遺症でしょうか、股関節の痛みが
残っていて、歩くと脚がとても疲れます。 
それでも頑張れば6000歩くらいはなんとか歩けるので、まぁ、いいかぁ、神様の身許に召されるまで
付き合おうかなぁ、と思っています。

誰にも話していない「コロナ禍の私の楽しい秘密・バイエルの秘密練習」もしばらく休んでいましたが
再開できました。 75番まで終わりました。
私からみると「とても美しいではないか!」と感じられる曲も出てきて本当に!本当に、楽しいです。


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5月3日(日) 美竹教会礼拝

2020-05-04 11:11:38 | 美竹教会
昨日の礼拝もネット配信で参加させていただきました。
一週間に一度、新鮮な清々しい空気を胸一杯、深呼吸しているような気がいたします。
礼拝を守り、私達に配信してくださる先生方に心から感謝申します。

昨日の礼拝では左近深恵子牧師による「子どもたちへのメッセージ」がお話されました。
分かりやすいけれど深くて、私はいつも感動いたします。

説教はテキスト「マタイによる福音書」6章9節~13節
   タイトルは「主の祈りを共に」 左近深恵子牧師によってなされました。
   (ココをクリックすると説教原稿を読むことができます)
祈りの苦手な私。
毎日の祈りも気をつけないと「お買物リスト」のように「お願いリスト」になってしまいます。
どうしても上手く (この気持がいけない!のですね) 祈れない日は「主の祈り」を唱えます。
自分の言葉で祈る、ということが苦手で、祈祷集があればそれを唱えたい気分です。
あ、でも、祈りは苦手でも、一人暮らしの私はいつも神様とお話させていただいてます。 

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。

さて、余談です *******************
5月3日の朝日新聞朝刊に「巣ごもりに短歌はいかが」という記事がありました。
歌心のある方は心に触れる思いや出来事があると歌に詠まれるのでしょうね。
私の場合は「ア、コレ!」と思うと写真を撮ります。

暑かった土曜日、涼風の立ち始めた夕方、公園を歩きました。
開放空間の公園で人混みを避けて、他人と密着せずに・・・・同じ思いの方は多いようで、
公園の人口密度はいつもより高く、かなりな人が木道をすれ違って歩いていました。

↓公園のベンチの様子です。
離れて並んだベンチにそれなりに離れて座って休んでいる様子は、まさに「三密」を
意識して避けていらっしゃるようで、なんとなく微笑ましく思わず写真を撮りました。
朝日の記事を読んで、私も「短歌に挑戦」してみました。(小学校以来かも・・・・・)
写真はクリックして拡大して御覧ください。

『さり気なく 並ぶベンチに さり気なく 
        座る公園の ソーシャルディスタンス』 字余り(^^)

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