ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

第三一回「平和と核廃絶を祈るつどい」報告

2018-11-26 13:37:37 | その他
主日礼拝でいただいた「西南支区だより」2018/11/18付に載っていた記事です。
今、もっとも関心があり、心にかかっていることについて書かれていました。
傍線はゆうゆうが引いたものです。



『人間は神の属性を象徴する「善悪を知る木の実」を食べたことにより知識を得、大きな自由を得た。』
『人間の知識は必ず分断と差別を生み、貧困と抑圧を生むということなのかもしれない。
知識の力は神を知るという別な知識によって制御されなければならない。
それは創造者を知り、創造者の前に謙虚になるということである。』
『人間は等身大の生活で生きることを考えるべきではないか。』
Amen ! Amen ! Amen ! ガッテン! ガッテン! ガッテン! ホントに、ホントに、本当に!

でも、今更、わたし達人間は等身大の生活で生きることに戻れるでしょうか。
それも一人や二人のレベルでは駄目で大多数の人間が創造者を知り、謙虚にならなくはなりません。
絶望せずに、焼け石に水、二階から目薬ほどの効果であっても神様の救い、神様の知恵をお伝えしたいものです。


美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
FacebookやTwitterもご覧ください。

秋の公園の<翡翠(カワセミ)>です。


カワセミの来る池、散歩途中の人が探しながら通ります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「家に帰ろう」

2018-11-17 18:40:27 | 説教
11月4日(日)の主日礼拝説教
テキストは「ルカによる福音書」15章11節~24節 タイトルは「家に帰ろう」
左近深恵子牧師によるみ言葉の説き明かしでした。
   






私は十代の最後に受洗し、その数年後、その頃の私なりに考えるところがあって教会を離れました。
何十年ぶりかで教会に戻った私は正真正銘の「放蕩息子」です。
放蕩息子時代も、この世的(?)にはそれなりに真面目に生きて来たと思いますが、常に「私の
人生は自分のものなのだから、どんなことも自分で決めて解決してゆこう、どんなことも自分で
受け止めて生きて行こう」と気負っていた気がします。
今から十年位前、自分では決して解決できない苦しみにめぐり合い思わず「神様、助けてください」と
祈っていたのが教会に戻り始めるきっかけでした。
独りで祈り、独りで聖書を読み、三年余り経って最初は月に一度くらい礼拝に出席するようになりました。
今の私は「自分の命は神様に与えられたもの、神様は常に私と共にいてくださる」という信仰によって
支えられています。 私の依り頼む福音です。
放蕩息子だった私は教会に戻った時も、今も、「なんか、私って苦しい時の神頼みかな~」という気持ちが
ぬぐえません。 そんな私にイエスさまの「放蕩息子」のたとえ話は救いです。
深恵子先生の説教によって「私も群れにいてよいのだ」という慰めをいただき感謝です。

今更ですが、自分のことを書くのは勇気が要りますね~。 (-_-;)


美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
FacebookやTwitterもご覧ください。


<トウカエデ>の葉も色づき始めました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

讃美歌第二集 161番 「輝く日を仰ぐとき」

2018-11-11 20:33:19 | 讃美歌
下↓はネットの解説です。***************************************

大自然の不思議な営みに感動し神を賛美したスウェーデンの牧師による一編の詩が、
スウェーデンの民謡と共にドイツ語やロシア語、英語に翻訳されアメリカに渡り
1970年代にはアメリカで最も愛唱される賛美歌となった。

曲は1800年頃のスウェーデン民謡とある。
曲名の“O Store Gud”はスウェーデン語で詩の題名でもあり英語では“O Great God 
偉大なる神”の意味である。後に著名な宣教師となった Carl Boberg 牧師(1859-1940)が
26歳の時の体験をもとに作詞したものである。
その体験とは、彼がスウェーデンの南東の海沿いにある美しい土地を訪問した時、真昼に
突然雷を伴う嵐に見舞われたが、それが通り過ぎた後、輝かしい太陽が照り輝き、美しい
虹がかかり森の中から鳥のさえずりが聞こえてきた。
この時、彼は思わず大地に跪き豊かな自然を創造された神を賛美したと言う。
それから数年後の1886年、ある集会で、彼の作ったこの詩がスウェーデン民謡の調べで
歌われているのを聴いて驚いたという。

東ヨーロッパとロシアに接するアパラチア山脈地方で伝道していた英国の宣教師 Stuart K.Hine が
1933年にウクライナの集会でこの歌に接した。
スウェーデン語からドイツ語を経てロシア語に翻訳されたものであった。
そして、アパラチア山脈の山中で彼も原作者と類似した体験、すなわち、突然の雷雨の通過、その後の
すがすがしい山並みの景色に出会い、ウクライナの集会で聞いた“O Great God”を思い出し、
Hine 自身の感動を作詞した。これが英語で歌われている“How Great Thou Art”である。
第1節では「雷鳴りわたるとき」と歌われ、第2節では「そびゆる山にのぼり」と歌われている。
第3節以下は別に機会に追加され1948年に完成された。
1954年、版権がアメリカの出版社に渡り、Billy Graham の伝道の一環としてゴスペルシンガー
George Beverly Shea によって歌われたのを契機にアメリカを中心として急速に広がっていった。
尚 Carl Boberg の原作を忠実に英訳したもの“O Mighty God, When I Behold the Wonder”も
讃美歌集に残っているが、“How Great Thou Art”と内容はかなり異なっているとのことである。

  輝く日を仰ぐとき 
  月星(つきほし)眺(なが)むるとき
  雷(いかずち)鳴り渡るとき 
  まことの御神(みかみ)を思う
 Chorus:
   我が魂(たま) いざたたえよ
   聖なる御神を
   我が魂 いざたたえよ
   聖なる御神を

  森にて鳥の音を聞き 
  そびゆる山に登り
  谷間の清き流れに 
  まことの御神を思う
 Chorus:
******************************************************************

明るい日差しの中、今日11日の永眠者記念礼拝は何名かのご遺族の方も見えて
(あ、私もその一人ですが)穏やかに和やかに終わりました。
この讃美歌は今日の礼拝で歌いました。 とても有名な讃美歌のようですが、私は初めてでした。
ブログに載せるために調べていたら、ナント! エルヴィス・プレスリーが歌っていましたよ~ 嬉しい~! 
大昔、若かりし頃、キャ~!エルヴィス!とまでは騒ぎませんでしたが、今日は思いがけずエルヴィスの
豊かな甘い声のゴスペルに、若き日を思い出しシアワセなひと時でした。
How great Thou art........ 
私も神様によって造られた物、私は小さな者ですが、人体も動物も自然も何もかも本当に神様の
アートは偉大です。 この地球を大切に守って次の世代の方々にお渡ししなくては、と思いました。
遠くない将来、それがいつかは神様のみ心ですが、御許に召されて先に召された方々と会える日が
楽しみです。 夫とも会えますように! (^-^)


ここをクリックするとエルヴィスの歌うゴスペル “How great Thou art” を聴くことができます。
英語の歌詞です。
O Lord, my God, when I in awesome wonder
Consider all the worlds Thy Hands have made
I see the stars, I hear the rolling thunder
Thy power throughout the universe displayed
Then sings my soul, my Saviour God, to Thee
How great Thou art, how great Thou art
Then sings my soul, my Saviour God, to Thee
How great Thou art, how great Thou art

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
FacebookやTwitterもご覧ください。


散歩した公園の夕焼けです。 もう少し雄大な写真を載せたかった (;´д`)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

永眠者記念礼拝(お知らせ)

2018-11-01 18:31:19 | 美竹教会
美竹教会では下のご案内のように「永眠者記念礼拝」があります。


私の父は(半世紀以上昔のことですが)浅野順一牧師の司式で美竹教会で葬儀をしていただきました。
母はインマヌエル中目黒教会で、姉は奈良県の大和キリスト教会で葬儀をしました。

父と母の遺骨は多磨墓地の十字架の付いた墓石の下に、次姉は大和キリスト教会の共同墓地に
教会の兄弟姉妹とともに眠っています。
次姉は、遺骨の半分をお連れ合いの茅ケ崎の寺の墓地に分骨しました。
「僕はお釈迦様の蓮の萼(うてな)の上で遊ぶんだ~」と言っていた私の夫は東京、東久留米の
曹洞宗の寺の墓地に入っています。
それほど遠くないいつか、神様の御許に召された時に、父、母、姉と相まみえるのが私は本当に
楽しみです。そしてその時には茅ケ崎の義兄も、私の夫とも再会できることと信じて(願って)います。
その日が来るまでは美竹教会の記念礼拝で静かに亡き人を偲びましょう。

今、気がかりなことは私の遺骨はどこに入れようか、ということです。 (-_-;) (・・;)


美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
FacebookやTwitterもご覧ください。


今年のコスモスはどんな具合でしょう。
夫と最後に見た公園のコスモス畑です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする