讃美歌ネタが続きます。 先週の「永眠者記念礼拝」で歌いました。
讃美歌520番 「しずけき河の岸辺を」
"When peace like a river attendeth my way"
by Horatio Gotes Spafford,1873
1.しずけき河のきしべを すぎゆくときにも
うきなやみの荒海を わたりゆくおりにも
(おりかえし) こころ安し 神によりて安し
2.むらがる仇はたけりて かこめどせむれど
いざなうものひしめきて のぞみをくだくとも
3.うれしや十字架のうえに わがつみは死にき
すくいの道あゆむ身は ますらおのごとくに
4.おおぞらは巻き去られて 地はくずるるとき
つみの子らはさわぐとも 神による御民は
この讃美歌の作詞者ホレーショ・ゲーツ・スパフォード(1828-88)は、医者であり、
大学教授であり、神学校の理事もしていました。頭が良く、人徳にも優れ、信仰も篤く、
誰もがうらやむような人間でした。
しかし、彼は深い悲しみを知る人でもありました。
この讃美歌を作詞する2年半前のことです。彼は一人息子を亡くしました。そして、
その半年後に火災によって財産を失います。さらにその2年後、彼はこの讃美歌を
作るきっかけとなった大きな悲劇を経験します。
彼は家族でヨーロッパ旅行をし、旅行の終わりには有名な伝道者ムーディ等と共に
イングランドの伝道に参加する予定でした。しかし出発直前にホレーショに急用が
できてしまいます。彼はやむなく奥さんと4人の娘だけを出発させたのです。
ところが、ホレーショの家族が乗った船は衝突事故を起こし、大西洋のど真ん中で転覆、
わずか12分で沈没してしまいました。奇跡に奥さんだけは助かりましたが、最愛の4人の
娘たちをいっぺんに失ったのです。
彼はすぐに他の船で悲劇のあった大西洋に乗り出しました。そして、荒れた海の中に
なくなった娘たちの面影を、そして神様の摂理を思いながら、この讃美歌を作ったのでした。
しずけき河の岸辺を 過ぎゆくときも
憂き悩みの荒波を わたりゆくおりにも
心やすし、神によりてやすし
この詩にあるのは悲しみや嘆きではありません。もちろん、彼はどんなにか悲しみ苦しんだ
ことでしょうか。しかし、いかなる道、いかなる困難においても、神の救いを信じ平安の道を
歩ませてくださいという祈りがここにあるのです。
(日本基督教団
荒川教会のホームページの「讃美歌物語」から引用させていただきました。)
左近豊牧師著「信仰の手引き 祈り」の中に一人息子を無残に殺され、言葉を失った
詩人アン・ウィームズについての話が記されていました。彼女は詩篇の祈りに導かれて
祈りの語彙を獲得し、嘆きを深めて言葉を回復していったそうです。
この讃美歌の作詞者ホレーションのような方もいます。
まるでヨブのような苦しみに遭い、ホレーショはどんな風に回復していったのでしょう。
嘆きの受け止め方は十人十色、千差万別だと思いましたが「神、共にあり」の信仰に
依り頼む生き方は真実なのだと心から確信します。
ここをクリックすると讃美歌520番を聴くことができます。
美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/14/d075a616f427ad31c5f01d564421c713.jpg)
陽だまりで翅を広げた<ムラサキツバメ> 尾状突起が
燕尾のようなので名前に「ツバメ」が付きます。 成虫越冬します。