ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

近づくクリスマス

2016-11-27 21:03:18 | 美竹教会
今日はアドベント(待降節)第一主日でした。
近づくクリスマスに向けて美竹教会では様々な飾りが施されました。
イエス様のお誕生をお祝いする気持ちが少しずつ高まってきます。


教会正面の窓

     
     玄関扉のリース


一階エレベーター脇の飾り物。 飼い葉桶のイエス様と東方の博士ですね。

     
     一階入り口のクリスマスツリー

今日はアドベントクランツの蝋燭が一本灯されたのですが、
写真は撮れませんでした、残念。

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
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讃美歌520番 「しずけき河の岸辺を」

2016-11-21 16:19:54 | 讃美歌
讃美歌ネタが続きます。 先週の「永眠者記念礼拝」で歌いました。

讃美歌520番 「しずけき河の岸辺を」
"When peace like a river attendeth my way"
    by Horatio Gotes Spafford,1873

1.しずけき河のきしべを すぎゆくときにも
 うきなやみの荒海を わたりゆくおりにも
     (おりかえし) こころ安し 神によりて安し
2.むらがる仇はたけりて かこめどせむれど
  いざなうものひしめきて のぞみをくだくとも
3.うれしや十字架のうえに わがつみは死にき
  すくいの道あゆむ身は ますらおのごとくに
4.おおぞらは巻き去られて 地はくずるるとき
  つみの子らはさわぐとも 神による御民は

この讃美歌の作詞者ホレーショ・ゲーツ・スパフォード(1828-88)は、医者であり、
大学教授であり、神学校の理事もしていました。頭が良く、人徳にも優れ、信仰も篤く、
誰もがうらやむような人間でした。
 しかし、彼は深い悲しみを知る人でもありました。
この讃美歌を作詞する2年半前のことです。彼は一人息子を亡くしました。そして、
その半年後に火災によって財産を失います。さらにその2年後、彼はこの讃美歌を
作るきっかけとなった大きな悲劇を経験します。
 彼は家族でヨーロッパ旅行をし、旅行の終わりには有名な伝道者ムーディ等と共に
イングランドの伝道に参加する予定でした。しかし出発直前にホレーショに急用が
できてしまいます。彼はやむなく奥さんと4人の娘だけを出発させたのです。
ところが、ホレーショの家族が乗った船は衝突事故を起こし、大西洋のど真ん中で転覆、
わずか12分で沈没してしまいました。奇跡に奥さんだけは助かりましたが、最愛の4人の
娘たちをいっぺんに失ったのです。
 彼はすぐに他の船で悲劇のあった大西洋に乗り出しました。そして、荒れた海の中に
なくなった娘たちの面影を、そして神様の摂理を思いながら、この讃美歌を作ったのでした。

 しずけき河の岸辺を 過ぎゆくときも
 憂き悩みの荒波を わたりゆくおりにも
 心やすし、神によりてやすし

 この詩にあるのは悲しみや嘆きではありません。もちろん、彼はどんなにか悲しみ苦しんだ
ことでしょうか。しかし、いかなる道、いかなる困難においても、神の救いを信じ平安の道を
歩ませてくださいという祈りがここにあるのです。
(日本基督教団 荒川教会のホームページの「讃美歌物語」から引用させていただきました。)

左近豊牧師著「信仰の手引き 祈り」の中に一人息子を無残に殺され、言葉を失った
詩人アン・ウィームズについての話が記されていました。彼女は詩篇の祈りに導かれて
祈りの語彙を獲得し、嘆きを深めて言葉を回復していったそうです。
この讃美歌の作詞者ホレーションのような方もいます。
まるでヨブのような苦しみに遭い、ホレーショはどんな風に回復していったのでしょう。
嘆きの受け止め方は十人十色、千差万別だと思いましたが「神、共にあり」の信仰に
依り頼む生き方は真実なのだと心から確信します。

ここをクリックすると讃美歌520番を聴くことができます。

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。


陽だまりで翅を広げた<ムラサキツバメ> 尾状突起が
燕尾のようなので名前に「ツバメ」が付きます。 成虫越冬します。
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こども讃美歌53番

2016-11-17 20:05:24 | 讃美歌
美竹教会では大人の礼拝説教の前に、大人も一緒の礼拝堂で子供たちに向けて
5分くらいの短いお話をします。 その後、子供たちは分級になります。
そして、礼拝最初の讃美歌は子ども向けの讃美歌で大人も一緒に歌います。
13日のこども讃美歌は53番「主にしたがいゆくは」でした。
久しぶりのカテゴリ「讃美歌」の記事更新です。

こどもさんびか 53番 「しゅにしたがいゆくは」
        作曲&作詞 ダルラー 訳詩者 由木 康

1、主に従い行くは いかによろこばしき
  こころの空はれて ひかりはてるよ
    (繰り返し)みあとをふみつつ ともにすすまん
          みあとをふみつつ うたいてすすまん
2、主に従いゆくは いかに幸いなる
  悪しき思い消えて  心は澄むよ
3、主に従い行くは いかにこころづよき
  おそれのかげきえて ちからはますよ

この讃美歌の作曲および原詩者は「ダルラー」という方のようですが、
名前の綴りもわからずネットでは手掛かりなしでした。

訳詩者の由木康についてはウィキペディアに載っていました。*****************
由木 康(ゆうき こう、1896年4月16日 - 1985年1月27日)
日本の牧師、讃美歌作家。日本の讃美歌の発展の中心的な役割を果たし、
賛美歌「きよしこの夜」の訳者として知られる。
パスカルの研究家で「パンセ」を翻訳した。教育者・郷土史研究者足立正の次男。
鳥取県西伯郡上道村(現境港市)に足立正の次男として生まれ、生後間もなく
由木虎松の養子になる。
養父虎松の宣教活動のために、鹿児島、神戸、対馬などに転居する。 
養父の影響を受けてクリスチャンになり、神戸二中時代に洗礼を受ける。
洗礼を受けてすぐの中学3年の時、すでに最初の賛美歌を作った。                     
1914年、死の危険に直面して献身を決意し、関西学院文学部で聖書学と神学を専攻する。
在学時代に「日曜学校唱歌集」を出版している。
1917年関西学院大学を卒業後、神戸聖書学校に入学する。               
1921年、東京二葉独立教会の牧師になる。****************** 

ここをクリックするとこども讃美歌53番を聴くことができます。

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<オオアオイトトンボ>秋のイトトンボでしょうか、公園にたくさんいました。
翅を広げて止まるのが特徴のひとつです。
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「永眠者記念礼拝」でした。

2016-11-13 16:38:22 | 今日の聖句
今日は「永眠者記念礼拝」
説教のテキストは「ヘブライ人への手紙」11章13節~16節 
タイトルは「足あとを辿って」でした。
ここに、その説教プリントを載せる予定だったのですが、ナント! 
プリントを教会に忘れてきてしまいました。 m(_ _)m

「今日の聖句」と私事の呟きをアップさせていただきます。

今日の聖句 「コリントの信徒への手紙 一」10章13節
あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。 
神は真実な方です。あなた方を耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、
試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。


さて、私ごとですが ***********
今年の5月、私の夫が亡くなりましたが、その前日には姪の連れ合いが亡くなっています。
10月には姉の連れ合いが亡くなり、11月は喪中挨拶の葉書がファミリーの間を
行き交うことになりそうです。
伴侶を喪うことによる喪失感はとても厳しいものですが、今、私を襲う孤独感、虚無感、
緊張感、不安感は、年老いてからの初めての独り暮らしからくるもののようです。
9月半ば、私は自分でも全く思いがけず、それは深い深い心の底からのパニック状態になり、
それから何日間かは鬱々とした日々を過ごしました。
かかりつけ医師の処方薬が功を奏したのか、現在は「落ち込み」に襲われそうな時、事前に
頓服的に薬を服用することで、凌げるほどに回復しました。
気持ちの落ち込んだ時、私はともすると神様の御顔をまともに仰ぐことができず
神様に背を向けてしまいそうになります。
ヨブの神様への執拗な抗議は神への強い信仰、信頼があればこそ、と納得できた気がします。
私も信仰の轍を踏み外したくはありません。 私にもヨブの強い信仰を、と願っています。
いつかこの試練を乗り越えて神様の前で後ろを向かず祈ることができると信じています。
(東日本大震災やその他たくさんの天災人災で多くの方が経験している喪失感、虚無感、
絶望感を思うと言葉もありません。)

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<メジロ> 明るい日差しの公園で葦原からなかなか出てくれません。
ピンボケ写真です。
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日本基督教団信仰告白

2016-11-11 20:34:25 | その他
10月6日の主日礼拝は義兄の納骨のため溝ノ口教会の礼拝に出席いたしました。
溝ノ口教会の礼拝で唱えられた「日本基督教団信仰告白」ですが、私はは初めて聴き(読み)ました。
美竹教会の礼拝では最後の部分「使徒信条」だけを唱えます。
すばらしい信仰告白の言葉に引き込まれた私は、すぐに溝ノ口教会でプリントをいただきました。
これまで、この「信仰告白」を知らなかったということがおかしくも恥ずかしいことですが、
今は毎日、家で聖書を読んだ後唱えて(読んで)います。
夜、眠る前の祈りの後も「信仰告白」を唱えて(読んで)います。


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厳しい暑さのただ中に真冬の寒さが紛れ込み、そのまま冬になってしまったようで、
今年は秋をしみじみ実感することがありませんでした。 奇妙な天候です。
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「苦難を生きる」

2016-11-04 14:37:10 | 説教
10月30日(日) 主日礼拝の説教
テキストは「ヨブ記」1章13節~22節 「コリントの信徒への手紙 一」10章13節
タイトルは「苦難を生きる」でした。




世界の存在そのものの虚しさを見ながら、なお神への信仰から離れなかったヨブ。
ヨブの信仰、神への信頼に圧倒されます。 もう一度「ヨブ記」を読みたい。
ヨブの苦難に比べるべくもないぬるま湯状態の日常にある私ですが、それでも
漠然と感じるこの世に生きる虚しさ。 
神への不信や怒りを感じ、神への祈りに向かう道をそれて、諦め、後ろを向いてしまう
自分がいます。 この「精神の危機」状態から救われるには神様への信仰しかない、
信仰の轍を踏み外したくないと縋り付いている私です。
祈ることが苦手な私は聖書と礼拝が道しるべです。
今、左近先生著の「信仰の手引きー祈り」(日本キリスト教団出版局)を読んでいます。

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公園脇を流れる川に<キセキレイ>がいました。
川にこの子の姿を見ると冬が近づいているなぁ、と感じます。
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