ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

ダビデの策

2013-10-31 22:28:13 | 今日の聖句
今日の聖句は「サムエル記上」27章8節~12節です。
ダビデとその兵は上って行っては、ゲシュル人、ゲゼル人、アマレク人を襲った。 
昔からこれらは、シュルからエジプトの地に至る地方の住民であった。
ダビデはこの地方を討つと、男も女も生かしておかず、羊、牛、ろば、らくだ、衣類を奪ってはアキシュのもとに戻った。
アキシュが「今日はどこを襲ったのか」と尋ねると、ダビデは、ユダのネゲブを、エラフメエルじんのネゲブを、カイン人のネゲブを、と答えた。
ダビデは、男も女も生かしてガトに引いて来ることはなかった。
「彼らが我々について、『ダビデがこうした』と通報しないように」と考えたからである。
ダビデがペリシテの地に住む間、これがダビデの策であった。
アキシュはダビデを信じて「彼は自分の民イスラエルにすっかり嫌われたから、いつまでもわたしの僕でいるだろう」と思っていた。



サウルに追われ、命の危険を感じたダビデはベリシテに逃れ、ガトの王、マオクの子アキシュのもとに移りました。
ダビデとその兵は、おのおのの家族と共にガドのアキシュのもとに身を寄せたのでした。

上の聖句で、ダビデが討ったゲシュル人、ゲゼル人、アマレク人はどのような人だったのでしょう。
ダビデはアキシュの問いに「ユダのネゲブを云々・・・」と答えましたが、策として本当のことを言わなかったのでしょうね。
男も女も生かしておかなかったのは、ダビデの行為をアキシュに知られたくなかったから、のようです。
アキシュを安心させで自分たちの安全を守るためだったのでしょうかね。

ダビデの策は何の目的だったのか?  どうでもよさそうなことにも引っかかってしまいます。 (^^;)




今日は、そろそろ南へ向かう<ノビタキ>を撮りました。
地味な模様ですが、いかにも秋にふさわしい野鳥です。


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サウル王の弱さ

2013-10-30 20:19:58 | 今日の聖句
今日の聖句は「サムエル記上」18章6節~11節です。

皆が戻り、あのペリシテ人を討ったダビデも帰って来ると、イスラエルのあらゆる町から女たちが出て来て、
太鼓を打ち、喜びの声をあげ、三弦琴を奏で、歌い踊りながらサウル王を迎えた。
女たちは楽を奏し、歌い交わした。 「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った。」
サウルはこれを聞いて激怒し、悔しがって言った。
「ダビデには万、わたしには千。あとは王位を与えるだけか。」
この日以来、サウルはダビデをねたみの目で見るようになった。

次の日、神からの悪霊が激しくサウルに降り、家の中で彼をものに取りつかれた状態に陥れた。
ダビデは傍らでいつものように竪琴を奏でていた。
サウルは、槍を手にしていたが、ダビデを壁に突き刺そうとして、損{槍を振りかざした。
ダビデは二度とも身をかわした。



「あとは王位をあたえるだけか・・・・・・」 サウル王の歯ぎしりの音が聞こえそうな聖句です。
王という地位にしがみつくことはサウルの弱さです。
しかし、すべてを神に委ね、この世の富、名声、力に振り回されない生き方をすることは至難の業です。
大きな力や富や名声は無くても、毎日の生活のなかで、これは失いたくないと思うものを私も持っています。
それらのものにまったく執着なく生きることを神は求めておられるのでしょう。

サウルの思いは私にはよく分かります。この罪の身をどうしたらよいでしょう。
しがみつくように神様を仰いで生きるほかありません。




今シーズン初撮り冬鳥の<ジョウビタキ(♂)> 証拠写真です。(^^;)


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美竹教会のある美竹町は夜の人口はほとんどいません。つまり美竹町の住人がいないのです。
周囲は高いビルばかりです。
会員の空洞化(?)が進み、教会員の多くは山手線の外から礼拝に通っています。
こういう場所での伝道活動ってどうやったらよいのでしょう。
「神様、困難に出会い悩む人、苦しむ人があなたの救いに与りますように。」と祈る毎日ですが、
具体的にはどんな風に苦しむ人に福音を知らせたらよいのでしょうか。
一軒一軒、家庭訪問をして伝道しているクリスチャンのかたの活動を思ったりします。
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讃美歌11番

2013-10-29 09:32:34 | 讃美歌
一昨日の礼拝で歌いました。 讃美歌11番 「あめつちにまさる」


1)あめつちにまさる かみの御名を
  ほむるに足るべき こころもがな。

2)おごらず、てらわず へりくだりて
  わが主のみくらと ならせたまえ。

3)生くるも死ぬるも ただ主をおもう
  ゆるがぬこころを あたえたまえ。

4)こころをきよめて 愛をみたし、
 わが主のみすがた 成らせたまえ。

5)みめぐみゆたけき 主よ、きたりて、
  こころに御名をば しるしたまえ

歌詞の作詞者チャールズ・ウエスレイ(Charles Wesley 1707-88)はメソジスト教会の創設者John Wesley(1703-91)の弟です。
数多くの優れた讃美歌を作詞しメソジスト運動の進展に大きく貢献し、英語讃美歌作者の中の王者と目されている人です。
英国に於けるメソジスト運動推進の初期の段階でウエスレイ兄弟は,様々な迫害や困難に遭遇しましたが、
この歌は、1742年に始めて発表され、英米の教会でひろく用いられています。

日本では(日本基督教団 讃美歌委員会発行讃美歌)曲名”Simpson”の旋律がつけられています。
作曲者Louis Ludwig Spohr(1784-1859 ドイツ人)は、ベートーヴェンと同時代(少し若い)の音楽家で、当時ドイツのヴァイオリン奏者中の
第一人者として活躍すると共に、指揮者,作曲家としても活躍しました。
この旋律は、彼が作曲したオラトリオの中から讃美歌用に編曲されたものですが、編曲者や編曲の年代などは不詳です。
また、”Simpson”と言う曲名で米国の多くの讃美歌集に収録されていますが、その曲名のいわれは分かっていません。
                                                  (解説はネットからの引用です。)

英語の歌詞も・・・・・・・ 

1. O for a heart to praise my God,
  a heart from sin set free,
  a heart that always feels thy blood
  so freely shed for me.

2. A heart resigned, submissive, meek,
  my great Redeemer's throne,
  where only Christ is heard to speak,
  where Jesus reigns alone.

3. A humble, lowly, contrite heart,
  believing, true, and clean,
  which neither life nor death can part
  from Christ who dwells within.

4. A heart in every thought renewed
  and full of love divine,
  perfect and right and pure and good,
  a copy, Lord, of thine.

5. Thy nature, gracious Lord, impart;
  come quickly from above;
  write thy new name upon my heart,
  thy new, best name of Love.


 讃美歌11番のメロディはココをクリックしてお聴きください。



<翡翠(カワセミ)> 背景は色づき始めたピラカンサの実です。

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「ダビデ、王となる」

2013-10-28 22:42:37 | 説教
昨日の礼拝説教 テキストは「サムエル記下」5章1節~5節 タイトルは「ダビデ、王となる」でした。

イスラエルの全部族はヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。「御覧ください。わたしたちはあなたの骨肉です。
これまで、サウルが私たちの王であった時にも、イスラエルの進退のしこをとっておられたのはあなたでした。
主はあなたに仰せになりました。『わが民イスラエルを牧するのはあなただ。あなたがイスラエルの指導者となる』と。」
イスラエルの長老たちは全員、ヘブロンの王のもとに来た。
ダビデ王はヘブロンで主の御前に彼らと契約を結んだ。長老たちはダビデに油を注ぎ、イスラエルの王とした。
ダビデ王は三十歳で王となり、四十年間王位にあった。
七年六か月の間ヘブロンでユダを、三十三年の間エルサレムでイスラエルとユダの全土を統治した。



神の救いの御計画の実現は時間がかかりますが、私たちはそれを信じて待つことができます。

神はダビデを王と定め、サムエルによる正式な任職式(油を注ぐ)は済ませていたにも関わらずその実現には十数年かかりました。
その後、王となってもユダとイスラエルの王として全土を統治する前も7年半はヘブロンにいました。
この間にダビデは王となる訓練(試練?)を受け謙遜を学びました。
ダビデ王の千年後にイエスの誕生があり、イエスもまた謙遜の人でした。
謙遜は、キリスト者としてまた人間として生きる私たちにも当てはまることです。
神を知ることで希望を持って艱難な人生を生きてゆけます。 サウルもまた最初は謙遜な王でした。

ダビデは自分が王になろうという思いはなく、嫉妬に狂ったサウルに追われればただ逃げるだけでした。
堕ちてゆくサウルとダビデは対照的です。
ダビデは竪琴でサウルを慰めるために王宮に入った慰めの人でした。(イエスもまた慰めの方でした。)

ゴリアテを倒してから以降のサウルは戦士としても優れた働きを続け「サウルは千を倒しダビデは万を倒した」と民の称賛を一身に受け、
このことにサウルは激怒し、ダビデを殺そうと決めました。

ダビデは寛大な心を持ってサウルに接しました。

ダビデを撃とうと三千人もの兵士を引き連れて出かけた地で、サウルはダビデが隠れているとも知らず、その洞穴で眠ってしまいました。
ダビデの家来たちは千載一遇のチャンスと、サウルを殺すようダビデに勧めます。
人生最大の試練でした。 善い事のために少しくらいの悪(殺人)は許されるのか?という試練です。
ダビデは神が油を注ぎ王とされた方、サウルに手はかけられないと言って殺しませんでした。

神を愛し神を畏れる人、ダビデは神の御意志に従い、忍耐と謙遜を学んだのです。
ダビデが王となるのは人間の力や運命の力ではなく神が選ばれたのだと言うことをダビデは学びました。
サウルから逃れての長年の苦しみの生活は決して無駄ではなく、試練を通して、神の計画を信じる信仰を養われました。

私たちがクリスチャンとなったのも私たちが選んだのではありません。
「あなたが選んだのではなく私が選んだのだ。」と神は言われます。
神により選ばれ、キリスト者として生き、永遠の命を与えられた喜びは何物にも代えがたいものです。
時間や試練を経て実現する神の業はすべてその時に適って美しい。(伝道の書)
地上の人生は望み豊かな、神のご計画実現のための時なのです。
                                  (以上、文責はゆうゆうにあります。)




公園の<小鷺>です。


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昨日の礼拝では司会の方が「多くの苦しむ人が主に出会いますように!主の栄光に導かれますように!」と祈られました。
私もそう祈ります。 アーメン!

また昨日の礼拝には初めての方が美竹教会に見えました。 どうぞ続けて礼拝に出席なさいますように! 
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「祈りの通い路」

2013-10-27 22:51:14 | 説教
 今日、美竹教会の機関誌「信音」の10月号が発行されました。
 第一頁は上田光正牧師の修養会主題説教「祈りの通い路」の一部(要約)です。

 私はこの日の説教を通して神に「父よ!」と呼びかけることを許されていることを学び、
 心からの感謝を平安を覚えました。
 この日以来、私は「神様、あなたを父と呼ぶ幸せを感謝します。どうぞ私をあなたの子
 と認め、受け入れてください。」という言葉で祈りを始めるようになりました。

 美竹教会のホームページの「9.説教集」にはこの説教の全文も載っていますが、
 今日は「信音」のコピーを貼らせていただき、上田先生の篤い、熱い、心のこもった
 説教に触れていただきたいと思います。



 これを読むと、私の説教要約はいったい何を書いているのか、何をまとめているのか!と
 我ながら不甲斐なく恥ずかしい限りです。 m(_ _)m



 
 今日は公園で野菊に止まる<ヒメアカタテハ>を撮りました。
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ダビデ、サウルに仕える

2013-10-26 21:15:22 | 今日の聖句
今日の聖句は「サムエル記上」16章17節~23節 です。
サウルは家臣に命じた。「わたしのために竪琴の名手を見つけ出して、連れてきなさい。」
従者の一人が答えた。「わたしが会ったベツレヘムの人エッサイの息子は竪琴を巧みに奏でるうえに、
勇敢な戦士で、戦術の心得もあり、しかも、言葉に分別があって外見も良く、まさに主が共におられる人です。」
サウルは、エッサイに使者を立てていった。「あなたの息子で、羊の番をするダビデを、わたしのもとによこしなさい。」
エッサイは、パンを積んだろばとぶどう酒の入った革袋と子山羊一匹を用意し、息子ダビデに持たせてサウルに送った。
ダビデはサウルのもとに来て、彼に仕えた。
王はダビデが大層気に入り、王の武器を持つ者に取り立てた。
サウルはエッサイに言い送った。「ダビデを私に仕えさせるように。彼は、わたしの心に適った。」
神の霊がサウルを襲うたびに、ダビデが傍らで竪琴を奏でると、サウルは心が安まって気分がよくなり、悪霊は彼を離れた。



主の霊が離れてしまったサウルは、主からくる悪霊にさいなまれるようになりました。
竪琴の音色でサウル王の心は慰められるでしょう、という家臣の勧めで、サウルはエッサイの息子、ダビデを召し出しました。
こうして、サムエルに油注がれたダビデはサウルに出会い、仕えることになりました。



渡りの途中に公園に寄った<キビタキ(♀)>
もう南の島に帰って行きました。


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昨日もポカを演じました。
今日が日曜日だと勘違いして、主日礼拝への参加をおすすめしてしまいました。
明日が日曜日です。 どうぞ渋谷の美竹教会教会の礼拝にお出かけください。
サムエルをサッサと殺してしまったり、曜日を間違えたり、今週はミスばかり  m(_ _)m
これから私を「ミス・ゆうゆう」と呼んでも構いませんよ。 (^^;)
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サムエル、生きていました。

2013-10-25 23:14:38 | 今日の聖句
「サムエル記上」13章8節~15節
サウルは、サムエルが命じたように、七日間待った。だが、サムエルはギルガルに来なかった。兵はサウルのもとから散り始めた。
サウルは「焼き尽くす献げ物と和解の献げ物を持ってきなさい。」と命じて、焼き尽くす献げ物をささげた。
焼き尽くす献げ物をささげ終えたそのとき、サムエルが到着した。
サウルは彼に挨拶しようと迎えに出た。
サムエルは言った。「あなたは何をしたのか。」
サウルは答えた。「兵士がわたしから離れて散って行くのが目に見えているのに、あなたは約束の日に来てくださらない。
しかもベリシテ軍はミクマスに集結しているのです。ペリシテ軍がギルガルのわたしに向かって攻め下ろうとしている。
それなのに、わたしはまだ主に嘆願していないと思ったので、わたしはあえて焼き尽くす献げ物をささげました。」
サムエルはサウルの言った。「あなたは愚かのことをした。あなたの神、主がお与えになった戒めをも持っていれば、
主は、あなたの王朝をイスラエルの上にいつもでも確かのものとしてくださっただろうに。しかし、今となっては、
あなたの王権は続かない。主は御心に適う人を求めて、その人をご自分の民の指導者として立てられる。
主がお命じになったことをあなたが守らなかったからだ。」
サムエルは立ち上がり、ギルガルからベニヤミンのギブアに上って行った。




サムエルはまだ生きていました。 m(_ _)m
そうですよね、主の命を受けてダビデに油を注いだのもサムエルですから、ダビデが登場するまでは生きているはずですよね。
その後、どれくらいまで生きていたのかは、サムエル記をよんでゆかないとわかりませんが、とりあえず、まだサムエルは生きています。 (^^;)



<オナガガモ>が公園に姿を見せ始めました。


明日は主日礼拝の日です。
美竹教会の礼拝は午前10時30分から始まります。
どうぞいらしてください。 雨にお気をつけて・・・・・
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サムエルの死

2013-10-24 10:05:26 | 今日の聖句
今日の聖句は 「サムエル記上」12章20節~24節です。

サムエルは民に言った。「恐れるな。あなたたちはこのような悪を行ったが、
今後は、それることなく主につき従い、心を尽くして主に仕えなさい。
むなしいものを慕って、それて行ってはならない。
それはむなしいのだから何の力もなく、救う力もない。主はその偉大な御名のゆえに、
御自分の民を決しておろそかにはなさらない。
主はあなたたちをご自分の民と決めておられるからである。
わたしもまた、あなたたちのために祈ることをやめ、主に対して罪を犯すようなことは決してしない。
あなたたちに正しく善い道を教えよう。主を畏れ、心を尽くし、まことをもって主に仕えなさい。
主がいかに偉大なことをあなたたちに示されたかを悟りなさい。
悪を重ねるなら、主はあなたたちもあなたたちの子も滅ぼし去られるであろう。



これは「サムエルの告別の辞」の最後の聖句です。
サムエルはここで(サムエル記上 12:24)死に、サムエル記の最初で退場のようです。
まだサムエル記上で、31章まで続きがあり、サムエル記下に繋がります。
これから先はサウル王やダビデ王の物語、王を戴いたイスラエルの民の物語が続きます。




すぐ傍で<ダイサギ>が羽を広げました。大きい~!


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「王が与えられる」

2013-10-23 23:24:26 | 「先週の講壇より」
 10月13日(日)の礼拝説教の一部が「先週の講壇より」として週報に載りました。
 テキストは「サムエル記上」10章17節~24節 タイトルは「王が与えられる」でした。

  

 説教の全文は美竹教会のホームページの「9.説教集」に載っています。
 是非お読みください。


  
  夕暮れの公園で<アオサギ>が羽を広げました。
  アオサギは日本の鷺類で一番大きな鷺です。
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讃美歌448番

2013-10-22 23:10:08 | 讃美歌
先週の礼拝で歌いました。 讃美歌448番 「みめぐみを みにうくれば」です。

1) 御恵(みめぐ)みを身に受くれば 我らも今は強し
   御力により頼みて 御戦(みいくさ)の先に立たん

 繰り返し
  いざ進め、たゆみなく いざ歌え、声高く
  御言葉(みことば)に従いて 我らも今は強し

2) 身も霊(たま)も献げまつり ただ主の御旨(みむね)に生きん
   喜びて仕えまつり 勇ましく業(わざ)をなさん

 繰り返し

3) 清からぬ思いを去り ただ主の御旨学ばん
   真心をこめて仕え 御国(みくに)をば世に来たさん

 繰り返し


讃美歌332番「主はいのちを あたえませり、」を作詞した Frances Ridley Havergal(1836-79、英国人)の作詞である。
讃美歌448番は1878年に「救い主への忠誠」と題して発表された歌で、若い信仰者を鼓舞する力を持っているところから、
学生礼拝等に用いられ大いに効果を発揮した。
Frances Havergal ルは、19世紀イギリスの代表的聖歌詩人であった。
讃美歌の作詞と作曲とに尽くした国教会の聖職を父に持ち、広い教養と稀な詩的天分に恵まれ、父の転任により
各地を転々としながら宗教詩と讃美歌との創作に努めた。
彼女の詩歌は献身と清潔とを主題とするものが多いため「清潔の詩人」と呼ばれる。

曲は作曲者 George Coles Stebbins がHavergal のこの歌詞のために作曲したものであり、日本では昭和6年版の『讃美歌』に
収録されてから、特に青年層の間に愛唱されるようになった。

George Cole Stebbins (1846-1945)は少年の頃、父の農園で働きつつ、唱歌学校で勉強し唱歌学校の教師になった。
1869年頃、シカゴに移り、第一バプテスト教会の音楽指揮者となったが、そこで当時の福音唱歌の指導者達、フリップ・ブリスや
アイラ・サンキと知り合った。
28歳でボストンに移りバプテスト教会の音楽指揮者となるが、やがて大説教家ムーデイやサンキの影響により意を決して
音楽伝道者(Singing Evangelist)となった。
1900年頃には1年かけてインド、イタリア、パレスチナ、フランス、英国等に福音伝道活動を行った。 (解説はネットからの引用です。)



讃美歌448番のメロディはココをクリックすると聴かれます。
「繰り返し」の ♪~いーざ、すすーめ、たーゆみなーく~♪ と歌う時、本当に元気がでます。 (^-^)



今日は少しましな<葦(ヨシ)ゴイ>が撮れました。

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日曜日、礼拝でご一緒に元気よく讃美歌を歌いましょう!
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