ゆうゆうの教会便り

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ユダの王ヒゼキヤ

2014-01-28 19:40:56 | 聖書
「歴代誌下」29章から32章まではユダの王ヒゼキヤの記事です。

29章1節~2節
ヒゼキヤは二十五歳で王となり、二十九年間エルサレムで王位にあった。
その母は名をアビヤといい、ゼカルヤの娘であった。
彼は、父祖ダビデが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行った。



ヒゼキヤは治世の第1年の第1月に神殿修復を開始し、国内の偶像を破壊して宗教改革を断行した。
彼の時代は物質的に繁栄した時代だったが、政治的には困難な時代だった。

この時期、アッシリア帝国内では到る所で反乱が頻発し、バビロニアもメロダク・バルアダンのもとで独立を遂げた。
アッシリア王サルゴンの後継者センナケリブは東方の支配を固めねばならなかった。
このような状況の中で、ヒゼキヤ王はアッシリアへの朝貢を中止し、隷属関係を破棄することができたし、父王アハズが
エルサレムに導入することを強いられたアッシリアの偶像も排除することができた。
このため、彼は列王記の記者によって「イスラエルの神、主に依り頼んだ王、その後ユダの全ての王の中で彼のような王は無く、
また彼の前にもなかった」(列王記下18:5)と高く評価された。

しかしアッシリアは混乱が収まるとシリア・パレスチナの鎮圧を開始し、ユダの国にも侵入し、エルサレムを包囲した。
エルサレムは絶体絶命の危機に陥ったが、かろうじて危機を免れた。

これについては聖書に二つの伝承が保存されている。
ヒゼキヤが神殿と宮殿の倉庫の莫大な裁縫をアッシリアに収めて滅びを免れた、というものと
主の使いがアッシリア軍を滅ぼしてセンナケリブは退却したというもの。
後者は、アッシリア軍に疫病などの何らかの災害が起こったか、本国に政治的異変が起こって急遽退却せざるをえなかった、
という事が考えられる。

いずれにせよエルサレムが滅びを免れたことは事実で、エルサレムは不滅であるという迷信的信仰が広がったようである。

これ以後ユダは、再びアッシリアの属国となり、ヒゼキヤの後継者マナセとアモンは、ヒゼキヤが排除したアッシリアの偶像を
再びエルサレムに導入しなければならなかった。
  
↑ 解説は、樋口進著「よくわかる旧約聖書の歴史」よりの抜書です。



公園の<エナガ>です。 
そろそろ番になって巣を作り始めますが、今の時期は群れで行動しています。


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