ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「安息日」 魂のリセット

2018-02-10 20:44:33 | 説教 十戒
2月4日(日)主日礼拝説教 テキストは「申命記」5章12節~15節と
「マルコによる福音書」2章23節~28節
タイトルは「安息日」魂のリセット でした。





週の初めから風邪気味でしたが、ついにダウンしました。
昨日・今日は布団にもぐりこんで丸くなってふっくら<ふくら人間>状態で過ごしました。
明日の「安息日」は礼拝には行けそうもありません。
先週の説教プリントも夜になってなんとかアップする気分になりました。 <(_ _)>
普通の風邪だと思うけれど、なるべく病院には行きたくないけれど、明日の様子を見て
月曜日には医者に行こうかな~ 
インフルエンザの予防接種はしていないけれど、普通の風邪とインフルはどう違うのかな~

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寒い冬の曇り空の下、ふっくら<ふくら雀>
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「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」

2018-02-03 18:41:38 | 説教 十戒
1月28日(日)の主日礼拝説教
タイトルは「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」
テキストは「出エジプト記」20章7節 「マタイによる福音書」5章34節~37節です。





この日の説教テキストの「マタイによる福音書」5章33節~37節まで、私の聖書には
大きなはてなマーク(?)がついています。
『然り、然り』 『否、否』という言葉の意味が全く分かりませんでした。
な~るほど、そんな風に読むのですね~よく分かりました。
礼拝でみ言葉の説き明かしをお聞きしなければ、私には聖書は読みこなせません。
最近は記憶力の低下がはなはだしく、お聞きしたこともずっと覚えている自信無く、
とても残念な気もします。
諦めずに丁寧に聖書を読んで礼拝を大切に守ってみ言葉に触れていたいと願っています。

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野茨の赤い実と<メジロ> 野鳥は本当に愛らしい!
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「破格な神」 あなたはいかなる像も造ってはならない

2018-01-27 17:57:27 | 説教 十戒
1月21日(日)主日礼拝説教
テキストは「出エジプト記」20章4節~6節 「コリントの信徒への手紙二」6章14節~16節
タイトルは「破格な神」あなたはいかなる像も造ってはならない




『刻まれるものは目に見える形だけでなく、つい頭の中で、心のどこかで、魂において神様たるもの
こうあるはず、いやこうあるべきだとイメージを勝手に作り上げてしまっていることはないだろうか、
と問われるのです。祈る時、そして礼拝のただ中で、私たちの願いや願望や要求に沿って固定された
イメージの中に、神を押し込め、閉じ込めてはいないだろうか、と。(中略)私たちの都合に合わせて
神のあり方を論じたり、神の業を値踏みするような傲慢に陥っていないだろうか、自らのイメージの
神がいつしかイマジネーションの中で形作られて怒ったり、慰めたり、聖書の言葉とは関係なく、
限られた範囲の中に封じ込まれていないだろうか、と。』

ブログにも何回か書きましたが、二十歳前に受洗した私はその後、十年くらいして教会を離れ
40年近く「放蕩息子」状態でした。還暦過ぎて数年後、家族問題で苦しんでいた私に神様に
立ち返るように勧めてくれたのは二番目の姉でした。
その有難くも大切な姉に対して・・・・私が「放蕩息子」状態だった頃のことです。

姉との会話で、姉が「こんなに嬉しいことは神様の御心、本当に有難いわ」というようなことを
言ったことがあります。傲慢で生意気だった私はすぐ言葉尻を捉えて「神様の御心が分かるって、
お姉さんってすごいね~!」と言い放ちました。
その後、姉から便箋五枚以上の長い長い手紙をもらいました。
姉が手紙に何を書いてくれたのか今となっては記憶に残っていません。また、姉が神様の
イメージを勝手に作り上げていたかどうか、そんな難しいことを私が感知していたということは
決してありません。
優しかった姉と生意気で傲慢な妹の私、左近牧師の説教をお聞きしながら懐かしく思い出しました。
姉は数年前に亡くなりました。もっと早く私が神様に立ち返って、姉と神様について、教会について、
礼拝についてたくさん話し合いたかった。後悔先に立たず、心が涙で濡れます。

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公園の<翡翠> 背景のボケが綺麗でした。
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「絞られた照準」 わたしをおいてほかに神があってはならない

2018-01-17 21:28:38 | 説教 十戒
2018年1月14日 主日礼拝説教
タイトルは「絞られた照準」 わたしをおいてほかに神があってはならない
テキストは「出エジプト記」20章3節、 「マタイによる福音書」4章8節~10節 でした。





私は久保田早紀さんも、彼女のヒット曲の「異邦人」も存じ上げなかったのですが、
嬉しいことに、NHKの番組を YouTube で見ることができました
久保田早紀さんが失意の中で訪れた教会の牧師さんの言葉「大海に浮かぶ小舟一艘、
あくまで自分を主人として乗り越えてゆくか、イエスキリストを主と仰ぎつつ
ナビゲートされてこぎ続けるか?」は、私の信仰の原点はここにある、と思える
言葉でした。
本当に独りぼっちだと思う時、私は「主、我と共に在り」という信仰にすがって
生きていることに気づきます。神様が私と共にいてくださらなかったら私は何を
頼りに生きて行けるのでしょう。神様が共にいたくださると信じる時、私には
怖れるものは無い(ハズ・・・・です、はぁ~、信仰弱き私をお許しください。)
「わたしをおいてほかに神はないでしょう?」という神様に導かれ、具体的には
聖書のみ言葉に頼りながら生きて行く毎日。
時には空しい思いや投げやりな気持ちに堕ち込むこともありますが、御許に
召される日まで祈りつつ大切に丁寧に生きて行けますよう、神様に願っています。

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公園の<モズ(雌)>です。
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「聖化の道筋」

2018-01-07 20:54:16 | 説教 十戒
ブログを見てくださっている皆様、新年おめでとうございます。
暮れから正月にかけて、独り暮らしの寡婦を訪ねてくださる方も何人かいらしたりして
何かと忙しくすっかり更新をさぼってしまいました。
後期高齢者の私はトボトボとマイペースではありますが、神様のみ言葉を少しでも
証しできますよう、今年もブログを続けて行きたいと願っています。
今日は、何と! このブログを始めてから2000日目でした。
まあ、だからどうということはないのですが・・・・・
時々でも覗いてくださると嬉しいです、今年もどうぞよろしくお願い致します。

今日は今年最初の主日礼拝でした。
礼拝説教のテキストは「出エジプト記」20章1節~17節
タイトルは「聖化の道筋」でした。





格調高い左近牧師の説教でしたが私には難しく、ライブでお聴きしていて途中でよく
分からなくなってしまいました。家に戻っていただいたプリントを読み直しました。
それでもちょっと難しい・・・・・年齢と共に衰える理解力、悲しいです。
これまでもそれほど分かっていなかったりして (・・;)
それにしても「十戒」の言葉の前にあるみ言葉に大きな意味が込められているとは
またまた「目から鱗」でした。 聖書は本当に深いです。
そして左近牧師の説教は本当にワクワクと心躍り、深く充たされます。
ルターが宗教改革において「聖書のみ」と謳った重さもよくわかります。

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お正月の公園の<ウグイス>サービス満点で、ほとんど手乗り状態でした。
とはいうもののチョコチョコ動き回るウグイスを撮るのは結構大変でした。
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「救いの青写真」

2016-08-06 14:53:37 | 説教 十戒
7月24日(日) 左近豊牧師によってなされた主日礼拝説教
テキストは「出エジプト記」20章1節~17節 「コリントの信徒への手紙二」3章18節
タイトルは「救いの青写真」でした。





二週間遅れの掲載です。m(_ _)m
明日7日(日)は仏式で弔った夫の新盆供養で菩提寺に行きます。
美竹教会の礼拝は欠席で、礼拝説教のプリントを戴けません。
24日の説教プリントが未掲載だ! ということに気づいてアップさせていただきます。
十戒は人を裁くためのものではなく神の御心に沿って新たに歩みだす私たちの生活のガイドである、
私も少しずつでも前に歩み始めなくては・・・・・。

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<マルタンヤンマ(雄)>
気温35℃を超えるとヤンマたちは涼しさを求めて崖の藪木立の中にぶら下がります。
ヤンマのぶら下がりを撮るためにカメラを持った人が何人も公園の木道をウロウロ。
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「キリスト者の自由」

2015-02-01 19:30:00 | 説教 十戒
今日2月1日の主日礼拝説教 
テキストは「申命記」5章21節と「ガラテヤの信徒への手紙」5章13節~15節
タイトルは「キリスト者の自由」でした。
説教の前に左近牧師は「イスラム国」で失われた命を悼んでお祈りをされました。






今日は礼拝の前、10時から10時20分に「聖書の学びの会」 
礼拝後は集会室でみんなで食事をしながらの「ミニ修養会」 
そして、私は今日は教会学校の分級担当で、少々あわただしい日曜日でした。 (^^;)



公園に100羽くらいの<アトリ>の群れが来ています。
梢からバァーッと降りてきて地面の餌(木の実?)を啄みます。
人や犬が通るとバァーッと羽音をたてて梢に戻ります。
群れの野鳥を撮るのは難しく、しかも背景が枯葉なので
<アトリ>が全く目立ちません。 (泣)


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今日の「ミニ修養会」は楽しく終わりました。
来月も多分、行われることと思います。 初めての方、大歓迎です。
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「魂を生かす言葉」

2015-01-25 21:53:23 | 説教 十戒
今日の礼拝説教です。
テキストは「申命記」5章20節 と 「エフェソの信徒への手紙」4章22節~29節
タイトルは「魂を生かす言葉」でした。







十戒の第九の言葉「隣人に関して偽証してはならない」という聖句は単純にウソをついてはいけない、
ということではなく、共同体や社会での積極的な生き方を勧める言葉である。
隣人の地位や状態にかかわらず、その名誉、尊厳、人格、そして命を魂を守ること。
そのためには、私たちは言葉を発しなくてはならない。
言葉は時には相手を傷つけるものであるが、私たちは相手を生かす恵み深い言葉で
聴く人を命へと造り上げる言葉を与えられているはずである。
死を打ち破って新しい命をまとって復活された主を、知っている私たちは
キリストを証しする証言者の歩みを踏み出しましょう・・・・・

聖書の御言葉は本当に意味深く、奥深く、味わい深いとつくづく思わされました。
左近先生は旧約、新約を縦横無尽に引用されて「偽証してはならない」から
「塩で味付けされた快い言葉で語りなさい」までを説き明かしてくださいました。

御堂で一度聴いただけではなかなか頭に入りません。
家に戻って、プリントを何回か読んで、ようやく分かってきます。
聖書がますます面白く(不謹慎と言わないでくださいネ)なります。


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公園の池のカワセミ(♀)です。


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「見捨てない愛」

2015-01-18 21:40:01 | 説教 十戒
1月18日の礼拝説教です。
テキストは「申命記」5章19節 と 「ルカによる福音書」10章25節~37節 タイトルは「見捨てない愛」







「盗んではならない」
ただの一行の御言葉の裏に、こんなにも膨大な思い(教え)が込められているとは驚きました。
聖書を何のツールもなく、毎日ただ読み下している私にとって主日礼拝の説教は豊かな学びの時であります。
十戒は、ただ行動を縛る戒律や自己規制や罰を恐れる生き方ではなく、果敢に隣人を生かし守り、支えていく
積極的な生き方を促すものだということも分かりました。

「善きサマリヤ人」の教えに至っては、「私の隣人とは誰ですか?」という律法の専門家に対して語られた
イエスのたとえ話は、すれ違っていて答になっているのだろうか?などと、私も大きな思い違いをしていました。
「隣人とは誰か決まった型にはまったものではなくて、そうではなくて、隣人とは、なるものなのだ・・・・」
なるほど~ 難しいですが、分かったような気がいたします。

盗んではならないと語りかけられている私たちは隣人のために積極的に隣人を守り支えることを求められている。
そして隣人とは自分の敵までをも含みうる(ように私たちがなるべき)広い範囲に、つまりどこにでもいる、
ということでしょうか。

聖書は導く人(牧師様)がいなくては、真に読むことはできないと毎週、思わされます。



今シーズン初めてまともに<モズ>を見ました。 (♀)です。


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「愛に生きる」

2015-01-11 23:19:30 | 説教 十戒
今日の礼拝説教 テキストは「申命記」5章18節 と 「ヘブライの信徒への手紙」13章4節~6節
タイトルは「愛に生きる」でした。






人は神に似た姿に造られた、と言うことは、姿、形や外見が似ている、ということではなくて、
聖書の神の持っておられる本質、特質に似ているということ。 その本質とは神がご自身のうちに
「対話」を持っておられ、内在的な関係を持っておられるということ・・・・・そういうことなのですね~
最も深いところで大事なことは、人間が男と女であれ、親と子であれ、隣人とであれ、互いが
神の似姿として関係に生きるもの、愛にいきるものとして造られたということ・・・・そうなのですね~

関係の破れ目に立って執り成し、和解と赦しを成し遂げてくださるイエスキリストによって
「愛に生きる者」として過ごすこと。  今週も新しく学び、導かれました。 感謝です。

「殺すな」という律法が単に守るべき戒律の枠を超えて、積極的に隣人を愛する行為にまで広がるように
「姦淫するな」という言葉も夫婦間の契約を破るな、という枠を超えて、人間関係のかかわりに
愛を持って積極的にかかわっていくという行為にまで広げる。
自分の力では成しえない行為もイエス・キリストが介在してくださることによって成し得る。
祈らなくては、と思いました。

「姦淫するな」という言葉から、私は異教の神への崇拝や偶像礼拝を戒める、ということを
連想するのですが、この箇所では普通に結婚した男女は「姦淫するな」という意味に捉えて
よいのでしょうね。



<エナガ> 体長14㎝くらいで、その半分が尾羽です。


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