ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

しばらくお休みいたします。m(_ _)m

2016-05-11 13:22:58 | その他
私事ですが、私の連れ合いの体調が少々不安定になってきて、老夫婦二人暮らしの私は
だいぶ忙しくなりました。 しばらくこのブログをお休みさせていただきます。
連れ合いはノンクリスチャンですが主の恵みにあずかり平安の内に過ごせますよう、
私は毎日祈りながら看病しています。 主はいつも共に歩んでくださっています。
御心ならばまたいつかブログ再開ができることと思います。
今日の聖句は私たち夫婦のために姉が送ってくれました。

  「詩編」121篇
  目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。
  わたしの助けはどこから来るのか。
  わたしの助けは来る 天地を造られた主のもとから。

  どうか、主があなたを助けて 足がよろめかないようにし
  まどろむことなく見守ってくださるように。
  見よ、イスラエルを見守る方は まどろむことなく、眠ることもない。
  主はあなたを見守る方、あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。
  昼、太陽はあなたを撃つことがなく 夜、月もあなたを撃つことがない。

  主がすべての災いを遠ざけて あなたを見守り
  あなたの魂を見守ってくださるように。
  あなたの出で立つのも帰るのも 主が見守ってくださるように。
  今も、そしてとこしえに。



公園の<ハナミズキ>です。

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
今週の日曜日5月15日はペンテコステ礼拝です。
美竹教会では受洗なさる方がいらっしゃるようで、洗礼式が行われます。
礼拝後は集会室でお食事をしながら懇談会です。
教会は初めてという方も是非!お出かけください
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?(ハテナ)マーク

2016-05-05 14:29:25 | 聖書
「創世記」4章1節~5節
さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「わたしは主に依って男子を得た」
と言った。彼女はまたその弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持ってきた。
アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持ってきた。
主はアベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった。
カインは激しく怒って顔を伏せた。


2010年12月、何十年も教会を離れて「放蕩息子」だった私は美竹教会に再び迎えられ
現住陪餐会員となりました。 その時の美竹教会の牧師は上田光正先生でした。
陪餐会員となる前の約三年間は独りで聖書を読み、送っていただいた上田光正牧師の
説教コピーを読んだりしていました。
最初は礼拝に出られるのは月に一回くらいでしたが、ある時ノンクリスチャンの連れ合いをを説き伏せて、
今では殆ど毎週礼拝に出ています、感謝です。
だんだん聖書を読むのが楽しくなってくるとそのうち、自分の好きな三大箇所(聖句)、感動する
三大箇所(聖句)、納得できない三大箇所(聖句)などが出てくるようになりました。
今日は、聖書を読み始めて真っ先に納得できなかった箇所をアップいたします。
納得できないなぁ・・・という私の?(ハテナマーク)です。
この箇所は5月1日の礼拝説教で左近牧師がしっかり説き明かしてくださいましたので、
納得できた・・・・はずですが、天災人災の不条理はともかく、弟と比べての依怙贔屓は
我慢できなかったよね~と、何回読んでもカインに同情してしまいます。
私の独善的な、そして不信仰の故かも知れない?(ハテナマーク)はあと二か所あります。 
そのうち又、アップさせていただきたいと思います。


新緑の梅の木に止まる<メジロ>です。

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ペンテコステ礼拝のご案内

2016-05-03 13:34:24 | 美竹教会


ペンテコステとはギリシャ語で50日目という意味で(多分)イエス様の復活から50日目なのだと思います。
その日、集まっていた信徒に聖霊が降り、信徒たちは夫々のお国ことば(多分、地域地域の訛り?)で話し初め、
多分その場所からキリスト教の教会が始まったのだと思います。
私の知っていることはこれくらいです。
あとは5月15日の礼拝で左近先生が詳しくわかりやすく説き明かしてくださることでしょう。
教会は初めてと言う方も、私のように長い間「放蕩息子」状態だった方も、是非、東京は渋谷の美竹教会に
説教を聴きにいらしてください。 お待ちしています。

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「エデンの東」

2016-05-01 18:09:31 | 説教
今日、5月1日の主日礼拝説教
テキストは「創世記」4章1節~16節 「ルカによる福音書」15章11節~32節
タイトルは「エデンの東」でした。






  カインの受けた不条理、ヨブの受けた不条理、サリエリの受けた不条理、左近牧師の説教は
  状況を目の前にまざまざと見るように、強烈な迫力で迫ってきました。
  不条理を突きつけられた時、私は、神にそのことを抗議できるでしょうか、するでしょうか?
  祈りが苦手と言う私は、実は神様にも心を開いていないのではないか? 
  神の胸ぐらをつかんで祈る(抗議する)どころか、神にすら自分の心、不満を見せたくない、
  隠したい、と顔をふせている自分がそこにいると思いました。
  身に降りかかった不条理を前にしたら私は、顔を伏せ、心は内に内に曲がりこむに違いありません。
  今日の説教は神にすら素直に謙虚に率直になれない自分を見るようで、恐ろしいものがありました。
  そんな私でも、いや、そんな私だからこそ「主共にあり」の信仰にしがみついて生きて行きます。

  「放蕩息子状態」の時の私だったら、内にねじ曲がってしまう自分の弱さを直視しえず、苦しくて
  教会から、神から離れてしまったことでしょう。 
  しかし、今の私は神を離れません。
  『主よ、あなたは神の子キリスト、あなたを置いて誰のところへ行きましょう。』
  こんな私でも「憐れみに駆られて走り寄って首を抱いて、新しい命に与る喜びの食卓に招いてくださる」
  この神を置いて私は何処に行けましょう。

  
  春! 野イチゴの花の蜜を集める可愛い蜂が。

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