ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

讃美歌521番 「イエスよ心に宿りて」

2015-03-31 13:04:16 | 讃美歌
先週の礼拝で歌いました。

" Lord Jesus I long to be Perfectry whole " by James Nicholson, 1871
「WHITER THAN SNOW」by William Gustavus Fischer, 1872
  1)イェスよ、心に宿りて 我を宮となし給え
    汚れに染みしこの身を 雪より白くし給え
   Chorus:
   我が罪を洗いて 雪より白くし給え
  2)イェスよ、御腕(みうで)を伸ばして すべての仇(あだ)を追いやり
    我を全(また)き牲(にえ)となし 大前に献(ささ)げしめよ
  Repeat Chorus.
  3)イェスよ、十字架のみもとに 我は伏して請(こ)い願う
    流れ出(い)ずる血潮にて 罪の身を清め給え
  Repeat Chorus.
  4)イェスよ、君の勲(いさお)にて 清めらるるぞうれしき
    我を新たに造りて 君のものとなし給え
   Repeat Chorus.

詩を書いたジェームズ・ニコルソンは郵便局員という、やや変わり種。
19世紀の日曜学校で子どもたちに讃美を教え、讃美歌をつくることもしていたといいます。
作曲のウィリアム・フィッシャーはドイツからの移民で、子どもの頃から音楽の才を発揮していました。
指導者として尽力し、音楽大学でも働きました。また、ピアノを通じたビジネスにも携わったそうです。
この讃美歌は「詩編」51篇からから作られたようですが、51篇にはダビデが預言者ナタンの指摘を受けて、
バト・シェバとの罪、その夫ウリヤを闇に葬った罪を悔い改める場面が描かれています。
原詩では、「雪よりも白く」が幾度も幾度も繰り返されています。  (解説はネットからの引用です。)

「雪よりも白く」が幾度も繰り返される原詩が載っているサイトです。
クリックしてメロディをお聴きください。



東京の染井吉野は満開です。

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「私の独り言」 続き

2015-03-30 22:53:57 | その他
昨日、フト書き始めた「私の独り言」の続きです。

乾いた心を抱えて鬱々と過ごした日々から、神の御許に戻れた今、わたしは神様による救い、
赦し、癒しが分かっていて(多分)、その平安を神に心から感謝しています。
そして、神の御許を離れて生きていくこと、神を信じることなく生きていくこと、つまり
罪人としての「的外れに生きていくこと」の虚しさ、心細さを思うにつけ、
これまでの生き方が罪だったのだ、自分は罪人であったのだと実感し納得できるのです。

教会を、キリスト教を伝道する時に、「私たちは罪びとであるにも関わらず、イエスの
十字架の贖いによって神に赦され、救いに道に招かれている。私たちは贖われ喜びに満ちている」
という導入はどうなのでしょう、と昨夜、フト考えました。 
「求めよ、さらば与えられん」ということで、求める気持ちを持たない人々に福音を述べ伝え、
分かってもらうのはとても難しい、と考えた次第です。
教会に行くことは、神様にすべてを委ねた信仰の生活とは、こんなにも満ち足りているということを
心の欠けを実感していない人々に伝えても説得力は無いように思いました。
罪から解放される喜び、と言われても罪の自覚が無くてはなんの説得力も無いでしょう。

しかし、日々の生活の中で、本当は多くの人が満たされない思いを抱いているのではないでしょうか。 
心の深奥に大きく、またはひっそりと空しい思いを抱いているのではないでしょうか。 
充たされる思い、心からの充実、ぶれない拠り所を、本当は皆求めているのではないでしょうか。 
自分の心にある、そういう思いを自覚した人々に告げられる時、福音は力を持って働き、
人を罪びとから救うことでしょう。

教会に連なる者として、ぶどうの枝に連なる者として、私も伝道をしたいと思う日々ですが、
結局は、わたし自身が活き活きと喜びに満ちて生活することが救いに与った者としての証しになる、
罪から解き放たれるとはこういうことだ、という証しになるのでしょう。

そして、信仰薄い、信仰弱いわたしが神様に生かされている生活を活き活きと楽しく過ごすには、
礼拝に集う事を含めた教会生活、祈り、聖書、これ無くしては成り立ちません。
私の平安を一人でも多くの方と分かち合いたいと願う日々です。


春の日差しの中で仲良く水浴び。 
<ヤマガラ>と<メジロ>です。

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教会の出版物「信音」の最新号(3月29日発行)にK長老が書かれています。
『美竹教会の教会員はそれぞれの賜物に応じて教会を支えている。
会員の超高齢化は否定できないが、にもかかわらず左近先生を通して神さまから
元気をいただいて、それぞれが教会に集い、互いに家族のように支えあっている。
これほど素晴らしい経験が他にあるだろうか。
まだ教会に来られていない多くの方と分かち合えればと思う。』

縁あってこのブログに目を留められたアナタ、ぜひ美竹教会の扉を押して訪ねてみてください。
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「十字架の約束」

2015-03-29 20:34:23 | 説教
今日、3月29日の受難節第6主日礼拝の説教
テキストは「イザヤ書」53章1節~12節 と 「ルカによる福音書」23章39節~43節
タイトルは「十字架の約束」でした。






  今日は礼拝に青山学院短期大学・シオン寮の学生さんが10名ほど来られました。
  左近先生の説教は分かりやすく、イエス様が十字架に至るまで過ごされた
  受難週の出来事を説き明かされました。
  犯罪や処罰では解決しない魂の重荷ゆえの深い渇き、それををいやす赦しと執り成しは
  イエス様によってのみ成されるものです。
  魂の求めにも渇きにも気づくことなく、贖いの十字架も GOOD FRIDAY も知らず、認めずに
  いるもののためにこそ、イエス様の十字架はあり、教会にはいまも十字架が立ち続けています。
  初めて教会にいらした(かも知れない)若い方々が、ご自分の生きる意味を深く考えられて、
  神無き世の虚しさに代って、平安と喜びの救いに与る日が来ますように、
  心からお祈りさせていただきました。

  
  求愛給餌のために獲物を狩ってきて雌を誘う<オオタカ(♂)>です。


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教会では「罪からの赦し」「イエスによる私たち人間の罪の贖い」「救いの御業」など
よく聞きます。罪とは「的を外した生き方」だということも学びました。
私の場合、神から離れ、的を外して生きることは、今では考えられないことです。
神様が私を呼んでくださった恵みと平安は私の生きる希望となっています。
そうでなかったら、生きていることはなんと虚しいことでしょう。
私がそうなったのは、私には魂の深い渇き、というべきか、重荷というべきか、
一人では耐え切れない虚しさがあったからです。
乾いた私は神の恵み、救い、イエスの贖いを心から受け入れました。
以前の私は「的を外した生き方をしていた、神との関係を受け入れていなかった、
絶ち切っていた」のでしょう。
そのことに気付いた時、初めて自分も罪人だった、と思えました。
自分の存在の虚しさ、心の渇きに向き合って教会の扉を叩く人は必ず神の救いに
与かれることでしょう。
「求めよ、さらば与えられん・・・・・」
最初に求める心アリ、で救いは与えられるのでしょう。  (「私の独り言」です。)
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「歴代誌」

2015-03-27 13:48:32 | 聖書
歴代誌の著者が捕囚後の時代にその著作活動を行った時までには、旧約聖書の多くの書物は既に存在していた。
それは代上1-9章が創世記に依存していること、代上10章-代下36章がサムエル記と列王記に依存していること、
更にヨシュア記、イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書、詩編、ルツ記の各所からの引用ないし並行記事があり、
それらへの依存性があきらかであるからである。

歴代誌はアダムから捕囚帰還(代上9:2-34)までを扱う唯一の歴史書である。
神殿、祈り、礼拝、レビ人に格別な関心が寄せられ、独自の記述が目立っている。
歴代誌史家は、自己の記述目的を強調するために、サムエル記や列王記などの従来の記述に大幅な不可、削除、
変更、再構成を行い、独自の文体で、独自の神学を作り出している。

内容に従って4部分に分けられる。
第1部(代上1-9章)は、系図とリストからなる。ダビデの登場と彼の王朝の段階までを準備する。
イスラエルの選びの正統性とイスラエルが神の救済計画の中心にあることを主眼とする。
ユダ部族が系図の主要な位置を占める(代上2:3-4:23、5:1-2も参照)。

第2部(代上10-29章) サウルの死についての短い報告(代上10章)に続いて、歴代誌史家の中心人物である理想の王
ダビデを扱う(代上11-29章)。 エルサレム占領と軍隊制度の創設についての報告(代上11-12章)の後、
神の箱をエルサレムに運び上げる詳細な報告(代上13-16章)が続く。
ダビデはエルサレム神殿制度の創始者である(代上21-28章)。
最後にダビデの治世についての短い評価で締めくくられる。

第3部はソロモンの活動を扱う(代下1-9章) 彼は父ダビデの計画の完成者として描かれている。
彼は神に特別な「知恵と識見」を祈り求め(代下1章)、神殿建築に取り掛かり、その事業を完成した(代下1:18-5:1)。
奉献と祈り(代下5-6章)に続き、神の訓戒(代下7しょう)が述べられる。
最後にソロモンの諸事業と活動で締め括られる(代が8-9章)。

第4部(代下10-36章)は、王国の分裂(代下10章)と、ユダ王国の歴史が扱われる(代下11:1-36:21)。 
ヨシャファト(代下17:1-21:1)、ヒゼキヤ(代下29-32章)、ヨシヤ(代下34-35章)の各王の治世は
「列王記」の並行記事より詳細に記述されている。
最期にペルシア王キュロスの布告記事で閉じられる(代下36:22-23)。 

↑ 以上は「聖書事典」歴代誌上・下の項より抜書きです。

「歴代誌」を読むのもこれで何回目でしょうか。これまでは気づかずに、ただただ必死に読み下していた
だけでしたが、今回は、最初の系図の所で「創世記」で読んだような記憶がよみがえりました。
サササッと先のページを捲ってみると、サウル王やダビデ王のことは「サムエル記」で読んだような記憶が、
ソロモン王のことは「列王記」で読んだような記憶があります。
ということで、無味乾燥気味の系図やリストも今回は少し親しみが湧いてきました。
時間があって能力もあったら、例えば「歴代誌」と「サムエル記」「列王記」の記事を比較してメモを取りながら
じっくり読んでみたいですね~
何十年も昔、十代で洗礼を受けて二十代の終わりに教会を離れた頃には、聖書がこんなにも面白くて、
興味尽きない書であるとは思いもしませんでした。
若き日々(今よりという意味では、これまでの日々すべて)勿体なかったです。


森の奥では<オオタカ>の愛の季節が始まっています。
オス(左)が狩ってきた獲物をメス(右)がしっかと受け取りました。
求愛給餌です。これからメスは卵を産み抱卵し、雛を孵し育てます。
雄はその間ずっと給餌を続けます。

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「マンガ 聖書時代の古代帝国」

2015-03-25 14:01:30 | その他
「マンガ 聖書時代の古代帝国―イスラエルの滅亡から新約までの歴史―」(いのちのことば社刊)
二回読んで、ようやく、なんとなく分かったような気がしています。
結構重要な活躍をした人の名前がたくさんでてきます、それも似たようなものも多くて・・・・(^^;)
衣装を識別して人物を特定できるので、マンガの絵に非常に助けられました。 
本の最後に年表がありますが、ワタクシとしましては、出来事を抜書きしながらもう一度
読み直して、自分で年表を書いてみたい気持ちです。

下はこの本の最初に載っている「推薦文」です。
本当は自分で内容を要約したかったのですが、二回読み直しても一筋縄ではいきません。
この「推薦のことば」は簡潔に、ややこしく複雑なこの本の内容を言い表していますので
お得意のコピペでここに載せさせていただきます。 m(_ _)m

***************
「旧約聖書」の最後に出てくるイスラエルの滅亡から「新約聖書」(イエス様の誕生)の前までの
歴史を記した本です。 聖書に出てくる古代帝国を中心に、第二神殿時代(Second Temple Period)
または旧約聖書と新白聖書の中間時代(Intertestamental Period)あるいは新約聖書の背景史とも
呼ばれる時期を包括的に扱っています。
その時代の“エルサレムを中心としたパレスチナ地方をめぐる諸般の歴史”です。

分裂したイスラエルの滅亡前後のオリエント列強の興亡、そしてバビロン捕囚からの帰還を序曲に、
アレクサンドロス大王以降、ユダヤの地をめぐりプトレマイオス朝エジプトとセレウコス朝シリアの
間に起きた深刻な対立、ハシディムを背景としたマカバイの決起、ハスモン王朝の成立、
ローマのパレスチナ侵攻、クムラン共同体、ユダヤ人のローマ抵抗運動、最後はヘロデ大王の父、
アンティパトロスの登場までの政治的なつながりを流れに沿ってまとめています。

また、当時の政治的な力関係だけでなく、ユダヤの宗教と文化がどのように絡んでいるかも扱っています。
ユダヤの諸宗派の形成と対立、シナゴーグやサンヘドリンといった機関の胎動、ギリシア語の旧約聖書である
七十人訳聖書の使用、そして当時、多くの人々が共有していた黙示文学とメシア待望思想を説明しています。
***************

本の中から1ページ・・・・・・
周囲の列強の力関係をかいくぐりユダヤに誕生したハスモン王朝の家系図です。



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教会で聖書に関する本を教会の兄弟姉妹と共に味わって読めたら楽しいことでしょうね。 
勿論、こういうマンガ本も有り、ということで。 (^-^)
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讃美歌139番 「移りゆく世にも」

2015-03-23 10:08:56 | 讃美歌
昨日の礼拝で歌いました。 受難節(レント)にふさわしい美しい讃美歌です。
この讃美歌については以前もこのブログに載せましたが、とても素晴らしい讃美歌なので
またアップさせていただきます。 
このブログにはできたら未登場の讃美歌をずーっと載せたいのですが、カテゴリ「讃美歌」
の記事はすでに100以上にもなりました。 以前の記事とダブっても素晴らしいものは
素晴らしい!ということで、これからも重複してアップすることになると思います。 
よろしくご了承くださいませ。

讃美歌139番 「移りゆく世にも」   "In the cross of Christ groly" by John Bowring, 1825
                        「RATHBUN」by Ithamar Conkey, 1849

1) うつりゆく世にも かわらで立てる
   主の十字架にこそ われはほこらめ

2) 聖書(みふみ)の光は 罪をあがなう
   十字架のうえにぞ みな集まれる

3) おそれと悩みの せまるときにも
   十字架はやすきと 喜び満てり

4) 十字架のうえより さしくる光
   ふむべき道をば 照らしておしう

5) わざわいさいわい よしあしともに
   ただ十字架にこそ きよくせらるれ

荘重深遠な十字架の歌である。
ガラテヤの信徒への手紙6章14節「しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、
誇るものが決してあってはなりません。」に基づき1825年に「キリストの十字架」と題して発表された。

原作者 John Bowring(1792-1872)はイギリスの著名な語学者、評論家、政治家であった。
1835年には下院議員に選ばれ、その後香港総督に任ぜられ、ペリーの日米条約締結の際、日英条約を結ぶため
来日の予定であったが、その機会を失した。
作者は篤信な福音的信仰の持ち主で、平和と希望とのうちに永眠したという。
そして彼の墓碑にはこの歌の初行が刻まれているとのことである。

作曲者 Ithamar Conkey(1815-1867)はニューヨークの幾つかの教会で聖歌隊を指導し又、独唱者として、
或は4重唱のリーダーとして活躍した。
オラトリオのバス独唱者としては当時ニューヨーク随一と称された。
ある年(1851年)のレントの期間に、John Bowring のこの歌詞が頭に浮かんできたので一気にそれに作曲し、
次の日曜日の礼拝で聖歌隊が歌った。
その聖歌隊の中に、指導的役割をしていた若いソプラノ歌手 Beriah S.Rathbun 夫人がおり、
この夫人に敬意を表して、曲名を“Rathbun”とした。
爾来、受難集の歌として米国各派の讃美歌集に収録され、広く愛唱されるようになった。
                                         (以上、ネットからの引用です。)

ココをクリックすると讃美歌139番を聴くことができます。

↓英語の歌詞も載せましょう。 
 In the cross of Christ I glory,
  Towering o’er the wrecks of time;
  All the light of sacred story
   Gathers round its head sublime.

  When the woes of life o’ertake me,
  Hopes deceive, and fears annoy,
  Never shall the cross forsake me,
  Lo! it glows with peace and joy.

  When the sun of bliss is beaming
   Light and love upon my way,
   From the cross the radiance streaming
  Adds more luster to the day.

  Bane and blessing, pain and pleasure,
  By the cross are sanctified;
   Peace is there that knows no measure,
   Joys that through all time abide.

  In the cross of Christ I glory,
  Towering o’er the wrecks of time;
  All the light of sacred story
  Gathers round its head sublime.


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「低きに下る神」

2015-03-22 22:19:00 | 説教 主の祈り
今日の礼拝説教
テキストは「詩編」150篇1節~6節 と 「フィリピの信徒への手紙」2章6節~11節
タイトルは「低きに下る神」でした。




以前、上田牧師が説教の中で、願い事が多く賛美と感謝の少ない日本人の祈りについて
言及されたことがあります。
私は旧約聖書の中では「ダビデ王の祈り」と「ソロモン王の祈り」が好き(ってヘンですが)
なのですが、二人(特にダビデ王)の祈りは神への賛美の言葉がとても印象的です。
詩編は賛美の祈りの詩だそうで、たしかダビデ王の詩が一番多く採用(?)されているの
ですから、二人の王の祈りが素晴らしいのは当然かも知れませんん。

祈りの苦手な私は毎朝毎晩、願い事ばかりの祈りを繰り返しています。
どうしても神様にお願いしたい思いがあって、そうなってしまうのですが、
時々自分の祈りが嫌になります。
そんな時は心を込めて「主の祈り」を祈ります。 
「主の祈り」は本当に良い「祈り」です!
礼拝の当番で「献金の感謝の祈り」をする時がありますが、神様への祈りなのに、
どんな風に祈ろうか、何を言ったらそつのない祈りになるのか悩んでしまいます。
本当に、愚かで信仰薄いクリスチャンです、反省!
左近先生の「主の祈り」についての連続説教のお陰で、神様の御姿を見上げながら神様に
祈りをささげる、ということが身に迫ってくるようになりました。感謝です。

  
  公園で何やら餌を啄む<シジュウカラ>

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道が示されている幸せ

2015-03-20 16:57:53 | 今日の聖句
今日の聖句は「エフェソの信徒への手紙」2章1節~10節 です。

さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。
この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちのうちに今も働く霊に従い、
過ちと罪を犯して歩んでいました。
わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに
行動していたのであり、ほかの人人とおなじように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。
しかし、憐み豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、罪のために死んでいた
わたしたちをキリストと共に生かしーーあなたがたの救われたのは恵みによるのですーー。
キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。
こうして、神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、
その限りなく豊かな恵みを来たるべき世に現そうとされたのです。
事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。
このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。 行いによるのではありません。
それは、だれも誇ることがないためなのです。
なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、
キリスト・イエスにおいて造られたからです。
わたしたちはその善い業を行って歩むのです。


私たちはイエス様の御言葉により、イエス様の示された道(善い業)を行って進むのですね。
神を信じ、教会に連なり、道を示されているこの平安を心から感謝する日々です。
聖書を読むときの幸せ、祈るときの平安、礼拝に集える幸せと喜び。
もし、神様に出会っていなかったら(神が選んでくださらなかったら)私はずーっと死ぬまで
虚しい思いを抱いていたことでしょう。

祈っても、聖書を読んでも、礼拝に招かれても誤った道を歩む自分がいることを自覚していますが、
神様はそんな私を招いてくださっているのですものね、感謝です。


明るい陽射しの中、桜の蜜を吸う<メジロ>を撮りました。


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「旧約聖書神学用語辞典」

2015-03-18 15:51:03 | その他
「旧約聖書神学用語辞典」が3月20日、いよいよ発売です。

著者のウォルター・ブルッゲマン(Walter Bruggemann)は1933年生まれの
アメリカのプロテスタント 旧約聖書の学者であり神学者で、過去数十年の中で
最も影響力のある旧約聖書の学者の一人と広く認められている方だそうです。

出版案内のチラシには・・・・・・
この辞典はブルッゲマンが一人で書き上げたもので、項目と項目が響きあい、
旧約聖書神学の深さ、面白さ、ダイナミズムが迫ってくる。
さらに各項目が、新約聖書にどう展開していくか、そして現代社会にどのような
インパクトをもたらすかについても深い思索が展開されている・・・・とあります。

さらに、並木浩一氏の推薦文によると「この本は単なる用語解説書ではなく、
旧約聖書の沃野を眺望し、時に奥深くに分け入って信仰の渓流へと読者を誘う探索ルート」
だそうで、読者は全項目を通読することを奨めておられます。



うーん、6200円は高いけど、欲しいなぁ~、買って「積ん読」になっては勿体ないけど。
どれくらい難しい(易しい)のでしょうね。
マンガ「聖書の時代の人々と暮らし」やマンガ「聖書時代の古代帝国」を二度も
読み直している私にはドウなのでしょうね~ でも、欲しいなぁ・・・・・
あ、なぜこの本を取り上げたかと言うと、実は美竹教会の左近豊牧師が監訳者なのであります。 (^-^)
左近先生の礼拝説教は旧約と新約を縦横に行き来して、臨場感にあふれたダイナミックなもので、
とても心躍る説教なのです。 
それでツイ、私も読みたいな~と、ここにご紹介させていただきました。
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讃美歌525番 「恵み深き主のほか」

2015-03-17 12:37:13 | 讃美歌
先週の礼拝で歌いました。
             " I need Thee every hour " by Annie Sherwood Hawks, 1872
             「I NEED THEE」 by Robert Lowry, 1872

 1. 恵み深き 主のほか、たれかわれを なぐさめん
   (おりかえし)
   わが主、わが神、恵みたまえ
   ただ頼りゆくわが身を
 2. わが主ともに いまさば 悪魔われを いかにせん
   (おりかえし)
 3. きよきみむね おしえて はたしたまえ みちかい
   (おりかえし)
 4. とうとき主よ、われをば 君のものと したまえ
   (おりかえし)

アメリカで作られた最もポピュラーな讃美歌の一つ。
ニューヨークのブルックリンにあるバプテスト教会の教会員 Annie Sherwood Hawks(1835-1918)が作詞し、
かってその教会で牧師をしていた Robert Lowry(1826-1899)が作曲.
その後ム-デイとサンキーとの大集会に用いられて、英米人のあいだにひろく愛唱されるようになったという。

作曲したロバート・ローリー牧師は、すぐれた讃美歌作曲家でもあり数多くの讃美歌の作詞と作曲に励みましたが、
日本で一番良く歌われているのはこの讃美歌です。
ローリーは、フィラデルフィアの大学を卒業後、バプテスト教会の牧師としてニューヨーク市のブルックリン地区で
約9年間勤め、その後、母校の教師を務めながらペンシルバニア州、ニュージャーシー州の教会を牧しました。

作詞したアニー・S・ホークスは、ロバート・ローリーが牧していたブルックリン教会の信者ですが、
牧師(多分ローリー牧師)に才能を認められて讃美歌を書くようになりました。
生涯に400の讃美歌を書いたといわれますが、現在歌われているのはこの歌だけです。
1872年、彼女が37歳のある日、自分の家で家事をしているとき、突然イエスが近くにおられることをリアルに感じ、
すぐペンを取って書いたのです。
・ ・・・私は毎時間あなたを必要とします。恵みふかい主よ。あなたのお優しいみ声のように平安を与えるものはありません。
各節が「私は毎時間あなたを必要とします」で始まり、イエスが近くにおられると誘惑に勝つことができる、
喜び、悲しみにつけて、近くにいてください、私をあなたの者としてください、と述べている大変単純な歌です。

彼女はこれを牧師のローリーに見せました。彼は、早速それに曲をつけ、折り返し(refrain)を書き加えました。
「あなたを必要とします、必要とします。各時間必要とします! 今、私を祝福してください。
私の救い主よ、みもとに参ります」  
(↑以上は「讃美歌・聖歌ものがたり 大塚野百合 創元社」より)
日本語の訳とは、かなり違っているが、日本語訳も素晴らしいと思う。  (以上、ネットからの引用です。)

・・・・と言うことですので、英語の歌詞も付けておきましょう。
 1. I need Thee every hour, most gracious Lord;
   No tender voice like Thine can peace afford.
    ==Refrain:==
   I need Thee, oh, I need Thee;
   Every hour I need Thee;
   Oh, bless me now, my Savior,
   I come to Thee. 
 2. I need Thee every hour, stay Thou nearby;
   Temptations lose their pow’r when Thou art nigh. 
 3. I need Thee every hour, in joy or pain;
   Come quickly and abide, or life is vain.
 4. I need Thee every hour; teach me Thy will;
   And Thy rich promises in me fulfill.
 5. I need Thee every hour, most Holy One;
   Oh, make me Thine indeed, Thou blessed Son.

ここをクリックすると "I need Thee everu hour" の美しい癒しの歌声を聴くことができます。


公園の陽だまりに<アオジ(♀)>が出てきました。
スズメではありません。 (^-^)

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