ゆうゆうの教会便り

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ユダの王アサ

2014-01-16 21:36:38 | 聖書
「歴代誌下」
ソロモン→レハブアム→アビヤの次にユダの王となったのは、アビヤの子アサでした。

14章1節~5節
アサは、その神、主の目にかなう正しく善いことを行った。
彼は異国の祭壇と聖なる高台を取り除き、石柱を壊し、アシェラ像を砕き、ユダの人々に先祖の神、主を求め、
律法と戒めを実行するように命じた。
アサはまたユダのすべての町から聖なる高台と香炉台を取り除いた。
こうして彼の統治の下で国は平穏であった。
主が安らぎを与えられたので、その時代この地は平穏で戦争が無かった。
そこで彼は、ユダに砦の町を次々と築いた。


15章13節~19節
子供も大人も、男も女も、イスラエルの神、主を求めない者はだれでも死刑に処せられるという契約を結んだ。
彼らは大声で叫び、ラッパと角笛を吹いて主に誓った。
ユダの皆がこの誓いを喜び祝った。皆が心の底から誓い、喜んで主を求めたからである。
主は彼らにご自分をお示しになり、主は、周囲の者たちから彼らを守って、安らぎを与えられる。

更にアサ王は母マアカがアシェラの憎むべき像を造ったので、彼女を太后の位から退けた。
アサはその憎むべき像を切り倒して砕き、キドロンの谷で焼き捨てた。
聖なる高台はイスラエルから取り除かれなかったが、アサの心はその生涯を通じて主と一つであった。
彼は父の聖別した物と自分の聖別した物、金、銀、祭具類を神殿に納めた。
アサの治世第三十五年まで戦争はなかった。



こういう立派なアサ王でしたが、治世第三十六年目にイスラエルの王パシャがユダに攻めのぼって来た時、
ダマスコにいたアラムの王ベン・ハダトに金銀を送り、イスラエルとの同盟を取り消すように、イスラエルを
ユダから追い払うように頼んでしまいます。
先見者ハナニが来て、アサがアラム王と頼みとし、神、主を頼みとしなかったことを、愚かであったと責めます。

アサはハナニの言葉に怒り、彼を獄に投じ、民の中のある者たち(ハナニの同調者?)を虐待しました。
アサはその治世第三十九年に極めて重い足の病にかかりましたが、病の中にあっても、彼は主を求めず、
医者に頼った、とあります。

治世三十五年まで信仰深かったアサになにが起きたのでしょう。
「歴代誌」のこの箇所を読んでもそれは分かりませんが、
人間が信仰の生涯を全うするのは難しいことなのかも知れません。

(そして、またまた疑問です。 アサはアビヤの子で、アビヤの母はマアカだったと思うのですが、
 アサの母親もマアカという名前だったのでしょうか?)



ピラカンサの赤い実に<オナガ>の群れがきました。


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私事ですが、連れ合いが今日入院しました、明日手術を受けます。
五十代後半の発病から、入院手術はもう何度目でしょう、七度目かな?
闘病生活は加齢も加わって、健康な私には想像できない痛みや苦しみ、不安があることでしょう。
手術のことは医師にお任せするとして、私にできることとして、連れい合いの心の平安を
いつも神様にお祈りしています。

ブログは休みがちになるやもしれません。 m(_ _)m
コメント
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