ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「飼い葉桶のキリスト」

2013-12-31 21:36:46 | 「先週の講壇より」
  12月22日の礼拝説教の一部が「先週の講壇より」として週報に載りました。
  テキストは「ルカによる福音書」2章1節~12節 タイトルは「飼い葉桶のキリスト」でした。

   

  説教の全文が美竹教会ホームページ「9.説教集に載ります。
  どうぞクリックして教会の扉を開け、説教をお読みください。

  美竹教会は来年4月にはいよいよ新牧師、左近豊先生をお迎えします。
  ワクワク期待する気持ちと、どうなるのかという不安な気持ちが入り混じっています。

  そして、美竹教会を離れて新しい道を歩まれる上田牧師ご夫妻をこれまで以上に
  神様がお守りくだいますように、聖霊の豊かな恵みが降り注ぎますようにと
  毎日お祈りさせていただいております。



 
  公園の<ルリビタキ(♂)>です。
  成鳥になるともっともっとブルーが濃くなります。
  この個体はまだ若い雄だと思います。 それでも綺麗ですが。
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讃美歌106番 「荒野の果てに」

2013-12-30 21:24:43 | 讃美歌
昨日の礼拝で歌いました。
本来のクリスマスは西洋でもアメリカでも、新年の1月6日までだそうです。
この日に異国の三人の博士たちが幼子イエスを礼拝し、主のご栄光が全世界に顕れた人されるからです。
ですから、昨日はクリスマス礼拝でもあり、今年最後の礼拝でもありました。 
降誕説第一主日礼拝ということで「降誕」の讃美歌が歌われました。


1) 荒野(あらの)の果てに 夕日は落ちて
   たえなる調べ 天(あめ)より響く
  <繰り返し> グロリア イン エクセルシス デオ
         グロリア イン エクセルシス デオ

2) 羊を守る 野辺(のべ)の牧人(まきびと)
   天(あめ)なる歌を 喜び聞きぬ
  <繰り返し>

3) 御歌(みうた)を聞きて 羊飼いらは
   馬槽(まぶね)に伏(ふ)せる 御子(みこ)を拝みぬ
  <繰り返し>

4) 今日しも御子は 生まれ給いぬ
   世界の民よ よろこび歌え
  <繰り返し>


この歌は16世紀に遡るフランスの伝統的なキャロルが元となっている。
英語で一般に使われる歌詞は、1862年にジェイムズ・チャドウィックが翻訳したものである。
フランス語での原題である「 Les Anges dans nos Campagnes」とは「我らが牧場(野辺)にて天使が」の意味である。

フランス語の campagne は「田舎・田園地帯・地方」や「戦場」というような意味であるが、ラテン語を起源としており、
古い用法としては、「平野・平地・野辺」という意味がある。
英語では「 Angels We Have Heard on High(いと高き処に我らは聞きたり、御使いたちが)」と訳されている。

このクリスマス・キャロルは、英語ではエドワード・シッペン・バーンズ(Edward Shippen Barnes)が編曲した曲で歌われることが多い。

バーンズの曲は、ラテン語で歌われる斉唱部分の「 Gloria in excelsis Deo 」の歌い方に特徴がある。
この部分はメリスマを使った、長く続く旋律の高低移行が独特で印象的である。
                                                     (以上、ネットからの引用です。)

クリスマスにこの讃美歌を歌うたび、「グロリヤインエクセルシスデオ(Gloria in excelsis Deo)」って
一体どういう意味だろう、とずっと思っていました。 
意味は「いと高き処に神に栄光あれ」だそうです。 


「いと高き処に神に栄光あれ」の讃美歌、ここをクリックしてお聴きください。




栴檀(せんだん)の実を啄む<ヒヨドリ>
今年は栴檀もイイギリも実の終わるのが早いです。


美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
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CSのお手伝い

2013-12-29 20:34:55 | CS(教会学校)

今年最後の主日礼拝でした。

今日は、私はCS(教会学校)の子供たちの分級のお手伝いの日でした。
子ども達は礼拝堂で大人と一緒に「子ども説教」を聴いた後、一階の集会室に下りて分級です。 
今日はゲームをして遊びました。
最初のゲームは私の御手製のオリジナルカードを使って「七ならべ風あいうえお並べ」をしました。

中学生のお兄さんから三歳の坊やまで、私を含めて五人で遊びましたが、
二回続けると、中学のお兄さんは面白がって「もう一度・・・」
小学生の二人は「もう、つまらない・・・・」
三歳の坊やは「・・・・????・・・・」 年齢差があって全員が楽しむのは難しいですね~

その後、百人一首の絵札を使って「坊主めくり」をしました。
今のお子達はあまりなじみのないカルタらしくて、これは全員で楽しめました。

CSの分級でどんなことをしたらよいのか。
事前に「教会学校教案12月」を読むのですが、美竹教会の場合子供の数も少ないので、
私は今の所、楽しく過ごせばよいかな~と思っています。

分級では「聖句カード」も配りますので、その聖句を短い時間の間にみんなで覚えて
電報ゲームのように全員で完成させる、など、これから工夫したいと思います。

と言うことで、今日は礼拝説教をお聴きできず、説教要約は無しです。 m(_ _)m



公園の<メジロ>です。
メジロが突いているのはカマキリの卵胞だと思います。 
メジロにとっては御馳走・・・・(^-^)


元旦礼拝についてのお知らせですが、美竹教会での元旦礼拝はありません。
「西南支区元旦礼拝」1月1日(水)午後2時から松沢教会で行われます。
よろしかったらお出かけください。

美竹教会の新年最初のの礼拝は1月5日(日)午前10時半から始まります。
神様に祈りを捧げ、讃美歌を歌い、ご一緒に新しい年を希望を持って迎えましょう。

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「生きる喜び」は「生かされている喜び」

2013-12-28 12:53:53 | 説教
↓の文章は「先週の講壇より」として週報に載った、上田先生の説教の一部です。
私は、礼拝で説教をお聞きし、このブログに載せるために要約し、次の週の週報で
「先週の講壇より」を読んでこのブログに載せました。 

今日、週報をファイルに綴じようと思い、フトもう一度読み返しました。 感動! です。

神がわたしを生かして下さる・・・・ ~♪~生きるも死ぬるもただ主のため~♪~
この安心感は何物にも代えがたい平安。 感謝です。

何度も読み返さないとピンと来ない自分の愚かさ(不信仰?)には呆れますが、
まあそれは仕方ないとして (^^;) 本当に喜びです。

********************************
ヨセフの生涯は、徹底して「仕える人の生涯」でした。
彼が選んだ道は、マリアと幼子イエスに仕える道でした。
ヨセフは、人間の幸福以上のものが、神の召命であることを知っていました。
ですから、自分が世界史の中でどのような役割を果たすかは、ほとんど何も知らないまま、
主イエスとマリアに仕えて短い一生を終えたのです。
自分の名前が聖書の第一ページに記されることも、彼は知る由もありませんでした。
毎年世界中の行く百万という教会で、誰かが必ず自分の役を演ずる降誕劇が演ぜられることなど、
夢にも考えていなかったはずです。
その意味では、彼は一生涯、仕える人です。 実直な大工であり、一家を支える労働者です。
彼はそれで、十分に満足だったに違いないのです。

私どもも、自分が今懸命に生き、毎日不条理と戦っていることが、神の救いの歴史の中で
どのような意味を持っているかは、誰も分かっていません。
何千年という神の歴史の中では、ほんの一コマを生き、ほんの小さな役割を演じて、
やがて舞台から消えて行きます。
しかし私どもは私どもの人生を真に豊かにしてくださるお方が居られることを知っています。
そのお方が、私どもの労苦を意味あるものとしてくださることを知っています。
それは、神が罪人の罪を赦し、救うという偉大な御業です。
私どもはそれを喜び、自分の小さな人生がそのために用いられることを喜んでいます。
**********************************




それほど綺麗でない街中の川 <コサギ>が餌の小魚を捕りました。


美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
明日は礼拝がいつものように、午前10時半から始まります。
なんとなく忙しい年の瀬、静かに神に祈るひと時が与えられて感謝です。
あなたも教会の扉をあけてお訪ねください。
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サウルの死 「歴代誌」の記述

2013-12-27 20:23:45 | 今日の聖句
「歴代誌上」10章11節~13節
ギレアドのヤベシュの人々は皆、ペリシテ軍のサウルに対する仕打ちのすべてについて聞いた。
戦士たちは皆立って、サウルとその息子たちの屍を取りに行き、ヤベシュに持ち帰って、彼らの骨を
ヤベシュの樫の木の下に葬り、七日間、断食した。
サウルは主に背いた罪のため、主の言葉を守らず、かえって口寄せに伺いを立てたために死んだ。
彼は主に尋ねようとしなかったために、主は彼を殺し、王位をエッサイの子、ダビデに渡された。



サウルとダビデについて、またペリシテ軍との闘いとサウルの死に関しては「サムエル記」に詳しい記述がありますね~
たしかにこの辺りは「サムエル記」と重複しています。
素人信者の私は、こんな事が分かるだけでも嬉しい、デス。


サウルはペリシテ軍との戦いで命を落とします。ヨナタン他、三人の息子もこの闘いで死にました。
ペリシテ軍は、ギルボア山上に倒れているサウルと三人の息子を見つけるとサウルの首を切り落として武具を奪い、
遺体をベト・シャンの城壁に曝しました。
ギレアドのヤベシュの住民はこの仕打ちを聞いて、戦士たちは皆、夜通し歩いてサウルとその息子たちの遺体を
ベト・シャンの城壁から取りおろし、ヤベシュに持ち帰って火葬に付し、彼らの骨を拾ってぎょうりゅうの木の下に葬りました。
(サムエル記上31:8~)

ギレアドのヤベシュの人々がサウルを葬ったと知ったダビデは、ヤベシュの人々に使者を送って「あなた方が主に祝福されますように。
わたしはあなたがたの働きに報いたいと思います。力を奮い起こし、勇敢な者となってください。」と伝えました。
(サムエル記下2:5~)



今年の冬は何故か冬鳥が里に姿を見せません。
今シーズン、初めて<ルリビタキ(♂)>を見ました、感激!


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美竹教会では毎年、元旦に礼拝を行っています。
今年、ではなくて(笑)来年の元旦はどうなのでしょう・・・・・分かり次第お知らせしたいと思います。
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「疑いを乗り越えて」

2013-12-25 23:22:15 | 「先週の講壇より」
  12月15日の礼拝説教の一部が「先週の講壇より」として週報に掲載されました。
  テキストは「マタイによる福音書」1章18節~25節 タイトルは「疑いを乗り越えて」でした。

  
  
   上田牧師の説教の全文が美竹教会のホームページ「9.説教集」に載っています。
   是非お読みくださりませ。


   
   松の木の根元で餌を漁る<ビンズイ>
   ビンズイは松の根元を探すと見つかります。
   松かさの実を食べているのでしょうか、それとも松の枯葉に虫でもいるのでしょうかね。
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「歴代誌」読み始めました。

2013-12-24 20:18:01 | 聖書
ズラズラと並んだ馴染みのない名前から始まる「歴代誌」を読み始めました。 
私の唯一の参考図書「聖書事典」を読んでもよくわからず、今回はネットの Wikipedia の解説を読んでみました。

「歴代誌」(英語:Books of Chronicles)は旧約聖書におさめられたユダヤの歴史書。
歴代誌という書名は聖書の日本語訳者によって様々に表記され、歴代誌、歴代史、歴代の書、歴代誌略などとも表記される。
2巻に分かれており、「上」にはダビデの死までが書かれ、「下」はバビロン捕囚までが書かれている。
「サムエル記」「列王記」と内容が重複している。
ユダヤ教では「預言書」でなく「諸書」の1つになっている。
キリスト教では歴史書として「列王記」と同列に扱われ、「列王記」のうしろにおさめられている。

「歴代誌」(ラテン語:Chronica)という題名はヒエロニムスが初めて使用したものである。
ギリシア語聖書では「パレレイポメナ」(省略されたもの)というタイトルがついていて
「列王記」などの歴史書の補足という意味合いをもたされている。
この書物の原作者は、伝統的にエズラであると伝えられている。
文体や記述法が似通っているため、批評学的「エズラ記」「ネヘミヤ記」と同じ著者グループによって
書かれたものではないかと考えられている。

内容としては「サムエル記」「列王記」をもとにしながらも、独自の資料も用いてイスラエルの歴史を再構成している。
特徴としては神殿についての記述や職制の人名リストが多いこと、北イスラエル王国の歴史を完全に無視していることなどがあげられる。
                           (以上、Wikipedia からの抜き書きです。)


↓ Wikipedia に「歴代誌上・下」の内容が載っていました。少々長いリストですが、わかりやすく参考になります。
  なによりも、ウンザリするような系図も先が判ればと読む勇気が出てくるというものです。 


イスラエルの諸部族の系図(上1章~9章)

o 1章 アダムからアブラハムにいたる系図、エドムの王
o 2章 ヤコブの子らの子孫
o 3章 ダビデの子孫
o 4章 ユダの子孫
o 5章 ルベンとガド、マナセとレビの子孫
o 6章 レビの一族と居住地
o 7章 イサカル、ベニヤミン、ナフタリ、マナセ、エフライム、アシェルの子孫
o 8章 ベニヤミンの子孫
o 9章 バビロン捕囚後のエルサレムに住んだ人々
• ダビデの治世(上10章~29章)
o 10章 サウルの死
o 11章 ダビデ王の即位
o 12章 ダビデの家臣たち
o 13章 ダビデと神の箱
o 14章 ダビデ王の勢力
o 15章 神の箱の移動
o 16章 神の箱の前での儀式
o 17章 ナタンの予言とダビデの祈り
o 18章 ダビデの戦果
o 19章・20章 アンモン人、アラム人とのたたかい
o 21章 ダビデの人口調査
o 22章 神殿造営
o 23章 レビ人のつとめ
o 24章 祭司の組織
o 25章 詠唱者のリスト
o 26章 門衛のリスト
o 27章 軍隊の組織、財産の管理者
o 28章 ダビデの神殿建築
o 29章 ダビデの祈りとソロモン王の即位

ソロモン王の治世(下1章~9章)

o 1章 ソロモンの知恵
o 2章~7章 神殿の建築
o 8章 ソロモンの事業
o 9章 シェバの女王とソロモンの富

王国の分裂(下10章)

捕囚にいたる南ユダ王国の歴史(下11章~36章)

o 11章 ユダの王レハブアム
o 12章 エジプト王の攻撃
o 13章 ユダの王アビヤ
o 14章~16章 ユダの王アサ
o 17章 ユダの王ヨシャファト
o 18章 預言者ミカヤとアハブ王
o 19章~20章 ヨシャファトの事跡
o 21章 ユダの王ヨラム
o 22章~23章 ユダの王アハズヤと母アタルヤ、祭司ヨヤダ
o 24章 ユダの王ヨアシュ
o 25章 ユダの王アマツヤ
o 26章 ユダの王ウジヤ
o 27章 ユダの王ヨタム
o 28章 ユダの王アハズ
o 29章 ユダの王ヒゼキヤ
o 30章 過越祭
o 31章 ヒゼキヤ王の改革
o 32章 センナケリブの攻撃
o 33章 ユダの王マナセ
o 34章~35章 ユダの王ヨシヤ
o 36章 ユダの王ヨアハズ、ヨヤキム、ヨヤキン、ゼデキヤとバビロン捕囚

イザ! 「歴代誌上・下」! 頑張るぞ~!



イイギリの赤い実に<ヒヨドリ>です。


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讃美歌115番

2013-12-23 22:56:54 | 讃美歌
先週のクリスマス礼拝で歌いました。 
讃美歌115番「ああ、ベツレヘムよ」

1)ああベツレヘムよ などか独(ひと)り
  星のみ匂(にお)いて 深く眠る
  知らずや、今宵(こよい) 暗き空に
  常世(とこよ)の光の 照り渡るを

2)人みな眠りて 知らぬ間にぞ
  御子(みこ)なるキリスト 生まれ給う
  朝(あした)の星よ 歌いまつれ
  「神には御栄え 地に平和」と

3)静かに夜露の 降(くだ)るごとく
  恵みの賜物(たまもの) 世に臨(のぞ)みぬ
  罪深き世に かかる恵み
  天(あめ)より来(く)べしと 誰かは知る

4)ああベツレヘムの 清き御子よ
  今しも我らに 降(くだ)り給え
  心を清め 宮となして
  今よりときわに 住まい給え

ナット・キング・コールが歌う素晴らしい「ああ、ベツレヘムよ」 ご堪能ください。 
なぜか二番までしか歌っていないなんて残念至極! それでも YouTube に感謝、感謝です。 (^-^)

ナットの声があまりに素晴らしいので、英語の歌詞も貼ります。

  O little town of Bethlehem
  How still we see thee lie
  Above thy deep and dreamless sleep
  The silent stars go by
  Yet in thy dark streets shineth
  The everlasting Light
  The hopes and fears of all the years
  Are met in thee tonight

  For Christ is born of Mary
  And gathered all above
  While mortals sleep, the angels keep
  Their watch of wondering love
  O morning stars together
  Proclaim the holy birth
  And praises sing to God the King
  And Peace to men on earth

  How silently, how silently
  The wondrous gift is given!
  So God imparts to human hearts
  The blessings of His heaven.
  No ear may his His coming,
  But in this world of sin,
  Where meek souls will receive him still,
  The dear Christ enters in.

  O holy Child of Bethlehem
  Descend to us, we pray
  Cast out our sin and enter in
  Be born to us today
  We hear the Christmas angels
  The great glad tidings tell
  O come to us, abide with us
  Our Lord Emmanuel


讃美歌114番「天なる神にはみ栄えあれ It came upon the midnight clear」と共に
米国の代表的なクリスマス聖歌といわれるそうです。
作詞は19世紀アメリカの生んだ不世出の説教家(聖職者)フィリップス・ブルックスが1865年クリスマスの頃、
聖地を訪問し、ベツレヘムを訪れた時の印象を3年後に詩にしたもので、信仰と実感とに溢れているものだそうです。

曲はブルックスがフィラデルフィアの教会の牧師として在職中, 実業家で同教会のオルガニストでもあった
ルイス・レドナ(Lewis Henry Redner)によるものです。   (以上の解説はネットから拝借しました。)


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「飼い葉桶のキリスト」

2013-12-22 20:58:50 | 説教
今日はクリスマス(降誕節)礼拝でした。
今日の説教、テキストは「ルカによる福音書」2章1節~12節 タイトルは「飼い葉桶のキリスト」でした。

今日のテキストのメッセージは「恐れるな」という言葉です。
ザカリアやマリアも神からこう言われましたが、この言葉は「ルカによる福音書」における神から全人類へのメッセージです。
孤独も、老いることも病むことも死でさえも恐れる必要は無いというメッセージです。
心痛む出来事が多い現実ですが、何故、聖書は恐れるなと語るのでしょうか。

「マタイによる福音書」では「恐れるな」の代わりに「神、我とともにあり」と伝えています。
この二つをつなぐと良くわかりますが、これが聖書が伝えるクリスマスのメッセージです。

人間は昔から人生の惨めさや悲惨さとたたかってきました。与えられる救い主も様々でした。
政治家が救い主であることもあります。
当時のローマ皇帝のアウグストゥスも救い主と呼ばれていました。
この世の富が救いであるとみなされる時には政治家は確かに救い主であったでしょう。
外側の救いが真の救いであるなら政治家が救い主でよいはずですが、人間の心はそれで満たされないものです。
人間にとっては内側の救いが大切で、心満たされない救いでは役に立ちません。
パスカルという人は「人間は一人で死ぬ」と言いました。
それは人が孤独である、という事と救いとは個人的なものであるという二つを示しています。

いずれ死ぬ人間が満足できる救いは中々見つかりません。最後は心の問題です。
心の底から満たされる、その底とは何か。 
他人に理解してもらうことはできないし、語り得ない、制度や組織でも解決できません。
詩編に私の好きな「慰められるのを拒む」という言葉があります。
自分の哀しみは他人には分からない、その人と神にしか分からない、慰め主がいるとしたら神しかいない。 
これが人間の心の底です。

あなた方に救い主が生まれた(ルカ2:11)飼い葉桶のなかのキリストです。
ここに人類の救いがあります。
飼い葉桶の中のイエスを囲むヨセフとマリアの聖家族の絵は多くの画家によって畏れをもって(畏敬の念をもって)描かれてきました。 

神の御子が貧しさの中に生まれ落ちた、このことは神の子は人類の苦しみ哀しみを共有されたという事だけではありません。
人間の貧しさ、苦しさを共有することがクリスマスの中心メッセージではありません。
「主の貧しさのゆえにあなた方は豊かになる・・・」これがメインメッセージです。

主は何故このような貧しい中にお生まれになったのか、それを知ることは神の心の奥深くを知ることになります。
キリストは十字架を前にして、ゲッセマネで血の汗を滴らせるように祈りました。
ゲッセマネの祈りで人間の苦しみを受け止められたイエスと飼い葉桶のイエスは深い所で一つに繋がっている、とパスカルは行っています。
この神の思いは「人の子よ、神の許に立ち帰れ」という事です。

私たちを罪の縄目から救い出すのが聖書のメッセージです。
罪とは何か、それは神を忘れ自分勝手に生きることです。
御子がこの世にあらわれたのは罪を裁くためではなく、罪から私共を救うためでした。
値しない私たちを救い出すためにこの世の激流に身を投げ出されたのです。

本当の喜びの無い人生に対して「わたしのところに立ち帰れ」と呼びかけられたイエス、 
心の底からの叫びが肉となられたのが飼い葉桶のキリストです。

主は2000年前に生まれましたが、私たちの心の中に本当に生まれない限り、何万回主が生まれてもそれは無意味です。
悔い改めるということは反省するという事ではなく、神に立ち帰り神と共に生きることであり、
御子イエスはその喜びのために地上に下られたのです。
                                 (以上、文責はゆうゆうにあります)



<アオジ> 枯れた草の実でも食べているのでしょうか。
例年なら「な~んだ、アオジか~」という位ポピュラーな野鳥ですが、
今年は初見です。 野鳥の世界に何が起こっているのでしょう・・・


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今日のクリスマス礼拝、普段礼拝に来られない方も大勢見えました。
受付当番だった新参者の私はどなたがどなたやら分からず、アタフタしました。 (^^;)
こういう日の当番はベテランさんがいいようですね。

祝会にもたくさんの方が残って下さって、きっと楽しい会だったことでしょう。
祝会に残れなかった私は (T__T)(T__T)
上田牧師ご夫妻、Y神学生にとっては美竹教会での最後のクリスマスでした。
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讃美歌114番

2013-12-20 21:23:47 | 讃美歌
先週の礼拝で歌いました。  讃美歌114番「天なる神には」です。

1)天なる神には 御栄(みさか)えあれ
  地に住む人には 安きあれと
  御使いこぞりて ほむる歌は
  静かに更けゆく 世に響けり

2)今なお御使い 翼を伸べ
  疲れしこの世を 覆い守り
  悲しむ都に 悩む鄙(ひな)に
  慰め与うる 歌をうたう

3)重荷を負いつつ 世の旅路に
  悩める人々 頭(かしら)を上げ
  栄(は)えあるこの日を たたえ歌う
  楽しき歌声 聞きて憩え

4)御使いの歌う 安き来たり
  久しく聖徒の 待ちし国に
  主イェスを平和の 君とあがめ
  あまねく世の民 高く歌わん

良い解説が見つけられませんでしたが、ジュリー・アンドリュースがこの讃美歌を
美しい声で歌っているのを YouTube で見つけました。
ココをクリックしてお聴きください。
英語の歌詞も聞きやすそうです。英語の得意な方はどうぞ英語で歌ってください。(^-^)


  It came upon the midnight clear,
  That glorious song of old,
  From angels bending near the earth
  With news of joy foretold,
  "Peace on the earth, good will to men
  From heaven's all gracious King."
  The world in solemn stillness lay,
  To hear the angels sing.

  Still through the cloven skies they come,
  Love's banner all unfurled;
  And still their heavenly music floats
  Over all the weary world.
  Above its sad and lowly plains
  Old echoes plaintive ring,
  And ever over its Babel sounds
  The blessed angels sing.

  Yet with the woes of sin and strife
  The world has suffered long;
  Beneath the Angel-strain have rolled
  Two thousand years of wrong;
  And man at war with man hears not
  The love-song which they bring;
  O! hush the noise, ye men of strife,
  And hear the Angels sing.

  
  For lo! the days are hastening on,
  By prophets seen of old,
  When with the ever-circling years
  Shall come the time foretold,
  When the new heaven and earth shall own
  The Prince of Peace their King,
  And the whole world send back the song
  Which now the angels sing.


この讃美歌の作曲者、リチャード•ストーズ•ウィリスは、19世紀のアメリカの作曲家です。
彼の賛美曲「キャロル」はエドモンド・シアーズにより ”it came upon midnight clear” いう歌詞がつけられ
英国で最も愛される讃美歌となりました。

作詞したエドモンド•ハミルトンシアーズは1810年4月6日生まれ、スケネクタディ•ユニオン•カレッジ、ハーバード神学校で
教育を受け、1837年に卒業したそうです。
彼は1859から1871年宗教雑誌の編集者を務めたほか、米国ユニテリアン協会の宣教師、ウェイランドとランカスターの教区大臣となり、
19世紀の自由主義プロテスタントに影響を与える神学的な書を書きました。
エレン・ベーコンと結婚し4人の子供を持ちました。
死ぬ二年前に木から落下し、それが原因で1876年1月16日に死亡したそうです。




<ツグミ> 大木の洞の水を飲んでいました。
都市公園では、今年はツグミのようなポピュラーな野鳥も中々見られません。


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