今日の記事は12月14日(土)朝日新聞の「読書」頁に載っていた書評からの抜書です。
自分の思いを言葉にするのはとても難しいことで、私はいつも考えていることの半分も言えず、
腹膨れたり隔靴掻痒の思い・・・言葉にすること以前に思いそのものが形にならず頭の中は
いつもフワフワモヤモヤしています。
そんな私は、他人の言葉に我が意を得たり、本当に、ホントウに!ということが頻繁にあります。
自分の言葉で語れない私のブログは、だから、切り貼り記事が多くなります。 言い訳け<(_ _)>
この本を私は多分読まない、読めないと思いますが、書評を読むだけで自分の思いを言葉に
していただいたようなスッキリした気分になりました。
「本当の豊かさ」はブッシュマンが知っている
ジェイムス・スーズマン著・佐々木知子訳
********************
未来は過去よりもよくならねばならないという強迫観念があるのか、私たちはいつからか、
つねに進歩と発展を願って働くようになった。進歩と発展と蓄財のために身を粉にして
働くというのは、人類進化史の最後の1万年に始まったことなのだ。
そして、進歩と発展のスピードがこれほど速くなったのは、このたった数十年のことに過ぎない。
ヒトは、日々穫れる物を獲り、食べられるだけを食べ、蓄えることはできず、食料が獲れなくなれば
移動し、飢えるときは飢えるという狩猟採集生活をしていた。
今の私たちは、これは大変な生活だと思うが、人類学の調査によると1週間に15時間ぐらい
働けば何とか暮らしていけるらしい。
こういう生活にはリスクがつきもので飢えはかなり頻繁にやって来て、決してパラダイスでは
ないが、それが生活というもので仕方のないことなのだ。
本書は人類学者である著者がアフリカのナミビアに住むジュホアンという狩猟採集民を長年
調査した結果の考察である。ジュホアンはブッシュマンと呼ばれる人々に属し、長らくこの地で
狩猟採集生活を営み、現在に至る。彼らの生活は、実に持続可能な生業形態だったわけだ。
その秘訣は何なのか?
それは、手に入るもので満足し、それ以上のものを望まないこと、なのである。これは、
イノベーションと経済発展が金科玉条のように言われる現代の社会とは正反対の思想・哲学である。
だから、そんな社会と無関係に暮らしてきたジュホアンたちは、現代社会になかなか順応できない。
農場で働かされても、一生懸命働くことに意義を見いだせないので、怒られても殴られても働かない。
ブッシュマンのこのような態度は文明化ができない彼らの欠点として語られてきた。
しかし、本書はその発想を逆転させる。
つねに発展と向上をめざして働くという私たちの社会の観念こそ、本当によいものなのだろうか。
資本主義が行き詰まるのではないかと問われる現在、ヒトの存在の原点を問い直す著作である。
かつて手に入るもので満足していた彼らは、現在、定住地に集められ、食料の配給を受け、世界の
不平等を知り、不満のかたまりだ。この現実は何を語るのか?
評・長谷川眞理子(総合研究大学院大学学長・人類学)
********************
美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
フェイスブックやツィッターもご覧ください。
秋の公園の<キジバト>