ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

クリスマス・メッセージ

2019-12-25 18:16:26 | 美竹教会
クリスマスに合わせて美竹教会のお知らせ「信音」が発行されました。
左近豊牧師の「クリスマス・メッセージ」を載せます、どうぞお読みください。







私の慰め主イエス様はいつも私と共にいてくださいます。
私も隣人の慰めの土の器として用いられたいと願っているのに、実際には何事も
為し得ずただ自分のためにだけ生きている毎日です。
軽々しく反省してもまた同じ日々の繰り返し・・・・言葉がありません。
左近先生、「申命記」25章はひょっとして24章では? (^_^;)


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クリスマスイヴ讃美礼拝(お知らせ)

2019-12-24 10:28:57 | 美竹教会
今日の夕方、美竹教会でクリスマスイヴ讃美礼拝が行われます。

   讃美歌、キャロルを多く取り入れた讃美の夕べ。
   キャンドルの光の中、クリスマスを祝います。
   この機会に、礼拝に、教会に、是非お出かけください。 


 ***********************************************
  
    クリスマスイヴ讃美礼拝
 
      12月24日(火) 午後5時~6時
         説教「別の道を通って」 左近豊牧師 
   

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「ヨハネによる福音書」

2019-12-21 11:44:23 | 今日の聖句
今、新約聖書は「ヨハネによる福音書」を読んでいます。
今日の聖句は17章1節から19節「イエスの祈り」の前半です。


イエスはこれらのことを話してから、天を仰いで言われた。「父よ、時が来ました。あなたの子が
あなたの栄光を現すようになるために、子に栄光を与えてください。 あなたは子にすべての人を支配する
権能をお与えになりました。そのために、子はあなたからゆだねられた人すべてに、永遠の命を与えることが
できるのです。 永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになった
イエス・キリストを知ることです。わたしは、行うようにとあなたが与えてくださった業を成し遂げて、地上で
あなたの栄光を現しました。
父よ、今、御前でわたしに栄光を与えてください。世界が造られる前に、わたしがみもとで持っていたあの栄光を。
世から選び出してわたしに与えてくださった人々に、わたしは御名を現しました。彼らはあなたのものでしたが、
あなたはわたしに与えてくださいました。彼らは、御言葉を守りました。 わたしに与えてくださったものはみな、
あなたからのものであることを、今、彼らは知っています。 なぜなら、わたしはあなたから受けた言葉を彼らに伝え、
彼らはそれを受け入れて、わたしがみもとから出て来たことを本当に知り、あなたがわたしをお遣わしになった
ことを信じたからです。彼らのためにお願いします。世のためではなく、わたしに与えてくださった人々のために
お願いします。彼らはあなたのものだからです。
わたしのものはすべてあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。わたしは彼らによって栄光を受けました。
わたしは、もはや世にはいません。彼らは世に残りますが、わたしはみもとに参ります。
聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください。
わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。 わたしは彼らと一緒にいる間、あなたが与えてくださった御名に
よって彼らを守りました。わたしが保護したので、滅びの子のほかは、だれも滅びませんでした。
聖書が実現するためです。 しかし、今、わたしはみもとに参ります。世にいる間に、これらのことを語るのは、
わたしの喜びが彼らの内に満ちあふれるようになるためです。
わたしは彼らに御言葉を伝えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世に属していないように、彼らも世に属して
いないからです。わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。
わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないのです。
真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です。
わたしを世にお遣わしになったように、わた彼らを世に遣わしました。彼らのために、わたしは自分自身をささげます。
彼らも、真理によってささげられた者となるためです。


これまでヨハネ伝は勿論、福音書は何回か読んでいますが、今回は読み進むにつれて、マタイ・マルコ・ルカの
三福音書とヨハネ伝の記述は大きく違っているのでは?という思いが強くいたしました。
今頃、初めて気づくなんて!なのかもしれませんが、前の三福音書を共観福音書と呼び、ヨハネ伝とは
違っているんだ、ということが実感できました。
聖書について知識のない私はひたすら毎日聖書を読み続けているだけなのですが、12章あたりから、
イエス様のなされた御業よりも、弟子たちのこれからを心配して(と、私には思えるのですが)弟子たちに
起こるであろう苦難や、聖霊という名の「弁護者」のこと、神様への執り成し?などがイエスの口を通して
噛んで含めるように分かりやすく語られているように思えました。
これは「ヨハネによる福音書」は他の三つの福音書に比べて思想・神学がより整理された形で記述されて
いる(らしい)ことが大きいのかもしれません。
また、イエスが語られた言葉は他の福音書に書かれているのと同じように、実際はもっと断片的なもの
だったかもしれません。
そう思って読んでもヨハネ伝の記述は胸熱く、迫るものがありました。
イエス様の存在が私の中でますます大きく、慕わしく感じられた「ヨハネによる福音書」でした。
聖書の教えに依り頼んで最期のときまで生かされて生きたいと願っています。


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明日はクリスマス礼拝、クランツの蝋燭4本に火が灯されます。
これまで教会にいらしたことのない方も、あなたの初教会、初クリスマス礼拝を美竹教会でどうぞ!



追記: Wikipediaの解説・・・・・・
共観福音書(きょうかんふくいんしょ、英: Synoptic Gospels)は、キリスト教の新約聖書の四つの福音書の
うち、ヨハネによる福音書を除くマタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書のことを指す。
この3つには共通する記述が多く、同じような表現もみられる。
聖書学の研究の結果、本文を相互に比較し、一覧にした共観表(シノプシス synopsis)が作られたことから
共観福音書と呼ぶようになった。
ヨハネによる福音書は同じ出来事を描写するときにも、他の3つとは異なった視点やスタイルをとることが
多い上に、他の3つの福音書に比べて思想・神学がより深められている。イエスを神であると明言し、
はっきり示すのはヨハネによる福音書のみである。
マルコによる福音書の661節のうち、606節がマタイによる福音書と、320節がルカによる福音書と共通する
内容だと言われる。
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「本の紹介」からご紹介

2019-12-16 15:13:25 | その他
今日の記事は12月14日(土)朝日新聞の「読書」頁に載っていた書評からの抜書です。

自分の思いを言葉にするのはとても難しいことで、私はいつも考えていることの半分も言えず、
腹膨れたり隔靴掻痒の思い・・・言葉にすること以前に思いそのものが形にならず頭の中は
いつもフワフワモヤモヤしています。
そんな私は、他人の言葉に我が意を得たり、本当に、ホントウに!ということが頻繁にあります。
自分の言葉で語れない私のブログは、だから、切り貼り記事が多くなります。 言い訳け<(_ _)> 
この本を私は多分読まない、読めないと思いますが、書評を読むだけで自分の思いを言葉に
していただいたようなスッキリした気分になりました。


「本当の豊かさ」はブッシュマンが知っている
ジェイムス・スーズマン著・佐々木知子訳
********************
未来は過去よりもよくならねばならないという強迫観念があるのか、私たちはいつからか、
つねに進歩と発展を願って働くようになった。進歩と発展と蓄財のために身を粉にして
働くというのは、人類進化史の最後の1万年に始まったことなのだ。
そして、進歩と発展のスピードがこれほど速くなったのは、このたった数十年のことに過ぎない。
ヒトは、日々穫れる物を獲り、食べられるだけを食べ、蓄えることはできず、食料が獲れなくなれば
移動し、飢えるときは飢えるという狩猟採集生活をしていた。
今の私たちは、これは大変な生活だと思うが、人類学の調査によると1週間に15時間ぐらい
働けば何とか暮らしていけるらしい。
こういう生活にはリスクがつきもので飢えはかなり頻繁にやって来て、決してパラダイスでは
ないが、それが生活というもので仕方のないことなのだ。
本書は人類学者である著者がアフリカのナミビアに住むジュホアンという狩猟採集民を長年
調査した結果の考察である。ジュホアンはブッシュマンと呼ばれる人々に属し、長らくこの地で
狩猟採集生活を営み、現在に至る。彼らの生活は、実に持続可能な生業形態だったわけだ。
その秘訣は何なのか? 
それは、手に入るもので満足し、それ以上のものを望まないこと、なのである。これは、
イノベーションと経済発展が金科玉条のように言われる現代の社会とは正反対の思想・哲学である。
だから、そんな社会と無関係に暮らしてきたジュホアンたちは、現代社会になかなか順応できない。
農場で働かされても、一生懸命働くことに意義を見いだせないので、怒られても殴られても働かない。
ブッシュマンのこのような態度は文明化ができない彼らの欠点として語られてきた。
しかし、本書はその発想を逆転させる。
つねに発展と向上をめざして働くという私たちの社会の観念こそ、本当によいものなのだろうか。
資本主義が行き詰まるのではないかと問われる現在、ヒトの存在の原点を問い直す著作である。
かつて手に入るもので満足していた彼らは、現在、定住地に集められ、食料の配給を受け、世界の
不平等を知り、不満のかたまりだ。この現実は何を語るのか?
  評・長谷川眞理子(総合研究大学院大学学長・人類学)
********************
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秋の公園の<キジバト>
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2019年クリスマス礼拝のお知らせ

2019-12-08 20:33:08 | 美竹教会


今日はアドベントクランツに二本の蝋燭が灯されました。
イエス様の御降誕を待ち望む待降節の第二主日でした。

今日の礼拝では司会の方の祈りの中で、また左近豊牧師の説教の中で
アフガニスタンで銃撃され亡くなられた中村哲氏への篤い思いが語られました。
クリスチャンの中村哲氏ですが、モスクの建設に尽力され、住民から
「私達に魂の平安を与えてくださった」と感謝された。
人間にとって信仰がいかに大切かを知っておられたからこそ、という
エピソードも私は初めて知りました。
心に残る礼拝でした。


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「Which Was the Son of・・・」

2019-12-02 15:21:23 | その他
先週、合唱団の仲間のお誘いでスェーデン放送合唱団の(Swedish Radio Coir)の
コンサートにでかけました。アドヴェント(待降節)に向かう週だったからで
しょうか、プログラムは全部宗教音楽でした。
最初の曲はアルヴォ・ペルトの「それは・・・の息子であった」という曲で、
歌詞は「ルカによる福音書」3章23節~38節 “イエスの系図” でした。
こういう文章も素敵な歌に出来るのですね~ 感心しました。

ここをクリックするとペルトの「・・・の息子であった」を聞くことができます。
どうぞお楽しみください。 ↓ はプログラムから、歌詞(ルカ伝3:23-38)です。




アルヴォ・ペルトについては以前一度このブログに書いたことがありますが、
心に残る、心に沁みる曲を書かれる方だと思います。

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公園の<イイギリ>はすっかり色づきました。
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