ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

讃美歌112番 「もろびとこぞりて」

2014-12-30 21:53:23 | 讃美歌
讃美歌112番 「もろびとこぞりて」 28日の礼拝で歌いました。
アドベントが終わった28日が本当のクリスマス礼拝ということで、
この日の讃美歌は全部イエス様のご降誕を祝うものでした。
ギリシャ正教やロシア正教では1月6日の公現日がクリスマスなのだとか。

 1)諸人(もろびと)こぞりて 迎えまつれ
   久しく待ちにし 主は来ませり
   主は来ませり 主は、主は来ませり

 2)悪魔のひとやを 打ち砕きて
   捕虜(とりこ)を放つと 主は来ませり
   主は来ませり 主は、主は来ませり

 3)この世の闇路を 照らし給う
   妙(たえ)なる光の 主は来ませり
   主は来ませり 主は、主は来ませり

 4)しぼめる心の 花を咲かせ
   恵みの露おく 主は来ませり
   主は来ませり 主は、主は来ませり

 5)平和の君なる 御子を迎え
   救いの主とぞ ほめたたえよ
   ほめたたえよ ほめ、ほめたたえよ

“Hark, the glad sound! the Savior comes” by Philip Doddridge, 1735
 
 ANTIOCH
 Arr. from Georg Friedrich Handel’s Messiah (1742)
 Lowell Mason is credited with the arrangement (1836)

  
クリスマスソングの中で最も親しまれている讃美歌の一つである。
この讃美歌をよく見ると二つの疑問点が目に付く。
一つは、作詞の表題が「Hark, the glad sound! the Saviour comes」となっており英語で親しまれている
「Joy to the World」となっていないこと、もう一つは曲の方でヘンデルのメサイアが原曲と記されていることである。

「讃美歌略解」によると、「・・・・この曲はウオッツの Joy to the world! と不可分になっているが、邦訳は、
曲に会わせるためと、意味の上から今回改訂された」そうで、つまり現行の歌詞の方がキリスト降誕に
よりふさわしい内容であると言うことでしょうか?

Hark,the glad sound! は18世紀前半、英国の著名な牧師/神学教授ドッドリッジが出版した讃美歌集の中で
もっとも傑作であり「古い讃美歌の全体を見ても、これ程優美で生新で完全な作品は見出されない」との評価がされている。

曲はヘンデルのメサイアから Lowell Mason が編曲したとあります。(勿論、ウオッツの作詞Joy to the worldにたいして)
ホームページ”クリスマスキャロル”によるとLowell Masonは、ヘンデル・ハイドン協会の重要な地位にいて
ヘンデルに敬意を表して彼の名を挙げたのではないかというコメントがあります。
Mason により当初この曲は「アンテイオキア(讃美歌にはAntiochとあります)」と名付けられましたが、
アンテイオキアの地でイエス・キリストを信じる人たちがクリスチアンと始めて呼ばれるようになりました。
使徒言行録11章19節以降に「アンテイオキアの教会」のところで「ユダヤ人以外(ギリシャ語を話す人々)に始めて福音を伝えた・・・・
このアンテイオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。」とあります。

尚、ウオッツ(Isaac Watts)は、17世紀項半から18世紀前半の英国人でヘンデルとほぼ同時代の人でした。
Lowell Mason は19世紀前半から後半にかけて実業家として活躍したアメリカ人です。 (以上、ネットからの引用です。)


ココをクリックすると讃美歌112番を聴くことができます。



今日は今シーズン初めて<ルリビタキ(♂)>を見ることができました。(^-^)


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「救いを見る」

2014-12-28 22:12:56 | 説教
今日の説教 テキストは「イザヤ書」61章10節~11節 「ルカによる福音書」2章25節~35節
タイトルは「救いを見る」でした。






シメオンが幼子イエスを抱きあげた時、腕の中の宝に救いの輝きを見た。
神の救いのしるしを見るシメオンの魂は、聖霊によって曇りなく澄んでいて福音の響きを正しく聞き取った。
左近先生の説教をお聴きしているとき、私も自分の腕にやわらかく頼りない幼子を抱いて
いるような気持ちになり、その幼子イエスの救いを魂に深く感じました。
私たちの目も聖霊によりシメオンのみていた救いを見ることができるのですね。
み言葉に励まされ、少しでもみ言葉を証しするものとして、この世において
時を得ても得なくても精一杯生きてゆきたいと思いました。

左近先生は旧約聖書をたくさん引用して聖書のみ言葉を説き明かされます。 
旧約をそれほど何回も読んだわけではありませんし、読んでも忘れてしまうことが多くて悲しいのですが、
それでも、旧約聖書を読むのが好きな私にはとても楽しいことです。


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今日の礼拝の司会の方が「神さまの救いに背を向けて、苦しんでいる人々が大勢います。
一人でも多くの方が教会に集い、み言葉を聴くことによって救われますように。
そうすれば、苦しい日々が感謝の日々に変わります。 私の経験が何よりの証拠です。」と
祈られました。 本当に!
神様を知らない時、生きていくのが辛かった私は、大きな想像主を信じる今、生きることが
感謝となりました。 一人でも多くの方が教会の扉を開けてくださるよう、お祈りしています。
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嗣業の地の割り当て

2014-12-27 10:11:31 | 今日の聖句
今日の聖句は 「ヨシュア記」19章49節~51節 です。

境界線を定めて、土地の嗣業の配分が終わると、イスラエルの人々は自分たちの土地の中から
ヌンの子ヨシュアに嗣業の土地を贈った。
主の命令に従って、ヨシュアの求めたエフライム山地の町ティムナト・セラを彼に贈った。
ヨシュアは町を建てて、そこに住んだ。
以上は、祭司アルアザル、ヌンの子ヨシュアおよびイスラエル諸部族の家長たちが、
シロの臨在の幕屋の入り口で、主の前においたくじを引き、受け継いだ嗣業の土地である。
土地の割り当ては、こうして終わった。


ルベン族、ガド族、マナセの半部族はヨルダン川の東側に嗣業の土地を受け継ぎ、
残りの部族はヨルダン川の西側にくじ引きで嗣業の土地を受けました。

例えばヨセフの一族については・・・・・・(16章1節~3節)
ヨセフの子孫がクジで割り当てられた領土は、エリコに近いヨルダン川、エリコの水の東から荒れ野を経て、
山地を超えてベテルに至る。
そこからルズ、アルキ人の領地アタロトを経て、西に降り、ヤフレト人の領地から下ベト・ホロンの地境、
更にゲゼルを過ぎ、海に達する。 

というような細かい記述がヨセフ、マナセ、ベニヤミン、シメオン、ゼブルン、イサカル、アシェル、ナフタリ、
ダン族の各部族の割り当て、地境に関して延々と記されています。

ヨシュアはティムナト・セラに町を建て、レビ人も各部族から放牧地として町を与えられました。
この後、ヨルダン川東岸諸部族は夫々の土地に帰還します。



オオタカが水浴びをする場所です。
この時は全く動かず、まったりしていました。


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明日は、暦でいうと今年最後の主日礼拝です。

私事ですが、連れ合いの肝細胞癌が無くならず来年早々7回目の手術を受けます。
御心ならば癌細胞が上手く抑え込まれて少しでも健やかな日々が戻りますよう、お祈りするばかりです。
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イエス様の誕生

2014-12-24 20:04:58 | 今日の聖句
今日、クリスマス・イブの聖句は「ルカによる福音書」2章8節~21節 です。

その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
天使は言った。「恐れるな。 わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。
この方こそ主メシアである。 あなたがたは、布にくるまって飼い葉おけの中に寝ている
乳飲み子を見つけるであろう。 これがあなたがたへのしるしである。」
すると、突然、この天使に天の大群が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ
 地には平和、御心に適う人にあれ。」
天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは「さあ、ベツレヘムへ行こう。
主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。
そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉おけに寝かせてある乳飲み子を
探し当てた。 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを
人々に知らせた。 聞いたものは皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。 しかし、マリアは
これらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。 羊飼いたちは、見聞きしたことが
すべて天使の話した通りだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。
これは、体内に宿る前に天使から示された名である。
 

「ルカによる福音書」では、最初にイエス様を礼拝したのは羊飼いたちでした。
「マタイによる福音書」は占星術の学者が最初に幼子イエス様を礼拝します。
「マルコによる福音書」にはイエス降誕の記事は無くて、成人したイエスの話から
始まっています。
有名(多分)な、初めに言(ことば)があった、で始まる「ヨハネによる福音書」にも
イエス様の降誕記事はありません。
こんなことにも、今頃気づくワタクシで、クリスチャンとして未熟な者ですが、今日のこの佳き日を
健やかに祝うことができて感謝です。

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美竹教会は今年、老朽化して雨漏りのする会堂を改修し
外壁がこれまでの茶色(?)から白になりました。
この御堂で今夜はイブ礼拝が行われました。
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讃美歌98番

2014-12-22 23:06:45 | 讃美歌
昨日のクリスマス礼拝で歌いました。
讃美歌98番 「あめにはさかえ み神にあれや」 Hark! The herald angels sing  Chales Wesley, 1739

  1) 天(あめ)には栄え 御神(みかみ)にあれや
    地(つち)には安き 人にあれやと
    御使(みつか)い達の たたうる歌を
    聞きて諸人(もろびと) 共に喜び
    今ぞ生まれし 君をたたえよ

  2)定め給いし 救いの時に
    神のみくらを 離れて降(くだ)り
    御霊によりて(または「いやしき賎(しず)の」)
    処女(おとめ)に宿り
    世人(よびと)の中に 住むべきために
    今ぞ生まれし 君をたたえよ

  3)朝日のごとく 輝き昇り
    御光(みひかり)をもて 暗きを照らし
    土より出(い)でし 人を生かしめ
    尽きぬ命を 与うるために
    今ぞ生まれし 君をたたえよ

歌詞がチャールス・ウエスレー、原曲がメンデルスゾーンと何れも著名人によるクリスマスの代表的な賛美歌である。
チャールス・ウエスレー(Charles Wesley 1707-0788)は、兄のジョン・ウエスレーと共にメソジスト運動を推進し、
メソジスト運動の代表的歌人であると同時に、英語賛美歌作者中の王者と目される人である。

この歌は英語で書かれた4大讃美歌の一つとされているが、他の3つは、22番「めさめよ、わがたま」、
142番「さかえの主イエスの」、260番「千歳の岩よ、」と言われている。
ウエスレーの作でこの歌ほど多くの歌集に採用されているものはない。

チャールス・ウエスレーは英国国教会聖職の子として生まれ、オックスフォード大学卒業後、
兄ジョン・ウエスレーと共に伝道のためアメリカに渡ったが、事志に反してイギリスに帰り、
1738年、モラヴィア派の集会で回心を体験した。
モラヴィア派は15世紀、ボヘミアに成立した原始教団を模範とし、簡素で敬虔な信仰生活を目指した集団である。

この賛美歌は、彼の回心体験の翌1739年に発表されたもので、何故御子の降誕を祝うのか、それはその御子によって、
神と罪人である我々が和解できたからである、ということがこの歌の核心であるということだが、この讃美歌の歌詞の訳では、
その点が触れられていない。
「聖歌 123番 きけやうたごえ」には、第1節に「かみはよびとと やわらぎませば」と神との和解が示されている。

曲は、教会オルガニスト、声楽家として英国で活躍したリアム・カミングス(William Hayman Cummings 1831-1915)が、
メンデルスゾーンが1846年に作曲した「祝典歌」から編曲したものである。 
カミングスは、16歳の時、メンデルスゾーンが自ら彼の作品オラトリオ「エリア」の英国での初演を指揮したコンサートで、
合唱団の一人として歌った経験があるとの事である。
1855年に「祝典歌」を聞き、この曲に異常な感動を覚えて、この第2番目の合唱をチャールス・ウエスリーの
“Hark! the herald angels sing”に配することを思いつき編曲し、当時オルガニストをしていたウオルサム聖堂で発表し好評を博した。
その後、この賛美歌は英米のあらゆる讃美歌集に取り入れられてクリスマスの世界的な名曲となった。
それまでは、“Hark! the herald angels sing”には色々な曲が付けられていたが全く普及しなかった。

メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn 1809-1847)はユダヤ教徒の家庭に生まれたが7歳の時にキリスト教徒に改宗した。
『20歳の時に、恩師の反対を押し切って、ベルリンで「マタイ受難曲」100年祭の年に、100年間無視されていたこの受難曲を
復活させた話は有名ですが、彼がこのバッハの作品に心を奪われたのは、それが音楽的に素晴らしいという理由に加えて、
メンデルスゾーンが、自分の魂の深い宗教的な渇きを潤す作品がここにあると確信したからではないでしょうか。』
(大塚野百合著 「賛美歌と大作曲たち」より)
尚、「エリア」は、ハイドンの「天地創造」、ヘンデルの「メサイア」と共に、3大オラトリオと称されている。 
(以上、ネットからの引用です。)

ココをクリックすると讃美歌98番 Hark! the herald angels sing を聴くことができます。



紅葉にメジロ、写真の腕前がもう少し良ければ
なかなか良い絵なのですが・・・・・・(T__T)


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神を信じて祝福に与るということは、病気が治ったり経済的に豊かになったり仕事でで成功する
とかいう現世利益ではない。 神の「祝福」がそのような現世利益であるとしたら、今、病気の人や
貧しい人、仕事で悩んでいる人は、今、神から祝福されていませんよ、と言っていることになる。
今、どのような状況であっても、すでに今、そのままで、神に愛されていることへの目覚めと、
満ちたりた喜びを知り、この世を生きていくことへの不安や不満を、いのちあふれる感謝へと導く
ことが宗教の本質ではないか。 (ネットで見つけた“心に触れる言葉”です、アーメン。)
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クリスマスメッセージ

2014-12-21 21:25:09 | 美竹教会
今日のクリスマス礼拝に合わせて、美竹教会の「信音」ができました。
トップ記事は左近豊牧師の「クリスマスメッセージ」です。


今日のクリスマス、私も喜びも悲しみも、誇りや驕りも、財産も命も、背負っている荷物の
紐を解き口を開けて重荷をおろし、すべてを神様に委ねたいと思います。
そうして、 残り少ないけれど、今までと違う生き方、清々しい人生を歩みたいと思います。


本当は、今日はクリスマス礼拝の説教を載せるはずでした。
うっかり者のワタクシ、説教プリントをいただくのを忘れて帰宅しました。 (^^;)
プリントをいただくつもりで説教は、メモを取らずに一生懸命集中してお聴きしました。
が! ブログに載せられるほど記憶に残っておりません。 (T__T)
代りに「信音」のトップ記事の「クリスマスメッセージ」をアップさせていただきます。 
左近先生のクリスマス礼拝の要約は来週アップいたします。 m(_ _)m m(_ _)m

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24日(水)午後5時から6時はクリスマスイブの夕礼拝です。
讃美歌を中心にした礼拝だそうですが、私はこれまで一度も出たことがありません。
事情が許せば本当に出席したいです。
教会学校のМちゃんは「ウン、出るよ」だそうです、いいな~Мちゃん。



遠くに止まった<ノスリ>という猛禽です。
暗い曇り空でISO感度を2000に上げて撮りました。
ザラザラ画像です。
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明日はクリスマス礼拝です

2014-12-20 13:58:50 | 美竹教会
   

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五人の王の征服

2014-12-20 13:47:24 | 今日の聖句
今日の聖句は「ヨシュア記」10章1節~4節 です。
エルサレムの王アドニ・ツェデクは、ヨシュアがアイを占領し、滅ぼし尽くし、アイの町とその王をも、
先のエリコとその王と同じように取り扱ったことを聞き、またギブオンの住民がイスラエルと和を結び、
彼らのうちに住むことを許されたと聞くと、非常に恐れた。 
ギブオンはアイよりも大きく、王をいただく都市ほどの大きな町であり、その上、そこの男たちは皆、
勇士だったからである。
エルサレムの王、アドニ・ツェデクはヘブロンの王ホハム、ヤルムトの王ビルアム、ラキシュの王ヤフィア、
エグロンの王デビルに人を遣わし、「わたしのもとに上り、ギブオンを撃つのを助けていただきたい。
彼らはヨシュアの率いるイスラエルの人人と和を結んだ。」と伝えた。


5節~42節まで破竹の勢いのヨシュア率いるイスラエル軍の戦いが記されています。

アモリ人の五人の王は連合して攻め上りギブオンに戦いをしかけました。
ギブオンの人々はギルガルの陣営にいるヨシュアに助けを求めます。
ヨシュアはすべての勇士を率いてギルガルから出陣します。
彼は主の「わたしは既に彼らをあなたの手に渡した。あなたの行く手に立ちはだかるもとの一人もいない」
という御言葉を受けていました。
ヨシュアはギブオンで敵に大打撃を与えました。さらにイスラエルの前から敗走する彼らに主は天から
大石(雹?)を降らせ、それで死んだ者はイスラエルの人人が剣で殺した者より多かったそうです。
五人の王は逃げてマケダの洞穴にかくれたのですが、見つかってしまい、洞穴の入り口をふさがれ
見張りの兵が置かれました。
ヨシュアの率いるイスラエルの人人は敵に決定的な大打撃をあたえ、ついに全滅させました。
ヨシュアは洞穴から五人の王を引き出し、兵士の指揮官たちに首を踏みつけさせ、その後、打ち殺して
五本の木にかけ夕方までさらしておき、太陽が沈むころ死体を木から下ろして洞穴に投げいれ
入り口を大きな石でふさぎました。

ヨシュアはその後、マケダに向かい町と王を撃ち、住民を滅ぼし尽くして一人も残さず、
マケダの王に対してもエリコの王と同じようにしました。
マケダからリブナに向かい、更にラキシュ、ゲゼルを撃ち、ラキシュからエグロン、さらに
ヘブロンに上り、デビルに引き返し、全てと戦って占領し王を捕らえ、剣をもって全住民を撃ち、
滅ぼし尽くして一人も残しもせんでした。
ヨシュアはカデシュ・バネルアからガザまで、ゴシェン地方一体を経てギブオンまでを征服しました。
ヨシュアがただ一回の出撃でこれらの地域を占領し、すべての王を捕らえることができたのは、
イスラエルの神、主がイスラエルのために戦われたからだそうです。

そういうことなのですね、約束の地カナン、乳と蜜の流れる豊かな地はこんな風に
もぎ取っていった土地なのですね~ 
アモリ人や五人の王様、そこの住民のパニックは想像するだに恐ろしいものがあります。
旧約の世界は、温暖な気候(最近は激しく厳しい異常気象ではありますが)や
軟弱な日常に生きている私には強烈すぎます。
それでも旧約聖書は面白く、読んでワクワク、止められません。



樹の洞に首を突っ込んで水を飲んでいる<オナガ>です。


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明日はクリスマス礼拝です。
いつもと同じ10時半から12時までが礼拝で、その後クリスマス祝会です。
みんなでお食事をしてから色々なお楽しみがあります。
讃美歌もたくさん歌います。  本当のクリスマスを教会で過ごしましょう!
小さなお子様も大きな子供たちも、お父様、お母様も、ぜひお出かけください。
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ギブオン人の選んだ道

2014-12-18 12:40:38 | 今日の聖句
今日の聖句は「ヨシュア記」9章22節~26節 です。

ヨシュアはギブオンの住民を呼び集めて、彼らに言った。
「お前たちはなぜ、我々を欺いて、はるかな遠い国から来たと言ったのか。
お前たちは我々のうちに住んでいるではないか。
お前たちは今、呪われて、奴隷となり、お前たちの間からわが神の宮の芝刈り、
水くみが耐えることは無いだろう。」
彼らはヨシュアに応えた。
「あなたの神、主がその僕モーセに、『この地方はすべてあなたたちに与える。
土地の住民をすべて滅ぼせ』とお命じになったことが僕どもにはっきり伝わって来たので、
あなたたちのゆえに命を失うのを非常に恐れ、このことをいたしました。
御覧ください。わたしたちは今はあなたの手に中にあります。
あなたが良いとみなし、正しいとみなされることをなさってください。」
ヨシュアは彼らにそのようにし、イスラエルの人人の手から彼らを助け、
殺すことを許さなかった。
ヨシュアはその日、彼らを共同体および主の祭壇のため、主の選ばれたところで
芝刈りまた水くみとした。 それは今日まで続いている。


ヨルダン川を渡ってカナンの地に侵入してきた大民族、イスラエルの民の噂で先住の民は大騒ぎ、
大恐慌に陥っていたのではないでしょうか。 イスラエルの民の後ろ盾には全能の神、主がいます。 
ヘト人、アモリ人、カナン人、ヒビ人、エブス人等などの先住民はイスラエル人と独自で戦ったり、
いくつかの民族(国)が団結して戦ったりしました。 
そしてまた、今日の聖句のギブオン人は策略を巡らしてヨシュアに取り入り、皆殺しよりは
奴隷の道を選んだ、というわけでしょう。

民数、申命と読んできてヨシュア記になると出来事の記述が多くて読みやすく、
こういうところはつい気軽に読み進んでしまいますが、まあ、それでよいのでしょうか。



<ワカケホンセイインコ>
篭脱けの外来種が公園に居ついて在来種を駆逐する勢いです。


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「ヨシュア記」読み始めます。

2014-12-16 17:10:22 | 聖書
「申命記」読み終わりました。 今日から「ヨシュア記」を読みます。
まず「聖書事典」で「ヨシュア記」についてのお勉強です。

ヨシュア記は荒れ野彷徨時代が終わり、士師時代が始まる前まで、すなわち、イスラエルの民が、
モーセの後継者ヨシュアの指導の下に約束の地カナンに入り所有するまでの歩みを語る。
全体は大きく、第1部1章「序」、第2部2-12章「カナン征服」、第3部13-22章
「征服した土地の各部族への分割」、第4部23-24章「結論と歴史的記述」の四つに
分けることができる。

ヨシュア記はヨシュアを「第2のモーセ」として描く。
ヨルダン川渡渉の際「包みを乞えんばかりに満ちていた水が、人々が足を水につけると
水は川上で壁のように立った」り、ヨシュアも神の顕現を体験し、靴を脱ぎ、
エバル山でモーセが書いた律法の写しを石に刻み朗読したり、モーセがヨルダン川東岸の
領地をルベン、ガドの2部族、およびマナセの半部族に
分けたように、ヨシュアは占領した西岸の地を9部族とマナセの半部族の領地と決めた。
このようにヨシュアはモーセの仕事をそのまま継続している。
また、モーセ同様、ヨシュアは神との契約の仲介者としての役割も果たしている。
民は「モーセを敬ったように、ヨシュアをその生涯を通じて敬った。」

ヨシュアはカナンの町々に電撃的な攻撃を仕掛け(「ただ一回の出撃で」)南は
ネゲブの全域から北はヘルモン山麓レバノン谷間でを占領する。
しかし、同時にカナンの王たちとの戦いに長い年月を要し、ヨシュアが老いた時に
「占領すべき土地はまだたくさん残った」状態で「追い出せなかった」あるいは
「追い出さなかった」住民がその後も住み続けたという記事が散在する。

著者はヨシュア本人ではなく長い編集過程を経て記されたことは明らかである。
本書が最終的にまとめられたのは、前7世紀末のヨシヤの時代、あるいは前6世紀の
バビロン捕囚時代であり、いわゆる申命記的史家によると思われる。
その編集の糸は、イスラエルの繁栄は神の対する愛と信頼、具体的には律法の遵守に
よって保たれることを人々に教え、その視点からイスラエルの過去を回顧し
反省したことにある。
                 **********************以上、「聖書事典」からの抜書き



ムクノキの実に飛びつく<オナガ>です。

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もし、神様が私の隣にいてくださらなかったら、私は生きている虚しさに耐えられないと思います。
うろ覚えですが、星野富弘さんの詩に、「自分が一番大切だと思っていた時は生きているのが苦しかった。
自分より大切なものがあると知った時から生きてくのが楽しくなった」というような言葉がありました。
年老いた私ですが、少しでも健康で神さまの証しをしたいと、今は生きていることが辛くなくなりました。
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