ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

讃美歌第二編 182番 「丘のうえに十字架たつ」

2020-03-21 16:17:20 | 讃美歌
   今日はドカ~ンと立派な<枝垂れ梅>の写真から始めます。
   3月初めの散歩で、東京はK市のお宅で拝見しました。見事な<枝垂れ梅>です。
   このお宅ではこの時期、庭を開放なさっていて、多くの方が訪れるようでした。


   

今日の讃美歌は 「讃美歌第二編の182番」 「丘のうえに十字架たつ」 です。
先週の日曜日、3月15日の礼拝で歌いました。
美竹教会では讃美歌第二編を歌うことはほとんどありません。
初めて歌った讃美歌でしたが、とても歌いやすい気分の良い歌でした。

On a hill far away stood an old rugged cross, by George Bennard, 1913
「OLD RUGGED CROSS」 by George Bennard, 1913

 1 丘の上に十字架たつ、  神のみ子イェスきみ、
   ひとの罪をその身に負い 捨てませり、いのちを。
  (くりかえし)
   ひとすじに十字架を   あおぎつつわれゆかん、
   世のさかえうちすて、 みすいくにたよりて。

 2 ひとは厭いあざけるとも 十字架はしたわし、
   小羊なる神のみ子の みくるしみ思えば。

 3 あらけずりの主の十字架、 かぎりなくとうとし、
   赦しあたえきよくするは イエスきみの血しおぞ。

 4 悩みも死もなにかはあらん、 くるしみもいとわじ。
   さかえの朝待ちわびつつ にないゆかん十字架を。

ここをクリックすると讃美歌第二編182番「丘の上に十字架たつ」を聴くことができます。

George Bennard (米国)が1913年に作詞&作曲した讃美歌である。
翻訳は、ただ ”十字架たつ” とだけあるが、英語では ”Old Rugged Cross” となっている。
”Rugged” を辞書で引くと (1)岩の多いごつごつした (2)強い意志を持つ表情の
(3)強くて容易に壊れない、或は、厳しい条件や悪天候で使用されるように作られた等の
意味を持つ。 キリストの苦難に満ちた十字架を思わせる。
歌う関係からか、3章に「あらけずりの主の十字架」と表現されている以外は、単に
”十字架” とのみ表現されている。
Bennard はアメリカ中部のオハイオ州に生まれ、家族と共にアイオワ州に移った。
宣教の道を進みたい思いがあったが、父の死により残された家族を支える必要があった。
結婚後、妻と共にイリノイ州で救世軍に奉仕し、後、宣教師となってアメリカ、カナダで奉仕し、
晩年をミシガン州の Reed市で過ごした。
ミシガン州デトロイトから西北の町 Reed City のホームページによると Bennardはこの
近くに住んでいたそうで、市の歴史博物館にはこの歌を記念した十字架や彼の遺品などが
展示されているとのことである。
しかし、この讃美歌が作られた場所については色々の説があるとのことである。
******以上、いつものようにネットからの引用です。玉石混交と言われることもありますが、
ネットの情報がなかったら、と考えると私の場合、ネット様には本当に感謝です。 <(_ _)>(^^)

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ロックよりカントリーがいいな~

2020-03-02 19:09:51 | 讃美歌
2月23日の礼拝で歌った讃美歌です。
讃美歌331番「主にのみ十字架を 負わせまつり」
”Must Jesus bear the cross alone” Thomas Shepherd, 1693
「MAITLAND」 George nelson Allen, 1849

 1) 主にのみ十字架を 負わせまつり
    我知らず顔に あるべきかは
 2) 十字架を負いにし 聖徒たちの
    御国(みくに)に喜ぶ 幸(さち)やいかに
 3) 我が身も勇みて 十字架を負い
    死に至るまでも 仕えまつらん
 4) この世の禍幸(まがさち) いかにもあれ
    栄えの冠(かむり)は 十字架にあり

ネットで検索したところ心地よいカントリー・ミュージックにめぐり逢いました。
ここをクリックするとカントリー調の「讃美歌331番」を聴くことができます。
(じ、実は YouTube の貼り付け方が分かりませ~ん (^_^;) )


"The PANHANDLE POLECATS" というグループの
"Selkirk Storm" というアルバムに入っているようです。

1. Must Jesus bear the cross alone,
  And all the world go free?
 No, there’s a cross for everyone,
  And there’s a cross for me.
2. The consecrated cross I’ll bear
  Till death shall set me free;
  And then go home my crown to wear,
  For there’s a crown for me.
3. Upon the crystal pavement down
  At Jesus’ pierced feet,
  Joyful I’ll cast my golden crown
  And His dear Name repeat.
4. O precious cross! O glorious crown!
  O resurrection day!
  When Christ the Lord from heav’n comes down
  And bears my soul away.

そよ風が吹き抜けるような、透明で心地よい。コンテンポラリーワーシップで歌うなら
これくらいのスピード&リズムがいいな~と思いました。
ロックは高齢者には息切れします・・・・・「Queen」は別にして・・・・・(^^)

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讃美歌392番「神のみ声は」

2020-02-03 15:01:22 | 讃美歌
昨日の礼拝で歌いました。

讃美歌392番 「神のみ声は」
The voice of God is calling, John Hynes Holmes, 1913
「MEIRIONYDD」 Welsh Hymn Melody

 1)神のみこえは むかしのごと、
  今なおひとを 召させたもう、
  [とらわれし民 なやむものを
  すくうつかいの 世にはなきか」

 2)小屋に小みちに 市に里に
  ひとのもだえの こえはきこゆ、
  「やみのちからの せまりくるに
  うちやぶるベき つかいなきか」

 3)神よ、みこえを われらきけり、
  いずこへなりと おくりたまえ、
  ちからはよわく 知恵なけれど、
  みむねのままに もちいたまえ

 4)やすきを、幸を いまねがわじ、
  ちからを、才を はやたのまじ、
  かみのうつわと なさせたまえ。
  みことかしこみ 我らはゆかん。

■この曲は、Welsh Hymn Melodyとなっており、英国のウエールズ地方で歌われていた賛美歌が
原曲である。392番はウエールズ生まれのウイリアム・ロイドWilliam Lloyd(1786-1852)によって
編曲されたものである。「讃美歌略解」によると、この曲は彼の持っていた手記の歌曲集の中に発
見されたとある。
ロイドはウエールズの農夫であったが,生来美声の持ち主で且つ音楽好きであった。
家畜を売買するためにイングランドに旅行する度に、彼は教会に行って会衆の歌う美しい
讃美歌を聞き、それを覚えてウエールズの農民達に教えていたが、そのうちウエールズ各地方で
『歌う会 Singing meeting』を催し、その指導をした。
曲名の”MEIRIONYDD”は原曲名ではなく、ロイドが住んでいた地方の郡名 “Merioneth”の
ウエールズ語名に因んだものである。
この美しい旋律は、今日広く英米で愛唱され、歌詞も色々なものがあてはめられている。
ちなみに275番「強き神の子、朽ちぬ愛よ “Strong Son of God, immortal Love"」のメロデイも
この曲を採用している。
■作詞者ジョン・ホームズ(John H.Holmes 1879-1964)はアメリカ人で、ハーヴァード大学を
卒業してユニテリアン派の牧師となりマサチューセッツ州とニューヨーク州の教会で牧会をした。
彼は世界平和と社会改造とシオン運動とのために戦い、この歌は彼の信仰と思想とを率直に
披瀝したものであると言われている通り、第1節ではイザヤ書6章8節のイザヤの召命の場面が
引用されている。
「そのとき、わたしは主の御声を聞いた。『誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。』
わたしは言った。『わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。』」
■20世紀初頭のアメリカは自動車、石油、鉄鋼などの基幹産業の発展と大衆消費時代の幕開けにより
大きな経済発展の途上にあったが、一方では労働条件、貧富の格差など影の部分も拡大し社会的
諸問題が顕在化しつつあった。
ホームズはこうした社会の底辺にあって苦しみ、虐げられ、絶望感にある人達を救うために,
神に「どうかわたしを遣わしてください。弱き我々をあなたの栄光を現すために用いてください」との
祈りをこの歌に込めている。     (解説、ネットからの引用です。 <(_ _)>)

ここをクリックすると讃美歌392番「神のみ声は」を聴くことができます。

昨日の説教、テキストはイザヤ書6章1節~8節 タイトルはまさに「遣わしてください」でした。
生ぬるい信仰、背中をどやされているのにまだ動かない私の心と体。
もう年だから、と言うのは言い訳ですね。


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今年は暖冬、公園は少し寒そうです。
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讃美歌118番

2020-01-08 19:49:22 | 讃美歌
2020年の第一週、降誕節第2主日の礼拝で歌いました。
讃美歌118番 「くしきほしよ やみのよに」
"Brightest and best of the sons of the morning" by Reginald Heber, 1811
「MORNING STAR」 by John P Harding, 1892

  1)奇(く)しき星よ 闇の夜に いよよ光輝き 
    救いの主の在(ま)す村に 疾(と)く導(みちび)き行けかし

  2)洩(も)る風 いと寒き 飼い葉桶に臥(ふ)したもう
    嬰児(みどりご)こそ畏(かしこ)くも  君の君に在(ましま)す

  3)さらば我ら海山(うみやま)の 真玉(またま)、黄金(こがね)、白銀(しろがね)、
    匂い物を取り集め 捧ぐべきか、御前(みまえ)に

  4)類(たぐい)あらぬ宝さえ、奉(たてまつ)るに足らねど、
    貧しき身の褒め歌を 主は喜び受けまさん

************* 歌詞はウオッツ、ウエスレー、モントゴメリー、ボナーの四人と共に英国の5大讃美歌作者と
いわれているレジナルド・ヒーバー(18世紀後半から19世紀前半)によるものである。
ヒーバー作詞のものは、66番「聖なる聖なる聖なるかな」が世界的にほとんど無比の地位を占める礼拝の
歌として親しまれている。
Reginald Heber (1783-1826) は、オックスフォードを卒業し英国で教会 を牧していたが、インドの
カルカッタ赴任中、病にかかり43歳で急死した。
作曲者ジョン・ハーデイング (1850-1911) については、35年間にわたってロンドンの聖アンデレ教会で
聖歌隊員及びオルガニストをつとめていたという以外にはあまり知られていない。 **********************

上の解説は例によってネットからの引用です。
それにしても日本語の歌詞はいつ頃どなたによってつけられたものなのでしょう。
難しい言葉使いに驚きました。
「讃美歌」(1954年初版)の歌詞は平仮名が多く使われていますが、どれくらい難しいか、漢字に出来る言葉は
全部漢字にしてみました。 暇人ですよね~~
最後の「主は喜び受けまさん」の ”まさん” はどんな字なのか分かりませんでした。

ここをクリックすると讃美歌118番のパイプオルガン演奏をきくことができます。

暮れから正月にかけて多くの主婦は忙しいことと思いますが、一人暮らしの私は結構のんびりと過ごしました。
私と同じ三年前に一人暮らしになった姉が泊まりに来てくれて、姉妹で楽しくおしゃべりしながら年越し。
姉は一応(^^)伝道師?牧師?(よく分かりません)だったので聖書についても色々教えてもらえました。
特に「ヨハネによる福音書」についての私の感動をよく聞いてくれました。 姉さん、アリガトウ・・・・
ゆったりした時間を過ごしていながら、このブログは随分サボってしまいました。 
今年はどんな風になるかな~しようかな~と迷っています。
キリスト教の神様のことをご存じない方がお一人でも読んでくださり、教会に来てくださるようにと始めた
ブログですが、正直、ネタ切れ気味・・・・・かな?
毎日読んでいる聖書から「今日の聖句」を載せるなら続けられるかな~ う~ん、今悩んでいます。 (-_-;)

 
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<コムラサキ>の実を啄む<メジロ>です。
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讃美歌288番 「たえなる道標の光よ」

2019-08-03 20:21:26 | 讃美歌
讃美歌288番 「たえなるみちしるべの光よ」
“Lead, Kindly Light, amid the encircling gloom” by John Henry Newman, 1833
「LUX BENIGNA」by John Bacchus Dykes, 1865

 1)たえなる道しるべの光よ、家路もさだかならぬやみ夜に、
   さびしくさすらう身を 導きゆかせたまえ。
 2)行く末遠く見るを願わじ、主よ、わが弱き足を守りて、
   ひとあし、またひとあし、道をば示したまえ。
 3)あだなる世の栄えを喜び、誇りておのが道を歩みつ、
   むなしく過ぎにし日を わが主よ、忘れたまえ。
 4)標(しるべ)となりたまいし光よ、今よりなおも野路に山路に、
   闇夜のあけゆくまで、導きゆかせたまえ。
 5)とこ世の朝に覚(さ)むるそのとき、しばしの別れをだに嘆きし
   愛するものの笑顔、御国にわれを迎えん

■ジョン・ヘンリー・ニューマン(John Henry Newman 1801-1890 英国)の代表作であり、
近代讃美歌の代表と言える。
彼の初めてのイタリア訪問の時、シチリアで病気になり、Giovanni城で静養した後、
帰国のため到着したパレルモで、国に向かう船がなく3週間滞在を余儀なくされた。
その時、パレルモにある教会を巡り歩きやっと心の平安を得ることが出来た。
マルセイユ行きの船に乗り込んだが、コルシカ島とサルジニア島との間のボニファチオ海峡で
霧のため丸一週間船は行く手を阻まれた。その時に、この詞が浮かんだという。
詞の題名は「雲の柱 The Piller of Cloud」で、モーゼがイスラエルの民を引き連れて
エジプトより逃れてカナンの地に向かう途中で、イスラエルの神が「雲の柱」で行く手を
先導した物語を想定したものと思われる。讃美歌の題名「みちびきゆかせたまえ Lead,
Kindly Light....」は、歌詞の出だしから取ったものである。

■作曲者ジョン・B・ダイクス(John Bacchus Dykes 1823-1876 英国)はある日、霧のかかった
ロンドンのテムズ河畔を散歩している時、空の一方に美しい虹を見た。
その時、彼の心に浮かんだのがニューマンの詞「雲の柱」であった。
彼は直ちにこれに対する楽想を練って、一気に作曲した。1865年8月29日であった。
翌々年、この曲はBarryの出版した「Psalms and Hymns」に讃美歌の曲名となった「LUX BENIGNA
(kindly lightのラテン語)」という曲名で発表された。更に翌1868年、「Hymns Ancient and
Modern」の初版(1861年)の補遺版が出版された時、ダイクスは、この曲を書き改めて、
同じ曲名でその補遺に取り入れた。以来この形が英米の讃美歌集に載ることとなった。

作詞者ニューマンは、この讃美歌の註解において、『この讃美歌が普及したのは、歌詞の
ためではなく、その曲のためである。この曲を作ったのはダイクスであり、ダイクス博士こそ
偉大な芸術家である』と謙譲に曲を称賛している。この原詩は、心の底から光を求める叫びで
あり、曲はその気持ちを充分に現している。

■ジョン・ヘンリー・ニューマンは、ロンドンの銀行家の子として生まれ、オックスフォードに学び、
優秀の成績で卒業後、特別校友、学生監等を経て、同学内の聖メアリ教会牧師に任じられ、幾多の
名説教をした。
1845年、ローマ・カトリック教会に転じ、イギリスの社会に非常な衝撃を与えた。

■ジョン・B・ダイクスは、牧師を祖父とし、銀行家を父にもち、ケンブリッジ在学中に大学音楽協会
(University Musical Society)の指揮者に推され、、1849年には、ダラム(Durham)大聖堂の
評議員兼聖歌隊長となり、後にダラム大学は彼に『音楽博士』の学位を贈った。
300曲に上る讃美歌の作曲をし、又、英国讃美歌史上の歴史的事業である「Hymns Ancient and Modern」の
編集に関与して重要な役割を果した。特に保守的な英国讃美歌の伝統を破って、当時の通俗的歌曲に
もとづいた新しい形の讃美歌曲を書いた点に彼の特色が認められる。ダイクスの曲が英国的でありながら、
民謡的色彩を持ち、大衆通俗性を持っているのは、彼の曲のこういう性格にもとづいている。
讃美歌に採用されているダイクス作曲の曲は「聖なる、聖なる、聖なるかな 66番」他18曲ある。

ココをクリックすると讃美歌288番を聴くことができます。

この讃美歌は以前このブログに載せたことがありますが、
今回ネットで調べたらさらに詳しい解説が載っていました。再掲いたします。

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   梅雨が開けた途端に物凄い暑さ!
   皆さま、お大事にお過ごしください。
   花は梅雨の朝の<ヒルガオ>です。
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讃美歌187番

2019-07-08 22:16:21 | 讃美歌
昨日の礼拝で歌いました。

讃美歌187番 「主よ、いのちの」
“Break Thou the bread of life” by Mary Artemisia Lathbury, 1877
「BREAD OF LIFE」by William Fisk Sherwin, 1877

  1.主よいのちの ことばを
    あたえたまえ わが身に
    われはもとむ ひたすら
    主よりたまう みかてを


  2.ガリラヤにて みかてを
    わけたまいし わが主よ
    いまも生ける ことばを
    あたえたまえ ゆたかに

↓ ネットからの引用です。 ************************************
アメリカにおいて広く用いられている聖書の歌である。
ヨハネによる福音書6章35節「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は
決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。
」との山上の
説教の部分である。
原作者 Mary Artemisia Lathbury(1841-1913)は、牧師の娘としてニューヨーク州
マンチェスターに生まれ、始め美術の教師となり、のち青少年の雑誌の記者となった。
詩文をよくし、数巻の文学的著作がある。
この歌と讃美歌50番の歌はニューヨーク州ショートクァ(Chautauqua)湖畔で催される
サマースクールの集会のために作ったもので「聖書研究の歌」と題されていた。
2つの讃美歌とも William Fiske Sherwin(1826-1888)により作曲されたが、
187番は特に歌詞と曲との完全な融合の典型とされている。

ショートクァ(Chautauqua)は、エリー湖の東岸、ナイアガラの滝で有名な
バッファローから南に湖畔沿いに下った所にあり、人口僅か7500人の町であるが、
町を挙げての芸術、文化興隆により自前のオーケストラやオペラを持ち、上演のため
の劇場などを有している。
この町で毎年開催されるサマースクールには全国から8,000人の学生が集まり、芸術・
音楽・ダンス・観劇など様々な分野の研修が行われている。
このサマースクールは、1874年にメソデイスト派により始められたが、エキュメニカル
発展しており国内外からの牧会者、教師たちの研修の場として大きな貢献をして来た。
(以上Chautauquaのホームページより)************************************

え? エキュメニカルって? これまたネットからの引用です。 (-_-;)
エキュメニズム(英: Ecumenism)とは、キリスト教の教派を超えた結束を目指す主義、
キリスト教の教会一致促進運動のことである。
世界教会主義(せかいきょうかいしゅぎ)ともいう。 転じて、キリスト教相互のみならず、
より幅広くキリスト教を含む諸宗教間の対話と協力を目指す運動のことを指す場合もある。
・・・・・だそうです。
 (^^)

ココをクリックすると聖学院大学のカリヨンの奏でる賛美歌187番を聴くことができます。

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梅雨の終わり、夏の始まりの夕方の公園です。
手前にノウゼンカズラのアーチ、奥に紫陽花が咲いています。
夫が亡くなって三年が過ぎました。夫の残した写真を見ると、
16年という長い闘病生活を比較的明るく前向きに過ごした夫の強さ、
そしてそれを与えてくださった神様の恵みに感謝です。
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賛美歌290番「よろずを治(し)らす 愛の御手に」

2019-06-05 19:03:05 | 讃美歌
賛美歌290番「よろずを治(し)らす 愛の御手に」

“Befiehl du deine Wege” by Paul Gerhardt 1676
「BEFIEHL DU」 by Johann Michael Haydn (1737-1806)

 1)よろずを治(し)らす 愛の御手(みて)に 憂きも恐れも 委ねまつれ
   嵐をしずめ 雲をはらい 神はまさみち(正道?)示したまわん

 2)思い乱るる わが心よ 救いの時を 静かに待て
   忍びて待たば 暗き夜に 別れを告ぐる 朝はきたらん

 3)頼れるものを 見捨てまさぬ 神のまこと(真実)ぞ とこしえなる
   愛する子らを きたえたもう 父の愛こそ 限りなけれ

 4)はせばを走り わざを終えて さかえの国に かえる その日
   命のかむり(冠) 授けらるる 悩みし子らは 幸なるかな

Paul Gerhardt パウル・ゲルハルト(1607-1676)
ドイツ、ブランデンブルク=プロイセンの福音主義教会牧師、讃美歌作詞者。
ゲルハルトはドイツの最も偉大な讃美歌作者であると見なされている。
賛美歌136番「血しおしたたる」などの彼の代表的賛美歌は英語・日本語の讃美歌集にも収録されている。

Johann Michael Haydn ヨハン・ミヒャエル・ハイドン (1737-1806 )
オーストリアの古典派の作曲家。
フランツ・ヨーゼフ・ハイドンの5歳下の弟。
1755年までウィーンのシュテファン大聖堂の聖歌隊で歌うかたわら、オルガン、ピアノ、ヴァイオリンを学ぶ。
1777年(40歳) 聖三位一体教会のオルガニストとなる。
1781年(44歳) モーツァルトの後任として宮廷及び大聖堂オルガニストとなる。
1800年(63歳) ザルツブルクがフランス軍に占領され、財産や給料を奪われ、兄ヨーゼフが送金して助けている。
また、マリア・テレジア皇后がミサ曲、後にレクイエムを委嘱した。
アイゼンシュタットに兄ヨーゼフを訪ねた時、宮廷での第二楽長の職を提案されたがザルツブルクに留まる事を選んだ。
1806年8月10日(69歳) ザルツブルクで死去。

ココをクリックすると J.M.Haydn 作曲の賛美歌290番を聴くことができます。

6月2日の礼拝で歌いました。
またまた私には初めての賛美歌でア~ウ~しか声が出ませんでした。
老眼も進んだようで、礼拝堂で初見の賛美歌の歌詞やメロディを追うのに四苦八苦。
老眼鏡も新しくしなくては・・・・なんてことが頭をかすめて集中イマイチでした。反省!

ブログにアップしようと、YouTube で聞いた Haydn作曲のこの賛美歌の美しいこと!
特にソロを歌っている(メゾ?アルト?) Doris Loh の声の美しいこと!
日本語の歌詞は文語で難しすぎますが、次回この賛美歌に出会ったらもう少し上手に歌いたいな~~


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我が家の庭に咲いた<ガクアジサイ>二種です。
三年前に亡くなった夫の仏前(夫の菩提寺は曹洞宗です)に
飾った鉢植えを庭に移したのですが、
三年目に綺麗に咲いてくれました。 嬉しいです。
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賛美歌80番「わが主の御業(みわざ)は」

2019-05-22 21:09:58 | 讃美歌
19日の礼拝で歌いました。私は多分はじめての曲で、他の方々もそんな感じで
賛美の声は少々淋しいものでした。 (;_;)

賛美歌80番「わが主の御業は」
“Was Gott tut, das ist wohlgetan” by Samuel Rodigast, 1675
「WAS GOT TUT」by Severus Gastorius, 1675

1)わが主の御業は ことごと正し
  妙なるみむねに 凡てをまかせん
  主はわが神なり ともしき時の
  わが助けなり
2)わが主の御業は ことごと正し 
  うえなきまこと(真理)は とわに変わらじ
  暗きはひかりを よし隠すとも 
  いかか恐れん
3)わが主の御業は ことごと正し 
  たえなる御旨を 今は知らねど
  忍びて待ちなば さ霧もはるる 
  あしたはきたらん
4)わが主の御業は ことごと正し 
  あらしの中にも 安けく憩わん
  主はわが父なり なやめる時の 
  わがすくいなり

作詞者:サミュエル ロディガスト(Samuel Rodigast)
多くの詩を書いたドイツの詩人。ルーテル派の牧師の子としてJena近くのGroebenで生まれた。
Weimarの中等学校に通った後、 University of Jena で学んだ。
彼はそこで、1676年にphilosophy facultyの助手に任命され、
1680年には Berlinsches Gymnagium の副学長になった。
1698年から亡くなるまで学長を勤めたが、学長になる前にはJenaでのmetaphysicsとlogicの
教授職をオファーされていた。
彼はFranziskanaer-Klosterkircheに埋葬された。
ロディガストは賛美歌“Was Gott tutu, das ist wohlgetan”の作詞で記憶されている。
この詩は重病の友人、聖歌隊の指揮者であるセヴェレス ガストリウスのために書いた。
この詩に慰められたガストリウスはこの歌に曲をつけた、と言われるが、学者は
この曲が作られた状況に疑問を抱いている。
この賛美歌はプロセインの Frederick William 三世のお気に入りで、彼の葬儀の際に歌われた。

作曲者:セヴェレス ガストリウス(Severus Gastorius)
Weimarの学校の教師の息子、セヴェレスはBauchppies姓(後にラテン語でガストリウスと改名)
Weimar 近くのOetternで生まれた。1667年からUniversity of Jenaで学び始めた。
1670年からJenaの聖歌隊指揮者(cantor)、Andreas Zoellの代理を努め、後年、彼の娘と結婚した。
1677年のZoellの死後、その職務を引き継いだ。
友人のロディガストが重病のガストリウスを元気づけるために
“Was Gott tutu, das ist wohlgetan”を書いた。
ガストリウスは病気回復を待たずしてWerner Fabriciusによるメロディに基づいてこの曲を作った。
Cantorの学生たちは毎週、ガストリウスのドアの前でこの歌を歌った。
この賛美歌はドイツで広く知られた。
ガストリウスは1682年5月に埋葬されたが、埋葬に際してこの賛美歌を歌うようにと
彼はリクエストしていた。   ************************* 以上はネットからの引用です。

ココをクリックすると賛美歌80番を聴くことができます。

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↓ 夕方の公園、<イボタ>の木陰にジャコウアゲハの群れを見ました。
ねぐらを探していたのでしょうか、一頭でも嬉しいジャコウアゲハを群れで見て
感激!興奮しました。都市公園でも探せばこんな自然に巡り会えるのですね~。


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讃美歌142番

2019-04-10 09:26:40 | 讃美歌
4月7日(日)の礼拝で歌いました。

讃美歌142番「さかえの主イエスの十字架を仰げば」
When I survey the wondrous cross Isaac Watts, 1707
「HAMBURG」 Arr. From a Gregorian Chant, by Lowell Mason, 1824
 1 栄えの主イェスの 十字架を仰げば
   世の富 誉れは 塵にぞ等しき
 2 十字架の他には 誇りはあらざれ
   この世のものみな 消えなば消え去れ
 3 見よ、主の御頭(みかしら) 御手御足よりぞ
   恵みと悲しみ こもごも流るる
 4 恵みと悲しみ 一つに溶け合い
   荊(いばら)は眩(まばゆ)き 冠(かむり)と輝く
 5 ああ、主の恵みに 報ゆる術(すべ)なし
   ただ身と霊(たま)とを ささげて額(ぬか)ずく

イギリスの讃美歌の父Isaac Watts(1674-1748)の代表作である。
英語讃美歌中最もポピュラーな4つの歌の一つに数えられている。
他の3つは、22番「めさめよわがたま」98番「あめにはさかえ」260番「ちとせの岩よ」である。

曲名の“HAMBURG”の理由は分らない。
作曲者Lowell Mason(1792-1872 米国)が他の讃美歌の曲としてグレゴリアン聖歌から
編曲した旋律がこの讃美歌の曲となってから全米で愛唱されるようになった。
「HAMBURG」は原曲からずいぶんかけ離れた形になっているが、旋律の音域が僅か減5度の
狭い範囲に圧縮されて歌い易く、単純な和声でありながら個性を持ち、且つ厳粛な響きを
持っているため、Mason の曲の傑作の一つに数えられている。

Isaac Watts牧師は、幼時から詩才があり、1707年英国で最初の讃美歌集(Hymns and
Spiritual Songs)を出版。生涯で600編以上の讃美歌を作りチャ-ルス・ウエスリーによる
メソジスト運動と相まって英国讃美歌の第2期黄金期を創出し、ドイツに勝るとも劣らない
貢献をこの世界にもたらした。
(第1期は宗教改革から1700年頃までの詩篇歌が中心であった。)

作曲者Lowell Mason は、全く独学で音楽を勉強し、音楽教育に力を注ぎ後にボストン音楽学校を
設立した。アメリカで最初の「音楽博士」である。
メイスンは、英国におけるジョン・B・ダイクス(1823-1876)或はそれ以上に、米国の
讃美歌史上に重要な人物である。
彼の曲のスタイルは、どこまでも大衆的、民謡的、さらに米国的であり欧州の曲をたくさん
編曲しているが、ときには原曲の姿が判らないほどに手を加え、これを米国的なメイスン的な姿に
変えてしまった。それが米国人の好みにぴったり合致し全米に広がる要因ともなった。
               *******************************以上、ネットからの解説です。

ココをクリックすると讃美歌142番「さかえの主の・・・」を聴くことができます。      

このブログのカテゴリ「讃美歌」では、礼拝で自分が歌った曲をご紹介(と言っても、ネット記事
からのコピペですが(;_;))しています。これまでに150以上の讃美歌を載せました。
新しい讃美歌をご紹介するのがなかなか難しくなりました。
讃美歌ネタはブログの記事としては比較的楽に作れますので私にとって貴重なのですが、サテ、
これからはどんなものにしましようか、考え中です。
こんな記事は?とか、讃美歌ネタはこうしたら?等などアドバイスが頂けたらホントウに
ありがたいのですが・・・・・苦悩するゆうゆうです。


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樹林公園の山桜写真(続き)です。
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讃美歌 第二編 157番

2019-03-08 11:48:02 | 讃美歌
讃美歌 第二編 157番 「この世の波風さわぎ」

1)この世の波風さわぎ 誘いしげき時も
  悲しみ嘆きの嵐 胸にすさぶ時にも
  御前に集い祈れば 悩み去り憂きは消ゆ
  いざ共に讃え歌わん 恵み深き主のみ名

2)一つの望みに生くる はらから共に集い
  互いに仕えむつめば 世になき安き満ちて
  あめなる喜びあふる 麗し神の民よ
  いざ共に讃え歌わん 恵み深き主のみ名

美竹教会の礼拝で「賛美歌第二編」はあまり歌いませんが、2月24日の北川牧師による礼拝で
この歌を歌いました。 よく知っているダニーボーイ(Londonderry Air)の旋律に思わずにっこり。

ここをクリックするとリコーダーによる美しい旋律を聴くことができます。

↓ネットの解説、抜き書きです。 ********************
アイルランド民謡“Londonderry”の旋律に松平惟太郎氏の作詞を配した曲である。

旋律はLondonderry Air(ロンドンデリーの歌、或は調べ)と呼ばれ、19世紀半ばに、古くから伝わるアイルランド民謡の
一つとして歌集(the Ancient Music of Ireland, 1855)に発表されて、アイルランド、スコットランド地方に広まった。
この旋律のために100以上の歌詞が創作されたが、20世紀の初めに“ダニーボーイ Danny Boy”の歌詞が配されて以来
欧米を始め世界中に広まった。
この歌詞は出征するわが子を送る親の愛の歌といわれ、第一次世界大戦の前年で、世界中が戦争の予感におびえていた頃で
あったことも急速に普及した理由の一つといわれる。

Danny Boyの作詞者はFrederic Edward Weatherly(1848-1929)というイギリス人で、職業は弁護士であったが、作詞に熱心で
多くの作品を残している。Danny Boyは1910年の作品であるが、1912年にアメリカにいた義理の妹から“Londonderry Air”の
旋律が送られてきて、彼はDanny Boyに相応しい旋律であると考え多少歌詞を変更して1913年に発表した。
アメリカの義理の妹は、アイルランドからの移住者がよく口ずさんでいたこの旋律を書き記し兄に送ったものである。
19世紀中頃、アイルランドで起こった大飢饉の時に多くのアイルランド人がアメリカ大陸に移住してきたが、彼らと共に
この旋律もアメリカに渡ったものと思われる。

この民謡の発掘にまつわる物語;
(1)ロンドンデリーは、北アイルランド(英国)第二の都市であるが(州都はベルファスト市)、アイルランド固有の
伝統文化が強く残されている地域である。19世紀の半ば、この近くに住みアイルランドの古い民謡に関心を持っていた
Jane Ross(1810-1866)がある時、流しのフィドラー(盲目 Jimmy McCurry 1830-1879)のこの美しい調べに魅了され、
彼を家に呼びいれ、彼女が旋律を書き留めるまで幾度となく弾いてもらった。
彼女は、この旋律を音楽の収集家 George Petrie(1789-0866)に贈り Petrieはこれを1865年発行の“the Ancient Music
of the Ireland”で発表した。Miss Janeはこの旋律の曲名を知らず、Petrieには、ただ非常に古い民謡だと説明し、
Petrieが、地名にちなんで“Londonderry Air”と命名したと言う。
(2)その後の調査により、この旋律はこれ以前にEdward Bunting(-1843)が1796年に最初に発行した“The General
Collection of the Ancient Music of Ireland”に“Aislean an Oigfear(ゲール語 英語ではthe young man's dream)”
として既に収められていることが分かった。
Buntingはこの旋律を1792年、Belfast Harp Festivalにおいて、Harp奏者のDenis Hempson(1697-1807 3歳の時、天然痘に
かかり盲目となる)から聴き、コレクションに加えた。尚、Hempson は Jane Rossの近くに住んでいた。
当時のアイルランドやスコットランドでは、フィドルやハープ或はバグパイプなどを抱えて歌を奏でながら村から村へと
回り歩く流しの芸人が多かったようだ。
(3)“the young man's dream”は、又、“O'Cahan Lament オカハンの哀歌”として17世紀頃からアイルランドや
スコットランドで親しまれた旋律と言われる。
O'Cahanはロンドンデリーに土着の一族だったが、17世紀の初め、エリザベスⅠの後を継いだジェームスⅠがアイルランドを
実質支配するためにイングランドとスコットランドからの移住を奨励し、土着のアイルランド人の多くは土地を没収された。
O'Cahan一族も同様だったが、一族の長であったRory Dall O'Cahanという盲目でハープを得意とする人物が、ある晩、
酒に酔って家路に帰る途中よろめいて倒れ、気を失った。気を失っている時に妖精達がハープで奏でている大変魅力的な
メロデイ―を聴き、目覚めて家に帰りすぐさま、そのメロデイーを書き取ったと言うことだ。   **********************

私が通っている英国好きが集まっている楽しいクラスで今ちょうどアイルランドの伝説や歴史を勉強しています。
アイルランドの伝説の偉人ク・ホリンや1916年のイースター蜂起なども聴いたばかりです。
共にゲール由来の家名で孫や子孫を表すのですが、アイルランド人には O' がつくものが多く、スコットランド人には
Mc や Mac が多いそうです。「風と共に去りぬ」の主人公 O'Hara や「アラビアのロレンス」で印象的な演技をした
俳優 O'Tooleもアイルランド人です。

久しぶりの「賛美歌」カテゴリでした。





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