ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「見えてくる道」

2015-11-30 18:22:46 | 説教
降節第一主日礼拝の昨日は講壇交換ということで、曙教会の左近深恵子牧師が
御言葉の説き明かしをしてくださいました。
テキストは「エレミヤ書」33章14節~16節 と 「ルカによる福音書」21章25節~36節  
タイトルは「見えてくる道」でした。
     ***********************************
私共の暮らしは、小さな、しかし大切な営みが噛み合うことで回って行きます。小さな営みの一つが
思いがけず喜びとなり心躍らせることもありますが、ささいな出来事に不安を掻き立てられることもあります。
周囲には限りなく広い世界が広がっていて、ニュースで痛ましい事件や出来事を見聞きし、それらの出来事が
私共の生活に影響を与えていることにも気づいています。しかし実際の毎日はささやかな出来事に喜んだり
あわてたり、小さな世界の中だけで回っているように感じます。その私どもが主イエスを救い主として与えられ、
主につながる者とされているとは、どのようなことなのでしょう。
 今日のルカ福音書の個所は神殿で人々に語られた主の言葉を記しています。主イエスは逮捕される直前まで
エルサレムの神殿で、日々、人々に語っておられました。エルサレムの神殿は神の民にとって、ただの建物ではなく
信仰の中心でありました。その見事さに見とれ、称えていた人々に、主はこの神殿の「一つの石も崩されずに
他の石に留まることは無い」ほど神殿が崩壊する時が来ると言われました。神の民にとって神殿を失うことは
信仰の中心、生活の中心を失うことであり、すべてが終わるに等しいことでありました。
けれど主イエスは、都や神殿が崩壊しても、それが全ての終わりではないと言われました。
神殿という建物や都が、救いの拠り所になるわけではないのだ、と。
 ルカ福音書が記されたのは、既にエルサレムがローマ帝国によって滅ぼされてしまった後の時代だと
考えられています。「一つの石も崩されずに、他の石の上に留まることは無い」ほど徹底的に神殿が破壊され、
都が滅ぼされ、そのすさまじい戦いの影響が色濃く残る時代であっただろうと考えられています。
人々はこの状況がいつまで続くのか分からない中で、それでもすべてが終わったのではないという主イエスの
言葉を聞いています。神殿という建物や、エルサレムという都が自分たちの救いの拠り所ではないのだと主は
告げられています。
 滅びないと思っていたもの、自分にとってなくてはならないものが滅びる時、私どもは希望の拠り所を失い
打ちのめされます。そのような人々に主イエスは、希望の拠り所は滅びるものにではなく、滅びないものにあるのだ
と語ってくださいました。
 希望の拠り所は滅びないものにあると言われたからと言って、主が何かを大切に思う私どもの思いを否定して
おられるのではなく、滅ぶべきものに滅びないかのような妄想を抱くことから私どもを引き戻そうとして
くださっているのです。私どもの毎日はしばしば荒れ野のような状況としか思えないことがあります。 
生活の周りに広がる青々と茂る緑も静かに豊かな水を湛えた泉も見当たらず、生きることを自ら喜べる根拠が
失われているように感じることがあります。そのような時、そこらに転がっているただの石ころを希望の拠り所と
したくなってしまう私どもを、主は引き戻そうとしておられるのです。
 では主は、何が滅びるものであり、滅びないものだと言われるのでしょう。何が私どもの拠り所なのでしょう。
主イエスは天体が揺り動かされ、海がどよめき荒れ狂うような仕方で「人の子」が力と栄光を帯びて来られると
言われました。預言者たちも旧約聖書の時代からしばしば救いの完成される日を、世界を、宇宙を揺さぶるもの
として告げて来ていました。
 私どもにとって救いとは自分の内側に変化をもたらすもので、このような変化を自分の内側に起こすことが
できるのは神様だけなのだと聖書を通して知らされます。しかし、救いはその人の個人的な領域で終わるものでは
ないことを聖書は告げています。私どもの視野を超えて、思考や創造の能力を超えて大きな御業なのだと述べています。
また私どもの歩みは、天地という滅びゆくものにのみ養われているのではないと主は言われます。
滅びない糧に魂を養われる者の歩みは、決して空しく終わらないことを主は私どもに示して下さっています。
 私どもはそれぞれに主の福音に出会った者です。主イエスがこの自分を生かして下さる救い主なのだと受けとめる時を
それぞれ与えられ主イエスに繋がる洗礼に与る恵みを与えられました。一人一人に注がれる洗礼の御業は一人一人の
私的な経験に止まらない、一つの教会の業に止まらない、天地を統べ治めたもう神様の御業であります。
 救いが完成される御業も個人の希望や理想に従属させられるものではなく、主の力の及ばぬ所の無い完全な救いが
主に依ってもたらされると主は教えておられます。 大地を揺り動かすような力が私どもの主なのではなく、
父、子、聖霊なる神が主なのだと教えられます。
 しかしまた主は「はっきり言っておく。全てのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない」と言われます。
「時代」という曖昧な言葉で言い表されるものは、不正を憎み、貪欲さを退け、他者と主の恵みを分かち合おうとする
人々の思いを飲みこみ、押し流して行く抗いがたい時代の力であります。私どもが滅びてほしいと願っている力は廃れず、
時に勢力を増す時代が滅びずに続いている現実。それは私どもの死を超えて、子や孫の世代にも続くのではないかと
不安に感じる、それが私どもの生きている現実です。この現実を主イエスは私どもに先だって見つめておられ、
御自分の後に従い、滅びないものを映し出す足跡を時代の中に刻んでゆくことを願っておられます。
 主は「天地は滅びる」とも言われます。この世で生きている者にとって天地は確かなものの代表ともいえましょう。
私たちの生物学的な命を支える衣食住は天地を通してもたらされます。しかし、私どもの歩みは天地という滅びゆくもの
にのみ養われているのではない、と主は言われます。滅びない糧に魂を養われる者の歩みは決して虚しくは終わらない
ことを主は私どもに示して下さるのです。
 何が滅びないものなのか、主はこう言われます。「私の言葉は決して滅びない」。不正や貪欲さや自己中心的な在り方
と言った時代と呼ばれる流れが今は権勢を誇っています。また天地から自分たちが少しでも多くのものを獲得しようと、
国々や人々の間で対立が絶えません。時代や天地といった存在感や影響力の大きさを誰もが認める者の前では、
言葉ははかなく頼りなく思われがちです。しかし預言者イザヤもこう述べています。「草は枯れ、花はしぼむが、
私たちの神の言葉は永久に立つ」(40:8)。神様は言(ことば)なる御子を、世の光なる御子を世の闇の中に人として
与えてくださいました。
 預言者エレミヤが告げた言葉「ダビデのために正義の若枝を生え出でさせる。彼は孝平と正義をもってこの国を治める・・・
その名は『主は我らの救い』とよばれるであろう」(33:14~16)も主イエスによって実現されました。この義の若枝こそ
主イエスです。主の言葉は決して滅びず、主イエスにおいて実現され完成されるのです。
 私どもは、このキリストに結び付けられ、滅びることの無いキリストに属する者とされ、滅びることの無い希望を与えられ、
それぞれの生活に遣わされています。救いが完成されるという希望が、この「時代」のなかで主に従う生活を営む
活力となります。決して滅びない御言葉に養われて、たくましさと安らかさのある生活を送ることができるのです。
 私どもは自分のこれから先をさやかに見ることはできず、命の先も死の先も見ることはできません。
しかし、主が道を備えておられることを知っています。主は、救いが完成される終わりの日まで私どもの良い羊飼いであられ、
先に立って私どもを導いてくださいます。それが今の「時代」を歩む私どもの希望であり力のみなもとです。
今の時は神様が一人取りに与えて下さっている神様からの贈り物です。病の内にあっても、苦しいことが続いても、
虚しい思いに包まれても、今日は、主イエスの十字架によって罪を贖われ、主に従って歩み始めた私どもが、
主の御前にいたる途上の一日です。
主イエスの御前に立つために、この日も捧げましょう。   
     ***********************************
御説教のプリントのコピーをいただいたのですが、最終稿ではなくて、書き込みがたくさんあって
読みずらかったので(^^;)ゆうゆうが勝手に端折ったりして打ち直しました。 文責はゆうゆうにあります。


公園に冬鳥が入ってきています。 今季、初見初撮りの<ツグミ>です。

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聖書本文の検索

2015-11-27 23:22:35 | 聖書
聖書の中に「楽しみ」と「喜び」という言葉がどれくらい出てくるか?  
「喜び」は頻繁に目にする気がしますが「楽しみ」はあまり記憶にないので
特に興味がありました。 妙なことが気になる性分です。(笑) 
就寝前のひと時を聖書を読む時間に充てている私は眠い目をこすりながら、
「楽しみ」が一番使われていると思われる「詩編」にサラ~っと目を通しました。
最初の晩には3件見つけました。次の晩は新約聖書にパラ~っと目を通しましたが
「楽しみ」という言葉はさっぱり見つかりませんでした。
こんな調子で漠然と探しても時間と労力の無駄です。
もう少し簡単に聖書の中から特定の言葉を検索する方法はないものか。 
昔はともかく、コンピュータ時代のいまどきは聖書の全文がデータベース化されていて
当たり前では?と考えて検索。 大正解でした!
探し出したのは聖書本文全文の検索機能を持った「聖書協会」のホームページです。
このページで、検索キーワードを入れるとたちどころに聖書のどの個所に、
どんな聖句の中にあるかが簡単にわかります、素晴らし~い!
ということで「楽しみ」と「喜び」をキーワードにして検索しました。
「喜び」のヒット件数が「楽しみ」のヒット件数を圧倒しました。

聖書的に、キリスト教的にこれが何を意味するのか、しないのか? 
残念ながら私には分かりません。 聖書本文全文のキーワード検索ができても、
私の場合は、私の信仰にとって特別なことはおきません。
私にとっては宝の持ち腐れ・・・ですが、聖書を研究される方々にとっては
全文がデータベース化されてキーワード検索できるということは大きな力に
なるのではないでしょうか、便利になりました。 


葉陰にひっそりジョビ子さん<ジョウビタキ♀>です。

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「楽しみ」と「喜び」

2015-11-25 19:04:28 | 今日の聖句
新約聖書は今「ローマの信徒への手紙」を読んでいます。
分かりやすい箇所もたくさん、分かり難い箇所もたくさん、
心に響く言葉も多くてアチコチ傍線を引きまくっています。

今日の聖句は 15章22節~24節 です。
こういうわけで、あなたがたのところに何度も行こうと思いながら、妨げられてきました。
しかし今は、もうこの地方に働く場所がなく、その上、何年も前からあなたがたのところに
行きたいと切望していたので、イスパニアに行くとき、訊ねたいと思います。
途中であなたがたに会い、まず、しばらくの間でもあなたがたと共にいる喜びを味わってから、
イスパニアへ向けて送り出してもらいたいのです。


パウロは福音の仲間と共に過ごす喜びを味わいたいと書いています。
時々お邪魔するF牧師のブログに、下のような言葉が載っていました。

  喜びと楽しみ
    楽しみはお金があれば買えるけど
    喜びは決してお金では買えない
    喜びは、苦しみのなかに隠されている
    宝のことだから

そういえば聖書、特に新約聖書には「楽しみ」という言葉はあまり出てこないような気がします。 
旧約聖書には出てきますよね? 特に「詩編」は歌ですから、楽しみという言葉は結構使われて
いるのではないでしょうか? 記憶力に全く自信の無い私、今夜は「楽しみ」「喜び」という
言葉を探しながら聖書をパラパラと読んでみていと思います。
何だか楽しみ・・・・・


<ゲンノショウコ>の種子ってこんななんですね~ (^-^)

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「わたしは福音を恥としない」

2015-11-23 13:51:37 | 説教
昨日の主日礼拝は特別伝道礼拝でした。
出張中の左近牧師に代って目白町教会担任教師の土肥研一先生がみ言葉の
説き明かしをしてくださいました。
テキストは「ローマの信徒への手紙」1章16節~17節
タイトルは「わたしは福音を恥としない」でした。
土肥先生は2002年より日本基督教団出版局に勤務されながら日本聖書神学校に通われ、
今春ご卒業。 4月より目白町教会で担任教師として仕えられています。
昼間は出版局で働きながら教会でのご奉仕をなさっています、凄いですね~。





  若々しく清冽で分かりやすいメッセージをお聴きし、深く慰められ力づけられ感動致しました。
  「・・・・あなたを置いて誰の所へ行きましょう。」
  「キリストと共にいるということは、むしろ、キリストに負われてゆく幼児のようなものである。
  全く安心して親の背中に負われてゆくのである。」
  この二つの言葉はこれからも私の心に灯され続け、決して消えることなく忘れることがないでしょう。


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FEBC online をご存知ですか?

2015-11-21 15:55:01 | 聖書
皆さま、FEBC online というサイトを御存じですか?
放送開始から60年にもなるキリスト教放送局だそうです。
ココをクリックするとサイトの紹介を読むことができます。

そのFEBC online で月に一回ですが「それでもあなたの神となるー旧約聖書の証言に聞く」と題して、
旧約聖書に出てくる人物について美竹教会の左近牧師が語っています。 
11月は「ダビデ」です。 
この放送はインターネットでも聞くことができます。

ここをクリックすると「ダビデ」について語られる左近牧師の声を聞くことができます。
放送時間は45分と少々長いのですが、お時間があって興味のある方は是非聴いてみてください。

聴取期限があって番組は一か月で消されてしまのが残念ですが、10月は「モーセ」だったようです。
これから、旧約聖書の誰についての話が聴けることでしょう、楽しみですね~。
放送されたらまたこのブログでご紹介させていただきますので、よろしくお願いいたします。


今年も<オオバン>が番(つがい)でやってきました。

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讃美歌338番

2015-11-19 18:46:22 | 讃美歌
先週の主日礼拝に明るくなった礼拝堂で大声で歌いました。
普段、家では大声で歌を歌うことがあまりないので教会で思い切り声を張り上げると
(ア、つまり神様を讃美する、ということです、勿論 (^^;) 気分が晴れ晴れいたします。
この讃美歌の歌詞が大好きです。 
この歌詞のように主に依り頼む気持ちで過ごすと、この世の出来事に右往左往する自分が鎮められ
深い平安が与えられます。

讃美歌338番「主よ、終わりまで」
      “O Jesus, I have promised” by John Ernest Bode, 1868
      「ANGEL’S STORY」by Arthur Henry Mann

 1)主よ、終わりまで 仕えまつらん
   御側(みそば)離れず おらせ給え
   世の戦いは 激しくとも
   御旗(みはた)のもとに おらせ給え

 2)浮世の栄え 目を惑わし
   誘(いざな)いの声 耳に満ちて
   試むる者 内外(うちと)にあり
   主よ、我が盾と ならせ給え
 
 3)静かに清き 御声(みこえ)をもて
   名利(めいり)の嵐 静め給え
   心に騒ぐ 波は凪(な)ぎて
   我が主の御旨(みむね) さやに写さん

 4)主よ、今ここに 誓いを立て
   僕(しもべ)となりて 仕えまつる
   世にある限り この心を
   常に変わらず 持たせ給え

現代のあらゆる歌集に収められている秀歌である。
作詞家、作曲家ともオックスフォード大学で学び、それぞれの分野で多大な貢献をした。
作詞家John Ernest Bode(1816-1874)はオックスフォード卒業後、母校の講師と
教会の牧師を努めた。
1855年には栄誉あるBampton Lecturer(18世紀前半、聖職者John Bamptonにより設けられた
宗教問題に関する講座で活発な論争を提供する講座として有名である)にも選ばれた。
この歌は作者の1女2男の堅信礼のために作られたもので、実感が溢れており、1869年に
発表されて以来、盛んに歌われるようになった。

作曲者Arthur H.Mann(1850-1929)はオックスフォード大学で音楽の博士の学位を授けられる
かたわら、近隣教会のオルガニストを勤め、1876年以降終生ケンブリッジのキングズ・カレッジに
おいてオルガニスト及び聖歌隊指揮者を務めたが、その名指揮は歴史的なものであったと伝えられている。
この曲“ANGEL'S STORY”は E.H.Miller 夫人の“I love to hear the story 
which angel voices tell”のためにMannが作曲したものでその歌詞に基づいて曲名がつけられた。
その後、この歌はANGEL'S STORYのほか SUPPLICATION あるいは WATERMOUTH 等の曲名で
広く一般の讃美歌集にも採録され、また一部では、本讃美歌、即ちJohn Ernest Bode の
“O Jesus、I have promised 主よ、終わりまで”の曲としても普及した。
(以上、解説はネットから引用させていただきました。 m(_ _)m )

ココをクリックすると讃美歌338番のメロディを聴くことができます。


公園の楓が色づき始めました。

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明るくなった礼拝堂

2015-11-17 18:53:11 | 美竹教会
礼拝堂のリフォームが終わりました!
照明器具を変えて、クロスを張り替えてすっかり明るくなりました。
荘厳な礼拝堂も素敵ではありますが、美竹教会の場合は装飾は一切なくて、
イエス様やマリア様の像も、ステンドグラスもありません。
シンプルこの上なく、ただクロスが黒ずんで照明が薄暗いという礼拝堂でした。
神様を礼拝するのにその器は問題ではない、のは当然のことです。
しか~し! 聖書の文字が読みやすいし、讃美歌の二番以降(歌詞と楽譜を目が
行ったり来たりすると、どこを歌っているのか一瞬わからなくなる)が俄然
歌いやすくなりました。 とても嬉しいです。
(写真は昨日、礼拝前に撮りました。)





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「一粒の麦」

2015-11-15 18:43:30 | 説教
今日の礼拝説教 テキストは「ヨハネによる福音書」12章20節~26節
タイトルは「一粒の麦」でした。





 私もフィリポのようにアンデレのようにキリストの御業に仕える者とされてゆく、天にある
 故郷での収穫の秋の宴に招かれている、地上でのすべての働きを終えて神の御許に安らう時
 父なる神が大切にしてくださる、のですよね?
 そのことを信じて、信仰を固く持って最期の時まで生きてゆきたいと願っています。
 だれが褒めようとけなそうと、神様が「へえっ」とわたしを迎えて下さったら、それは
 もう十分以上です。 地上に落ちて砕けて自分が死んで、新たな芽をだす一粒の麦。
 傲慢で愚か、すぐ他人と比較する信仰薄い私ですが、今週も少しでも御言葉を証しする者
 として過ごすことができますよう、お祈りします。

  
  公園の<イイギリ>の実は大分赤くなりました。

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「信仰義認」

2015-11-12 14:03:35 | 今日の聖句
新約聖書は「ローマの信徒への手紙」を読み始めました。
パウロによってキリスト教の信仰が語られています。
この手紙について、私が思い浮かべるひと言は「信仰義認」という言葉です。
難しいことは勿論分かりません。 (^^;) 
人は律法を守ること(行い)によって救われるのではなく、神への信仰のみが
私たちを救うという程度の理解です。

今日の聖句は3章9節~22節です。
では、どうなのか。わたしたちには優れた点があるのでしょうか。全くありません。
既に指摘したように、ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にあるのです。
次のように書いてありとおりです。
「正しい者はいない。一人もいない。悟る者もなく、神を探し求める者もいない。
皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。
善を行う者はいない。ただの一人もいない。
彼らののどは開いた墓のようであり、彼らは舌で人を欺き、その唇には蝮の毒がある。
口は、呪いと苦味で満ち、足は地を流すのに速く、その道には破壊と悲惨がある。
彼らは平和の道を知らない。彼らの目には神への畏れがない。」
さて、私たちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法の下にいる人々に
向けられています。それは、すべての人の口がふさがれて、全世界が神の裁きに服する
ようになるためなのです。なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の
前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。
ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が
示されました。すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに
与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。


・・・・・ということなのですが、キリスト教ってかなり難しいカモ・・・・・ (^^;)


<カラスウリ>も赤くなってきました。

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今日の聖句でキリスト教に興味を持たれた方、関心を持たれた方、私の稚拙な理解に
飽き足りない方、どうぞ東京は渋谷区の美竹教会をお訪ねください。 
扉をあけて中にお入りください。きっと心満たされることと思います。
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讃美歌488番

2015-11-10 15:40:41 | 讃美歌
一昨日の永眠者記念礼拝で歌いました。
讃美歌集では「永生 天国」の項に入っています。
心から頼りにしていた姉が神の国に召された時もお別れに歌いました。
その時は涙涙で私は殆ど歌えませんでしたが、今でも♪憂きも悩みもなく~♪ や
♪幸い身に余る豊かなる恵みを~♪”と歌うとグッと胸が詰まります。

讃美歌488番「はるかにあおぎみる」
  “There's a land that is fairer than day” by Sanford Filmore Bennet, 1867
   「SWEET BY-AND-BY」 by Joseph Filbrick Webster, 1867
 1)遙(はる)かに仰ぎ見る 輝きの御国(みくに)に
   父の備えましし 楽しき住処(すみか)あり
  Chorus:
   我ら ついに 輝く御国にて
   清き民と ともに御前(みまえ)に会わん
 2)輝く御国にて 憂(う)きも悩みもなく
   楽しき声合わせ 絶えずともに歌わん  
  Repeat Chorus.
 3)父の愛あふれて 幸(さいわ)い身に余る
   豊かなる恵みを とこしなえにたたえん
 Repeat Chorus.

■1941年のアカデミー賞を受賞作品ゲーリー・クーパー主演の「ヨーク軍曹」で、主人公のアルヴィン・ヨークが
自分を裏切った友人を殺す為に嵐の中、銃を持って馬に乗って出向いている時、雷に打たれ落馬した。
手にしていた銃に落雷したのである。意識を取り戻したとき、銃身は雷で押し曲げられていた。
その時に教会から聞こえてきたのが、この讃美歌である。この歌に引き寄せられるようにヨークは教会の中に入り、
会衆と共に讃美歌を歌い神を讃美している自分を見出した。ヨークの回心であるが、パウロの回心を思い出させる
場面である。この後、ヨークは熱心なキリスト者となり、聖書に忠実に生き、良心的兵役拒否者となる。
この映画の時代は丁度、第1次世界大戦に米国が参戦しようとしていた時期であるが、この映画の製作は
第2次世界大戦の始まった頃であり、映画制作の目的は戦意高揚ではなかったかと思われる。
良心的兵役拒否者のヨークも、“自由”の名の下に徴兵され、味方の苦境の中で大きな功績をあげて英雄となった。

■この讃美歌は天国を歌ったものである。
1節の「・・・父のそなえましし たのしきすみかあり。」はヨハネによる福音書14章2節「行ってあなたがたのために
場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたも
いることになる。」を引用したものと思われ、2節の「かがやくみくににて、うきもなやみもなく、・・・」と
3節「・・・豊かなるめぐみを、とこしなえにたたえん。」はイザヤ書35章10節「主に贖われた人々は帰って来る。
とこしえの喜びを先頭に立てて、喜び歌いつつシオンに帰り着く。
喜びと楽しみが彼らを迎え、嘆きと悲しみは逃げ去る。」を参照したものと思われる。

■作曲者ジョーゼフ・P・ウエブスター(Joseph Philbrick Webster 1819-1874)は、ロウエル・メイスンのもとで
音楽を学び、ニューヨーク他東海岸で活躍の後、最後にウイスコンシン州のエルク・ホーンに定住した。
ここで、作詞者のサンフォード・F・ベネット(Sanford Fillmore Bennett 1836-1898)と一緒に讃美歌の
作詞、作曲に励み、その中で、一時アメリカの子供達や楽隊で流行したのがこの讃美歌である。

■ウエブスターは、音楽家にありがちな繊細で、神経質で一種の躁鬱であったらしい。
作詞者ベネットによれば「ある時、ウエブスターが自分の部屋にやってきて、無言でストーブに背を向けた。
私が“どうかしたのか”と尋ねると、彼は段々良くなるよ!It will be all right by and by.と答えたので、
とっさに“やがて楽になる The Sweet By and By!  これでよい讃美歌が作れるのではないか”と彼に言い、
机に向かい筆を走らせた。出来上がった歌詞を彼に見せると、たちまち彼の目は輝きを見せ作曲に取り掛かった。
そして、メロデイ―を作った後、コーラスの楽譜を記して2人で合唱を始めた。この間三十分も経っていなかった。」と
記している。
ベネットは南北戦争に従軍の後、エルク・ホーンに戻り、医学部を卒業して20年以上医師として働いた。
(興味魅かれるエピソードの記事はネットからの引用です。)

ここをクリックすると讃美歌488番のメロディを聴くことができます。


長~い触覚、多分<ツユムシ>だと思います。

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