ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

CS礼拝 第二部

2022-10-23 17:56:37 | CS(教会学校)

今日は主日礼拝のあと、午後から教会学校(CS)の礼拝が持たれました。
(コロナでしばらくお休み状態でしたが、今は月に一度、午後から
子どもたちの礼拝を再開しています。)

CS礼拝、第二部のお楽しみは Thanks Giving Day (収穫感謝)の先取り、ということで
お店やさんごっこだったようです。
準備中のお店をこっそり覗いて写真を撮らせてもらいました。

ナント、なんと! 商品はフェルトや紙で作られたフェイクの食べ物たちです。
本当に素晴らしい出来栄えにびっくり! 


お握りは紙、ヤキソバは毛糸だったかな? 唐揚げは何だったか・・・・


たこ焼き、エビフライは紙。


チョコレートの詰め合わせ、全部フェルト製でした (@_@;)


たくさんの果物たち、フェルト製です。


さくらんぼのクローズアップ。 ね、フェルトでしょ? 

準備をなさったCSの先生方、凄いです。
CS礼拝に参加されたお子さん、お父さん、お母さん、保護者の皆さま、次のCS礼拝もお楽しみに~~。

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CS礼拝「花の日」にちなんで

2021-07-05 15:17:47 | CS(教会学校)

昨日(7月4日) 主日礼拝の後、午後から教会学校の礼拝が持たれました。

コロナ感染への配慮から子供向けの礼拝は月に一度、午後一時からということだった
のですが、緊急事態宣言もあって、この二,三ヶ月は開かれていなかったようです。

6月に行われるはずの「花の日」のイベントは延び延びになっていたのですが、
昨日、教会学校の先生方や左近深恵子牧師によって準備されて楽しく執り行われました。

例年、お世話になっている交番のおまわりさんや近くの高齢者施設へお花をお持ちして
いたのですが、今年は教会でフラワーアレンジメントを楽しむ会になりました。

子どもたちを待ち受けるたくさんの花
子どもたちが好きな花を選んで自由にアレンジを楽しみました。





花の日(はなのひ、英語: Flower Day)は、アメリカ合衆国に発祥する
プロテスタント教会の行事で、6月第2日曜日に行われる。
米国などでは子供の日 (Children's Day)などの名で呼ばれている行事であり、
子供たちが花を持ち寄って教会堂を飾り付けて礼拝を行い、またその花を
持って病人などを慰問する。 (ウィキペディアより)

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拡大CS教師会

2019-11-27 14:11:46 | CS(教会学校)

11月24日の日曜日、礼拝の後に「拡大CS教師会」がありました。
年に四,五回、分級当番をやっているだけの私は、自分はCS教師ではないと思っていますので
これまで教師会には一度も出たことがありませんでしたが、今回は「拡大」ということで
出席することになりました。 会議は大の苦手です (・・;)
下のようなレジメに添って左近深恵子牧師のレクチャーがありました。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
日曜日、教会に集って神様を賛美する礼拝はその始まりから終わりまでが神様に捧げられたもの。
子どもたちは、すでに共同体の中で生きることへと神様に招かれた神の民であること。
分級は子どもメッセージでは伝えきれないみ言葉を子どもたちに適した仕方で、五感を通して
伝えること、等など。 深恵子牧師のお話は私には「目からうろこ!」でした。

これまでの私の「分級」認識は、大人が礼拝説教を聴いている間、子どもたちが退屈しない
ように、そして楽しく安全に過ごしてもらえればよい、くらいのものでした。
分級に二,三歳のお子さんがいたら即、風船を膨らませて団扇を持たせキャーキャー
風船バドミントンをやって弾けたり、教会の駐車場でブーメランを飛ばしたり、紙コップで
糸電話やけん玉を作ったり、もっぱら体育会系&工作系で遊ぶものでした。
何も指示されず何となく頼まれた分級担当。
礼拝堂で大人と一緒に「子供メーッセージ」をおとなしく聞いたあとの分級は、楽しく弾けて
教会って楽しいなと思ってもらえばいいのかな~、と漠然と考えていました。

深恵子牧師のお話は教会学校のあり方、分級のあり方について根本的で、私にはとても新鮮で
為になりました。
教会学校のことを何も学んでいない私には、これまでのやり方をどう変えたら良いのか、急には
具体的には思い浮かびませんが、分級も礼拝の一部と捉えて臨むとき、きっと何かが違ってくる
と期待しています、自分に!
まずはこれまでのやり方に加えて、分級の最初に神様にお祈りすることからやってみましょうか。
それすらやっていなかったなんて本当にお恥ずかしい・・・・・(;_;)


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  公園の水場で水浴びする<メジロ>です。

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CSの分級準備、仕込み5時間!

2019-09-11 11:59:14 | CS(教会学校)

またCS(教会学校)の分級当番が巡ってきました。
変形膝関節症の調子イマイチの最近の私、体育会系の遊びでお子たちのお相手は
無理になりました。キリスト教の知識も殆ど無く紙芝居や絵本は勿論、聖書の
お話も苦手な私です。
そうだ、工作系でゆこう!と決めました。

早速ネットで「幼児 工作 簡単」と検索して「紙コップの揺れるタコちゃん」を
作ることにしました。
まずは自分で作ってみなくてはネ (^^)

最初、紙コップを赤く塗るのですが(紙コップって表面に油が浮いているのか)
絵の具がうまくのりません。赤の絵の具が足りなくなってしまいました。
家にある朱墨を混ぜてみましたがなんとも奇妙な色合い・・・それにムラ、ムラ。
子どもたちがこの作業をしたら洋服にもアチコチにも赤い絵の具が飛び散りそうです。
次に、画用紙で作るバネですが、丁寧に折らないと歪んで「タコちゃん」が傾いて
しまいます。意外と神経を使います。
カエルの卵のような目玉を切るのも細かい作業で、幼児は勿論小学生でも時間が
かかりそうです。

工作って、このトライアンドエラーが意外と楽しいのですが(^^) 30分の分級
時間内に作るのは無理かな~ 
でも、ここまで作って諦めることはできない って、今、試作している私が
諦められないだけなのですが・・・・・(^^)
そうだ!パーツを全部作っていって分級では組み立てだけをやればどうだろう? 

せっせと赤色を塗りタコちゃんの8本足を切り出し、せっせとバネを作り、せっせと
目玉を切り取り、大小合わせて8組のタコちゃん部品を作って・・・・気がつくと
何時間も没頭していました。 ハテ、最初の目的は何だったっけ? 
あ、そうだ分級だ・・・ナニをやっているのだか、ワタクシ・・・・
まあ、一流シェフのスープは何時間も煮込んで仕込むそうだから。(^^)

このタコちゃんを分級の子どもたちは喜んでくれるかなぁ。
みんな、当番先生は頼りないけど、教会を忘れずに、手を合わせて神様に
お祈りできる子になってね~~。




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花の日・子供の日

2019-06-09 21:01:01 | CS(教会学校)

今日はペンテコステ(聖霊降臨節第1主日)礼拝でしたが、また「花の日・子供の日」でも
あったようです・・・・自覚が足りず忘れていました。 <(_ _)>
講壇や玄関などに可愛らしい花束や鉢植えの花が飾られていました。
礼拝の後、教会学校の生徒さんと先生方で近隣の交番や施設にお花をお届けしたそうです。
花はもっとたくさん飾られていたのですが、ペンテコステのことしか頭になかったワタクシ
花の写真もガラケーでアタフタ撮りました。 (´Д⊂
来年の「花の日」はカメラを持っていってちゃんとした写真を撮らなくては・・・・・

「花の日」とは、キリスト教のプロテスタント教会で、六月の第二日曜日に行なわれる
「子どもの日」の別名だそうで、教会堂に花を飾って礼拝を行ない、その花を近隣の交番や
病気で入院中の方などにお届けします。
1856年アメリカのマサチューセッツ州に始まり、日本には明治中期に移入されたそうです。。
子ども達が病気の方がたや、ふだん地域でお世話になっている方がたに、お花をお届けする
ことで、伝道のための働きを実感できたら、という意味もあるようです。






    

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CS分級は恐ろ楽しい・・・・

2019-02-03 20:03:03 | CS(教会学校)

美竹教会の礼拝は日曜日の午前10時半からですが、教会では礼拝説教の初めにCS(教会学校)の
お子さんたちへ、子ども向けの説教があります。その後、階下の集会室で子どもたちと先生と約30分間、
大人の説教が終わるまでがCSの分級時間となります。

この分級当番が年に2回くらい私にも当たるのですが、今日は私の分級当番の日でした。
二歳くらいから小学生までと年齢層が広く、30分間、全部の子どもたちの興味をつないで楽しく過ごすのは
結構たいへんです。他の先生方はどんなふうになさっているのか、そういえば連絡簿に載っているはずなのですが・・・・
うっかり屋の私は連絡簿を見るのを忘れます。
あ、そういえば、今日は連絡簿への記載を忘れました。 (;_;) 来週必ず書かなくては!

これまで私は、礼拝堂でお説教をお聞きした後でもあるし、分級は「子どもたちと弾けて遊ぶ」路線で来ました。
風船バドミントン(ラケットは団扇)、風船バレー、柔らかボールのサッカー、しっぽ鬼、巨大オセロなどなど。
ところがよる年波か、最近膝の調子がイマイチの私は、今日は運動路線を変更して絵本を読むことにしました。
絵本といっても「布で作った絵本」でとても素晴らしい手作り絵本、世界に一つしかない絵本です。
区立図書館から借りたものですが、昨日、私の友人に見せたところ彼女は大感激してくれました。

今日のCSは小学生の男子一人、女子一人、三歳くらいの女の子、一歳半くらいの女の子の四人でした。
「布で作った絵本」はそれぞれの年齢に合わせて興味を持ってくれるのではないかな?と期待する私。 
小学生のお姉さんが読んでくれるというのでお願いしました。
と、ところが、読み始めてすぐ、集会室に「オモシロクナ~イ!!」という大声が響き渡りました。
ぎょえ~~~! おもしろくない??? この美しい、素晴らしい絵本が! というのは大人の私の考えなのでしょうね~ 
三歳くらいの女の子はつまらない!というのです。
小学生のお姉さんは頑張って最後まで読んでくれました。

その後、焦った私は隠し持った私の遊び道具の録音機を出して、みんなの好きな歌を歌ってもらいました。
一歳半くらいの女の子も歌ってくれて無事録音できて少し嬉しそうでした。 ヤレヤレ。

CSの分級当番、本当に刺激的で恐ろ楽しい。

<布で作られた絵本>





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「なぜと問う時に」 子ども向け説教

2016-01-31 19:12:22 | CS(教会学校)

左近牧師が昨日から長崎平和記念教会の特別伝道礼拝・講演会に出かけられたため、
今日の主日礼拝は山畑譲牧師によって説教がなされました。
説教のテキストは「ヨブ記」42章1節~6節 「ヘブライの信徒への手紙」4章14節~16節
タイトルは「なぜと問う時に」でした。

美竹教会では説教の最初に約十分間、教会学校の子ども達へのお話(聖書の御言葉の説き明かし)
があり、大人も一緒にそれをお聴きすることになっています。
その後、子ども達は教会学校の分級に入り、大人たちは牧師の説教をお聴きします。
今日は山畑先生が子どもへの説教と大人への説教の両方をしてくださいました。

礼拝後、山畑先生を囲んで軽食をとりながら懇親会でしたが、大人のみなさん、
子ども説教に強く感銘を受けたという方がたくさんいました。 
実は、私も・・・・・(^-^)
私の生きている、生かされている根っこは神に繋がっている、十分分かっていることは
ありますが再確認して胸にトンと響きました。

今日は山畑先生による子供たちのための説教(お話)を載せることにいたします。

山畑牧師による子ども達への説教(要約)
  神様を信じても信じなくても何も違わないじゃないか、と言われることがありますが、
  果たしてそうでしょうか。 神様を信じるという事は自分が生きているその根っこが
  神様のところにある、ということです。
  神様からの力によって生きている、ということは、今、あなたのいる場所は神様が
  決められた場所だという事、あなたの存在は意味があるのだよ、と神様から言われて
  いるということです。
  今もこれから先も苦しい事や悲しいことがあったとしても、あなたがたの根は神様の
  ところにある、根っこは神様に繋がっているのだから安心してよいのです。
  道筋は神様が決めて下さっている、ということは、神様を信じれば、これをしてほしい、
  自分がこうなったらよいのに、という願いがなんでも通じるというものではないし、
  私たちの欲望が通ることもはありません。
  信じればあなたの望みはすべて叶う、絶対不幸にはならない、などと言う宗教が
  あったらそれは怪しい・・・(ここで大人たちは笑いました)
  信じられない、まやかしものですね。
  神様を信じるという時、神様はすぐ隣にいてくださいます。
  これからもずっと一緒にいるよ、という神様のメッセージを忘れないでほしいです。
  そして教会には一緒に神様の方を向いている人々がたくさんいます。
  神様は最後には必ず私たちを良い方向に導いてくださいます。
  神様の導きを信じてお祈りをしましょう。


見慣れた野鳥<ヒヨドリ>もアップで見ると愛らしいです。

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教会では毎週、聞き逃したら勿体ない! というお話を聴くことができます。
虚しく苦しいばかりに思える人生に希望を持つことを促されます。
どうぞ、勇気をだして教会の扉を押してお訪ねください。

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「ラニエロ」の話

2015-12-17 14:38:04 | CS(教会学校)

13日の主日礼拝、子供説教で左近牧師は「ラニエロ」という人の話をしました。
このお話の原作はラーゲリレーブという女性が書いたものだそうです。
クリスマスの時期、教会学校では子供たちに話したり、劇にして演じたりするようですが、私は初めて聞いた話でした。
真の光を欠けたひびの入った器(わたくしのこと)に大切に運びながら最期まで生きてゆきたいと改めて思いました。
(左近牧師の話はもう少し簡単なものでしたが、ネットに載っていたものを転載させていただきます。)
          *************************
このお話は、一人の男が、小さなともし火を決して消さないように一生懸命に守り続けたというお話です。
 昔、イタリアのフィレンツェという町に、ラニエロという豪傑が住んでいました。ラニエロは決して腹黒い男ではなかった
のですが、自分の力を心底信じ切っていて、誰もが自分の強さを尊敬し、偉い男だと認めてくれると思い上がっているところ
がありました。それで、彼は人の気を引こうとして力任せに色々のことをやらかすのですが、その思いとは逆に、町の人々は
彼が乱暴で、思いやりがなく、傲慢な男であるとしか見ていないのでした。
 ラニエロが、自分の強さを一番認めて欲しかったのは、愛する妻フランチェスカでした。
しかし、フランチェスカはただただ彼の乱暴な行いを悲しみ続け、ついには愛想をつかして実家に帰ってしまったのでした。
 そんなフランチェスカの気持ちを悟らないラニエロは、戦さで大手柄を立て、名を挙げれば、きっとフランチェスカの心も
戻ってくるだろうと考えました。彼は、傭兵になってあちこちの戦争に参加し、多くの手柄を立てます。
さらに自分の素晴らしい武勇伝がフランチェスカの耳にも必ず届くようにと思い、戦利品の中からもっとも貴重なものを、
フランチェスカの住むフィレンツェの大聖堂の聖母マリアに捧げ続けたのでした。
しかし、フランチェスカの心は彼のもとには帰ってきませんでした。
 ラニエロは、それは自分の手柄がまだ足りないからだと考えました。そして、今度こそフランチェスカも認める大手柄を
立てたいと、その頃始まった十字軍の遠征に加わったのです。聖地エルサレムをイスラム教徒の手から取り返すその戦いで、
ラニエロは一番の大手柄を立てました。そして、その褒美として、エルサレムのキリストの墓に灯るともし火から、自分の
蝋燭に最初に火を移すことを許されます。
 その夜、仲間たちが、「今度ばかりはいくらおまえでも、そのともし火をフィレンツェの聖母マリアのもとに届けることは
出来まい」と、ラニエロをからかいました。かっとなった彼は、「いや、俺はこのともし火をフィレンツェまで消さずに
届けてみせる」と宣言します。そして翌朝から、エルサレムからフィレンツェまで、ともし火を消さずに持ち運んでいく
奇妙な旅が始まったのです。
 ともし火を消さずに旅をしていくことは思ったほど簡単ではありませんでした。馬の背に後ろ向きにまたがり、マントで
風をよけながらそろそろと進まなければなりませんでした。そのうち彼は追いはぎに合います。普段なら、そんな連中を
やっつけることはわけももないことですが、ともし火を守るために、彼はまったく無抵抗のまま身ぐるみを追いはぎどもに
渡します。そして、残されたぼろを纏い、やせ馬に後ろ向きにまたがって、そろりそろしと一本のともし火を大事に守り
ながら旅を続けたのでした。町に入ると、ラニエロのおかしな格好をみた人々はみな、「きちがいだ、きちがいだ」と指を
さしてあざ笑い、からかいました。しかし、ここでいつものように腹を立てて暴れれば、小さなともし火などいっぺんで
消えてしまいます。ラニエロは、沈黙を守り、嘲りに耐えて、小さなともし火を守り続けたのでした。十字軍に恨みのある
イスラム教徒から暴行を受けることもありました。ラニエロは反撃することなく、ただ必死でともし火を守り続けました。
 時には良いこともありました。ある日、くたくたに疲れ果てたラニエロは、その時ばかりはともし火のことを顧みる間も
なく、宿屋に着くや否や手足を大の字に伸ばして朝まで寝入ってしまうのです。朝、目が覚めてハッとしたラニエロは、
ともし火がないことにひどくがっかりします。ところが、宿屋の主人が来て、ラニエロのともし火を持ってきます。
お客さんがとても大事そうにしておりましたので、その火を消さないように大事に守っていてくれたというのです。
 またある日には、とうとうともし火を移しかえる為の新しい蝋燭が一本もなくなってしまいました。これでこの旅もついに
終わりだと思いながら、小枝や枯れ草を集めてそれに火を移すのですが、それもほとんど燃え尽きようとしていました。
そのともし火の最後を見届けようとしていると、近くに巡礼者が讃美を歌いながら通りかかりました。みると年をとって足下も
おぼつかいない巡礼者が急な山を登ろうとしています。ラニエロはその巡礼者の手をとって山の上まで歩いてやりました。
巡礼者がお礼を言うと、ラニエルは蝋燭を分けてくれるように頼んでみました。すると、快く何本かの蝋燭を分けてくれたので、
ラニエロは急いで山の下に降りていきます。そして最後の残り火をなんとか、その蝋燭に灯すことができ、旅が再び始まったのでした。
 他にもいろいろなことがあるのですが、要するにラニエロはこの旅で、今まで経験したことのないような色々なことを経験
したのでした。奪い取るものに無抵抗でそれで与えるとか、殴られても、嘲られても静かにしているとか、足の弱い老婆を
助けるとか・・・、また意外な人の親切とか、不思議なお守りということも経験しました。
 そして、そういう経験を通して、ラニエロは今まではまったく違う人間に変えられてしまったのです。戦いよりも平和を愛し、
荒々しいことよりも穏やかなことを好み、憎しみを抑えて忍耐することができる者になっていました。また、自分の力だけでは
どうすることもできないことがあっても、人の親切や、天の恵みがあることも知ったのでした。自分の腕っ節だけを信じ、
人を思いやることない、荒々しい男だったラニエロはまったく新しい人間として生まれ変わっていました。
 ようやく彼はフィレンツェに到着しました。そして、なんとか大聖堂のマリア像の前にたどり着きます。ところが、こんなに
苦労してともし火を運んできたのに、「そのともし火が本当にキリストのみ墓の前のともし火であるかどうか、一度も消えることが
なかったかどうか、証明してみろ」と言われてしまいます。ラニエロが途方に暮れました。
 すると一羽の鳥が聖堂に迷い込み、ラニエロのともし火にぶつかって、なんとともし火を消してしまいました。火は鳥に燃え移り、
鳥は体を燃やしながら、マリア像の前に落ちて息絶えます。ラニエロはその小鳥の火をとって聖母マリア像の祭壇に火をともしました。
 この不思議な出来事の一部始終をみていた人は、「神様が証を立ててくださったのだ」と、ともし火が本物であることを認め、
ラニエロを成し遂げたことを誉めたたえたというのです。 
          *************************

公園の<カワセミ> 葦のなかに潜んでいました。

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20日はクリスマス礼拝です。
記念すべきクリスマスの朝、あなたの主、イエスキリストに出会えますように!
教会の礼拝にぜひお出かけください。

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教会学校 夏の遠足

2015-07-24 12:03:22 | CS(教会学校)

  夏の遠足のご案内です。
  渋谷に近い方も、遠い方も、ご一緒にNHKスタジオパークの見学を楽しみましょう。
  分からない点は事前にお電話でご確認ください。
  当日参加という方も大歓迎です。 

  

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私事ですが、時々このブログに登場する連れ合いの肝臓が大分悪くなりました。
抗癌剤治療は失敗でした。
その結果、夫は肝性脳症といって、痴ほう症のような症状がでるようになりました。
今は入院しているのですが、動き回ったり転んだり落ち着かず、病院の看護師さん達も
少々てこずっているようでした。 私が傍にいると気持ちが落ち着くようなので、
この一週間ばかり、夕方から朝食まで私が泊まり込んで夫の傍についています。
いつも夫婦二人だけの生活ですから家でも病院でも同じようなものですが、狭い病室で
チマチマと食事をしたり眠ったり、ちょっとしたキャンプ生活のようです。 
ノンクリスチャンの夫ですが、神様が心の平安を与えてくださいますように、私が
しっかり介護できるよう私の健康が守られますように、夫のベッドサイドで祈っています。

これから夫はどんな風になるのか、退院後の生活はどんな風になるのか、明日のことは
全く分かりません。 その所為だけでなくても、今は、本当に「明日を思い煩うことなく」
夫と共に過ごせる一日一日を大切にしたいと思っています。

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子供説教「聖霊のはたらき」

2014-10-07 16:26:38 | CS(教会学校)

10月5日(日)主日礼拝の「子供説教」は左近先生がなさいました。
タイトルは「聖霊のはたらき」でした。

映画「トトロ」の中で、トトロにつかまって空を飛ぶシーンがありますね。
トトロが低く飛ぶと、稲や草がトトロの飛ぶ道に沿ってザワザワ動いたり、木々の葉がサワサワ揺れたりします。
風は目に見えないけれど、風の通った後、何かが動いて風の通り道が分かります。

今日、お話する聖霊は神様の風、神様の息という意味があります。 
聖霊も働くと色々なことが起こり、そこで、人々ははじめてその動きを知ることができます。

イースターの後のペンテコステにイエス様の弟子たちに聖霊が降り、救いの御業が起きて、
弟子たちはイエス様のことを伝えたくなりました。 教会が産まれたのです。
今も、世界中で、日本で、渋谷で、美竹教会で神様の息(聖霊)は人々の魂を生き生きと活かして下さっています。

私には子供が三人いますが、アメリカで、赤ちゃんが産まれるのに立ち会ったことがあります。
赤ん坊はお母さんのお腹にいる間はへその緒を通してお母さんから酸素を受けていますから息をしていません。 
お母さんのお腹から出た時に初めて酸素を一杯吸い込むために「オギャア!」と大声で泣きます。産声を上げます。
お産に立ち会ってこれを見た時、本当に、神様の息が吹き込まれた!と思いました。

私たちは、毎日、毎時、神様からの息によって生かされていて、神の御許に召される時に息を引き取り、神の許に帰って行くのです。
その時まで、神の息を戴いて活き活きと生きて、その喜びを周りに証しして行きましょう。


年を取ると毎日が快適、快調とは行かず、朝目覚めると「ヤレヤレ、今日も目が覚めたか~」などと
感謝のかけらもない感慨を持ってしまうこともあります。
簡潔で分かりやすい子供説教を通して、神様が吹きこんでくださる息を毎日毎時いただき、
生かされている感謝をもって御言葉の証しをしなくては、と反省しました。 (^^;)



今年もコスモスが綺麗に咲いています。


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「美竹教会の秋」はイベント一杯!です。 教会の扉を押してお訪ねください。
 
10月19日(日) 礼拝後、教会学校のお楽しみ会
   26日(日) 礼拝後、青山学院大学聖歌隊によるコンサート

11月9日(日) 主日礼拝~午後3時 教会修養会
   16日(日) 召天者記念礼拝
   30日(日) 礼拝後、青山学院大学ハンドクワイアによるコンサート

その他 ☆ 「聖書の学びの会」が9月28日(日)から隔週で開かれます。
         時間は、礼拝前の午前10時~10時20分

      ☆ 「ヘブライ語入門講座」秋学期が10月2日(木)から始まります。
         毎週木曜日の、午前10時~

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