ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

クリスマス・メッセージ

2017-12-25 17:34:56 | 美竹教会
美竹教会のお知らせ「信音」の最新版が12月24日に出ました。
巻頭は左近豊牧師の「クリスマス・メッセージ」です。


クリスマスは『古い革袋が発酵著しい新しいワインによって破られるように、
古き世の秩序が新しい福音によって裂かれる世界を見、聴くことへと招かれている』
これまで私は聖書を通して客観的に、一読者が物語を読むような目で二千年前の
キリスト誕生、クリスマスの出来事を捉えていた気がします。
遡って当時の当事者として出来事を捉えると、例えば若く貧しいヨセフとマリアは
厩での嬰児の誕生にどんな風に対処したのか、難民としての生活はどんな風に苦しかったか、
イエスを賛美しに(見に?)きた世間から隔離されたような貧しい羊飼いや、
イスラムの世界で優秀な専門職(占星術)の東方の三博士はどんな風であったか・・・・・
ヘロデの心はどんなふうに波立ったか・・・・・
左近牧師のクリスマス礼拝説教、夕礼拝説教を通しては、当時の世界を目の前に
見るように、これまでとは違ったクリスマスを味わった気がします。
今回は説教原稿が無かったので残念です。
『クリスマスの度に新たにされるキリストの体なる教会が「地の塩、世の光」であること
を証しする歩みを刻む』ならば、私もそれに倣って少しでもみ言葉を証しする者で
ありたいです。

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  「迂闊な私の反省」
で書いた鳥撮りさんに会えました!
  今度はしっかり「私は教会に行っているクリスチャンです。
  Nさんのこと、神様にお祈りしています」と伝えられました。
  二人で並んで「綺麗な個体だね、背景が抜けて美しい!」と
  感激して撮った<カワセミ(♀)>です。

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「ベツレヘムへの旅」

2017-12-22 20:25:22 | 説教
12月17日(日)礼拝説教
テキストは「ルカによる福音書」2章1節~5節 タイトルは「ベツレヘムへの旅」でした。





か弱く小さき者としてお生まれになったイエス様が全世界を救う救世主となられたのですね~
キリスト教の信仰のお陰で何とかぐれずに(!)生きている私、本当に感謝です。
クリスマスへの旅人として、また神様に召される時までの旅人として信仰の轍を踏み外すことなく
主の御顔を仰ぎ、祈り続け信仰の生涯を全うさせていただきたいと願っています。

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今年の公園は<ヤマガラ>の当たり年。 4,5羽の群れがエゴの木の
実を探して枝に止まったり地面を突いたり、可愛い仕草を見せてくれます。
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負のエネルギー

2017-12-21 12:46:24 | 今日の聖句
今日の聖句は毎日1編ずつ読んでいる「詩編」から、ダビデの詠んだ109編です。

わたしの賛美する神よ どうか、黙していないでください。
神に逆らう者の口が 欺いて語る口が、わたしに向かって開き
偽りを言う舌がわたしに語りかけます。
憎しみの言葉はわたしを取り囲み 理由もなく戦いを挑んで来ます。
愛しても敵意を返し わたしが祈りをささげても 
その善意に対して悪意を返します。 愛しても、憎みます。

彼に対して逆らう者を置き 彼の右には敵対者を立たせてください。
裁かれて、神に逆らうものとされますように。
祈っても、罪に定められますように。

  彼の生涯は短くされ 地位は他人に取り上げられ 
  子らはみなしごとなり 妻はやもめとなるがよい。
  子らは放浪して物乞いをするがよい。
  廃墟となったその家を離れ 助けを求め歩くがよい。
  彼のものは一切、債権者に奪われ 働きの実りは他国人に略奪されるように。
  慈しみを示し続ける者もいなくなり 
  みなしごとなった彼の子らを 憐れむ者もなくなるように。
  子孫は断たれ 次の代には彼らの名も消されるように。
  主が彼らの父祖の悪をお忘れにならぬように。
  母の罪も消されることのないように。
  その悪と罪は常に主の御前にとどめられ その名は地上から断たれるように。


この詩はこの後、敵である彼がいかに慈しみに欠けているか、なぜ呪われるべき人間なのかという
言葉が続き、最後に主を賛美する言葉で終わります。
悪人、罪びとは因果応報ということでしょうけれど、ここまで憎しみを凝縮し、言葉にするエネルギーは
大したものだ! と、老齢の私は圧倒されます。
愛でも、正義でも、人類に益する(と思われて行われる)大事業でも、人間の持つプラスのエネルギーは
立派で偉大で誇らしいものもたくさんあります。
同様に、負のエネルギー、負に向かうエネルギーも力強くて、恐ろしいものがありますね。
プラスにせよマイナスにせよ何かに固執する、こだわることによってエネルギーは湧いてくるのだと
思いますが、私は負のエネルギーを恐れるあまり、正のエネルギーも含めてエネルギーそのものが
怖くなる昨今です。
良かれと思って進めて来た発明、発見は大は地球規模で、小は細胞以下の単位で、人間をどんどん
居心地の悪い環境に押しやって来ているような・・・・
その元凶は地球上で一番愚かな生き物、人間の持つエネルギーではないか、と思ってしまいます。
根拠もなければ深い考察もないゆうゆうの独り言ですが。

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紅葉に映える池で羽を広げる<ハシビロガモ(♂)>です。
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「マリアの受容」

2017-12-16 17:44:36 | 説教
12月10日(日)主日礼拝の説教
テキストは「ルカによる福音書」1章26節~38節
タイトルは「マリアの受容」でした。




「おめでとう、喜びなさい恵まれた者!」
天使から身に覚えのない懐妊を告げられたマリアの驚きはいかばかりか!
それを受け入れたマリアは本当に私たちにとって「聖書の信仰の先達たちのひとり」です。
信仰浅く、思い覚束ない私も信仰の先達たちに連なるものとされますよう、祈るのみです。
信仰の先達のお一人として、今年の夏に亡くなられたH長老。
いつも祈られていた「全てを神様にお委ねして・・・・」という言葉を思い出します。

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夫といつも歩いた公園の紅葉。 病のために遠出のできない夫は
「紅葉のプチ名所だね」と喜んでいました。(涙)
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「テサロニケの信徒への手紙 一」

2017-12-15 16:29:01 | 聖書
「テサロニケの信徒への手紙 一」を読み始めました。 わずか5章という短い文書です。

「聖書事典」の解説から ******************
「テサロニケ信徒への手紙 一」はパウロ、シルワノ、テモテによって、パウロによって建てられた
テサロニケの教会宛てに後50年に執筆されたものと推定されるので、新約文書中最古の文書であり、
パウロの七つの真正書簡中最初の書簡である。
(「テサロニケの信徒への手紙 二」はパウロの名によって、パウロの弟子によって書かれたものと
推定される)

テサⅠの終末論は、主イエスの来臨を間近に待ち望んでいるという点では、将来的終末論という要素がある。
しかし、そのことは決して主イエスによってすでにもたらされている終末論的な恵みの現在がこの手紙には
認められないということではない。
むしろ主イエスの来臨を将来の出来事として待望するとともに、主イエス・キリストに在るテサロニケの
兄弟たちが神に選ばれ、愛され、すべて光の子、昼の子であるという恵みの現在に生かされていることを
パウロは認めて感謝している(テサⅠ 1:2-4:9,5-5)
この手紙には未来的終末論が支配的であるという説もあるが、この手紙には、まさに近づきつつある
将来的終末論と共に、すでに終末的な恵みの現在が示されているので、両者の関係は二者択一ではなく、
両者併存の緊張関係にあると解される。テサⅠ 5:5はあきらかに現在的終末論を表している。

(中、略)

テサⅠにはもちろん間近に迫った将来的終末論が生き生きと示されている。
だからと言って、現在的終末論はまだ示されていない、等ということは少なくともこのテキストからは言えない。
***************************************

!ハイ、分かりました、多分!
神様を信じて生きている毎日の毎時間、私の心は満たされています。
もちろん、不安に襲われ鬱々と過ごす時間もたくさんありますが、面と向かって問われたら「私は神様に
依って満たされている」と答えます。
つまり「終末的な恵みの現在を自覚している」と自分では思っています。
聖書を読む恵み、神共に在りと信じて祈りながら生活できる恵み、感謝です。
しかし、フト、こういう信仰を、神様を知らない友人知人隣人に一体どうやったら伝えられるのかな~
と考えます。 
ほとんど焼け石に水状態ですが、私は、友人知人隣人との会話に(できる時は)必ず私の信仰、
私の神様のことを話すようにしています。 一方的な働きかけは全く実を結びませんね~。
困難、艱難に出会った友人知人隣人から何らかの働きかけがあったら、お互いに引き付けあって
神様の存在を伝えること、知ることができるのかもしれません。

面白い牧師さんのブログを見つけました。
時々「ヤケのヤンパチ」のように見えたりして笑ってしまいますが、言わんとするところ、その志に
拍手したいです。日本のキリスト教、クリスチャンはなんとなくエリートっぽいのでしょうか。
いつもキャアキャア笑いあっているお隣の奥さん、私の妹、一緒にカラオケに行く仲間、お稽古ごとの
仲間たちにキリストによる本当の平安を伝えるには・・・・・・・私は時々考えます。

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冬の夕暮れ、自然はなんと美しいのでしょう。
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「怖れず迎えよ」

2017-12-09 16:39:27 | 説教
12月3日(日)主日礼拝 説教
テキストは「マタイによる福音書」1章18節~25節
タイトルは「怖れず迎えよ」でした。




『2017年という年を振り返れば、人類のファミリーヒストリーは多くの血を流し、
憎しみの炎に油を注ぎ、力なきものの声に耳をふさいで、新たなる的外れな歴史に
ページを加速度的に加え続けてきましたし、その中を生きる私たちのパーソナル
ヒストリーとて、胸をはって誇ることはできない、平静を装った表情の陰に深く疼く、
負わされた傷の鈍い痛みをたたえながら、だれも入らせない、神様さえ拒絶するような、
自分一人で恥じている物陰に、本当の孤独の淵に、罪と死の果てにある、醜悪の極みを
刻んできた。』

『そこにこそ、聖なる方が降ってこられ、死を滅ぼし、罪を贖い、孤独を癒し、恥を
そそぎ、痛みを身に負い、憎しみに裂かれ、怒りに血を流して、インマヌエル神共に
いますを貫かれたことを、もう怖れず、迎え入れるものとされるのです。もはや私たちは
隠れ場に身を隠す必要はなく、そこから贖いだされて、新たなる命となすべき務めが
与えられていることを聖書は告げているのです。』

う~む、あまりに激しくおのれの罪深さ(醜さ)人間の罪深さをあからさまにされると、
なかなか立ち上がれず、次に述べられている救いの言葉が心に入ってこない。
神様への信仰無くしては生きて行けない、ただただ神様に依りすがっている私。
気力萎えているときには「怖れずに迎える」ことも難しい・・・・・ハァ~~
幼子のようにすべてを神様にお委ねして心穏やかに生きて行けたら「怖れる」ことも
無いのかもしれませんね~

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山茶花の蜜を吸う<ヒヨドリ>
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クリスマス礼拝のご案内

2017-12-08 17:44:32 | 美竹教会
  2017年のクリスマス礼拝とイブ夕礼拝のご案内ハガキを作りました。
  ここ数年、美竹教会にいらした新来会者の方々にお送りします。
  ハガキを受け取って礼拝に来てくださる方は果たして何人
  いらっしゃるでしょうかね~
  今、このブログご覧になっているアナタ!
  是非、美竹教会のクリスマス礼拝にお出かけください!
  ブログ主の私としては「ブログを見て礼拝に来ました」という方が
  お一人でも現れたらブログを止めても本望・・・というくらいの想いが
  あるのですが・・・・言ってることが脈絡なさすぎますね。(笑)

  

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「聖別された民」

2017-12-01 21:35:20 | 説教
「師走」になり世の中は気ぜわしくなりました。
齢重ねた信者の私も11月末から12月初めは「クリスマスのご案内」作りに追われます。
覚束ないパソコンの知識を絞り出してエクセルでご案内のチラシとハガキを作ります。
サクサク終わるかどうかはパソコンのご機嫌次第。今回もプリンターの調子がイマイチで
パソコンホームDr.に来てもらうハメになりました。
10月の末にもマウスのポインターが出なくなって来てもらったばかりです。
出費もかさむし気持ちは焦るし血圧は・・・・多分上がっているだろうし・・・・・
あ~あ、美竹教会も若い会員が増えて「ゆうゆうサン、何してるんだか。僕たち、私たちに
お任せください」と言ってくれる日を待ち望んでいますデス。

長々と前書きを書きましたが、これは、つまり、忙しくて私としては大変で、今回の記事は
「11月19日の説教」で、古くて申し訳ありません、お許しを、という言い訳です。<(_ _)>

11月19日(日)主日礼拝の説教
テキストは「コリントの信徒への手紙」1章1節~4節
タイトルは「聖別された民」





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野鳥を探しながら夫と歩いた公園の紅葉が始まっていました。
「♬~~手のひらの上に淡い悲しみがこぼれる~~♬」
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