イエス様がゴルゴタの丘まで十字架を背負って歩いた道をヴィアドロローサと呼ぶそうです。
日本語では「悲しみの道」「苦難の道」などと呼ばれます。
先日の礼拝後祈祷会で話されたT兄の「証し」のタイトルでした。
↓ Tさんの証しの概略です。
私は学生時代に初代浅野順一牧師の頃の美竹教会に通い始め、その頃から礼拝の奏楽奉仕を
しておりました。 卒業後、40年間の公務員生活のうち25年間を外国で過ごしましたが、
仕事で滞在している合間に70か国以上の国々を訪れました。
イスラエル、特に城壁に囲まれ、東西南北に宗派ごとで四分割されているエルサレム旧市街は
印象に強く残っています。 北東はムスリム地区、北西はキリスト教徒地区、南西はアルメニア
正教徒地区、南東はユダヤ人地区となっています。
エルサレムのヴィアドロローサを歩いた時には、二千年前、ここをイエス様が十字架を背負って
最後に歩かれたのだと思うと胸に迫るものがありました。
浅草の仲見世通りよりも狭い道を十字架を背負って歩かれたイエスは、途中で三度躓かれたそうですが、
とても十字架を背負って登れる道ではないと思いました。
マタイ、マルコ、ルカ伝にはキレネ人のシモンという人がイエスに替わって担がされたと書いてあります。
ゴルゴタの丘の上には「聖墳墓教会」と言う教会が建てられています。
二千年前、イエス様が十字架に架かられた跡に建つその礼拝堂に入りましたが、イエスの墓の前で、
私は思わずひざまずいておりました。
礼拝堂には全世界からありとあらゆる宗派のクリスチャンが集まっていて、礼拝を捧げ、祈りを捧げ
それはうるさくて、喧騒に包まれていました。
日本人は私と同行者の二人だけでしたが、私は世界中からのクリスチャンに囲まれながら、
エルサレムからはるか遠い東の国の日本人の私がどうしてクリスチャンになったのだろう、
何故クリスチャンなのか、茫然と考えていました。
文化も思想も歴史も環境も何もかもが異なっている私とキリスト教、答は見つからず、
その時「自分ははまだ求道者なのだ」と強く感じました。
そして、何故自分がクリスチャンなのか分からない私はいまだに、自分は求道者なのだ
という思いを持っています。 (以上、文責はゆうゆうにあります。)
美竹教会では月一くらいで礼拝後祈祷会がもたれます。
そこでは、教会の兄弟姉妹の「証し」が話されます。
どなたの証しも、私には新鮮で時には深く考えさせられます。
私は、と言えば、証しすることが何もないような心許ないフラフラした信者です。 (T__T)
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韮の花に止まった<ベニシジミ(夏型)>です。
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