ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

祈りの本

2020-09-25 15:44:26 | 祈り
「生かされている恵みを」  (石井錦一牧師の祈り)

  神さま
  物事がうまくいっている間は元気です
  生きることもそれほど重荷ではありません
  生きていることをありがたく
  感謝する日々がおりおりあります

  しかし いったん物事がひどくこじれると
  私の生活はあれこれとみだれてきます
  他人から誤解されて
  生活に疲れてしまったときには
  自分はどうして生まれてきたのか
  なぜ生きつづけないといけないのかと
  思うことがあります
  自分の存在に自信を失い
  何の役にもたたない人間だと思ってしまいます

  生きがいが感じられず
  気のめいるような日々がつづくときに
  なぜだかわからないのですが
  私の心の奥に“生きなさい”という
  命令とも思える声がきこえてきます
  あなたは自分で生きていると思うから苦しいのだ
  あなたは生かされていることを
  忘れてはいけない というみ声をききました

  私の生命(いのち)はあなたのみ手にあると信じて
  きょうも生きる力をあたえてください     

  

祈ることが苦手という私に姉が送ってくれました。
石井錦一、木下宣世、関 茂、渡辺正男という四人の牧師さまによる祈りの本です。
あ~、私はこんなふうに神様にお祈りしたかったのだ、というお祈りが二つありました。
今日はそのうちの一つをご紹介させていただきます。石井錦一牧師の祈りです。
(下線はゆうゆうが引いたものです。)
石井錦一牧師はいくつかの日本基督教団の教会の牧師を務められました。
1972年から94年まで「信徒の友」「こころの友」編集長を務められたそうです。
2016年に召天されました。

自然にしているといつの間にか後ろ向きに生きているような私です。
私の命は神様のみ手にあると強く信じる力、信じて生きる力を、神様にお願いしたいと
思いました。 そして石井牧師に倣ってお祈りしました。


今日の聖句です。
何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・
イエスによって守るでしょう。 フィリピの信徒への手紙4章6節~7節


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「ソドムのための執り成し」

2020-09-12 17:11:49 | 今日の聖句
日の聖句は「創世記」18章20節~33節 です。

主は言われた。「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。
わたしは降って行き、彼らの行跡が、果たして、わたしに届いた叫びのとおりかどうか
見て確かめよう。」
アブラハムは進み出て言った。「まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に
滅ぼされるのですか。 あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、
その五十人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか。正しい者を悪い者
一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずは
ございません。全くありえないことです。全世界を裁くお方は、正義を行われるべきでは
ありませんか。」
主は言われた。「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、
町全部を赦そう。」
アブラハムは答えた。「塵あくたにすぎないわたしですが、あえて、わが主に申し上げます。
もしかすると、五十人の正しい者に五人足りないかもしれません。それでもあなたは、
五人足りないために、町のすべてを滅ぼされますか。」
主は言われた。「もし、四十五人いれば滅ぼさない。」
アブラハムは重ねて言った。「もしかすると、四十人しかいないかもしれません。」
主は言われた。「その四十人のためにわたしはそれをしない。」
アブラハムは言った。「主よ、どうかお怒りにならずに、もう少し言わせてください。
もしかすると、そこには三十人しかいないかもしれません。」
主は言われた。「もし三十人いるならわたしはそれをしない。」
アブラハムは言った。「あえて、わが主に申し上げます。もしかすると、二十人しかいないかも
しれません。」
主は言われた。「その二十人のためにわたしは滅ぼさない。」
アブラハムは言った。「主よ、どうかお怒りにならずに、もう一度だけ言わせてください。
もしかすると、十人しかいないかもしれません。」
主は言われた。「その十人のためにわたしは滅ぼさない。」
主はアブラハムと語り終えると、去って行かれた。アブラハムも自分の住まいに帰った。

何千年も昔、アブラハムは神様とこんな会話をしたのですね。
頑張るアブラハム、この箇所を読むと、なんとなく(^^)となります。
町が滅ぼされるかどうか、かなり深刻な話なのですが・・・・

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昔の職場の先輩から「気分転換に10月に北海道ツアーに参加しましょう」とお誘いを受けました。
往復の飛行機代、4泊の宿泊ホテル代、レンタカー代で5万円という安さだそうです。
北海道内はレンタカーの移動で、自分たちで自由にコースを決められるそうです。
レンタカーって大人4人が乗って5日間、車を乗り回す。
かなりな「蜜」ではありませんか。道中、お喋りの花も咲きそうです。
怖がりの私は未だに友人知人との会食やお茶もできないでいます。
正直にそう言ってお断りしました。幸い他の方が加わってくださり、私が抜けてもメンバーは
無事にツアーに申し込めたそうで、それはそれで良かった、です。
Go Toキャンペーン、Go Toトラベルが宣伝されています。
観光業界の方々にとっては死活問題だと思います。
若い現役の友人は出張などでマスクをして国内を飛び回っています。
スウェーデンではマスクをする人は殆どいなくても感染者数は激減しているとか。
コロナ感染、どう捉えたら良いのでしょう、どう考えたら良いのでしょう。
自己責任で自分で判断して行動するしかありませんね。
収束はどんな形で私達にもたらされるのでしょう。



夕方に向かって白から徐々に色濃くなる美しい<酔芙蓉>
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気分、上向かないナァ~

2020-09-02 13:15:30 | 今日の聖句
「ヨハネの黙示録」を読み終わって、新約聖書は「マタイによる福音書」を読み始めました。
今日の聖句は「ヨハネの黙示録」 3章14節~20節です。

ラオディキアにある教会の天使にこう書き送れ。『アーメンである方、誠実で真実な証人、神に創造された
万物の源である方が、次のように言われる。 「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく
熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。
熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。
あなたは、『わたしは金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要な物はない』と言っているが、自分が惨めな者、
哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない。
そこで、あなたに勧める。裕福になるように、火で精錬された金をわたしから買うがよい。裸の恥をさらさない
ように、身に着ける白い衣を買い、また、見えるようになるために、目に塗る薬を買うがよい。
わたしは愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。だから、熱心に努めよ。悔い改めよ。
見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に
入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。


コロナと猛暑の中でも私の穏やかな日常生活は維持されています。
毎日の生活の中で、神様に感謝することが私にはたくさんあります。
日々の糧を感謝、雨露を凌ぐ住まいを感謝、取りあえずの健康を感謝、
与えられて続けられている学びの場や、三密を避けながらでも友人知人との交わりを感謝、 
会議ソフト(Zoom)での教会の集まりにも参加できました、感謝です。
(9/4 追記です (・・;):何よりも神様を創造主として崇める信仰に導かれ、神のみ国の民として
 歩む平安を与えられたことへの感謝。)
 
以前からニュースをはじめとするTVの報道番組はあまり見ていませんでした。
コロナ禍にあって、少しは情報を得なくてはと思いNHKの7時のニュース番組だけは見ることにしたのですが、
最近はそれもまたサボり始めました。
コロナ感染への緊張と猛暑で老体は疲れ始めました。
政治、経済、気象、社会情勢、何を見ても聞いても全てが厳しすぎます。
年齢的な衰えのために気力も減少気味なのでしょう、なかなか視線が上向きません。
先日、アフガニスタンの母子家庭の様子をニュースで見ました。戦争のトバッチリを受けて(戦闘で、では
ありません)父親は亡くなり、親戚の家に身を寄せた一家の話でした。
12歳の長男が母の作るコロナ対策のマスクを街頭で売って日々を凌いでいます。
学校にゆくなどは夢のまた夢です。平和になってくれたら・・・・というお母さんの言葉が胸を刺します。

アフガニスタン紛争、シリア内戦、クルド対トルコ紛争、リビア内戦、イエメン内戦、
アメリカの人種差別抗議デモ、ベラルーシの大統領辞任を求めるデモ、香港の民主化デモ・・・・・ 
パンデミックの脅威の中でも人間同士の闘争や憎しみは変わることなく、減ることもありません。
温暖化する地球で南極の氷は5年前の三倍速で溶けているそうです。
新型コロナウイルスの登場も、鎮火できない大規模の山火事も・・・・温暖化は地球の様相を加速度的に
変えているように感じます。
日本でも気候は年々厳しくなっています。流域の村をいくつも飲み込む大雨、台風災害、命を危険に晒す
ほどの猛暑・・・これからも年々状況は厳しさを増すのではないでしょうか。

人間には、創造主なる神を知り、謙虚に知恵を活かし平和・平等を実現する賢さは無いのでしょうか。
世俗を避けて地下や洞窟で祈り続けたキエフのロシア正教の僧侶のようになる勇気は私には無いけれど、
できることなら世の中のことを知りたくない!と逃げたくなる時があります。
こんな私を、積極的に動かない生ぬるい状態でノウノウとしている私を、神様は許してくださるでしょうか。
何もなし得ぬ人間の自分を持て余します。
今日このごろ、気分も視線もなかなな上向きません、困ったことです。(T_T)


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↓ 所用でお休みした30日の礼拝説教の最後の部分です。テキストは創世記2:15~18他
よろしかったらHPから全文を是非お読みください。
私は今、始めて読みました。 (-_-;)

『神さまは、ご自分に信頼しきれずに道を見失う私たちの罪を深く嘆き裁く方であります。二人を去らせなければ
ならない神さまの嘆きは、どれほど深いことでしょうか。私たちが神さまに背を向け、自分の利益のために他者をも、
神さまをも背く私たちに対する神さまの嘆きの深さが、み子の十字架に示されています。神さまは背く私たちと、
裁きをもって関わることを止められてしまわれず、私たちを赦しへと導くための裁きを、み子の命の値をもって
下されました。無防備な私たちを私たちには造り出すことのできない装備で装い守ってくださいます。私たちの
背きから生じる敵意や無関心、責任の押し付け合いが、世界で猛威を振るっています。人の背きが茨やアザミの
ように茂る中を、神さまに従う道を進む私たちのために、み子は十字架で死んでくださいました。自らは不十分な
装備しか用意できない私たち一人一人を贖いのみ業で包むために、み子の贖いという、私たちには造り出すことの
できない衣で包んでくださっています。
パウロはローマ書で、主イエス・キリストを身にまといなさいと記しています(13:14)。ガラテヤ書では、
洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ていると記しています(ガラテヤ3:27)。
またⅠコリント書では、朽ちるべきものが朽ちないものを着、死ぬべきものが死なないものを着る時、死は勝利に
呑み込まれたと書かれている言葉が実現すると述べています(Ⅰコリント15:54)。
キリストの贖いの御業を心から感謝し、祈りをささげます。』

  
  子ども達は楽しい夏休みを味わえたでしょうか。
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